第四話 赤い悪魔
「急がないと――」
家に施した結界の魔力を感じない。私の知っている人達の魔力も全く捉えられない。狩りを終えた私が夕暮れの村に近付くと、それが手に取るように伝わった。
村に異変が起きている。嘘であって欲しいと願っても、それは覆しようがない現実。
こんなの絶対におかしい。
風を切り、光りの速さの如く私は森を突き抜ける。間もなくして森を抜けると、赤く染まる村の姿が瞳に飛び込んできた。
「見えた!」
夕焼け色の赤ではなく、燃え盛る炎で灼熱色に染まる赤。
くすぶるような黒煙も上がっている。
「…………」
酷い惨状に絶句した。既にことが済んでしまっているのは明白だ。
知り合いの気配を感じない代わりに、邪悪な気配を感じる。
うごめく気配は、数にして二十近い。
気配が持つ魔力の流れを解析すると、一つの強い魔力集束点=核があって、その核周囲に微弱な魔力が拡散していることがハッキリと分かる。
これは魔物特有の魔力の流れ。それが群れを成している。
魔物は、魔力の結晶体のような存在。その体は、核が生み出す幻像で、生身の肉体ではない。
そのため、魔力で体の一部にダメージを与えても致命傷には至らず、核を破壊しない限りは倒せない。それどころか、存在さえ消滅しなければ時間をかけて自然再生してしまう。
なにはともあれ状況が掴めさえすれば、こちらのもの。
先ずは魔物をなんとかしないと。後のことはそれから。
「酷い臭い。それに、熱い」
集落の入口に辿り着く頃には、鼻をつんざくような強烈な臭いと、肌に焼き付くような高熱が辺り一面に蔓延していた。
そして、邪悪な気配も、より鮮明になっている。
村の中心付近。この悲劇の生みの親がそこにいる。
(少しオソかったな……)
赤色の肢体と、獅子のような風貌。全長は私の五倍程あるだろうか。背中には小さな羽根、額の辺りには一本の角が生えている。鋭そうな爪と牙を持ち、深い暗のような二つの赤黒い瞳に静寂の光を灯す大きな体格の『悪魔』が、私に魔力干渉を通じて言葉を送ってきた。
私は悪魔の不意打ちに備え、十メートル程は間合いを取る。
そして、私も魔力干渉で悪魔に言葉を返す。
いわゆる思念通話というやつ。
今回みたいに相手と距離があり声が届かない場合や、秘密の会話をしたい時に便利。
(私の魔力が遠くから貴方に届いていたようだね)
(我ラに近い魔力が近付いてくるノヲ感じていた。仲間であろうが敵であろうが我からしたらキサマ程度取るに足らない)
私も当然周囲を警戒、魔力制御をしている。
敵は目の前にいるだけとは限らない。
不用意にこちらが強さを誇示すればそれを察する者がいるかもしれない。
後の火種になることは極力避けたい。
(私なら、取るに足らない等と考えない。冷静に状況を分析する。例えば、相手が敵ならばわざわざ一人で戦火に向かってくる理由は何だろうかとか)
(くだらん……)
悪魔は余裕な様子。
普通の状況なら理解できる。
悪魔なら、小さな町くらい容易く滅ぼすくらいの力を持っているのだから。
ただ、今回ばかりは悪魔の相手は最悪だ。私の方が悪魔みたいなものだから。
悪魔が続ける。
(我は、下級ナ奴らとは異ナル存在……。数年前か。コノ辺りで生命力に満ち溢れた極上の高い魔力を感知した。ソレからというもの、コノ日がくるのをどれダケ待ち望んでいたか。ククク……)
目の前の悪魔が羽を小刻みに震わせ、薄気味悪い歓喜の笑い声を上げる。
心底気分が良さそうだ。
極上の魔力。高い魔力を持つ者といえば私と考えるのが普通。
数年前といえば、私が村人に拾われた日のこと?
私が拾われてから今までに、私に変わったことは無かったと村人から聞いている。
それに、私は、魔力制御をしてきたはず。
なぜこのタイミングに村が襲われたのか。
(数年前?)
