第二十九話 未知なる世界
「……!?」
あれからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
まだ、沈んだ海の底に辿り着かない。本当に底がないらしい。
これだけ沈んだら、もう地上へは戻れない……かな。
あれ? なんで私は記憶が残っているんだろう?
何だかよく寝たような――。
あれこれ考えていると、段々意識がハッキリとしてくる。
「あ……れ? ニア、おはよう」
すぐ傍に、心配そうに私の手を握るニアがいた。
「お、おはようじゃねぇよ! このまま目覚めないかと思っただろ」
「私、負けちゃったの?」
「引き分けという名の負けだろうな」
目覚めた私は、真っ先にアリヴィアとの勝負の行方をニアに確認した。
経緯はこうだった。
アリヴィアの特殊能力、『深海奈落』に呑まれる寸前、私は無意識に覚醒状態となった。
そして、戦いの終わりを確信していたアリヴィアの首元に鎌の刃先を直撃させ、更にその上から無数の氷の刃と、闇の集束魔法を直撃させるという神業をやってのけたのだという。
油断していたアリヴィアは服が乱れ、全身からそれなりの出血を伴う怪我までしていたとのこと。
攻撃を受けた直後、アリヴィアは、少しだけよろめきながら私に近付き、優しく私を抱きしめて、優しい口調で、『私の負けだね……』って呟いたそうだ。
そして、私に治癒を施して、『目が覚めるまで見ていて欲しい』と、ニアに私を預けた。
それから今に至ったという流れらしい。
私がニアと話をしているうちに、私達のいる部屋にアリヴィアがやってきた。
「お姉ちゃん、もう動けるかな? 体はどこにも異常ないと思うけど……」
「ありがとう。ニアから聞いた。心配して何度も様子も見に来てくれたみたいだね」
「うん。突然こんな形で再会することになってしまってごめんなさい」
「本当だぜ。あたしの縮んだ寿命を返せっての。ララは、まる二日も寝たっきりだし、メルトのやろうも呼んでやったら慌てて駆けつけて、頑としてララの側から離れようとしないし、大変だったんだぞ。メルトには後でよく誤っておけよ」
「お姉ちゃん……」
そんな嬉しいことが知らないところであったとは。たまには気絶してみるのも……。
「お姉ちゃんのお姉ちゃん? じゃぁ、私も妹にしてもらえそうだね」
「そうかも。メルトお姉ちゃんは自慢のお姉ちゃん。アリヴィアもきっと気に入るはず」
「おいおい。メルト最強じゃねぇか。こんな強えぇ奴に囲まれて本人ポンコツとかありえねぇ」
「ねぇ、ニア。お姉ちゃんのこと何かいった?」
ちょっと、今の発言は聞き捨てならない。
「おっかねぇな。冗談だって。じょ、冗談でもねぇし。ほらあたしだってあいつとは仲良しというか」
「わかった」
「ふぅ。まったく……」
「あはは。お姉ちゃんってそんな性格してたっけ?」
突然笑い出したアリヴィア。くったくのない笑顔は年相応の少女のものだった。
そんな愛らしい笑顔に釣られて私も、ニアも笑っていた。
やっぱり、戦いよりもこういう温かい時間の方が私は好き。
「ところでアリヴィア、もう話してもらってもいいよね」
「そうだね。私もそのつもりでここにいる」
「お仕事はいいの?」
「こういうことも想定して、休暇は纏めて取ってあるから平気。お姉ちゃん、折角だから二、三日泊まっていったら?」
「うん。そうさせてもらう。けど、コルベットに報告だけ入れておかないと」
「えとね、その件なら平気。コルベット、いいえ、おじさんとはね長い付き合いで、事前に許可を取っておいた」
「そう……、なんだ?」
「もし、私が負けていたらと考えたら本当に怖くなる……」
「そのことだけど、そうなっていても、魔導研究者になるという夢を忘れて貰っただけというのが結論」
「それが、私の聞きたかったことの答え?」
「そうなるね。では本題をお話するね」
「お願い……」
「私は、私の役職の裁量を使ってお姉ちゃんの力が世間、具体的には『中央』に知られないように情報を統制してきたの。コルベットからも、お姉ちゃんの力が公に公表されないように配慮されていたでしょ?」
「確かに。だから普段は魔力を抑制してきた」
「中央と関わると自由に身動きすら取れなくなってしまう。時に汚い仕事も請け負うし、きっとお姉ちゃんには合わないと思う。レイ・スロスト事件も人の命を天秤に掛けるような仕事だったし、辛い想いを沢山することは避けられない」
「そっか……。アリヴィアは優しいね。でもね、私の進む道は私自身で決めたい。それにもう……」
「そうだね。沢山の死線を超えて今のお姉ちゃんがある。うん……。だからね、お姉ちゃんの意思と、今の実力を確かめたかった。それと、昔憧れたお姉ちゃんとたった一度でいいから真剣勝負をしてみたかったっていう私の我儘もあった」
「本当なら私の負け。強くてびっくりした」
私は無意識に昔のようにアリヴィアの頭を撫でていた。
「えへへ。褒められちゃった。嬉しいな」
アリヴィアは、あの時のような笑顔で無邪気に喜んでくれている。
「お二人さん仲良いな。少し妬けるぜ」
「ニアだったかな? 貴方も優秀ね。だけど、魔法の使い方が上手くない」
初見で核心を突いている。流石アリヴィア。凄い!
