第十八話 託された想いと約束
ノエルとの会話があってしばらく、私は進行を止めた。
勿論、勝手な判断はせず、筋道を立てて国へ本件の許可申請を行い、その了承も得ている。
国から進行一時停止許可を得たものの、好機に一旦間をおくのは好ましくないということ、相手方の疲弊も限界域まで到達したと判断できることから、次回攻勢で一気に決着に向かわせる旨の付帯条件が付けられた。
闇精霊と次に会う時にはレイ・スロスト事件を真の意味で終わらせないといけない。
そろそろニア隊の闇精霊達も体制が整う頃だと思う。こちらと同様に最終決戦の準備もできていることだろう。この戦いは間もなく決着を迎える。
――そして、その日はやってくる。
敵隊は、ニア一人。他の部下の姿はない……。
ノエルの人柄から考え、これは陽動といった罠の類とは考えにくい。
むしろ、ノエルから『目の前のおてんばで分からず屋の目を覚まさせて欲しい』といった願いを託されたかのような意図さえ感じる。
彼と私は思考が通ずるところもあるから何となくそう思えてしまう。
きっと、他の仲間達は気配を消して、少し離れたところで様子を伺っているのだろう。レイ・スロストとの戦いの時にも、何者の気配すらその場に感じられなかったのに、レイ・スロストは闇精霊が見ているという言葉を発していた。
届くか分からないけれど、『殺さずが、できるか分からない。だけど全力で――』と、魔言を作成し、記憶にあるノエルの魔力を辿るように願い込めながらそれを流した。
「今日は、貴方独り、なんだね……」
目の前の彼女は、悲壮な面持ちで俯き加減で空に浮かんでいる。
満天の星、大きな橙の月光がニアを照らして妖艶な影を映しだす。無風で静けさが漂い、緊張感も増幅されている。
この場にいれば、明滅して消えそうな光のように儚く脆いニアの様が自然と伝わってくる。
「あたしの名は、ニア――。闇精霊、戦士一族の隊長の家系に名を連ねし者。ここで……、ラクラスを退ける。これは、あたし個人の戦い、あたし個人の問題。正々堂々勝負を挑みにきた」
とても低く、暗い声。
正々堂々っていうのは嫌いじゃない。だけど、今回は歪んでいる。痛々しい。
「やっと、自分から名前を教えてくれたね、ニア。そして初めて私を名前で呼んでくれた」
「戦士としての礼儀を守っただけのこと」
「そっか……。それなら私も礼を尽くして、全力でいかせてもらう」
「あたしは、あたしは絶対に負けねぇぇぇぇぇぇ!!」
両手の拳を強く握り、押し殺していた感情をニアが剥き出しにする。ニアの魔力流も乱れている。
「それなら、結果で証明したらいい。私もこの戦いを譲る気はない」
「それはお互い様……。あたしだって、やる時はやる。それを証明するだけ」
「ニア……、残念ながら今の貴方では私には絶対勝てない。それどころか傷ひとつ付けることすら敵わない。それが現実」
「何といわれようが関係ねぇ。あたしが結果で見せればいいだけだ!」
「そう……。なら、これ以上会話は要らないね――。魔力解放……」
ノエル、約束は必ず守るから。『全力で』って約束……。
「月華夢幻……、さぁ、準備はできた?」
「や、やめろ……。あたしを殺さないでくれ……」
精霊でも、人と同じ反応……。
「まだ、何もしていない。改めて名乗らせてもらうね。死の祝福と、闇の加護を司る絶対領域、それが私、ラクラス。そして、貴方の穢れた魂を狩る者」
――そう、私はニアの歪んだ過去という魂を狩るために願いを託された者。
「くっ……、あたしとしたことが取り乱した。しかし、何ていう重圧。それに、なんだこの強大無比の魔力は……。そして何より、深淵の底から無限に湧いてくるありとあらゆる負の概念のような恐怖……。殺されて楽にされた方がよっぽど救われる……」
「もう、理解できたでしょ? それでもまだ、貴方は戦うの?」
