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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第二部 ティラミス編 - 第四章 暗闇に零れる白砂
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第五十三話 静謐なる煌めきの果てに

 深い青を(タタ)えた空の下、エンシェント・ジュエルの水庭では、風すら宝石の香りを纏っていた。

 日差しは翡翠(ヒスイ)のようにやわらかく、噴水から舞い上がる水粒は虹の欠片のように空中で煌めいている。

 白い石畳の縁を縫うように咲く透明花クリスタリスが、そっと揺れた。


 休養に入ってから六日目。

 予定どおり、明日には、私達はこの地を離れる。


 中庭に並ぶ白銀のベンチに腰掛けたミスティアが、風にそよぐ長い髪を片手で押さえながら、私たちに笑みを向けた。


「いい風だね。……旅立つ日の前って、どうしてこんなに空気が澄んで感じるんだろう」

「それは……多分、“ 終わり ” が近いって、心が分かっているからだよ」


 とても穏やかなお姉ちゃんの声。その声は、寂しさが(ニジ)んだように優しい。


「……ここでの時間も、もう終わりか」


 今度はニアがそっと呟いた。その強い意志を秘めた瞳には、未練や不安はなく、まるで静かな覚悟が宿っているかのよう。

 ニアの状態は、ここ数日を経て落ち着きを取り戻していた。異変の兆しも薄れ、精神も安定している。

 けれど、それが “ 嵐の前の静けさ ” でないとは限らない。

 なぜなら、私とお姉ちゃんは、ニアのなかに流れる “ 何か ” の気配が、より深く静かに根を張りつつあることを感じていたから。


「兄様の報告書を読んだ? ……そこには、魔核や瘴気、精霊構造の相関図も載ってた」


 ミスティアが資料を手に、指先でページをなぞる。


「簡単に言えば、“ あれ ” は観測されることで意味を持つ存在だった、ってことでしょ?」

「つまり……誰かが見ていたってことだな?」


 ニアが眉をひそめる。


「うん。“ あれ ” を通して、何者かが私たちの()()()()()していた可能性がある。明確な意志があったかは分からないけど、まるで『何かの目』に触れていたような……」

「……試されていた。あんな化け物相手に」


 お姉ちゃんがぽつりと呟く。

 私もゆっくりと頷く。


「……あのジュエルソウルの魔核は、普通じゃなかった」

「まるで、『焦点』みたいだった気もする。ジュエルソウルの中核自体が、どこか遠くの視線を引き寄せる“窓”になっていたような……」

「……それで? その『視線』の正体って、分かったの?」


 ニアが静かに口を開く。

 その問いに、私は一瞬、口を閉ざした。

 思い出すのは、あの夜のこと――。


 ニアが深い眠りに落ちた後、私はお姉ちゃんの部屋に寄った。布団の中で寝息を立てていた彼女は――実は眠ったふりをして、ずっと私の気配を探っていた。

 あの時、結界が(キシ)んだ。魔力のうねり。空の膜の向こうに走る黒の(シマ)。目に見えない “ 何か ” が、こちらを覗き込んでいた。

 その直後、私は確かに聞いた。懐かしいあの声を――。


(……ラクラ姉ちゃん……)


 忘れるはずがない。

 幼き日、私の名前を呼んでくれた――あの無邪気なリアンの声を。


「……夢みたいな話だよ。でも、確かに聞こえた。あれは……間違いなくリアンの声だった」

「リアン……」


 ニアがその名を繰り返し、ふと視線を落とす。

 彼女には、リアンについてすべてを語っているわけではない。それでも、何かを感じ取っているようだった。


「その……ララ。リアンって、どういう人だったの?」


 言葉を選びながら、私は静かにニアの質問に答える。


「……昔、家族だった。実の姉弟じゃないけれど……。それでも、リアンは私にとって弟みたいな存在だった」

 あの頃、私はまだ小さくて。名前も曖昧で、未来もなかった。

 でも、リアンがいて、アリヴィアがいて、あの家族のなかで私は初めて “ 誰か ” になれた。

 だからこそ――彼を失った喪失(ソウシツ)は、私の中で癒えない深い傷跡となって消えない痛みを残している。


「……もう、会えないと思っていた。でも、突然リアンの声が届いた。まるで時間も空間も超えて、ほんの一瞬でも、再び繋がれた気がした」

「……そっか」


 ニアの返事はそれだけだった。

 今回ばかりは、踏み込みすぎない距離を、さすがに彼女もわきまえていた。

 だからこそ、私は言葉を続けることができた。


「ニア。あなたの中にある “ 穢れ ” ……それが、何かを引き寄せたのかもしれない。無意識の感情が、魔核に残された想念と共鳴して、誰かに “ 届いた ” ……そんな仮説が、今のところ一番近い」


 魔物。精霊。魔核。核に宿る感情。記憶の石。

 すべてがひとつの線で繋がりかけている。


「……そして、その続きを探るために、私達は『次の場所』に行かないとならない」


 私は顔を上げ、視線を未来へ向ける。


「リエージュ。『大樹の都』ブッシュドノエル。天冥(テンメイ)(ジュ)がそびえる、聖なる土地」

「……天冥の樹?」


 ニアが小さく首をかしげる。


「天地を貫く大樹。頂は天に、根は冥に届くと謳われる。魔を退け、魂を癒す――神聖な水が根元から湧き、万病に効くと語られる――」


 私はゆっくりと説明する。


「その水なら、ニアの中に残る“穢れ”にも何かしらの影響を与えるかもしれない。少なくとも、調べる価値はある」

「うん……。分かった。行こう、ララ」


 ニアが、真っ直ぐに頷いた。

 そのとき、ミスティアが小さな袋を差し出した。


「これ、持っていって」


 手のひらほどの小袋。中には青白く光る小さな石が()め込まれたペンダントがひとつ。


「飾り用だけどね。余った真氷蒼石の欠片をジンに譲ってもらった。それを素材にして私がこっそり作ったの。護符にはならないけど……気持ちを込めてある」

「ありがとう。大事にする」


 私はそれを胸元にしまい、しっかりと頭を下げた。


「またね、ミスティア。()()()()()()()()に入る話も『真剣』に考えて欲しいな」

()()()()()()()()の話はともかくとして、きっと、直ぐまた会える。宝石の縁が、どこかで繋いでくれるから」


 ミスティアは、宝石の街の風に髪をなびかせながら、静かに微笑んだ。

 その笑顔は、確かな “ 希望 ” の光だった。

 こうして、私たちは再び歩き出す。

 静かなる空の下、時の底に眠る記憶が目を覚ますその時を信じて――。

今回で、第四章は終了です。

次回より、第五章「天環に揺らめく永遠」が開始となります。


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