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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第二部 ティラミス編 - 第四章 暗闇に零れる白砂
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第五十一話 封空の天環に潜む

 空など在るはずもないこの地底都市に、それでも確かに、光と闇が交差する “ 空 ” があった。


 光は、都市を包む『封空天環(フウクウテンカン)』の結晶膜を透過して柔らかく注ぐ。

 昼は青く澄み、夜は星を(タタ)えた(ヨイ)の空。けれどその光景は、あくまで人工の空――塔と魔導石によって演出された、神秘の演算。

 それでもこの地の人々は、“ 光の刻 ” と “ 眠りの刻 ” というリズムの中で、封空天環に導かれ地上と変わらぬ日常を生きていた。

 封空天環は、地上から地底都市の存在を悟らせないための結界としても機能していて、ティラミスの科学とドワーフの古代技術を結集して築かれた、まさに()()()()と呼ぶにふさわしい存在と称されている。


 街の中央にそびえる『時環の庭(ジカンノニワ)』は、観測と守護の機能を併せ持つ中枢塔。

 巨大な魔導石が埋め込まれた石造りの時計盤には、” 陽を模した光環 ” と、” 月を模した影針 ” が交差し――今は “ 眠りの刻 ” を告げる澄んだ鐘音が、静かに都市の隅々へと響き渡っていた。


 高台に築かれた宝石城の一角。煌めく水晶の窓辺に立ち、私は深く息をつく。

 封空天環の向こう、結界の内側には地下にうごめくように繁る “ 魔力植物群 ” が広がっていて、幻想的な霧が根を這う様子が伺えた。

 地底とは思えない幻想的な風景の中、天井の星灯が瞬き、冷たい風が静かに街の灯をかすめていく。けれど、その夜気に混じるのは、ただの静寂ではなかった。


 客室には身支度を整えたり、食事をしたりできるリビングがあり、扉越しに個室の寝室が三つ並ぶ造りになっていて、私は真ん中の部屋を利用している。

 私の部屋の隣りでお姉ちゃんは既に休んでいた。


 昨晩、私達は、ジンとレイナとの会食後、宝石城に戻って話し合いをした。けれど、得られた答えは真相へはどこか遠く、ぼやけていた。

 ニアの中に感じた異変――それを解き明かすには、まだ何かが足りない。


 そして、今宵も私とニアとの間で謎解きが始まる――。


 私は椅子から立ち上がり、部屋の隅にかけていたタオルで髪を拭く。魔力でほんのり温められた柔らかな感触が、肌に心地よかった。

 窓の外は相変わらずの闇。森のように広がる魔力の蔓草を包む霧は、先ほどより濃くなっていて、不穏さを際立たせている。


 カチ、カチ、カチ……。


 静けさを刻むのは、壁掛け時計の音だけ。だがその音は妙に重く、鋭い。時の針が進む音が、どこかこちらを睨んでいるような錯覚に囚われ――私はふと、寒気に肩を震わせた。


「……また、来るかもしれない」


 思わず(コボ)れた独り言。自分の声なのに、ひどく遠くに感じた。


 私は自室の扉をそっと開け、隣室へ足を運ぶ。ニアの部屋。布団の中に身を沈めているように見えたが、呼吸が浅く、落ち着かない。


「ニア。起きてるんでしょ」


 私の声に応えるように、布団の中からぼそっと呟きが返ってきた。


「……あぁ。寝ようとしても、なんかダメでな」


「無理に眠らなくてもいいよ。気になっているんでしょ? ジン達に言われたこと」


 その言葉に、布団が微かに揺れた。


「……そりゃ、気にならないわけない。……別に、あたしがなんかしたわけでもないのにな……」


 ニアは布団から身を起こした。寝癖のままの髪をかき上げるその仕草の中に、不安の色が混じっている。その視線の奥に宿るのは、明らかな怯えだった。


「ジンたちは、“ 穢れのようなもの ” って言っていた。ニアに “ 何か ” が憑いているって。お姉ちゃんも、それを感じ取っていたと思う……」


「……あたしの中に、何かいるってのか? そいつ、いつから……?」


 その問いに、私は慎重に答えを選んだ。


「多分、ジュエルソウルの魔力に触れたとき……。あの時、ニアの魔力が急に乱れた。あれは “ 闇の魔力 ” への反応だった」

「でも、あたしの異変って、風の魔力にしか反応しなかったよな?」

「うん……。だから、おかしい。風の魔力にしか反応しなかったのに、闇の力にも反応した――。それ自体が、もう新たな異変の兆候……」


 ニアは黙り込んだ。納得はしていない様子。けれど、何かが自分の中に侵食(シンショク)してきたのだと、理解はしている顔だった。


「……ララ。あたしさ、最近、“ 見える ” ていうか――感じるようになったんだ。白くて形のある……影みたいなものが、いつも背後にいる感覚」


 私は目を細める。


「目で見えるんじゃなくて、()()()()()()()()()ってこと?」


「……あぁ。そんな感じ。意識の隙間にねじ込まれてくるっていうか。声とかは聞こえないけど、ずっと付き纏ってる」


 私は無言で魔力を巡らせ、簡易結界を張った。時環の庭の中央で調整された魔流が、そっと部屋の空気に干渉し、足元に冷たい流れが走る。見えない “ 異物 ” の気配――確かに、いる。


「……やっぱり、いた」

「やめろよ、そういうの……怖いだろ」

「ごめん。でも、これは事実。今夜は特に強くなっている。お姉ちゃんも、きっと気付いている」


 ニアは唇をかみ、眉をひそめた。


「これ、あたしに何かさせようとしてるのか? それとも、もう……あたしは、誰かじゃなくなってるのか……?」


「違う。ニアは、ちゃんとニアだよ。()()大丈夫。……だからこそ、気を強く持って。怖いのは、『何も感じなくなる』こと」


 私はそっと彼女の手を取った。冷たかったけど、そこにはちゃんと命の温もりがあった。


 ――その瞬間。


 カチ、カチ、カチ……。


 時計の音が突然強く響いた。部屋全体が、ひやりと凍りついたような静寂に包まれる。


「っ、また……」


 ニアの声が震える。彼女の瞳の奥に、わずかに―― “ 光とは異なる ” 何かが、微かに瞬いたように見えた。


「ニア。その影、()()()()()()()()()()()()って感じない?」

「……言葉じゃない。けど、…… “ 何かを待ってる ” っていう感覚はある。ずっと、あたしの中の奥で、何かが――」


 私の意識にも、ほんの一瞬、誰かの『気配』が届いた気がした。思念が繋がりかける。だけど、まだ名前も姿もない。分からない。


「……お姉ちゃんに、相談しようか?」


 私がそう問いかけると、ニアはそっと首を横に振った。


「……今は言いたくねぇ。あたしが弱ってるとこ、見せたくないんだ」

「……わかった。じゃあ、私が見てる。ニアの隣に、ずっといるよ」


 その言葉に、ニアはようやく小さく頷いた。


 ……カッチ、カチ、カチッ――。


 針は時を刻んでいるはずなのに、その音だけが、なぜか現実とズレて響いている気がした。

 時計の針が、夜の底を静かに刻み続ける。

 その沈黙の中。確かにソレはそこにいた。


 名も姿もなく、それはただ深潭(シンタン)の奥に潜み、封空天環の空越しに、誰にも知られぬまま――この冷たい夜を見下ろしていた。

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