第十九話 本気の戦い
私がニアに幻覚魔法を仕掛けてしばらく、この気温の低い闇の世界には静かな時が流れていた。
でも――。それも、もう終わり。そろそろ、戦いの続きを始めよう。
「ニア、私はまだ傷の一つも負っていない。貴方はもう諦めた? このまま負けたままでいいの?」
我ながら安い挑発。単純明快な言葉を好みそうな彼女なら……。
思った通りだ。私がニアを闇の呪縛から解放するや否や、ニアは私に闘志をぶつけてきた。
……黒い魔力矢。速くて鋭い。勢いを感じる。
まぁ、私には造作もないけど……。
ニアの答えは明白。まだ、負けたくないという意思表示。
「……世界は、本当に理不尽だ。不満ばかり抱いてしまう。だがな……」
ニアが発する低くて冷たい声。まるで自らに眠る本能によって動かされているかのよう。
「何?」
「沈んだ闇の底。恐怖と絶望の先に、希望の欠片を捨てられないあたしがいた」
「ただの戯言……。ニアが私に勝てないという真実は決して覆らない。この状況で、ニアには絶望以外の何があるというの?」
「闇精霊一族の誇り。あたしらを凌駕する闇使いに一矢報いる。あたしらが聖域を守るものとして相応しいかどうかを証明してみせる」
「なら、言葉は要らない」
「あぁ……。そうだな。今のあたしならやってやれるさ」
そういうとニアは、ふぅっーと大きく息を吐いた。ニアはそのまま瞳を閉じ、精神を集中しているような仕草を見せている。
ニアの様子は先程までとはまるで違う。酷く落ち着いていて、気流に寸分たりとも乱れを感じない。まるで空気のように存在感も感じさせていない。返ってそれが不気味……。
深い静けさに身を潜めるニアからは、ただならぬ闘気が湧き立っているような感じさえする。寒気のような感覚を覚え、ピリピリとした緊張感も伝わってくる。気配を感じないのに圧倒的な存在感。
「迷いが……、消えたようだね」
「赤の覚醒――」
ニアがゆっくりと目を開く。アメジスト色のニアの瞳が、暗くて深い闇を含んだ赤色になっている。
覚醒……。限界を超えた力。引き金はどこにでもあって、本能が理性に勝るような時に一時的に爆発的な力を解放することができる。意識してできるものではない……。
特別な出来事によって、耐えきれない恐怖、強い怒り、深い悲しみ、そういった強い想いや感情が極地に至らせられた時を起点に発揮される力で、内に秘めた想いの強さが織りなす『心の奇跡』が覚醒。
色による効果がどうかという謎は未だに解き明かされていない。だけど、限界を超えた力は予測不能。気を付けないと足元を救われることだけは確か……。
そういえば、お姉ちゃんの詩詠、感情に働きかける魔法も、術者の心理で魔力光の色が変わるっていっていたな……。
「世襲という嘆きの壁に、辛く苦しい気持ちを抱きながらもニアの周りには一族の支えがあった。その家族達と共に過ごした日々、積み重ねた時間、分かち合った想い、今の貴方なら、満天の星にように輝けるかもしれない……。だけど、私も負けない。私にも心を重ねた家族、親友がいる」
ニア、それでも私は、貴方を圧倒する。容赦はしない。
それは本気の貴方と、貴方の背中を押したノエル達を侮辱することに等しいから。
いくよ――。
「特殊能力『堕天』。強いあんたに立ち向かうため、自己の闇を深くする。そして、この無数の暗黒の矢で射貫いて見せる……」
空中で対峙する私達。先手はニアが取った。正面から真っ直ぐ私に打ち込む連撃矢。
同じ空の上、過去の出来事と運命の境遇に思いを馳せてきた者同士、全力でぶつかったらきっと分かり合える。こんな戦いは、最初で最後にしよう。
「闇障壁」
今度は、ニアの魔力を吸い取らない。正面に闇の魔力壁を作り、矢全体を闇に溶かして無力化。
相手の力を利用して自らの力に変える手段はこの戦いにそぐわない。
「だよな、そんな攻撃効くわけねぇよな……。次、いくぜ。降り注げ、暗き闇の矢」
続いてニアは間髪入れずに上空から無数の矢を降らせてくる。今度は無力化するには体勢が悪い。
一旦地に足を着け、魔防壁で弾いて防ぐとしよう。
