第四十三話 世界の摂理を壊す者
――ミスティアが虚無の心中を語った後、静寂が続いた。
緊張感で張り詰めた空間にわずかな風が吹き抜ける音だけが耳に残る。
それから間もなく、ミスティアの藍玉の瞳に闇が灯り、恐ろしいほどの重圧が再び周囲を覆った。
それは、暗闇の上にさらに濃い闇を重ねたような底知れぬ冷たい殺気で、一歩でも動けば命を奪われるかのような錯覚を覚えた……。
その瞬間、ミスティアが攻撃を仕掛けてきた。
「――躊躇はしない。水の楽園で永遠の眠りに……。青の煌めく美しい世界の幻想の中に果てて……、第一領域ブルー・エデン――」
彼女の言葉と共に、周囲の景色が変わった。目の前の広大で天上の高い空間が消え去り、穏やかで優雅な水の楽園が広がる。美しい湖と緑豊かな木々、輝く水面が広がる風景に心と身体が奪われそうになる。
(この魔法も、危険極まりない……)
(大丈夫。今のはただの領域展開。雰囲気に呑まれたら終わり。風よ、幻想をかき消して――)
お姉ちゃんの風魔法がミスティアの精神支配を防いでくれた。
しかし、気は抜けない。ミスティアの攻撃は続く。
「罪を犯すことなく美しい水の楽園のなかで永遠の眠りについておけば幸せだったのに……」
「そんなこと知らない。どんなに辛くても、その辛さが生きることの価値を教えてくれる」
「戯言なんて要らない……。その罪を償いなさい……。罪深き者を堕とす監獄。第二領域ディマイズ・プリズン……」
ミスティアの言葉と共に、周囲の風景が再び変わる。暗く、冷たい監獄の中に閉じ込められたような感覚が広がる。魔力でできた結界が見え、重たい異音が周囲に鳴り響く……。
「私の闇にその監獄ごと呑ませる。――常闇と極寒に支配された無の世界で餓えた亡者に裁きを。亡襲滅光閃……」
愛鎌、月華夢幻が繰り出す技が暗闇を裂く。
ニアが咄嗟に私に闇属性を強化する魔法を付与してくれたおかげで、ミスティアの第二の特殊能力も何とか防ぎ切ることが出来た。
「無駄なことなんてしなければいいのに……」
「お、おい……、なんなんだこれ。ララ、こいつ特殊能力を二つも使ってきやがった」
「これだけ強いミスティアがしたことだから、それくらいは驚かない」
驚き、興奮するニアとは反対に私とお姉ちゃんは冷静だった。
「ララちゃんの言う通り。常識では特殊能力は一人一つしか扱えないとされている。私達が対峙しているのはその常識を超える者。それに、私達はミスティアの他にもその例外を知っている」
私達のやりとりを興味がなさそうに見ていたミスティアの攻撃は簡単には終わらない。さらにもう一手、それはもはや常識なんて範疇を超えた一撃を彼女が放ってくる……。
「次……、これならどう? 第三領域――。エターナル・シャイン……」
強烈な青白い光が音もなく広がり、あっという間に世界を覆い尽くしてしまった。視界には不気味な青白い光の他に何も映っていない。
事態は徐々に悪化。お姉ちゃんとニアがどこにいるのかさえ、一緒にいたのかさえ分からなくなっている……。意識が汚染されていく感覚だけが残る、えげつのない領域。救いのない世界の檻に私達は閉じ込められた。
それでも、微かに残る仲間の温もり。それがこの場の三人をかろうじてつなぐ唯一の希望。
「そん……な。特殊能力が三つ……。あり得ない……」
「ミスティアは常識を超越している。それでも、この第三領域にあってまだかろうじて私達は活動できている」
そう、何とか耐えている。きっと糸口が見つかるはず……、なんて思っていたのも束の間。ミスティアは私達よりも心理戦でも上手だった。
しかし、彼女が言い放った次の一言が私達の抱いていた唯一の心の支え、そんな僅かな希望を絶望へと上書きしてしまう……。
「ねぇ……、知っている? 本当の恐怖は微かな希望を与えた後に絶望を与えること。だって、その方が心に深い傷跡を残せるでしょ。こんな安寧な結末で戦いを終わらせるほどわたしは優しくなんてない……」
その言葉は冷たく、残酷だった。
「周囲の雰囲気が異常なくらい張り詰めている……。ララちゃん、ニア、気を付けて……」
凄まじい轟音と共に地面が激しく揺れ、ミスティアの大剣に魔力の光が集束する。
それは、この世のものとは思えないほど美しい七色の光で、この世界の根源を司る『雷』以外の八属性、『闇』・『光』・『月』・『陽』・『火』・『水』・『土』・『風』を映すものであることに疑いがなかった。
この事実が意味することは、ミスティアが『反属性を持たない雷以外の属性』を操れるという人外の力を持っていることと、次に放たれる一撃が反発し合う属性の力をエネルギーに変える極大魔法剣技であること。
神様なんて知らないけれど、もし神様がいるとしたらミスティアはその高みに最も近い存在なのかもしれない。
『――時空剣『プリズマティック・イデア・ソード』と、宝石の守り手一族の姫ミスティア。この一太刀が世界の摂理を破壊し、次元を超越する』
出会って直ぐにミスティアが口にした言葉……。
目の前に広がる想像を絶する光景に、その真意を瞬時に理解した。
「世界すら葬ってしまいそう……。ララちゃん、ニア、こんな詰みの状況、変えられる?」
「……………」
私もニアもお姉ちゃんの問いに答えることができない。できるはずがない。
ミスティアの前では私達は無力な赤子同然。
だから、お姉ちゃんの問い対して答えられなくて当然。
私達には奇跡を祈ることしかできない。
残された時間もあと僅か。
一体どうすれば……。
どうする? どうすれば……。
………。……………。
迷える私達になど目もくれないミスティア。
目の前の美しい少女は躊躇いもなく絶対不敗の究極の一撃を放つ。
「…………。『イデア・ブレイク』 ……」
ただ真っ白な光が音もなく広がっていく。
その光は、やがて煌びやかな七色の輝きに変化。
この世のものとは思えないほど綺麗な色で辺りを鮮やかに染めあげる。
抗いようがない現実を目の当たりにして、ただ死を迎える瞬間を待つだけ。
冷静な私には、目の前のその美しい光景がとても残酷で、そして、無慈悲なものに映っていた――。