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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第四章 封樹に咲く童景

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第八十八話 安心のひととき

 明日の予定を思い出す。

 ――『穢れを扱う者』たちの研究施設で、未知と危険が静かに私たちを待っている。


 でも、まだ考えない。

 今はゆっくりと休む時間だから……。


 落ち着いた時間が流れていた。

 お姉ちゃんが先に寝てしまってからは、静けさが一層増したようだった。


 フィリエルは窓際で街をじっと見つめている。

 口元がわずかに緩み、普段の緊張はどこかに置き忘れたようだった。

 その背中から、小さな安心が伝わる。

 手元のカップから立ち上る湯気をそっと撫でる仕草は、自然に部屋の静寂と溶け合っていた。


 アルマは机の上で、光を反射する小物を手に取り、夜空色の瞳で私たちを確かめる。


「こいつも凄いな! これも魔人の工芸品?」


 その小さな手が光を反射させ、机の上で星のように瞬いていた。

 微かな笑い声も混じり、夜の静けさを柔らかく揺らしている。


「そうだよ、ニア。ここでは、壊すことよりも守ること、作ることを大事にしてるんだ」


 ニアは、次々と小物を手に取っている。

『わぁ』と声を漏らす目が、魔法のように輝いた。

 時折、私の方に振り向き、発見したことを嬉しそうに伝えてくる。

『ララ、これ見て! きらきらしてる!』と小声で囁き、掌に載せた光を揺らしていた。


 ソラノアは机に向かい、本を開いたままペンを走らせる。

 ところどころ、ページの文字を追う視線は鋭いのに、肩の力は抜けている。

 彼の筆先が紙を擦る微かな音も、部屋にそっと響いていた。

 読み手としてだけでなく、この瞬間の“世界”を受け止めようとしているようだった。

 たびたび、ニアやアルマの小さな声に目を向け、笑顔を返す細やかな気遣いも見える。

 ページをめくるたび、机の上の小物が光を反射して揺れると、ソラノアは『お、また光ったな』と小さく声を漏らしていた。


 私は借りた児童書の続きを読みながら、ふと顔を上げる。

 その先には、灯りに照らされた家族や仲間の姿。

 言葉にしなくても、ここには『守られる日常』がある。

 外の世界で幾度も失ったものを、静かに取り戻させてくれる――そんな時間だった。


「なぁ、ララ。ここで……ずっとこうやってたいな」


 ニアが、そっと手を伸ばしてきた。


「そうだね……。きっといつか、どこかでゆっくりと暮らす日もくるのかな?」


 ここでは、日常と希望が、()()()()()()()()()()()

