第三話 リアンとアリヴィア
家に帰ると、美味しそうな匂いが私たちを出迎えてくれた。先に帰宅していた義理母さんが食事の支度をしてくれていたからだ。
私達の暮らす家は、広い居間とお風呂、台所がある一階。玄関横の螺旋状の階段を登った先の二階にプライベート用の個室が四室あるだけのシンプルな造り。
天井は吹き抜けになっていて、天窓からは温かな陽の光、夜は穏やかな月明りが差し込む。窓を開くと広大な自然が瞳に飛び込み、その自然が運ぶ爽やかな息吹をいつでも感じられる。
そんな快適で居心地の良い空間が広がるこの家は、村では一般的な木造りの家。
私はリアンに先にお風呂に入るよう促し、義理母さんの手伝いを始めた。そして、
「義理母さん、明日から桃猪狩りの日なので……」
と、手を動かしながら話を切り出す。
桃猪は、星砂糖の森の奥地に生息する体長五メートル程の野生動物。見た目が桃色なことから単純に桃猪と呼ばれている。
桃猪は小型の魔物を食糧にする魔食獣で、体内に取り込んだ魔物の魔力を浄化するという性質を持つ。故に、魔除けの力を持つ神聖な動物として村では崇められており、桃猪を食すると、人々が持つ魔力に宿った悪鬼が浄化されると信じられている。
その肉の味はこの上なく絶品で、骨からでる旨味のある濃厚な出汁を使った料理もまた村人に大人気。桃猪は年に一度だけ開催される奉納際の時にのみ振る舞われる稀少なご馳走。
桃猪狩りは、私が六歳の時に私単独で行う仕事になっていて、今回が三回目。
そうそう、六歳といえば!
誕生日にアリヴィアから枕程の大きさのクマのぬいぐるみを貰った歳だ。あの奇跡を私は忘れない。可愛いアリヴィアがクマさんを抱えていたあの姿は衝撃的だった。しかも当時のアリヴィアは四歳。四歳。
あぁ……。わたし、危ない人だ。
だけど、『可愛いは正義』
これだけは譲れない。
私は、このくまのぬいぐるみに、アリヴィアの名前の一部を取って『アルヴィ』と名付けた。
可愛く尊いもの。こんなに私の心を奪い、虜にしてしまうなんて、本当に罪深い。
と、妄想華々しい中、あおあおとしたみずみずしい野草をお皿に盛り付けながら義理母さんから、
「村の警備はきちんと穴が空かないように頼んどきなよ!」
と、返事を聞き、私は冷静に? 戻る。
ここ最近、村の側に魔物が頻出している。
魔物は新鮮な魔力を求めて生きた人々を襲う。
だから、人々にとって魔物は危険な存在。
この魔物たちから村を守るため、村の警備は私を含めて村人たちが協力して行ってきた。
「今日の深夜から明日の早朝まで私が警備をして、そのまま出発できるような予定に」
「それならいいけれど。ここ最近、頻繁に魔物が現れるようになって不安だね」
義理母さんは魔物のこととなると人一倍不安になる。
長年実の子供に恵まれず、ようやくリアンを授かった頃、村の警備をしていた義理父さんが魔物に襲われてその命を落としてしまったらしく、無理もない。
「念のため、家には魔除けの結界を張っておいたので、これで少しは……」
「ありがとう。あんたが見つかった日、引き取ることになった時には正直怖くて仕方なかった。でも、あの人がいった通りにあんたが優しい子に育ってくれて、今では安心してるよ」
私が拾われた時の経緯はこうだ。
魔物たちに囲まれ、今にも私は襲われようとしていた。
状況を察した村人達が急いで私を助けに駆け寄ろうとしたその時、魔物たちが悶え苦しみながら、ゆっくりと無力な魔力光へと姿を変えてしまった。
何が起こったか分からず唖然とした村人が恐る恐る私に近付いてみると、その時の私は無表情で、赤子とは思えないほど不気味な様子をしていたのだという。
危険が去ると普通の赤子に戻ったらしい。
「私には、それくらいのことしかできないから」
そうこう話をしているうちに、食事の準備も整いつつある。
リアンもそろそろこちらにくるだろう。支度を急ごう。
今日も温かい団らんのひとときが待っている。明日からもきっと……。
夕食を終えた私はお風呂で体を温めた後一眠り。深夜から村の見張りの任に着いた。
そして、何事もなく時間は過ぎて行き、明るんだ空が既に早朝であることを告げる。今日も天候に恵まれそうだ。
小鳥たちの囀りはまだ疎ら。それはそれで情緒を感じる。
「お姉ちゃん! おはよぉ」
そろそろ警備の交代の時間かなと思い始めた頃、朝の静けさの中、少女の元気な声が木霊した。
アリヴィアだ。リアンも一緒にいる。
櫛が通った、結っていない髪。淡い桃色の花の形をした髪飾りと、白いワンピースに暖かそうなコートを纏うお洒落で可憐なアリヴィア。対して、寝癖を立てたままの寝起き姿感が漂っている可愛いリアン。二人が滑稽に見えた。