「うるせぇよ。いっただろ、結果で証明すると。我が一族の象徴、守護の獣を刻んだ闇狼弓があんたを討つ。行くぞ、神速連射――」
ニアが数百の矢を放つ。実力差を見せ付けるため、私は敢えて避けない。
「……避けるまでもない」
「よし、直撃。なんだ、当たるじゃねぇか、ビビらせやがって……」
少しだけ痛い……。魔防壁くらい使ったら良かったかな……。
「そんな、魂が籠っていない矢が私に通じるとでも思った? 鋭利でもなければ、速度も足りない。間違っても神速とは呼べない。私は無傷……。次はどうするの?」
「な、なんだと……? ワザと避けずに喰らった……だと?」
「残念だけど、ニアは戦闘には向いていない」
「あんたまでそれをいうか。もう……、うんざりなんだよ! 何であたしは戦いの才能を受け継がずに生れてきた。教わったことを忠実に、幾重にも努力を続けても何一つ開花しない。それどころか劣等感ばかり募って……」
「それがどうしたの? それでニアは、その現実に抗うために、貴方の意思で何かをしたの?」
「だから、教わったことを忠実に守って、努力を重ねてきたといっているだろ!」
「そこに、ニアの意思はあるの?」
「体力と気力の限界まで練習を反復するとか、誰が見ていようが見ていまいが、やることはしてきたつもりだ」
「それでは、『自分は守ってきた、してきた』と自己保身しているだけ。できない理由を才能のせいにしているだけ」
「そうだよ! そんなこと薄々気付いていたさ。得意とする学術でも、知識を応用できず結果を出せていない。それでも、周囲からは高い知力の面では期待され続けてきた。いつか部隊指揮で花が開くんじゃないかって……」
「それで、今は手応えのひとつでも掴めたの?」
「あんたには、どう見える? 今のあたしがその答えだろ。活かせてなんかいない。机上の空論という奴さ。あたしら一族は世襲制によって縛られた一族。才能がなくても、役割を果たさないとならない……。だから、ずっと葛藤してきた」
「そう……。それでも、ノエル達を見ていたら、ニアが幸せな家族に囲まれてきたことは私にも理解できた」
「その通りだよ。あいつらはあたしを決して見捨てなかった。それどころか、こんなあたしを守って、いつも力を貸してくれた。頼らせてくれた。だから、こんなあたしなんかが隊長としてこうして堂々とやってこられた」
なんだ、本当は自分で自分の弱さに気付いていたんだ。
「そこまで、自分のことを理解していて、ニアは何故、変わろうとしないの? 自分の意思で抗おうとしないの?」
ニアの魔力流が強く脈打った。この感じ……、感情が爆発、したのかな……。
「……、る、せいよ。出会ったばかりのあんたなんかに、あたしの何が分かる? 彗星衝……」
今度は天上から降り注ぐ集束矢……。速射が効かなければ、一撃の威力に掛けてみるか……。
「そんな、攻撃無駄」
私は、鎌の柄を両手で持ち、横向きにして天上へ掲げる。
そして、闇属性の収束矢が作る小天体が空から降り注ぐ衝撃を同じ闇、私が支配するより深い闇の中に呑み込み自身の力に変える。
「あんた、今何をした?」
「貴方が攻撃に込めた魔力を吸い取って、鎌に力を溜めた」
「無茶苦茶だな。だが、もう驚きはしねぇ。距離を取って戦うのは、分が悪いか……」
早く諦めてくれるといいのだけれど……。ここで時間を消費すれば、敵がどんな策を打ってくるか分からない。いくらノエル達ができた対応をしてくれていても、この点は、警戒を怠ってはいけない。
「近接でも試してみる? それとも、得意な幻影や幻覚魔法で私を堕とした隙に再度渾身の一撃でも見舞ってみる?」
「見透かしたようなことをいってくれるじゃねぇか!! その絶対的な自信と、圧倒的な存在感が気に入らない」