私は悪魔に探りを入れる。
(いつだったか。我ラにとって時間は悠久。感覚等無い……)
悪魔は魔物の一つ上位種。悪魔の知能はそれほど高くないと一般的に知られる。
せめてその悪魔より階級が上の魔人だったなら話は通じたかもしれないが、目の前の悪魔では話にならないようだ。
ちなみに、私が悪魔に遭遇したのはこの時が初めて。本で知識があったから驚かない。
本によると人前に悪魔が現れるのは珍しいことで、何の為に人前に現れるのかについては謎とされている。
その他、悪魔の能力や強さは概ね本の情報通りだった。
(目的は私?)
まぁ、返事は最初から期待はしていない。
聞いたからといって、悪魔なのだから。
(全部喰らい尽くす。それで我ノ目的は叶うのだからソレでよかろう。ククク)
やはり話にならない。これ以上話すだけ時間の無駄。
終わりにしよう。
(貴方に意思があったことを、本当に嬉しく思う。滅びの恐怖に怯えながら、消えて逝って貰えるのだから――)
(ソノ程度の魔力で我を倒せると思っているとは、片腹痛い。確かに、貴様が張ったであろう結界には多少手こずらされたが、所詮ソノ程度)
ゆったりと羽根をバサバサさせて、四本全ての手足をソワソワさせながら悪魔は余裕な仕草を崩さない。
その束の間の優越感が、後に自らの恐怖を煽る材料になってしまうことに気付けない悪魔の愚かさには酷く失望する。
(貴方には、何一つ、真実が見えていない)
(貴様が何といおうが、結果は同じコト……。ソレよりもだ、余興マデ用意してやったにも関わらず、それを見せる見せない以前に、今まで表情の一つすら変えない貴様には正直ガッカリした……。退屈なまま腹ヲ満たしても興ざめだ。少しは我を楽しませてくれ……)
――本当に、ガッカリだ。
(例え貴方が何をどのように思っていたとしても、この戦いを簡単に終わらせる慈悲深さなんて、私は最初から持ち合わせてはいない)
(ククク……。ソウでなければ詰まらヌ。貴様が張った結界の中にいたガキ共は我を少しだけ楽しませてくれたが、今の貴様には面白みの一つもない)
リアン。アリヴィア。
(あの子達は?)
(アァ……。怯えも泣きもしない、くだらない奴ラだった。気を失ワない程度に痛めつけて、我自らたっぷりと遊んでやった……)
(そう……)
(ククク……。気になるのなら、ガキ共に会わせてやろうではないか。後悔と絶望に苛まれた姿を我に見せるがいい……)
悪魔はそういうと、二人を口から吐き出して地面に置いた。リアンとアリヴィアの魔力を喰らった後、お腹に入れてここまで運んできたらしい。
体中血塗れ。所々に牙の刺さったような痕があり、一部の間接があらぬ方向を向いている。
真っ青で血の気の無い顔をして、あの綺麗だった瞳の輝きは消え失せていた。
二人とも苦痛で歪んだ酷い顔をして、変わり果てた姿だ。
「痛かったね。でも、頑張って偉かったよ。助けが間に合わなくて、本当にごめんね」
私は、淡々とした口調で二人に話かけた。
そして、二人を優しく撫で、リアンとアリヴィアの瞼をそっと閉じた。
二人の体は村を燻る炎の熱さと真逆に、この地に吹く風のように冷え始めていた。いつものような温もりはもう……、感じない。
もう少し早く村に帰還できていたらと、改めて悔やしい気持ちになった。
(少しハ堪えたか……?)
私が落胆して苦しむことを悪魔は執拗に望んでいた。
意思を持たない魔物が意思を持った悪魔に変貌を遂げると不幸までも好むようになるのだろうか。
でも、こんな時でさえ私は至って冷静。冷めたような感情さえも心に抱いている。
だから、悪魔が私に不幸をいくら望んでいても、それは叶うことのない無意味な願い――。
(生ある物はいずれは滅ぶもの。それが早いか遅いかだけの違い。この村で暮らしていれば、こうなる運命も覚悟しておかなければいけない)
(ツマらん。実にツマらない! 何故……、貴様は揺るがないッ!)