「おはよう、アリヴィア。リアンもこんな朝早くからありがとう」
「うん。ラクラ姉ちゃんも、寒い中いつもお疲れ様」
「今日も寒いけど、二人とも大丈夫?」
今のような早朝や、深夜は特に冷え込む。
「大丈夫。あたしもリアンも、寒いの平気っ!」
「そっか。二人とも偉いね」
「うん! 僕もアリヴィアも、格好良くて強いラクラ姉ちゃんみたいになりたいから、寒いのなんかちっとも辛くなんかないよ」
「うん。だから大丈夫」
二人の顔はにこやかで、その綺麗な瞳の輝きたちが一層増したかのようにも見えた。
アリヴィアが滑らかな口調で更に話を続ける。
「あたしたちは、まだお姉ちゃんみたく強くなれないけど、大人になるまでには絶対強くなってリアンとこの村を守るの」
「今度は、僕達がラクラ姉ちゃんも守ってあげるからね。それが今の夢だか……」
と、いいかけたところでリアンの言葉が止まる。
アリヴィアも私の顔色を気にしているように見える。
私に気を使ったのは明らかだった。
「リアンもアリヴィアも、気を遣わせちゃってごめんね」
二人は顔を見合わせて、にっこりと軽く頷いて見せた。
「夢っていっても、眠っているときのお話だから」
二人には関係ないこと。でも、ありがとう。
夢。眠りの世界に何があるのだろう。
私の知らない世界。瞳に映らない別次元の世界には、どんな暮らしが待っているのかな。
目覚めると消えてしまうもの。
もし私にもそれが見れていたのなら、私は今とは違う私になっていたのかな?
子供達は夢について沢山語るけれど、大人達は夢の話を滅多にしない。大人たちの眠りの世界には、夢が存在しないのだろうか。
私が夢を見られないことは、リアンとアリヴィアだけが知っている。
でも、これが私の力の代償によるものだなんて、二人は知らない。
「……ちゃん。お姉ちゃん?」
「えと、ごめんなさい」
「ラクラ姉ちゃん、どうかしたの?」
どうやら夢という言葉に、考え込んでいたらしい。
リアンの声で我に返る。
二人が太陽のように眩しい笑顔を絶やさないのは、『夢の魔法』のお陰かな?
なんて考えることもある。
私は、表情や感情に余り起伏がみられないと周りから度々いわれてしまう。考え方も現実に偏り過ぎている。
多くの物や事に対して冷めたような感情をいつも抱いている。
想いはあっても内に秘めてしまう。
いい方を変えれば物静かともいえるけれど、こんな無愛想な私でも、可愛い物だけには敏感なのだから、心とは不思議。
私に夢が芽生えれば、きっと他の感情も生まれるに違いない。私は、ずっとそう思い続けてきた。
力になんて興味はない。好んで何かと戦いたいわけでもない。
ただ純粋に、夢が私の憧れ。
「お姉ちゃん、どうしたの。さっきからぼーっとして何か変だよ。やっぱり夢のこと?」
今度はアリヴィアの声が聞こえて、私はふと我に返った。
またもや物思いにふけっていたらしい。
二人が心配そうな眼差しで私の顔を見つめていた。
二人の表情が不安を物語っていた。
それを見た私は、
「大丈夫。何回も心配掛けちゃったね。ごめんね」
と伝え、二人の頭を撫でてあげた。
外は寒いのに、二人の体温はとても温かった。
「ならよかった。お姉ちゃんは夜のお仕事で疲れてたのかなぁとか、あたし色々心配しちゃった」
この子たちは、本当に優しい。
「そうそう、ラクラ姉ちゃん。義理母さんから預かりもの」
そういいながらリアンが今日のお昼ご飯を私に差し出す。
義理母さんは厳しい人だったけれど、いつもこうして色々と世話を焼いてくれる人でもあった。
「持ってきてくれてありがとね。義理母さんにもお礼を伝えておいてくれるかな?」
お弁当を受け取ると、私はそういってリアンに言伝をお願いした。
「うん。任せて」
「今日はリアンのお家で遊ぶから、あたしも一緒にお礼いっとくね」
「アリヴィアもお願い。いつもお手伝いをしてくれてありがとう」
「エヘヘ……」
アリヴィアは嬉しそうにして、照れ隠しに鼻の下を白い小さな手でさすった。
軽くそわそわした仕草も可愛らしい。
「二人とも、何かあった時は家から出たら駄目だよ」
「うん。村の人が何とかしてくれるまで、アリヴィアとおとなしくしてる」
「そろそろ、交代の人がくるかな?」
二人と話をしているうちに、遠くから覚えのある魔力の気配を感じた。
もう少しで出発の時間になりそうだ。
「無事に帰ってきてね。あたし達とまた一緒に遊んでね。約束だよ!」
「うん。約束。今回もアリヴィアがくれたお守りを持ってくね。アルヴィと一緒に行ってくるね」
「ラクラ姉ちゃん、アルヴィが凄くお気に入りだもんね。アリヴィアはラクラ姉ちゃんの心がわかるんだね!」
アリヴィアを見つめるリアンは、尊敬の眼差し。拳を軽く握り少し興奮気味。
