第八十七話 灯の向こう側
笑っている。生きている。
灯の向こう側にはただ、日常があった。
賑わう街。
飛び交う活気。
これまで目の当たりにしてきた『人の世界』と同じ光景。
――世界を動かす街という歯車のひとつ。
街の匂い、声、光、すべてが、生きることの肯定を告げている。
ここには、断罪の気配がひとつもない。
これではまるで、世界が――罪を魔族だけに押し付けてきたみたいだ。
…………。
感じる気配は、それぞれが強大。
それでも彼らは、穢れも、憎しみも、痛みも――背負って、生き延びてきたのだろう。
「ここの人たちにとって、外の世界の人は珍しいんだね!」
「あぁ、驚いたぜ! いきなり囲まれるんだもんな」
街に着いた瞬間、好奇心旺盛な魔人たちに囲まれた私たち。
止まない質問攻めの中心に立っていたのは、まるで主役の座を奪い取ったみたいな顔をしたニアだった。
屈託のない笑顔の輪の中で、彼女がいちばん自然に馴染んでいる。
「同じ支配の一族同士、気が合うんじゃない?」
「だろう、メルト。あたしも角と尻尾を付けてみるかな?」
「不健康そうな顔色に、獣耳のように見える髪の結び。それだけで十分魔人ぽいけどね!」
角を持つ者。
人と変わらない姿の者。
獣に近い者。
植物や水辺の生き物を思わせる者。
多種多様な魔人たちが、この街で暮らしている。
「おぉ、たまには良い事いうじゃねぇかメルト。 だろ? 恰好良いだろう?」
からかわれていることにも気付かない。
……でも。
警戒を解いていいと分かったことが、いちばん大きかった。
「ただ、実力が伴ってないのが惜しい」
お姉ちゃんが、少し残念そうに言う。
「ま、まぁな……最初はびびってたけど。でも、魔族だからって、その全部が悪いヤツじゃないんだな」
「うん。言葉も通じるし、理性もある。けど――環境が違えば、襲われていたかもしれない」
本当に、その通り。
これまで戦ってきた魔族たちは、私たちに敵意を向けていた。
だから、ここでの光景が常識の外にあったとしても、不思議じゃない。
導き手であるソラノアたちがいなければ、踏み入ることさえ躊躇った場所。
強大な力が静かに集まり、平和が保たれてきた小さな街。
封じられた史実の上に、私たちは今、立っている。
――街に近付くほど、無口になっていったフィリエル。
理由は、聞かなくても分かる気がした。
彼女は、賑やかな空気が少し苦手なだけ。
もしここが静寂の街だったなら、もっと楽だったはずだ。
深い海を映したような濃淡の器。
幾何学模様と螺旋が静かに光る。
持ち上げると、紅茶が波打ち、星の装飾が瞬いた。
そのままひとくち……。
甘い香りが、ゆっくりと広がっていく――。
この街の特産品を淹れてくれたのは、アルマテリ。
見た目は幼いけど、半魔族の歳を考えたら、私よりよっぽどお姉さん。
皆は、彼女のことをアルマと呼ぶらしい。
「おにぃ。お客さんが来るなんて聞いてないよ。フィリエルちゃんも一緒だったんだね!」
「アルマ、たまたまそうなった。だから、ソラノアを責めたら駄目」
クリっとした夜空色の瞳を星のように瞬かせ、少女は頷く。
「すまない。急だったから……」
兄は肩をすくめる。
闇色の潤んだ瞳が、星みたいに煌めく瞳をまっすぐ見返した。
その様子だけで二人が兄妹だとすぐに分かる。
明るくて、愛嬌があって、兄にも劣らない整った顔立ち。
笑顔が咲く度に、薄紫の短い髪も弾んでいた。
「ゆっくりしていってね! あとでた~くさんっ、お話ししようね!」
そう言って、アルマは客間を出ていった。
ここは、ソラノアたちの家。
今夜は泊めてもらうことになっている。
建物も、空気も、人の暮らしと変わらない。
谷底に灯された光だけが違う。
両親はブッシュドノエルで仕事をしていて、家に戻ることは少ないらしい。
だからアルマは、家が賑やかになるのが嬉しいのだという。
フィリエルが兄の幼馴染で、よく遊びに来ていることもあって――
彼女にとって、フィリエルは姉のような存在らしい。
ここにも、温かな場所がある。
それは、疑いようのない真実。
明日は、この街の研究施設を訪ねる。
――『穢れを扱う者』たちのもとへ。
それまでは、束の間の休息。
お姉ちゃんはアルマの家事を手伝い、ニアは珍しい飾りを眺めては感嘆し、ソラノアは居心地悪そうに本を読む。
フィリエルは食前のお菓子を頬張り、私は、借りた児童書を開く。
それぞれが、自由な時間を楽しんでいる。
ここには、種族を隔てる楔はない。
灯る希望。
守られてきた日常。
――これは、私たちが旅の中で何度も出会ってきた景色そのものだ。
「面白い」「続きを読みたい」「作者を応援したい」と思ってくださった方は、ブックマークと評価をいただけたら幸いです。