悪魔の魔力が一瞬だけ爆発的に高まったのを感じた。どうやら少し頭にきている? ようだ。
(この子たちはまだこんなに小さいけれど、運命を受け入れ勇敢に貴方に立ち向かった。結果的に命を失いはしたけれど、最期まで心は折れなかった。貴方はこの子達に勝ててはいない)
(我がこんなガキ共に負けたとでも!? オマエみたいなガキに何がワカルというのだ……)
――私は始めから予感していた。
私のせいで目の前で起きた現実がいつか訪れてしまうことを。
だから、非情にも私は、二人の死を目の当たりにしても悲しいとは思わない。
後悔や自責の念は抱いても悲しいと思ってはいけない。
私のせいでこの子達の希望に満ちた未来が奪われた。魔法を教えてあげる約束も果たせなくなってしまった。
責任は感じている。優しい子達だったし、心が痛まなかったわけでもない。
こうなるかもしれないってことを察していながら、何の対策すらせずに私はこの村で暮らしてきた。だから、私は。
(だから、私は――)
自らの怠慢が招いた災厄の罪を滅ぼすために、必ず貴方を打ち砕くっ!
例え、許されない罪だと知っていても。
(ダカラ……、ナンダというのだ……)
(あの子達は私を信じて意志を曲げなかった。だから、あの子達が望んだ結末、貴方を倒すという正義を私は貫く)
私を想い、私に託した未来。あの子達の願いを叶えたいんだ。
(クダらない……。貴様に我が倒せるハズがない。実にクダらない笑い話だ……)
(私が嘆いたからといってあの子達は還っては来ない。それなら今度は私があの子達の望みを叶えればいい)
ただ、それだけでいい。簡単に片は付く。
不思議なくらい晴れやかで、そして、穏やかな気持ちだ。
身近な人の死が悲しくないなんて狂っているのかもしれない。涙の一滴すら流さないのも無慈悲なのかもしれない。
それどころか、二人がただのお人形のようにさえ見えてしまっていたのだから、条理に適いもしないとんだ救世主だ。
――為す術もなく、ものさえ言えずにされるがままの哀れで悲しい小さなお人形。
まるで、遊び飽きて興味がなくなった玩具を子供が地面に投げ棄てたままにするようにして、無惨にも置き去りにされてしまった無表情で蒼白い顔をした可哀想な壊れたお人形達……。
誰もがいつかは受け入れる死という現実。それが早いか遅いかという違いだけ。
(もう、終わりにしないとだね)
(ソウだな……。随分前から貴様には飽き飽きさせられていた。幻滅するばかりだ……)
私の初めての冒険の終わりと、新たな物語の始まりは、赤い悪魔に出会ったその時から――。
小さな沈黙。睨み合い。互いに様子を伺う。
私は徐々に間合いを詰めていく。私の愛棒、魔鎌『月花夢幻』を構える。
「ヴゥゥゥオォ……」
悪魔が大きな身を震わせながら、低く、そして、大地に響くような唸り声を上げる。
咆哮が一瞬の風を呼び起こし、煤混じりの火の粉が空に舞って大気を焦がした。
(ククク……。ガキの魔力は新鮮でウマい。貴様の高い魔力、我に差しだセ!)
!?
