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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第五章 魂を視る者

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第九十六話 冥の巫女

 封印室――いや、正確には研究施設の一角だ。

 穢れを解放したあと、お姉ちゃんとニアが待つ別室――『儀式の間』に案内された。


 机や機材、古い紋様の資料が並び、中央の台座には揺れる穢れが浮かんでいた。


「ラクラス、君が触れることになる」


 ラウゼンの声が、静けさを切り裂く。

 私は、台座の上の黒い残滓を見下ろす。


 これに触れる者――穢れに耐え、世界の秩序に触れる資格を持つ者。……それが、私だと分かってしまう。


 その隣に、アルマが座していた。冷たい雰囲気を宿した彼女は、自宅で見せていた無邪気で明るい様子とはまるで別人。


 ――空気が、変わる。


 ただ、そこにいるだけで――この場が成り立っていると分かる。……アルマが、巫女だった。


 光がアルマの周囲で静かに揺れる。


「準備は整ったか」


 ソラノアが問う。

 ラウゼンも頷く。


 私の手が震える。

 けれど、もう迷いはない。


 穢れに触れ、『悪魔の刻印』を得ること――。

 それがここに来た理由だから。


 アルマの視線が私を見据える。

 その瞳は、知っている者の確信に満ちていた。

 私が一歩前に踏み出すのを、ただ静かに支えている。


 息を整え、私は台座へ手を伸ばした。

 光が指先で揺らぎ、穢れが応える。


 ――空気が、止まった。


 音じゃない。

 静けさでもない。

 もっと深いところ。


 世界の底で、何かが息を潜めたみたいな静寂さが漂っている。


 視線を上げると、結界が揺れていた。

 光で編まれたはずのそれが、水面みたいに歪んでいる。


 フィリエルが一歩出る。


 祈りの姿勢。

 指先を胸元に寄せ、静かに目を閉じる……。


 光が、応えた。

 彼女の周囲だけ、密度が変わっていく――。

 淡い輝きが、呼吸みたいに明滅している。


 ――止まらない。

 結界の歪みは消えない。

 それどころか、奥へ、奥へと軋んでいく。


 フィリエルの睫毛が、わずかに震えた。

 初めて見る表情だった。


 ……届かない。


「……ありがとう」


 届いたのは、温かな声――。


 アルマだった。

 本当に、何気ない声。


 みんなが息を詰めていることにも気付いていないみたいに、彼女は首を傾げて、結界を見た。


「あとは……任せて」


 小さくそう言って、ただ――触れた。

 なぞるみたいに、そっと指先で触れただけ。


 瞬間――世界が、静止した。


 光が止まる。

 空気が止まる。

 時間さえ、息を止める。


 音が消えた。

 完全な無音……。


 結界が――ほどけていく。


 崩れたんじゃない。

 解けた。


 固く結ばれていたものが、正しい手順でほどかれていく。


 そして一筋。

 光が道を作った。


 誰も動けない。

 私も息を吸うことすら忘れていた。


 アルマだけが、その先を知っているように佇んでいる。


「……大丈夫だよ。もうすぐ――」


 どこまでも澄んだ声。


 そのとき、隣でフィリエルが、目を開いた。

 その瞳は――揺れていた。


 驚きでも困惑でもない、もっと深いもの。

 知っている者の目だった。


 唇が、わずかに動く。


「……アルマ」


 迷いが入り込む余地さえ無い澄んだ言葉。

 確認の声。


 光の道が、さらに広がる。

 しばらくして、壁面の紋様が浮かび上がった。


 古い、古い文字。

 見たことのないはずのそれを――。

 なぜか、私は読めた。

 いや、読まされた。


 頭じゃない。

 もっと奥。

 記憶より深い場所に、直接響く。


 ――冥を統べる祈り手。


 心臓が跳ねた。

 視線が、アルマへ向く。


 彼女は、困ったように笑っていた。


「私の祈りは届いたよ。さぁ、ラクラス――」


 無垢な声。

 ……すべてを、受け止めている。


 その瞬間、理解してしまった。


 ――違う。

 この子は、触れている。

 穢れじゃない、その奥にある()()に。


 光が、静かに道を開ききる。


 沈黙。

 誰も言葉を持たない。


 ただひとり、アルマだけが、いつもと同じ温度で立っていた。


 世界を変えたことさえ、誰にも気付かせることなく、彼女は時を動かした。 


 私の手に宿った温かさ――。

 それだけが、ここに在った者の魂の跡を刻んでいた。


 その温もりが、ゆっくりと広がる。

 手のひらから、腕へ。胸の奥へ。


 鼓動が、ひとつ、深く鳴った。


 黒い残滓に触れている。

 でも、それだけじゃない。

 その奥に、確かに残っているものがある。

 言葉にも、形にもならないまま――まだここにある。


 私は、目を閉じた。

 拒まず、押し返さぶ、ただ、受け止める。


 指先に、光が弾ける。

 視界が、白く塗り潰される。

 音が消え、時間の感覚が戻り始めていく。


 落ちるようで、沈むようで――。

 それでいて、どこにも行かない。

 ただ、重なっていく。


 私と、穢れと。

 記憶と、残された想いと。

 境界が、曖昧になっていく。


 苦しくも、怖くもない。

 ただ――深い。


 胸の奥に、静かに何かが届く。

 それは、祈りだった。願いだった。


 ……終わらなかった声だった。


 導かれるように、それへ近付いていく。


 ――触れてしまった。

 ……もう、()()()()


 指先に熱が走り、逃げ場のない場所に刻まれるわずかな痛み。


 確かに、形は見えない。

 でも、分かる。


 私の中に、何かが残った。

 それは、穢れじゃない、消えなかったもの。

 終わらなかったもの。


 そのすべてを――引き受けた証。


 光が、ゆっくりと収束していく。

 呼吸が戻る。音も、戻る。

 世界が、再び動き出す。


 私は、静かに目を開いた。

 手のひらが、まだ熱い。

 そこには、何も見えない。


 それでも――確かに刻まれている。


 『悪魔の刻印』。


 それは、力じゃない。

 奪うものでも、支配するものでもない。


 ただ――。

 終わらなかったものを、背負う印。


 私は、ゆっくりと息を吐いた。

 胸の奥で、ひとつだけ、静かな鼓動が続いている。

 その鼓動は、私のものじゃない。


 ――消えていない。


 その静かな確かさの中で。

 アルマは、ただそこにいた。

今回で、第五章は終了です。

次回より、第六章「零に還る場所」が開始となります。


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作品にふれていただき、ありがとうございます。

第一話の世界観を映像で切り取ったPVを公開しました。

小雪舞う静かな夜や揺れた儚さなど、文字だけでは伝わりにくい幻想的な空気を感じていただけましたら嬉しいです。

動きと音楽を通して、ラクラスの世界を少しでも追体験していただけます。

Xの夢幻の少女ラクラスPVのポストからご覧ください。

作品に興味を持っていただけましたら、「ブックマーク」や「ご感想」にて応援いただけますと幸いです。

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