「って、ララと同じこといいやがる。まぁ、あんた程の実力者からも言われるんじゃ、もっと上手くならないとな。で、あんたの前で魔法を使ってねぇのに何で分かった?」
「思念通話。お姉ちゃんの通話は完璧だったけど、ニアの通話は丸聞こえ。要するに雑な魔法ってことね」
落ち込む様子のニア。この子も私の大切な家族。思い返せばボーロ・レイから始まった私の旅路はいつの間にかこんな幸せに囲まれているなんて思ってもみなかった。
仕事とはいえ、私と似たような幸せを持つ人達を私は殺めてきた。だからその現実からは逃げない。
そして、いつか私が死に導かれた時に後悔だけはしないように今を精一杯生きたいと思う。
「私のこの力、中央は放っておかないだろうって闇精霊の長もいっていた」
「でしょうね。ところで、お姉ちゃんのことを含めて私も闇精霊の長と直接話しておきたいのだけど、ニア、それは構わない?」
「ああ。それはあたしに任せろ」
「アリヴィアは、オルドシークと面識なかったんだ?」
「うん。だから、私のことを調べても、闇精霊たちからは何の情報も得られなかったでしょ」
「そこまで知っていたんだね」
「おじさんを通じてある程度はね」
「しかし、なんだ。あのおっちゃん、アリヴィアが幼女だった当時から鼻の下伸ばしてたんじゃねぇの?」
「おじさんに幼女趣味はないわ。私が幼き日に彼と出会ったことを知っているみたいだけど、どこまで知ってるの?」
「アリヴィアが襲撃されて、おっちゃんが身の毛がよだつ思いをしたってことだけ」
「あの時の話には続きがあって、あの後、おじさんには私の世話役になってもらったの。彼が悪い人でないのは、最初から何となく感じていて。しばらく緊張してかちこちだったけど、今は大の仲良し……のつもり」
「まぁ、よく分かんねぇけど、何か聞いちまって悪かったな」
「いいの。コルベットが二人の知り合いなら、私と彼との関係も知っていた方がいいでしょ」
「私からも、アリヴィアに話してくれてありがとうってお礼を言わせてね。コルベットにはお世話になりっ放しだし、彼が尊敬出来る人だってことも知っているから」
私からのお礼の言葉にアリヴィアは軽く頷いた。
そして、彼女が話を続ける。
「それでね、お姉ちゃん。これからのことなんだけど……」
「何かあるの?」
「うん。お姉ちゃんのことがいつ中央に伝わるか分からない。だけど可能な限り今までと変わらずに支援させて欲しいと思ってる。それでいいかな?」
「構わない。自由に動けるのは嬉しいから」
「そこでね、私がいつでもお姉ちゃんのことに対応出来るように、私直轄の国防緊急招集班として、セイントルミズで暮らして欲しいと思ってる。勿論、魔導研究者としての一歩を踏み出せるよう、セイントルミズに籍を置くシフォン国魔導研究機関との橋渡し位はさせてもらうつもり。どうかな?」
「急な話だから考える時間が欲しいな」
「うん。お返事は急がないから。それとね、シャルロットのおじさんのところへも頻繁にお使いをお願いするようになると思う。だから、今住んでいるシャルロットの家を王国名義で借りたままにさせてもらおうと思っているので話しておくね」
本当にアリヴィアは機転が利く賢い子。
この年にして相手の気持ちを汲んだ対応を当然のようにしてしまうのだから末恐ろしい。
「おぉ、いい話じゃねぇか。あたしはララが決めたことならそれでいいからな。いや、別にあんた達のためを思っていってるんじゃねーゾ」
「んじゃぁ、ニアはシャルロットで自宅警備、私はお姉ちゃんのところに住もうかな……」
「って、おいおい。その選択肢はおかしいだろ」
「それならこうしたらどう? 私がお姉ちゃんと一緒に住んだら今私が住んでいる部屋が空き部屋になるから、そこにニアが住めるようにする……、とか?」
「アリヴィアも悪乗りしてんじゃねぇ! なんでいつもあたしの立ち位置はこうなんだ」
こうした遣り取りを通じて三人で何回も大笑いした。
戦いを通じて孤独そうに映っていたアリヴィアも心から楽しんでいるようで良かった。
孤独だった昔の私のような思いはもう誰にもして欲しくないから……。
そうこうしながら、これからの話なども全て終えた。
そして、ようやくゆっくり過ごせる時間が訪れた。
メルトお姉ちゃんの実家で過ごしたように、裸の付き合いとやらをしたり、可愛い愛しいアリヴィアと一緒に寝て既成事実を作ったり……って、私ったらはしたない。
アリヴィアには、『既成事実は違うからね』とだけ言われたけど。
久しぶりの再会は笑顔のままあっという間に過ぎて行った。
そして――。
私は、ここから新しい道を選び、再び歩み始める。
今回で、第一部『夢探し編』の本編は完結です。
物語は、第二部『ティラミス編』へと続いていきます。
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