 だから私は、小さく微笑んだだけだった。

 今はただ、この穏やかな時間を抱きしめて。

 未来がどんな道を示そうとも、私たちは進み続けるのだから。


 ――私は、児童書の項を閉じ、心の中で呟く。

『また、旅を続けよう』と。


 柔らかな魔光に包まれ、夜の温もりと明日への決意が交わる。

 それは、この街がくれた、確かな贈り物だった。




 翌朝。

 目が覚めた瞬間、静かすぎて、少し息をひそめたくなるほどだった。


 物音はある。

 足音も、食器の触れ合う音も、遠くの笑い声も。


 なのに――。

 その全てが、昨日までの戦場のように遠く、静まり返って聞こえた。


 まだ、目は完全に覚めていない。

 ゆっくり起きると、見慣れない天井が目に入った。

 昨夜ここで眠ったことを思い出して、ようやく現実に戻る。


 窓の外には、谷底の街の光が揺れていた。

 朝なのに、空はまだ明るくない。

 ここでは、灯りが太陽の代わりをしている。


 それでも、不思議と暗いとは感じなかった。

 むしろ――、守られているみたいだ。


 ただ、その朝の光だけは、どこか重たく見えた。

 指先に触れる空気の密度にも、ほんのわずかな違和感がある。


 それでも、静かに、世界のどこかが動いている。

 そう思った瞬間――、理由もないのに、息を止めていた。



 扉の向こうから、軽やかな足音が近付いてくる。


「起きてる?」


 アルマの声。


「……うん」


 そう答えた自分の声が、思ったより細く聞こえて驚いた。


「朝ごはんできてるよ。みんな先に起きてる」


 扉越しでも分かるくらい、彼女の声は弾んでいる。

 その明るさに、胸の奥の緊張が少しだけほどけた。


「いま行くね」


 布団を抜け、床に触れた足先にひやりとした感触が伝わる。

 冷たい。けれど、嫌じゃない。

 穏やかな朝の空気が、胸にゆっくりと広がっていく。

 窓の光に照らされ、壁や床もわずかに温かさを帯びていた。


 目が覚めていく。


 支度を整えて扉を開けると、朝の匂いが流れ込んできた。


 甘い香り。温かな湯気。

 小さな笑い声。食器の触れ合う音――。

 それぞれが混ざり合って、朝の優しいリズムを作っていた。


 昨日の夜とはまた違う、朝の温もりが満ちていた。

 それなのに、なぜか私は、まだ眠りの暗闇の中にいるようで、現実と混ざり合った不思議な感覚だった。



 ――廊下を抜けると、いつもと同じ光景が広がった。

 ……ああ。私、少しだけ()()()()()()んだ。


「あっ、ラクラスちゃん! おはよ!」


 アルマが手を振る。


 湯気の向こうで、ニアが口いっぱいに何かを頬張っていた。

 そして、皿の上のパンを指差しながら、嬉しそうな笑顔で私を手招きしている。


「なぁ、ララ、こっち来て!」


 口の中のものを飲み込むと、ニアは私を急かすように声を掛けた。


「ちょっとだけ待ってね」


 私は微笑み返し、椅子を引いて隣に座る。

 ニアは両手でパンを抱え込み、小さな口でちょこんとかじった。


「んぐ……これ、うまっ……! なにこれ、甘いのに軽い!」


「ふわふわで甘いよね! ラクラスちゃんも食べてみて」


 アルマが私の分の皿を差し出す。

 指先が触れ合った瞬間、手に温かさが伝わり、自然と笑みがこぼれた。


「ありがとう、いただくね」


 ひとくち頬張ると……ほんのりとした甘さが胸の奥まで優しく広がり、思わず目を細め、自然と笑みが零れた。


 アルマが小さく手を叩き、『おいしいでしょ?』と笑うと、ニアも嬉しそうに両手を挙げて喜ぶ。


「ニア、それで三つ目」


「え、まじ?」


「数えてたから!」


 お姉ちゃんの声は、いつも通り落ち着いている。

 いつものやり取りにアルマたちが加わって――、朝の食卓はとても楽しい時間になっていた。


 ソラノアが椅子に座ったまま、こちらを見上げた。


「よく眠れたか?」


「うん。ぐっすり」


 本当にその通りだった。


 部屋には、甘い香りが満ちていた。

 焼きたてのパンの湯気が、朝の光にほどけていく。


 アルマが、焼きたてのパンを手際よく取り分け、笑顔をこぼす。

 ニアは、取り分けてもらったパンが乗った皿の模様を指でなぞっている。

 向かいでお姉ちゃんが、指先に付いた粉を払う。


 アルマの小さな笑い声に連鎖するように、ニアも思わず笑う。

 フィリエルは小さく微笑み、私も同じように頷いた。


 言葉はなくても、伝わる温かい空気。

 その雰囲気が、堪らなく愛おしかった。


 外の光もまだ、柔らかく揺れていた。

 フィリエルはカップを持ったまま、その窓辺の光を見ている。

 その横顔は、祈りの前の静けさのようで、時間が止まったかのように見えた。


 私は視線を落とす。

 白い皿。整えられた食卓。揃えられた椅子。


 手に触れる感触、耳に届く声、鼻をくすぐる甘い香り――。

 どれも、確かに私たちのものだと実感できる。



 だから――、大丈夫。

 何も変わらない。


 今日は、昨日よりもきっと、前に進める。

 この朝のひとときを胸にしまったら、研究施設へ向かう準備を始めよう。

 谷底に灯る光は、私たちの歩みをそっと支えてくれる。


 私は、未来を抱くように両手を胸の前でそっと重ねる。

 そのまま目を閉じて、深呼吸する。


 たったそれだけ。


 瞬くようなひとときに――世界の息吹と呼吸が()()()()()()、胸が深く満たされた。


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作品にふれていただき、ありがとうございます。

第一話の世界観を映像で切り取ったPVを公開しました。

小雪舞う静かな夜や揺れた儚さなど、文字だけでは伝わりにくい幻想的な空気を感じていただけましたら嬉しいです。

動きと音楽を通して、ラクラスの世界を少しでも追体験していただけます。

Xの夢幻の少女ラクラスPVのポストからご覧ください。

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