第四十一話 鏡花水月の宝石姫
「――時空剣『プリズマティック・イデア・ソード』と、宝石の守り手一族の姫ミスティア。この一太刀が世界の摂理を破壊し、次元を超越する。できることなら……、此処にはこないで、欲しかった……」
ミスティアと名乗った少女が、白い手を背中の大剣の柄にゆっくりと添え、綺麗な指を絡め、流れるように綺麗な所作で鞘から大剣を引き抜いていくと、やがて眩いばかりの美しい虹色の光を纏う刀身が姿を現した。
その神々しい剣をミスティアが構えた瞬間、辺り一面が恐怖の気配で満たされた……。
それは……、禁忌が目覚めた瞬間……。
アリヴィアといい、この子といい、この世界には大きな力を秘めた者達がどれほどいるのだろう……。
私達は、決して弱くはない。戦いにも慣れている。
その私達ですら恐怖を覚え、本能的に委縮する。
そんな人知を超える存在に立て続けに遭遇するなんてこれは本当に現実? それとも悪夢?
アリヴィアも凄い。そして……、この子も同じ。
ミスティアが殺気を纏った瞬間、この世のものとは思えない恐ろしい戦慄が全身を突き抜けた。
圧迫された凄まじい闘気には吐き気さえ覚える。……闘気? 違う。
これは闘気なんて生易しいものなんかじゃない……。
これは……、深淵の底から湧き上がる絶望――。
何とかしないと……。
何とかできる……のかな?
(ララ……、メルト……)
ニアの声からは、胸が締め付けられるような不安が伝わってきた。その瞳からもいつもの生気が消え失せ、代わりに全身から無力感が漂っているように見えた。
一方、お姉ちゃんはといえば……、これ以上ない絶望的な状況でも驚くほど冷静で、その瞳には決意が宿っているように見えた。表情からも強さが溢れ出ているようにも思えた。
そして、この常軌を逸した極限の瞬間においても、希望の光を見付けようとしているようにさえ感じる。
(お姉ちゃん、ニア、相手が悪すぎる。状況は最悪。どうにかしてこの窮地を脱する他ない……)
(ララちゃん、私にはいつだって諦めない覚悟がある。そして何より、不可能は可能に出来ると信じている。それに、弱気な者に世界は応えてはくれないことを私は誰よりも知っているから。だから、きっと大丈夫)
そうだね、お姉ちゃん。だからお姉ちゃんは強い。
(……ララ、メルト、あたしは無理っぽい。二人とも、いざという時は、あたしを置いて逃げてくれ)
ニアについては、今のところなんとか思念で気持ちを伝えられている。理性を失うよりも、よほど良い精神状態。
そんな弱気のニアの気持ちを奮い立たせようと、間髪入れずに声を掛けて励ましたのはお姉ちゃん。
(ニア、情けない。心の弱さに負けて抗うことを諦める。そんなことでララちゃんを悲しませたら絶対に許さない。私の『英雄の詩』で緊張や不安を和らげるから全力で生き残りなさい。それと……)
(それと……?)
(この貸しは私のアイドル布教活動に協力することでチャラにしてあげる。ララちゃんも今の会話を聞いている。絶対に逃がさないから……)
ニアが軽く頷く。
こんな状況さえ利用して、サラッとニアにとんでもないことを約束させるお姉ちゃん。
ニアを気遣っていながらも、ミスティアの次の攻撃に備えて詩詠も同時進行させる冷静さもあって、すでに私達には補助の力が付与されている。お姉ちゃんの周囲の空気を読み切る感覚は抜群。
声をかき消して詠まれた詩。大気を通じて身体に馴染み溶け込んでくる温かな気持ち……。
――私もその勇気を受け取ったよ……。
「ララちゃん、ニア。ヤバイのが、くる……」
お姉ちゃんが英雄の詩を発動させたのも束の間。その直後、『ソレ』が襲い掛かってきた。
「――コズミック……、ブルー……」
この世界を超越した異次元世界の極寒が呼び覚まされる。
あらゆる物体が浸食されてことごとく氷霧に変化していく――。
無をもたらす悪魔の冷気は、キラキラと輝きながら静かに広がり、触れたものを粉々にする。
周囲の大気が薄くなり、息をするのが痛く、苦しい……。