「へへん。凄いでしょ。お姉ちゃんのことが大好きだから分かっちゃうんだよ。お姉ちゃんはあたしにとって特別な存在。だから、あたしの大切にしていたお友達をあげたの」
リアンの様子にアリヴィアも得意気になって応える。
息の合う二人の姿が微笑ましく感じた。
にしても、大好き。特別だなんて……。
アリヴィア、私も大好き――。
「アルヴィだけでなく、いつか二人も一緒に狩りにいけたらいいね」
二人は「うん」 と軽く頷いてくれた。
それから間もなくして交代の人が到着した。
私は、引き継ぎだけ簡単に済ませると、見送りにきてくれた二人のことをお願いしてそのまま村を後にした。狩りの始まりだ。
桃猪は、危険区域に指定された星砂糖の森の奥深くに生息している。
危険区域とは、魔物が頻繁に目撃される、魔力が複雑に入り混じった次元断層が生じやすい等の場所に指定された区域。危険区域は、管轄が大陸統轄機関ではなく惑星連合=中央直轄区域とされている。
惑星が管轄する区域とはいえ、特別な理由がない限り人が誰も寄り付かないことからも、ここがどのような扱いをされているかなんて容易に察しが着くけれど。
とにかく、この区域には謎が多い。
村長からも、異常を感じたら、迷わず引き返すように釘を刺されている。
村人達も森が危険だと知っているから、普段は森の奥までは決して立ち入らない。
その為、本来なら狩りは大仕事。
現に、私が狩りを任せられる以前は、魔法の扱いに長けた者と、気配を察知できる者たちが総出で三日がかりで狩りを行ってきたのだから。
「この辺りで少し休もう」
この森は私の庭のようなもの。誰にも邪魔されずに羽根を伸ばせる唯一の場所。
私にとって狩りも雑作のないことだったし、出現予測地を定めて桃猪を待ち伏せするだけ。
桃猪が出現するまでは、束の間のひと時をのんびりと満喫していればいい。
大自然の景色に魅せられ、森の音に癒やされ、お腹が空いたらお弁当を食べる。なんとも贅沢な時間だ。
狩りを単純にさせていたのには、私の力に理由がある。
私が持つ月の力は、一定範囲内の魔力の流れを捉えたり、対象のおおよその潜在能力を察知したりすることができる。
『月の神秘は気の流れを掴む。月明かりは汚れを癒す浄化の光。月の満ち欠けが運命の歯車を動かし、やがて月の引力によってその答えが導かれるであろう。そして、天体の魔力は時に重力をも支配し……』
これは、魔法学入門書の属性の章『月』に記載されている力の慣わしについての一節。
未来予知、遺失物探索、癒しと裁き、空間圧縮などの多岐に渡る事象を術者が能力に応じて使い分けると定義されている。便利でもあるし、厄介な力でもある。
さらには、気の流れに紛れて自らの力を隠すような応用も利かせられるけど、相手によっては無意味だったりする。
多種多様な力の特性を理解することはとても重要で、この世界で生きていくためには必要不可欠。
私は、魔除けの結界を張り、暖をとるための道具に魔力を灯して一息入れ始めた。
衣服や肌への防寒対策にいつも抜かりがない私にとって、暖をとるための道具はあるに越したことがない程度。
魔術や科学が発達したこの惑星では、ありとあらゆる物に魔法が応用されている。
その多くは魔導回路に微量の魔力を込める類のもの。予め組み込んであった特定の魔法効果を誰もが簡単に享受できる便利な代物。
小さくてかさばらない寒さ対策用の道具もその一つ。
捕獲した猪を鮮度を保ちつつ一人で運ぶことができるのも、この魔法技術が組み込まれた運搬用道具があるお陰。
私は、今日も教会から借りてきた本を読んで、狩りの時間まで勉強をする予定でいる。
自分の能力について知り得る限りの知識を身に付けたいと思っていたことが理由で、空いた時間にこうして本を読むことが日課となっていった。
小さな時に教会で文字を教わりはするものの、その他の勉強を教わる機会がこの村にはない。
その代わりに、教会で保管している沢山の学術書を誰もが無償で借りられる制度になっていて、文字以外の勉強は、完全に個人の意思に委ねられていた。
時間さえ許せばいつでも勉強ができる環境だったから、狩りの日には本が私の最適なお供になっている。私は読書が大好き。
でも今日は、ちょっとだけ眠い気もする……。
お昼にもまだ早過ぎるし、時間なら沢山ある。
何せ三日がかりで良いのだから。
「少しだけお昼寝しちゃおうかな」
うん、そうしよう。起きたらお弁当を食べて、狩りをする。
そして、今日も無事に仕事を終える。これでいい。
私は、アルヴィを隣に置き、樹木に背をもたれた。
そして、自然の奏でる音楽に耳を澄ましながら暗闇が支配する眠りの世界へと落ちていった。