周辺を取り囲む魔物たちの気配がざわめきだした。タイミングを見計らって仕掛けてくるつもりらしい。
でも、それは無意味。数任せの愚かな振る舞いは、私の前では無策と同じ。
私に存在を捉えられてしまった時点で、貴方たちには『破滅』が約束されてしまっていたのだから……。
「シモベたちよ、殺レ!!」
こんな無能な悪魔の自尊心に振り回された仔達には少し同情する。
せめて悪魔に自らの無能さに気付ける器量があったのなら、群れが全滅に至るまでの道を歩む前に賢明な判断くらい下せたはずなのに。
(貴方は、大きなミスを幾つか犯した。ここにはもう、私と貴方しかいない)
私は微動だにしていない。けれど、ことは済ませた。
(………)
不可解な出来事に半信半疑なのだろう。瞬時の変化に対して実感が湧かないのだと思う。
悪魔の魔力流が不安定になり、挙動が落ち着かなくなった。精神的ダメージを受けた兆候に違いない。
心理戦では、足音なく徐々に恐怖が迫るように時間をかけて追い込む方が効果的。相手が自尊心に溢れているほど好条件。
自称強者の心理は、窮地の極限では全く役に立たない諸刃の刃。正にそんな光景が私の目の前で広がりつつあった。
(貴方のように体が大きければ、狭いところでは当然動き辛い。だけどここは村の中心部で広場になっている。広さも十分で人間を襲いたい貴方にとって絶好の場所だった。そう、幸運にも貴方達に都合の良い条件がたまたま揃っていた。でも、結果的にそれが貴方達にとっては不幸なことで、私にとっては好都合になった)
(我の核とシモベたちの核は繋がったまま。しかし、奴ラは何故か動かない。何故だ!!!)
(私を誘い込んで魔物達で取り囲みさえすれば、この地形なら私に逃げ場がなくなると貴方は考えた。でも、それは同時に貴方たちの行動範囲も狭くさせてしまった)
(どういう意味ダ……)
悪魔には、私の指摘が理解できないらしい。
(貴方達を纏めて倒すのに好都合といっているだけ)
(纏メテ倒す? まさか……)
(自分達が消されてしまうかもしれないという危機感を持てなかった時点で愚かとしかいえない。貴方が神でない限り、絶対敗北しないなんて、虚像に過ぎないのだから――)
神様にだって絶対なんてありえないのかもしれない……。
(たかが人間のガキの分際で……生意気をいうな! だが、何故だ。結合は生きている。なのに奴ラは何故動かない!! 階級の優位は我ら魔族にとって絶対だ!)
意志を持たない下級な魔物は、普段は餌となる魔力を純粋に単独で追い求めるだけの存在。
だから、魔物が群れを成すこと自体が珍しい。これほどの集団が、群れを成していたのは悪魔の存在があったから。
悪魔の苛立ちは、ますます募っているみたいだ。
大きな体に似つかわしくも無く、体中のあちこちを小刻みに震わせている。
(それは、あの仔達が既にただの氷の固まりになってしまったから)
(!?)
悪魔の動揺が激しくなる。
魔力の流れが激しく乱れている。
(私は、貴方が他の仔達に命令を下すために魔力干渉することを予知していた。だから貴方が魔力干渉を他の仔達に行った瞬間に発動する魔法を予め仕掛けていた。最初から楔を打っていた)
(バカな……。あり得ない! 現に貴様はずっと我ノ前にいただけではないか!?)
(それが私と貴方の実力差。貴方に気付かれずに魔法を使うなんて簡単)
(ナニ?)
(私が今まで貴方とただ会話をしていただけとでも思った?)
(信じるものか。認めない!?)
ようやく悪魔にも分かり始めたことだろう。
絶望という越えられない壁に。
(なら、言葉より現実をみせてあげる)
私はそう悪魔に伝え、一呼吸置く。
そして悪魔に対して続ける。
(よく、見ておいて)
私は天に広げた両手をかざし、上空に空間の歪みを生み出した。
そして、氷漬けの魔物たちをその歪みまで魔力で引き上げ、ゆっくりと両目を閉じた。
それから、開いていた両手を静かに優しく握って、
「破壊……」
と、終わりを告げる一言を暗く冷たい口調で小さく呟いた。
後は呆気ない。
空間に無理矢理歪みを生み出した反動で渦巻いた強い力が、大気を取り巻きながら一気に圧縮し始める。その収縮する力によって魔物たちが瞬時に粉砕される。
そして、歪み自体もそのまま自然に消え去るという流れだ。
辺りに静寂が戻り、魔法によって引き起こされた現象は見た目には何事もなかったかのように終息を迎えるのだ。
私の意思によって初めから支配されていた魔物達の命運。
私は、赤い悪魔の目の前で氷漬けの魔物達を握り潰すようにして粉々に粉砕して見せた。
魔物達が命を散らすと、薄暗くなっていた村に無数の光彩が降り注いだ。
光の輝きは、次第に薄まりながら、やがて消えてしまったけれど、その姿はあまりにも美しかった。
だから、たった一瞬の出来事だったにも関わらず、私の目にはその光景が鮮明に焼き付いた――。
(なんて奴ダ……。たかが人間如きが。人間の分際で。我は、悪夢を見ている……の……か……。いや、貴様程度の魔力で、出来るハズが無い!!!)