「さっきとは大違い。矢のひとつひとつが鋭利。防壁越しでもその威力の強さ、重さが伝わってくる」
「狙い通り」
「どういうこと?」
「地面をよくみてみな」
「矢が刺さっている……」
地面に突き刺さった無数の矢、分散していた魔力が私を標的に集束し始めている。集束が進むに連れ、辺りには段々闇が濃くなり、周囲が暗黒に満たされていく。
集めた魔力で爆発でも起こすつもり? それとも……。
「この闇は目くらましと、次の一手の布石。集めた闇は、あたしの二刀苦無を闇の力で満たす触媒。夢と現実の区別を惑わす胡蝶の如く、境界の狭間で果てろ……。苦無乱舞・胡蝶」
ニアが低くて暗い闇の底から這い出たような声と共に放つ縦横無尽の重奏刃。鋭く、重く、速い。魔力壁を強めに張っているから凌げているけれど、それも長くは持たなそう。
間合いが近すぎて鎌で裁くには難しい。かといって距離を取るにも全方向からの攻撃に対して下手に動けない。
魔力壁が破られる前にニアを突き飛ばして強行突破、或いは空間凍結を試してみるか、否、魔力を小さく爆発させて爆風を発生させてニアを軽く飛ばすか……。闇の魔力を帯びた刃への対抗。リスクは極力取らないようにしよう。私の答えは――。
「そう来られたら、距離を取るが最善」
「おっと、下手に動くなよ。動いた瞬間に全方位から二の矢であんたを貫けるようにしている。その動きは想定済み」
「こちらもそれくらい予測の上。だから私も貴方の取る行動を予測した手段を幾つも用意している」
距離は取らせてもらえず。次の選択肢は……。
「これならどう? 旋風昇!」
舞っている蝶に対抗するなら同じ動きで巻き上げる風が有効。風の属性を持たないなら闇の魔法を爆発させて疑似属性を創ればいい。
「あんたさ、こういう話は知っているか? 闇夜の月光に照らされた純白の花に纏わる物語。白き花が咲き乱れる丘で起こった惨劇。血の雨を吸って真紅に染まった花。散った者の怨念をも吸い取った花は以後夜な夜な生者の鮮血を求めるようになったという」
「知らない。初めて聞いた」
「まぁ、どちらでもいい。この技は、その物語をイメージして編み出したあたしだけの技ってことがいいたいだけ。風に舞うは白き鋭利な花びらの矢。あんたの魔力が生んだ風だって利用させてもらうさ。白花紅染……」
「それなら風で矢花が宙に舞えないように、矢花を凍らせてあげる。氷霧!」
氷の霧が辺りを満たし、薄い花弁に見立てた矢は氷と化して重さを増して行く……。
「そうだな。それなら確かに重さで矢花は風には舞えない。だけど、同時に氷が矢花達を鋭利にしてくれた。だったら、あたしはそれさえ利用する」
「今度は、何をするつもり?」
考えていたより、ニアは知恵を使って私との戦力差を埋め合わせてきている。でも、まだ足りない。私の心に届く一撃まではない。これでは私とニアの心は共鳴しない。響かない……。
「牙を剥く闇狼の咆哮……。氷の矢花さえ巻き込み、聖域に仇なす者に一矢報いる! 天から降り注ぐ断罪の裁きの牙」
遥か天上、雄大な星空に紫がかった無数の光の点が現れ、狼の形に線を結んでいる……。各頂点の光は狼を形取ると同時に、頭上の一点に光を集束させ、エネルギーを溜める。
一瞬の出来事のはずなのに、その壮大さに時が止ったような感覚にさえ陥る。雄大優美な技。
「ニア、貴方が戦闘に向いていないという言葉は取り消す。迷いを捨てればこんなに強い。私は貴方と心と心で向き合いたい。だから、貴方の本気の技を私は受け止めてみせる」
「過去のことなんてもうどうでもいい。あんたがどう思おうが慣れ合う気もない。ただ無心に全力で強いあんたに臨むだけだ。これならどうだ。闇狼弓奥義、牙光瞬神殺……」
集束された光が私に向かって放たれる。細い線上の高熱量の光が音も立てずに光速で大地と接触。光が地に届いた後、光を追いかけた暴風が遅れてやってくる。
風は上空から落ち始めた氷の矢花を巻き込み、私に敵意を向けて、もの凄い速度で上から下へ駆け抜けていった。
そして、次に訪れたのは静寂を破る巨大な轟音。
