第四十九話 穢れの残滓
宝石色に煌めく町が夜の優しい光に包まれたあと、私とお姉ちゃんは、街の観光中に偶然出会ったニアと合流し、そのままジンのもとを訪れていた。
ジンから受け取った加工された真氷蒼石は、指先が触れた瞬間に魔力があふれだすような感覚がした。冷たいはずの石なのに、どこか温かみがある。いや、正確には、体の奥深くに染み込むような魔力の流れが心地好さを伴って広がっていくような、不思議な感覚だった。
その純度の高さはまるで別次元の宝石のようで、深い青の輝きは見る者の心を奪うほど静謐で神秘的だ。まるで水底に沈む深海の秘宝のような、吸い込まれそうな青の輝き。思わず息をのんでしまう。これほどまでのものを作り出せるジンの技術には、改めて感心させられる。
魔導通話機のメンテナンスも完了し、試しに通話してみたところ、その性能は完璧だった。そればかりか、ドワーフの技術を駆使した美しい装飾まで施されており、私もお姉ちゃんも思わず感嘆の溜息を漏らしてしまうほどだった。
依頼品の確認が済むと、ジンの招待を受けて彼の自宅へ向かうことになった。ちょうど夕食に誘われており、お城には外食することを伝えてあるので問題はない。
ジンの家は、工房の無骨な印象とは違い、自然な雰囲気の落ち着いた佇まいだった。奥さんの好みに合わせた造りなのかもしれない。
中に案内されると、その快適性と機能性に驚かされた。さすが職人の家。その技術と知恵には尊敬の念を抱かざるを得ない。
――その日の気温や体調に応じて部屋の環境を自動調整する魔導機械。不快な臭いを検知し、心地好い空気へと入れ替える魔導換気システム。床の埃や汚れを察知して自動で掃除する魔導掃除機。
さらに、床に躓いたり、角に身体をぶつけたりしないよう工夫された設計。住む人に優しい住まいは、ジンの人生のパートナーへの想いの表れなのだろう。その全てが、ジンという人物をよく表していた。
その証拠に、リビングでくつろぐ私たちの前で食事を準備するジンの奥さん、レイナからも温かさが伝わってくる。
「お前さんら、そんなにじろじろ見ないでくれよ……。別にのろけ話をするつもりはないぞ?」
「えー、つまんない! でもさ、レイナって、いつもジンのこと気にかけてる感じがするよね?」
「……そりゃ、昔からだな。オレがまだ駆け出しの職人だったころ、いろいろ世話を焼かれたもんさ」
レイナは恥ずかしそうにそっぽを向きながらも、どこか嬉しそうだ。
やがて料理が並ぶと、レイナの呼びかけで私たちはテーブルに腰を下ろした。
食卓に並んだ料理は、色彩豊かで種類も多く、一つひとつが丁寧に作られていた。お城の宮廷料理とは異なり、温もりと愛情が感じられる家庭の味だ。
焼きたてのパンからは、ふわりと小麦の甘い香りが立ち上る。じっくり煮込まれたスープの湯気がゆらめき、口に含むと優しい味わいが広がる。肉料理はフォークを入れるだけでほろりと崩れ、口の中で旨味がじんわりと広がっていく――。
「ほら、お前は食べるのが早いんだから、ちゃんと味わえよ」
ジンがレイナの皿にスープを注ぐと、彼女は少しむくれながらも「ありがとう」と小さくつぶやいた。
「ジン、最近無理してない?」
「ん? 別に……」
「嘘着き。目の下、少しクマができてるじゃない」
レイナがそう言いながらジンの頬を指でつつくと、彼はバツが悪そうに目をそらした。
……昔、リーザ義理母さんと作った料理に雰囲気が似ている。
この温かな賑わいも、どこか懐かしいな。リアンともまた……、考えるのはやめよう。
「このダイニングテーブル、ジンが作ったの?」
お姉ちゃんの興味は尽きることを知らない。
「まぁな。レイナの希望で、木の温もりを感じられるデザインにしてある」
「ふふっ、でもね、最初はサイズを間違えて、椅子と合わなかったのよ」
レイナがくすくす笑うと、ジンは渋い顔をして「それは言わない約束だろ」とぼやいた。
「ジンが忙しいときは、私も手伝ったのよ? ほら、帳簿とか、材料の管理とか」
「お前がいなきゃ、オレの工房なんてとっくに潰れてたかもな」
レイナは得意げに笑い、ジンは気恥ずかしそうに頭をかいた。
「――なぁ、言っただろ? オレは嫁と仲良しだって!」
「もう! 恥ずかしいからやめなさいよね。みんなが困っているじゃない!」
レイナはそう言いながらも、満更でもなさそうだった。
意外だったのは、ツンツンした態度をとりながらも、優しい言葉を向けられると照れてしまうレイナの性格。
お姉ちゃんはそのギャップに執心し、レイナの反応を楽しんでいる。