驚愕の事実が悪魔を戦慄させ、更なる混乱を招かせた……のかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。
これからただの無害な魔力の欠片になってしまう者の無価値な嘆きなどに興味は無い。
唯一、悪魔の散り際が美しいことだけが私の心を満たしてくれればそれでいい。
敢えていうなら、魔の者が終わり告げる時に美しいことは、忌み嫌われる哀れな魔物達に慈悲深い神が与えた最初で最後の良心であるに違い無い。
(――貴方は今悪夢といった。例え悪夢でも、貴方は悪魔なのに夢を見るの?)
私は、赤い悪魔に向かって思わず問いかけていた。
まさか悪魔から夢なんて言葉が出るなんて予想だにしていなかった。
たかが人間……だったなら、気にも止めなかった『夢』という言葉――。
私の問いかけに対して、悪魔は、もはや何も答えようとはしなかった。
話をする気も失せてしまったのだろうか。
悪魔の魔力の流れがいよいよ崩壊開始の臨界点に近づいてきた証拠に思える。
(後悔スルがいい。泣け、喚け、怯えろ! 我を愚弄したコトを悔い改めるがいい……)
悪魔は、凄まじい殺気を立てている。
淀みのある暗くて赤い不気味な魔力の光を肢体に纏い、今にも襲いかからんばかりの雰囲気になっている。
(残念だけど、貴方では私に触れることさえ叶わない)
(笑わセルなアァァァ!!)
怒声と共に、予備動作を介さず右の前足の鋭い爪が私に向けられた。
そして、間髪入れず退路を見出せないほど巨大な紅蓮の炎が悪魔の口から撒き散らされる。
炎で私の目線を覆ったかと思えば、更に容赦のない追い討ちが悪魔の左前足から繰り出される。
巨体にしては良い動き、感もなかなか……。流石悪魔とでもいうべきか。
でも、生温い。
私は、神経を研ぎ澄ます。悪魔周囲の魔力流から爪が振り下ろされる角度を完璧に読む。
そして、肌に感じる微かな風の感覚から炎の行く手を予測。見開いた目で悪魔の左前足からの攻撃を確認してかわす。こうして悪魔の一連の攻撃を受け流す。
勿論、悪魔の攻撃をただ無効化しただけではない。
悪魔の初動の見切りに合わせて悪魔の右手の爪を鎌で切り落とし、身体に冷気の魔力を纏い炎を相殺しながら悪魔の持つ鋭い牙を狙い澄まして氷漬けにした。
(私は、死に愛されし者。深い闇を纏い終焉なき破滅に導く地獄からの呪われた使者……。その程度の炎では、私の心も、私の身体の一部さえも、何一つ燃やすことは到底できない――)
(確かに、手応えはあったハズだ……。人間のガキよ、何ヲ寝ぼ……)
(もう遅いけれど、やっと気付いたみたいだね。貴方が感じた手応えは、貴方自身が傷付き折られた時のもの。その牙も、私が魔力を少し込めただけで、貴方の僕達と同じ運命を辿る脆い刃と化した)
(グオォ……。おのれ。おのれ、おのれェェェ!! 何故、我が人間如きにィッ)
(少し、おしゃべりが過ぎたかな……?)