ゴオォォォォォーっという雄叫びにも似た音を響かせ、一瞬で周囲を巻き込んで周辺の大地を光の爆発が呑み込んでいった。
「何て威力……。くッ……」
風と矢を凌ぐための氷壁、闇の光を相殺する高出力の闇の極光壁、その上にあらゆる存在気質を無力化する闇の混沌領域を展開。ここまで防御を固めてやっと耐えられる衝撃。
圧倒的実力差。それを持ってしても油断をしていたらどうなっていたことか……。
全てを呑み込んだ光は、巻き上げた砂煙を残してやがて消え去った。
視界が戻ると、私の周囲には剥き出しになった窪んだ大地以外流石に見渡せない。推測するに窪んだ大地は直径十キロメートルはあろうかと思う。そういう衝撃を受けた。
「はぁはぁ……。少し、は届いたか……?」
あれだけの高出力の魔法。流石の精霊でも消耗が激しそう。
「今の攻撃……、もう少し高い魔力で放たれていたなら、たぶん危なかった……、と思う」
「思うって……、そんな? あたしの渾身の一撃を受けて無、無傷だなんてことが……。いいや、あるわけが……」
今の冷静なニアからしても、目の前の私が無事でいることには酷く驚いているようにも見える。
「いいえ。物理的な衝撃を通じた結構な痛みがあった。それでも致命傷は上手く避けられた」
よく見ると、私の纏う魔力を織り込んだ服は崖から落ちたかのような有様。土砂や埃を被って汚れ、小石や植物に所々引っ掛けて破れたり、穴が空いたような状態。
「いや……、そうでもないみたいだぜ……。僅かだがあんたの頬に切り傷ができている」
「……った」
両手で頬を触って見ると、確かにヒリヒリする。まだ出たての鮮血が私の指に付いている。
やられた。防御を貫かれた。
「元よりあたしにはあんたを倒す力がないことくらい百も承知。だけど……。いや、なんでもねぇ」
確かにニアの想いは届いた。届いたのは攻撃なんかじゃない。ニアの想いそのもの。
結果はそれだけで十分。私の負け……。勝者であるニアの想いは正しいと証明された。
この事実は、孤独だった私が、いつしか仲間や町の皆を護りたいと思えるようになって得た強さと同じ。
この戦いにはノエル達の想いもあった。
だから、ニアの全てをまず受け止めてみようと、この戦いは私が守りから入った。とはいえ、ニアがこれほどの力を秘めていたことには正直驚きだ。
仕留めるつもりでこちらから仕掛けていたら簡単に彼女を落とせていた戦い。だけど私はそれをしなかった。いや、そうじゃない。それをしたくなかった。
過去の私に似たニアだったから、今度は私がニアに温かい手を差し伸べたいって思った。
そして、ニアに私の想いも知ってもらえば、ニアに温かい気持ちが生れると信じて疑わなかった。
私が皆に救われたように、ニアも同じ気持ちになってもらえるんじゃないかって……。
ノエル、これで良かったかな――。
今の私なら、ニアと通じ合える。言葉だけじゃなく、本能でぶつかった相手だから想いを分け合える。
だから今度は、私からニアへの最初で最後の全力攻撃。私の想いをニアに受け止めてもらう番。
「ニア、私はニアからの攻撃、いいえ、想いを確かに受け取った。この出会いも運命。同じ痛みを知る者同士でなければ、互いに立場を違えた出会いでなければ、どんなに良かったことか――」
「あたし達もあんた、いいや、いい直そう。あたし達もノエル以外の誰もがラクラスが人間ってことだけでラクラスと対等に向き合おうとしなかった。その非礼を隊の長として詫びよう」
「私は、私のやりたいように振舞って、私の目的を達成しただけ。それだけで十分。勝敗も着いた。勝負はニア、貴方の勝ち……」
「それは違う。良くて引き分けといったところか。まんまとラクラスの想い通りにされちまったし……。だけど、この試合はまだ終わってねぇよな」
「そう……、だね。お互いに気持ちが分かり合えたからって、はいそうですかと単純に終わらせていいものじゃない」
二人の緊張感が高まる。
その雰囲気は、この戦いの決着が近いことを物語っている。