ニアといえば、食べることに夢中で、お姉ちゃんのちょっかいに時折反応しつつも、食欲は衰えを知らない。
穏やかで心地よい夕食の時間が流れていった。
「あら、イヤだ……。夫婦水入らずのところにお邪魔みたい」
夫婦のやり取りに水を差すかのように割って入るお姉ちゃん。
きっとレイナの反応を見たいだけだと思う……。
「食事に誘われてんだから邪魔とかないだろ? メルトが茶化す時って、なんか裏に意図を感じるんだよなぁ!」
ニアがタイミングを逸しながらも、お姉ちゃんに口撃する。
「ニア、あなたって人は、私をなんだと思って……。レイナ、ニアって、い~っつも私に冷たいんだよ……うぅッ」
「ニア、あんたね……、そ、それは良くないわね! まぁ、メルトが凄く可愛いっていうのも分かるし、嫉妬する気持ちも理解するけど……、だ・け・ど、メルトにもっと優しくしなさいよね!」
「おいおい、メルト。てめぇ、また……、ぐぬぬ……」
「ニア、あなたは今日もまた私に対してぐぅの音も出ないとは。もうそれは何かに取り憑かれているんじゃないの?」
「「そう、それそれ!」」
メルトとニアのやり取りに、ジン夫妻が息ピッタリに割って入る。
「って、なんだよソレは! ジンやレイナまで……」
レイナが真剣な表情で口を開く。
「至って真面目な話なんだからね! ニアの持つ魔力に、微かな『穢れ』のようなものを感じるのよね……」
「だな。オレが工房で宝石を加工する時、極々稀にそんな異物に出くわすことがあってな。呪いのような感覚だけでなく、暖かかったり冷たかったり、とにかくいろいろだ」
呪いのような感覚……。
私にはその残滓を感じ取ることはできない。でも、もしそれがジュエルソウル由来の災いの種だったとしたら――。
他にも気になることは多い。私がジンに質問をする。
「今の話は『宝石』についてでしょ?」
「その通りだ。ニアが精霊だからか分からんが、宝石以外に感じるのは初めてだ。嫌な感覚なものであることには違いない」
「うげぇ、ソレ本気かよ」
ニアが両手で自身の身体を抱えるようにして顔を歪めているのが見えた。
お姉ちゃんは空気を読んで今のところニアをからかおうとはしない。
嫌な感覚か……。一度、シドにも相談しておこう――。
「それで、違和感があった宝石はどうしているの?」
「訳あり品として、通常よりも格安で提供しているな。ただ、場所柄、特異な品を購入した客人が再訪することは少ない。それでも次の機会があれば使用後の経過を聞いたりもする。何か悪い影響が出ているって話は聞いたことがないな……」
「そう……。それで、その宝石を使い続けた結果についての情報は?」
「そうだな……。冷たい感じがしたものなら、水の属性を持った者が武器や装飾に組み込むとその効果が上がったという話も聞いたことがあるな。研究してみたら面白いことになるかもしれない。だが、希少すぎて物を手に入れるのが困難だ」
「ジン、レイナ、二人とも教えてくれてありがとう。色々興味深いけれど……、ニアのそれが呪いだったら困るので早いうちになんとかしたいかな……」
ジンとレイナは、にこやかに頷いてくれた。
話を黙って聞いていたお姉ちゃんが口を開く。
「ララちゃん、それならリアンの件が落ち着いたら、魔術国家リエージュの首都、大樹の都『ブッシュドノエル』を目指してみるのはどうかな?」
確かにそれは理にかなっている。
ブッシュドノエルといえば、その大樹が神聖な力を宿していて魔を寄せ付けないことで有名。大樹の根元には清らかな水が湧き溢れ、その水を飲むと万病に効くともいわれている。ニアの穢れの残滓についてのヒントが何か得られるかもしれない。
「……なんていうか……、その……、メルトありがとな」
ニアが照れくさそうにお姉ちゃんへお礼を言う。
「別に、あんたのためじゃないんだからね。感謝しなさいよね!」
いつもながらのやり取りをする二人。でも、お姉ちゃんもニアの不意打ちに少し照れている。
こんな可愛いお姉ちゃんの姿を見られるなんて、これはこれで私の大勝利だ。
――可愛すぎるお姉ちゃんこそ正義。
「まぁ、そのよろしく頼むな」
「仕方ないな。当然見返りは求めるけど――」
なんだかんだいってニアのことを大切に想っているお姉ちゃんは頼りになる。
家族のような温かさを感じる皆と一緒に居られて本当に良かった。
食事はいつの間にか終わり、話題も今後のことへと移る。
今の問題が片付いたら次はニアのことについて調べよう。
その前に、あと少し、この楽しいひと時を最後まで味わおう。
そして、この温かさを胸に、また新しい旅へと進んでいこう――。