風の力で押し返せるようにも感じる。でも、それは幻想。そう感じるだけ。
ニアとお姉ちゃんが既に反射的に冷気を風で散らそうと試みるも、完全な青はその風さえ浸食してしまう。
自然の摂理が完全に壊されている。この空間は、既にミスティアの支配下にある。
浸食の速度がゆっくりである理由。それは、浸食される恐怖で相手の心さえ粉々に壊すため。そう疑うほど完璧で冷酷な魔法。
戦闘の始まりにこんなにも強大な威力を誇る魔法を、初歩の魔法の如く簡単に躊躇なく放つミスティア。強さが桁違いなことは疑う余地もない。
いつの間にかミスティアによって結界が張られ、逃げ道も塞がれている。
なんという戦闘センス……。
目の前に立ち塞がる強大無比の相手。その相手に対してこの窮地を脱し、九死に一生を得るには……。
――罪の監獄。かの罪深き青を封じ、極寒に裁きを。
「ギルティ・プリズン」
私の愛鎌、月下夢幻で次元に穴を空け、コズミック・ブルーを異空間へ封じる。
ミスティアが次元をも切り裂くならば、私も同じ系統の攻撃で道を切り開く。
「ララちゃん、上手くいっているように見えるけれど、気を付けて。次がくる……」
ここで追撃がきたらまずい……。
お姉ちゃんは、浸食された空間を装う同化の魔法で極寒の浸食をやり過ごして無傷。なんという応用力……。
その一方で、ニアは極寒に巻き込まれて右腕と左足を粉砕されて動けない。
幸か不幸か精霊族であるがゆえに失った身体は魔力で再生可能。
それでも、そんなに早く治癒できない。
ミスティアの攻撃をまともに喰らってしまえば最後。そこには何も残らない……。
そして、嫌な予感は当たる。
瞬く間にミスティアの次の手が襲い掛かってくる……。
「宝石色に輝く虹の光。立ち塞がる暗き闇を纏う愚者に懲罰の光を。圧し潰して……、エンジェリック・スフィア」
虹色の光をした球体エネルギーがギルティ・プリズンを圧し潰す。
高圧の濃縮エネルギー体に私の魔法が取り込まれ、極寒もろとも消滅……。
お姉ちゃんの次がくるという声掛けが無ければ、今の瞬間私達は全滅――。
ミスティアの次の動きを察して声を掛けてくれたお姉ちゃんの一瞬の判断。そのお陰で退避に意識を回せた。
そして、ニアの倒れていた位置。偶然か故意かは不明だけど、魔法の射程圏外だった。
それと……、ミスティアがニアを狙い、超速の技を出してこなかったことも。
どちらにしても、幸運と偶然が重なったことでその直撃を受けずに済んだ。
その結果、多少のダメージを受けつつも、この一撃を耐え抜けた。
ミスティアは、ここまで高威力・広範囲の魔法攻撃をたった二度しか放っていない。彼女の力は圧倒的で、手の内は私達には理解できない。
ミスティアが構える重そうに見える剣も見た目で判断するのは危険。私のように速度を活かした攻撃をする者とも戦い、そして生き残ってきたはず。だから、素早い動きに対応できないとも思えない。
直ぐに理解出来たことは、私達と彼女には膨大な実力差があることだけ。なのに、どうしてわざわざ時間をかけて攻めてくるのか。
何か特別な目的でもあるのかもしれない。だけど今は、考える余裕がない……。
(ニア、もう動ける?)
(あぁ……、何とか)
ニアの声は未だ弱々しく、自信も喪失したままのように感じる。
活路が見出せない現状にあっても、この困難を打ち破る為に私はより高い確率の可能性を冷静に追求する。そして、その考え付いた案を二人に共有した。
(お姉ちゃん、ニア。正面から全員で攻撃していたらやられる。私達の力を全力でぶつけてもあの破壊力には到底太刀打ちできない)
(旋回して攻撃の的を絞らせない。そして、多角的な攻撃を仕掛ける。ララちゃん、こんなイメージで合っているかな?)
(そうした方がいいと思う……。それと、攻撃を仕掛ける前に、お姉ちゃんには試して欲しいことがある)
瞬く間に劣勢に追い詰められた私達は、それでもなんとか作戦を整えた。そして、行く手を遮る儚い幻、鏡花水月の如く美しく赴き深い宝石姫に立ち向かう覚悟を持ち、抗う勇気と気力を振り絞って再び身構える――。