「情けねぇが、本音は逃げ出してぇ。あたしは、隊長、失格だな……。正直、ラクラスと対峙するだけで、寒気がするほど恐ろしい。だけどそれをしたら、あたしはこの先永遠に後悔する。新しい一歩を踏み出す機会も失っちまう」
「私も、一切手を抜かない。殺さずに終わらせる自信もない。ニアには、それを受け止める覚悟がある?」
「どんな結末になっても、あたしは後悔しない。これはあたしが望んだ戦い。それに、あたしはこんなところで絶対に終わったりはしない」
「次は私の番……。ニアと通じた私の心が力を解放してくれる。温かなる敵との共鳴、青の覚醒――」
「…………。背筋が、凍りそうだ。なんていう凛とした魔力……、言葉を失うしかないよな……」
――さあニア、この戦いを終わりにしよう。
「神を一瞬で殺すが如く研ぎ澄まされた闇狼の牙が私を襲ったニアの牙光瞬神殺。私がその類の正しい魔法の使い方というものを教えてあげる」
「相変わらず厳しいな。正直にものをいってくれるし、そういうところは反対にありがたいが……」
「あれだけ無駄な魔力の消費をする必要はないし、さっきみたいな遣り方は隙だらけ。隙を突かれたら簡単に敗北してしまう」
「だからって、あたしら一族の伝承奥義の極意を真似るどころか、再現できるか? 仮にできたからってそんな攻撃真正面から受けられはしない。絶命しかねない……」
「闇から這い出した無数の亡者に見立てた閃光がニアの全身を一瞬で喰らう。魔力減衰と痺れの毒をもたらす生殺与奪の初歩死術」
「聞くだけで身の毛がよだつ。それが発動する前に、なんとかしねぇと……。流星衝!」
ニア、悪いけれど私には隙がない。常闇と極寒の無の世界で餓えた亡者が流星ごと丸呑みする。詠唱はただの演技。青の覚醒と同時にとうに発動準備はできている。
「――亡襲滅光閃」
「ぐぅぅぅ……。うあぁぁぁぁ……」
「ニアが反応すらできない速さと、無数の亡者の一体一体が闇狼の牙を圧倒的に凌ぐ威力を再現した。魔力は、牙の先端、つまり被撃部に集中させ、相殺されないように強化しつつも魔力消費量も極力抑えている。要所を抑えることは基本中の基本」
「うぅぅ……。痛みと痺れで動けないどころか、身体から力も抜けやがる……。これが喰われるってやつか? そして何だか寒気すら感じやがる……」
「寒気。よく足元を見たらいい。身体を動かす力も無くなりつつあるのかな?」
「いや、動け……ない。凍っている……? いつの間に?」
「ニアが亡者に喰らわれた直後。地に落ちた時に発動させた。万が一仕留め損なっても、致命傷を与えられなかったとしても、反撃される余地を残さないように二つの魔法を同時に発動させられるように準備をしていた」
「本当になんて奴だ、ラクラスは……。ハハハ。これじゃぁ、あたしの戦闘での判断、魔法の使い方、どれを取っても穴だらけっていわれたら納得せざるを得ない。こんな凄い奴の本気に立ち会えるとか、こんなの奇跡でしかねぇな。本来なら悪い冗談だぜ……。正直今の一撃で沈んでいてもおかしくない」
「もう、終わりにするね。ニアが生きていたら、新しい世界を始めよう」
「あたしは辛うじて動けるだけで、氷の魔法から身の自由を確保する力も残っていない。だからといって、それでもこの戦いの結末を受け入れる覚悟は最後まで変わらない」
この戦いの終焉は、運命に身を委ねよう。この出会いの未来は、運命を委ねる魔法が証明してくれる。
「生か、死か。運命を委ねる神判の一撃。――天地創造」
「これで終わっちまうのか……。ノエル、みんな――」
何もない世界に突如集う巨大な闇の光。その凄まじい魔力はやがて暴風を呼び、大地を震えさせる、暴風と大地の轟が不協和音を奏で、この世の終わりを思わせる演出をする。
――涙……? 頬を伝う一滴の雫。
私、泣いているの? あぁ、そっか。私……。
霞んだ視界。その先に見える世界――。
神様、私は――。この先もニアと共に、時計の針を……、刻みたい!
今回で、第四章は終了です。
次回より、第五章「夢の果て」が開始となります。
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