第五十九話 共鳴の先に在る声
「だからな、あたしは別にストローのことを――」
「黒いのよ、もうその話は終わっとる」
「……ひどい」
ニアのぼやきに、博士はあくまで冷静な調子で返す。その口元には、ほんの少しだけ微笑のようなものが浮かんでいた。
ベリーがそっとティーカップを配り終えると、部屋の空気が少し落ち着いた。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、研究所の中には静寂が満ちている。
私は、手のひらに乗った蒼く透き通る石に、そっと視線を落とした。
――真氷蒼石。エンシェント・ジュエルの深部で手に入れた、奇跡のような魔導鉱。
「……これが、その石か」
博士が手袋を嵌めた指先で真氷蒼石を撫でる。
極低温の魔力が空気に混ざり、微かに室温が下がった。
「ふむ、純度は申し分ない。これなら、雷による干渉媒介としても十分……」
ストロー博士が静かに頷きながら、別の資料に目を通す。
私たちは、彼女が不在だった間に行った探索――彩環大鉱山での出来事、ジュエルソウルの魔核をルインが解析したことなどを、簡潔に報告した。
博士は、途中で何度か片眉を上げたり、指を止めたりしながらも、全てを記録し終えると椅子にもたれかかり、独り言のように呟いた。
「……ジュエルソウルの魔核、か。そしてニアの精霊核」
「何か分かったの?」
私が尋ねると、ストロー博士は頷き、机の脇から一枚の記録紙を取り出した。
「この “ 記憶を封じた石 ” ――赤い魔導石の解析、お主らが留守にしておった間に終わっとる。興味深い波形がいくつも記録されとった」
「波形?」
「うむ。“ 記憶 ” とは言っても、単なる視覚情報や感情の断片だけではない。“ その存在が、世界にどう揺らぎを残したか ” という軌跡じゃよ」
博士は、赤い石に刻まれていた『残響』の一部が、リュミエールの精神波に類似していると説明した。
「これには、あの娘の強い意思が混ざっておる。守ろうとした誰かの記憶……あるいは、誰かの未来を背負った願いじゃな」
私は、無意識に手を握りしめていた。
「さらに、ジュエルソウルの魔核とニアの精霊核――このふたつには、いくつかの共通項がある」
「共通項……って?」
「波動の共振性。存在領域の希薄化。そして、“ 属性構造の重なりによる記憶伝達の可能性 ”」
聞き慣れない単語が並んだが、ストロー博士はわかりやすく説明してくれた。
「つまり、ニアの核は……共鳴媒体になり得るってこと?」
博士は小さく頷いた。
「そう。これを利用すれば、『記憶への橋渡し』が可能かもしれん。これは、雷属性による刺激だけでは届かぬ、深層領域へも干渉できる可能性を示しておる」
ニアは少し不安げな表情で自分の胸に手を当てていた。
「あたしに……できるか? そういうの」
それに答えるように、お姉ちゃんが軽く背中を叩いた。
「大丈夫。ニアならできるよ。……なんて言おうが、ここまで来たんだから」
私も頷いた。
「少しでも可能性があるのなら、やってみよう。リアンを取り戻すために」
博士は目を細め、真氷蒼石の光を見つめながら言った。
「ただし、リスクもある。記憶への深い干渉は、精神の自我構造に一時的な崩れを起こす可能性がある」
空気が少しだけ重くなった。
「けど……」
お姉ちゃんが前に出る。
「やる価値はあるってことでしょ?」
博士は小さく笑った。
「ふむ。やはり、そなたらは面白い。……では準備に取りかかろうかの」
「ストロー博士、……何でもない。リアンをお願い」
私の願いにストロー博士は軽く頷くだけだった。
――そして、しばらく経った後。
「ベリー、属性干渉室の準備はできておるか?」
ストロー博士の声に、別室から「は~いッ!」と返事が返ってくる。数秒後、小柄な女の子――ベリーが扉からひょこっと顔を覗かせた。
「見学ならいつでもどうぞ~。案内しますね」
私たちは紅茶のカップを置き、ベリーのあとについて研究所の奥へと向かった。
無音――。
扉を越えた瞬間、空気の密度が変わった。
音が吸い込まれるような静寂。周囲の気配が薄れて、肌の上に微かな震えが走る。
「ここが……」
「属性干渉室です。特殊な魔導構造で外部と遮断されているので、音も通りにくいんです」
ベリーが簡潔に説明する。部屋の中心には精緻な魔導円が刻まれ、その周囲には雷導管と呼ばれる銀青の柱が円形に並んでいた。
天井には透明なドームが張られ、そこからわずかに夜の月光が差し込んでいる。
博士がゆっくりと部屋に入ってきた。
「次の満月を干渉基点に設定すれば、属性の安定度は格段に上がる。干渉の成否を分ける要になるじゃろうな」
「……つまり、夜まで待つってこと?」
お姉ちゃんがぽつりと尋ねた。
「うむ。だが、その前に準備と最終調整が必要だ。特に“共鳴媒体”であるニアの核との適合性を高めておく必要がある」
ニアは、そっと自分の胸元に手を当てた。
「……あたし、ちゃんと……リアンの声、受け取れるかな」
その声はかすかに震えていた。でも、確かに、前を向いていた。
「大丈夫。私たちなら、きっとリアンを取り戻せる」
私はゆっくりと頷いた。
月の光が、魔導円の中央を静かに照らしていた。
――高台の塔から、ティラミスの街が見下ろせる。
無数の光が並び、風力塔の回転が、星のような軌跡を描いていた。
「綺麗――、だな」
ニアがぽつりと呟く。
私は、その隣で、風に髪を揺らしながら目を細めた。
お姉ちゃんが静かに私に歩み寄る。そして、緊張感で強張っていた肩に柔かで温かな手をそっと置く。
「今から始まるんだね」
固まった心を溶かしてくれるような優しい声だった。
私は目を閉じて気持ちを落ち着かせる。
そして、肩に感じる感触に、自身の想いと震える手を重ねて返事をした。
「うん。私たちの――リアンを取り戻すための一歩が……」
ストロー博士が、塔の縁に立ち、空を見上げる。
「静かだな……。何も起きぬ夜ほど、世界は変わる準備をしているものだ」
美しい景観を見渡しながら自然に零れたストロー博士の声。
その言葉は、風に紛れて、どこか遠くへ流れていった。
こうして私たちは、満月の夜へと向かう。
雷が記憶に触れる、その時を待ちながら――。
今回で、第五章は終了です。
次回より、第六章「風音に薫る雷花」が開始となります。
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