第二話 追想
「こっちこっち!」
甲高く張りのある透った少年の声は、首筋まで伸びた煌びやかな黒髪を赤いリボンで左右に束ねた幼い色白の少女へと向けられていた。
昼下がりの日差しの下、太陽のように明るく元気な少年と少女が私の側を走り回っている。
「もぉ、まってって、いってるでしょ!」
言葉とは裏腹に、薄桃の口元に嬉しそうな笑みを浮かべた少女が、息を弾ませながら少年の後を懸命に追いかけている。少年が映る少女のつぶらな海色の瞳が、純度が高い宝石よりも一層輝いて見える。
二人とも私より二つ年下の六歳。歳が同じこともあってか、とても仲が良い。
私は、いつものようにその声を聞き流しながら、村外れの作業場で先ほど森で採取してきた『光キノコ』などの山菜の加工と選別の作業を忙しくこなしていた。
この時の私は、行商で生計を立てる一家の中で平穏無事な日々を過ごしていた。
その些細な毎日がどんなに幸せなことだったか当時は知りもしない。まだ真っ白で何色にも染まっていない普通の女の子。
惑星スイーツの西の大陸に位置する芸術国家シフォン。その首都で大陸中央部に存在するセイントルミズから北に遠く離れた星砂糖の森の袂に位置する小さな集落が私たちの暮らしていた 『ボーロ・レイ』。
ボーロ・レイは、豊かな自然に囲まれる長閑な山村。高い空。澄んだ空気。溢れんばかりの花と緑。村の畔には小川が流れ、遠くには万年雪化粧をした山々が連なっている。
森は食料の宝庫で、山菜類を始めとして、そこで暮らす野生動物たちの肉も高値で取引きされている。
村人たちは、その食料の商いを主な収入源として生計を成り立たせていた。
光キノコもこの地方では然程珍しくはない特産品のひとつだった。
私たちが暮らす惑星スイーツには、世界の平和と秩序を維持するために、各大陸の各分野の代表者達で構成される惑星連合という組織が存在する。
その惑星連合を頂点に、各大陸統括機関、各国家……という序列に基づいた包括的な社会構造が確立されている。国家より上位は中央大陸に本部が置かれる。
この社会構造のお陰で、異なる種族、文化、宗教など違いがあっても相互理解のもと一定水準の世界平和が保たれている。
各国では、学術や芸術、魔法技術など様々な分野で、名だたる機関の有能な研究者たちが、日夜を問わない精力的な研究を積み重ねている。こうした世界においても尚、解き明かされていない謎が満ち溢れているのだという。
遥か遠い昔には、安全な生活圏を確保する必要に迫られた時期もあって、このことを契機に居住区域に関する研究開発が大陸各地では始まったとされている。その結果、人々は高い安全性を持つ生活基盤の確保を現実のものにした。
そして、この目覚ましい技術の発展はその後も衰えを知らないまま加速を続け、今では機能性や利便性までをも兼ね備えた高度で個性的な文明都市が世界各地に築かれている。
私たちの暮らすボーロ・レイは、先に行われた都市開発によって形成された居住区域には存在しない居住が推奨されていない区域に属した村だった。
当時の私も、度々魔物が迷い込むボーロ・レイが安全じゃないってことだけは理解をしていた。事実、それだけで十分にこと足りていた……と思う。
「今日の収穫もこれだけかい。収穫が最近少ないのは魔物のせいなのかねぇ!」
夕暮れ時、作業もほとんど終わった頃、私の頭上から女性のキツイ声が浴びせられた。私は前屈みの姿勢だった為、その声の主を確認することはままならなかった。それでも聞き覚えのあるその声を間違うはずもなかった。
胸元くらいの長さの茶色い髪を後ろで一本に束ねた少し目付きの鋭い中年の女性は、身寄りのない捨て子だった私を引き取って育ててくれていたリーザ義理母さん。言葉遣いが少々乱暴だったけれど、多分、悪い人ではなかった。