「何とでもいったらいい。ニアが弱いのは、実践向きではないから。貴方が自身で話していたように応用力がない……。これは才能も影響するかもしれない。戦いにおいて、どうすることがその場で最善か。私にはその判断が、瞬間的に、それも自然に分かってしまう。戦いでは、瞬時に判断しないといけない緊張感が続いていく。ここを間違えば死に至る……」
「心理戦に持ち込む気か? あたしはそんなこと認めたくない……。いや、認めねぇ」
「いくら知識が豊富でも、それが応用できなければ意味をなさない。いくら技術が優れていてもそれを活かす術を知らなければ宝の持ち腐れ。つまり、どんなに秀でた才があっても、それを最大限に活かす知恵無き者は、無能同然いうこと」
「あたしだって、嫌々だろうが、なんだろうが、今まで鍛錬はしてきた。こうして単身あんたに挑む我儘を聞いてくれた家族がいる。例え、あたしが弱者と蔑まれていようが、あんたに傷の一つくらいは負わせてやるさ」
「そう……」
「次、行くぞ――。魔力増強……、聖域に集う闇の力よ、あたしに力を――」
支援魔法……。
こんな便利な魔法があるなら、いくらでも力を発揮できそうなものを……。
「少し驚いた……。それで、私に何を見せてくれるの……?」
「こう、するんだよッ!!」
幻覚魔法の気配。そうきたか……。得意分野かな。これは、強烈。
私じゃなきゃ……。
闇精霊が一番得意としている惑わしの魔法。
この圧倒的不利な状況を打開する為にニアが選んだ手段。逆転の願い掛けて挑んだ勝負。
その最大の賭け、それが叶わぬ願いと知ったなら――。
ニア、貴方はどうするの? どう思うの?
「そう……。それで? もう、終わり?」
自信があったのだろう。
ニアの瞳には、幻覚の景色に私が独り言でも返しているかのように映っているのだろうか。
私がニアに素で疑問を投げ返しているのに、ニアは気にも留めてもいない様子。
「こうでもしないと、この戦いに活路が見出せなかった……。私が弱すぎたから。知恵無き無能者だったから……」と、独り言までいっている。
ニアは、今の状況を全く掴めていない。
それなら……。
「貴方の家族に私が与えた絶望、ニア、貴方にも同じ思いを――、してもらう」
私から仕掛けよう。これが一番有効だと前から思っていたニアとの戦い方。
ニア、貴方の最大の弱みは心。過去に対する後悔。それが貴方を呪縛している。
私は最初からその心の弱さを見透かしていた。過去の私と似ていたから。
私は変わる道を選んだ。ニア、貴方はどうしたい? 深い闇の中でゆっくりと考えたらいい。
堕ちて……。奈落の底さえ突き抜けて……。深淵の果て、永遠の闇へ――。
「………………」
私が魔法を使うと、ニアからは生気を感じなくなった。目の前のニアは魂のない抜殻のような状態……。
今頃貴方は、暗黒世界の中。暗闇の底から幾重にも重なって同時に襲ってくる自らの過去の幻影に精神を侵食されている頃。より重く、より恐怖に、より真に迫って、そうやって真実の過去が改変され、改変された過去が事実であったかのように、大津波のように怒涛の勢いで押し寄せてくる。
これが、私が彼女に対して望んだ、彼女に対して創り出したかった無秩序な混沌世界。
絶望という支配者に襲われて、貴方は壊れた? それとも……。
ニアが私を陥れるはずだった魔法。それを受けてしまったニアは、暫らく何の反応すら示さなかった。
ニアが静かにしている間、私は闇空に瞬く星々をただただ無心に眺めていた。暗がりのキャンバスに、美しく鮮やかな世界を描き、彩りを添えてしまう星達の輝きを……。
ニアも、自身で負い目に思ってきただろう過去という闇。そこに最初に光る一番星のような明るい光を灯せるだろうか。今私が見上げている満天の星のように光輝く未来の軌跡への一歩を踏み出せるだろうか……。
それとも、自らが光ってしまい、周囲の星々の輝きを消す存在となってしまうのか。孤独に浮かぶ月のように、今と同じ道を進み続けるのか。
それは、ニアにしか決められない、ニアだけの物語。