悪魔が叫び、荒れ狂っている間に、私は躊躇うことなくその牙を粉砕。そして、
(今度は、こっちの番だね)
と、攻撃の手を緩めない。
「暗き闇の深い嘆きに生贄を。戒の旋律にて汝を喰らわん……」
迷狂ノ壊解・腐食――。
私は、悪魔の魔力の流脈の根源、羽根の下付近にある核に近い場所に狙いを定めて魔法を放った。
その毒の魔法は、魔力を徐々に腐らせ浸食する悪夢のような闇――。
既にこの空間は私の支配する領域。悪魔に逃げ道は無い。
汚染された悪魔は、朽ち果てて自然に還るまでの間、じわじわと迫りくる死の恐怖に怯えながら気を狂わせるしか無い。
そして、ただただ苦痛に耐え、もがき続ける以外の選択肢は皆無だ。
この戦いの結末なんて、最初から分かりきっていたこと……。
(悪魔……め。苦しい……。ヤメロ……)
(貴方達だって、罪のないこの村の人達の沢山の命を奪っている。その人達と同じ苦しみを味わっているだけ)
(……フザケルナ! 人間が獣を狩ルのと何が違う!!)
(きっと、同じだね……。でも、貴方は命を弄び、不幸を楽しんだ。生きるために単純に餌を求める下級な魔物達の方がよっぽど罪が軽い)
(悪魔の本質を否定スルのか? 不幸は我らの活力だ)
(そうかも、しれないね……。人の本質は幸せを求めることにあるから、自らが悪魔であることを私は否定した。だけど、貴方のいうように、真実の私が人の姿をした悪魔なら、貴方の不幸さえも心底望んでいたのかもしれない――)
(曖昧な分、悪魔ヨリも、質が悪い……)
本当にそうだ――。
(私は、無益な争いを望まないし、好みもしない。だけど今回の戦いは、貴方にとっては滅びるだけの無益な戦いでも、私にとってはリアンやアリヴィア達の正義という対価のかかった有益な戦い)
(ククク。戯れ言だ……。ウグーッ! 消すなら早く消してクレ)
魔力が枯渇しかけた魔物に、もはや為す術はない。
苦痛で身をもがくことすらままならない。
(村の人達に与えた苦痛にはまだ到底足りない。それに、貴方には、この戦いを簡単には終わらせはしないと最初に伝えたはず。貴方もそれを臨んだ。だから、それを取り消す理由は存在しない)
魔力の結晶体である悪魔にも痛みは感じるらしい。
ましてや、意思を持つ悪魔には感情に似た何かがあるのかもしれない。何となくそう思えた。
目の前で苦しむ悪魔にさえ、私は残忍さを貫く。容赦をしない。
冷酷になっても、私の心は痛まないし、揺るがない。
そして、変わらない――。
(グウゥ……。オ前にさえ出逢わなければアァァァ!!)
(そう……、だね。だけどそれは、貴方のせいで未来を奪われた人達にもいえること。知らなくてもいいこと、触れてはいけないものが世界には沢山ある。貴方は不幸にも触れてはいけない私に巡り会ってしまった。ただ、それだけのこと)
(何て……、残忍で冷血なヤツだ……)
この日を長年待ち望んだ悪魔の末路は所詮こんなもの。
――リアン、アリヴィア、村のみんな、もう……、いいかな?
だんだんと、そう思えてきた。
この戦いの幕を閉じることは新しい物語の始まり。
ここでの暮らしへのお別れ。
「――さようなら」
この戦いにもうんざりしていた私は、赤い悪魔に向けて鋭い闇の魔力の矢を光速で放つ。
その矢が悪魔の核を瞬時に射抜いたことで村での一連の出来事に終止符が打たれることとなった。
赤い悪魔を葬ってから一時間ほど時間が経っただろうか。
明かりの灯らない瓦礫の村は、夜を迎えて真っ暗になっていた。
燃えさかっていた炎も行き場を失い、いつの間にか村を去っている。
美味しそうな夕飯の匂いの代わりに、今宵の村には赤い悪魔が残した幻想的で美しいキラキラとした魔法の光が降り注いでいる。
村はここ一番の冷え込みで、仄かな光を纏った雪が深々と舞っていた。
この日の雪は、天使の羽根のように綺麗な純白色。
暗がりに華を添えるには十分過ぎるほど神々しかった。