私は、生まれて間もない赤子だった頃に名前の書かれた紙切れと共にこの村に捨てられていた孤児。その私を村長の意向で半ば強引に押し付けられるようにして引き取らされたのが義理母さん達だったらしい。
それでも私をここまで育ててくれたことには違いないし、そのことに感謝をしていないわけでもなかった。
「ごめんなさい」
収穫量は普段と大差がない。厳しくされるのもいつものこと。非を認めてそれをやり過ごす。それが無難な選択だということを幼くして私は心得ていた。
それに、義理母さんだって、毎回大した返事などは始めから期待もしていないだろうし。
「ラクラ姉ちゃん! 一緒に帰ろう」
私と義理母さんの間に割って入ってきたのは、昼下がりに少女と仲良く遊んでいた活発な少年リアン。リーザ義理母さんの実の子で、この家の一人息子。
「あたしは先に帰るよ。物騒だし、あまり遅くなるんじゃないよ!」
「はぁい」
義理母さんは私たちに遅くならないよう注意を促すと、リアンの返事も待たずして家路に向かってさっさと歩き出していった。そして、その背中もあっという間に遠ざかった。
「私たちも帰ろうか」
義理母さんの姿が見えなくなった頃、私は泥まみれのリアンに話しかけた。
「うん! お話しながら帰ろう」
リアンの小さな右手が私の左の手を引いたかと思った次の瞬間、間髪入れずに嬉しそうな返事が返えってくる。
満面の笑みを浮かべ、得意げな顔をして私の手を引くリアンは、本当に優しい子だった。
短い青髪の少年が、まん丸とした空色の曇りのない瞳を輝かせながら、さらに話を続ける。
「今日はね、アリヴィアと追いかけっこしたり、魔法の練習をしたりして遊んだよ」
アリヴィアは、リアンの後を追っていた少女。リアンと同じで優しい子だったが、アリヴィアには『純真無垢』という言葉こそ相応しい。絵に描いたような私の心を掻き乱す……。じゃなくって、とにかく天使のように愛くるしい。
私の趣向はさておき、たまに二人の遊び相手になることもあって、二人は私にとって本当の家族のようなものだった。
「そう……。上手にできた?」
「うんとね。まだまだかな。あ、でもね、アリヴィアは相変わらず凄かったよ!」
アリヴィアには才能がある。それでいて努力も惜しまない。
いつも一生懸命なところが堪らなく可愛い。
「リアンも落ち着いてすればできるから、次はきっと大丈夫」
「うん、頑張る。また今度、色々教えてね。ラクラ姉ちゃんの魔法は世界一。僕たちの自慢なんだ!」
この村の民人は、古来より風属性魔法の恩恵を受けてきた一族。
水の力を宿すアリヴィアのように皆が皆そうではないけれど、属性には遺伝的な要素が強く影響すると考えられている。
惑星スイーツで暮らす人々は、この魔法の力を日常の中に取り入れ、それを応用することで生活を成り立たせている。
それは、ここボーロ・レイでも同じで、この星の人々にとって魔法はなくてはならない存在。
故に、小さな頃から魔法を練習する光景はありふれた日常の一コマ。
「私の力は何かを壊し、奪ってしまう……。でも、ありがとう」
「違うよ。ラクラ姉ちゃんの力は魔物からみんなを守ってくれる凄い力だってことを僕達は知っているよ」
私の手を引くリアンの手に微かな力が込められたのが伝わった。
私は、返事をする代わりにリアンの頭をそっと撫でた。
この時の私は、自分の力を理解し、ある程度自在に制御できていた。同時にこの力が何を意味しているのかも悟っていた。
だから、これがリアンに対して私ができる精一杯の返事だった。
この時間になると、村の至るところから良い香りが漂ってくる。今日も無事に一日を終えたことを告げる合図だ。
家まで後少し。でこぼこの田舎道に伸びた影を並べた私達二人の足取りも軽かった。