ぼくのRTA日記
本作は以前ボツにした作品をリメイクしたものです。
特に続編とかがあるわけではないのですが、このまま腐らせるのもどうかということで投稿した次第です。
楽しんでいただければ幸いです。
ーー諸君はRTAというものを知っているであろうか。
RTAとは「リアルタイムアタック」 (Real Time Attack)の略であり、ただのタイムアタック(Time Attack)とは異なり、実際のプレイ時間を競うという本来はゲームで用いられる言葉である。
しかしそのゲーム用語を現実にまで持ち込んでしまった変態がいた。
鳥のさえずりが聞こえる長閑な朝。
「ピッ⋯⋯ピッ⋯⋯ピ、バン!」
目覚まし時計の音を聞き取り、すぐさま止める。
「クソ、3コールか。寝すぎたな 」
男はベッドから跳ね起きた。床に足をつけると同時に衣類を脱ぎ捨て、パンツ一枚のまま洗面所へと走り出す。髪と顔を同時に濡らし、顔を片手で洗いながらもう片手で寝癖をなおすという妙技をやってのける。
普通の人間がこの光景を目にすれば、「遅刻でもしたのか? 」などと思うことであろう。しかし、コイツは普通の人間ではない。
顔を洗い終えたら次は歯磨き。一つの歯につき必ず十回づつ磨く。歯を磨いている間もただ突っ立っているわけではなく、朝食の準備をしながらである。
今日のメニューは、カフェインたっぷりのブラックコーヒー、こだわり卵のふわとろオムレツ、カリカリジューシーなベーコン、バターが薫るバターロールである。
口内の歯磨き粉をコーヒーで流し込み、口周りに付いた歯磨き粉も落としていく。ある程度落とせたらベーコン、オムレツ、バターロールの順に食べていく。
バターロールを最後にするのは起き抜けの乾燥した口では、飲み込むのに難儀するからである。
口に物を入れたら三十回は咀嚼。この際、後から口に物を入れたり、途中で飲み込んだりしてはいけない。
寝室へ戻る道中でハミガキを洗面所にもどし、制服に着替え終えたところでタイマーを止める。
「9分32秒16か⋯⋯。今日は調子が悪いな」
この男、名を斎藤航と言う。彼はRTAガチ勢であるーー。
ーー諸君は階段というものを知っているであろうか。
これは断じて諸君らをバカにしているわけではない。ただ階段に対する興味を問うたのである。
ひとえに階段といっても種類は様々。1段の高さや幅、手すりの有無、階段の材質など、全く同じものはないと言っても過言ではない。
しかし、普通の人にとってそれらは大抵意味をなさない。そう普通の人にとっては⋯⋯。
「ここで今朝の分も取り返さないとな」
まるで魔王控える玉座を目前にした勇者のような雰囲気を醸しつつ、男はそう一人呟いた。
舞台は駅入り口に立ちはだかる高さ5m、段数にしておよそ35段の階段である。
「よし、人はいない」
男は階段を見上げて確認する。人がいないというのはなにも偶然のことではない。階段を登るこの瞬間の為に、最も人の往来が少ない時間帯をリサーチしていたのである。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。自分の心を落ち着かせ、集中力を極限まで高める。自分の中でスイッチが切り替わった瞬間、1段目に足をかけたーー。
「始めっ!」
坂道を流れる水を逆再生したかのように滑らかに駆け上がる。足は常に楕円軌道を描き一部の無駄もない。まさに無駄のない無駄といったところである。
この動きは一朝一夕で為せたわけではない。日頃からこの階段を研究。それに最適化した動きを試行。それを幾度も繰り返し、導き出した最適解をイメージトレーニングによりひたすら身体に覚えさせる。そういった地道な努力の賜物であった。
このままいけば記録更新も見えてくる。しかして順調に物事が進でいるときに限って運命の神は悪戯をする。
「っ!」
階段上から人間が現れた。その瞬間、男は今までのスピードが嘘だったかのように遅くなる。
これは男のRTAに置いて絶対の規則に起因していた。
階段を降りる人間が自身の横を通り過ぎる間もタイマーは無情にも時を刻む。焦る気持ちを抑えつつ、呼吸を常に一定に保つ。
人間がすれ違った瞬間に再び階段を駆け上がりはじめる。すれ違った人間はこの男の突然の奇行に驚き立ち止まるが、そんなのお構いなしとひたすらに頂上を目指す。
「1分4秒24か⋯⋯。今回は仕方ないか。むしろあそこで止まれたのはタイムより誇るべきだしな」
そう、男の、RTAにおいての、鉄則とは
『何があっても他人に迷惑をかけてはいけない』
である。これがこの男を素人ならぬ玄人たらしめる由縁であった。
男にとってRTAとは謂わば趣味。そこに他者を退けてまでおし通す理由はない。そのため、あくまでも趣味として男は限界に挑み続けているのであるーー。
ーー諸君は信号というものを知っているであろうか。
よく遅刻の理由にされているあれのことである。「信号が目の前で赤になって、そのせいで遅刻した」などのように用いられるあれである。信号からすれば責任転嫁甚だしい事実である。
それはさておき、この男にとっての信号は一般人のそれとはまた違った存在になる。偶発的に訪れる不幸の象徴ではなく、親の仇よりたちの悪い憎悪の対象である。
「(クソが⋯⋯!ここでもこいつが立ち塞がるのか)」
今度こそ記録更新と意気込んだはいいが、運命の女神に愛された男はここでも不運にみまわれた。そう、信号である。
「(だがまだ間に合う。一か八かだ。ルートCで行こう)」
信号の切り替わり時間はいくつかの複雑なアルゴリズムにより決定している。その周期は一定のときもあればそうでもないときもある。要するに信号の色を意図的に調整するのは困難ということである。
男の想定しているルートCとは信号こそ多いが、学校までの最短ルートとなっていた。運に頼るというのは通常であれば忌避すべき行為であるが、今回は賭けに出ることにした。
「(行ける! 行ける! )」
まるで何か見えざる手で学校へと誘導されているかのように次々と信号が青になる。残す所は最後の難所、手押し信号だけとなった。
手押し信号とは信号下にあるボタンを押してからでないと信号が変わらないという、RTA殺しとの異名を持つ強敵であった。しかし、今日はその信号でさえも青であった。
おそらく少し前に、誰かがボタンを押したのであろうが、そんなことは意に介さずこの幸運を噛みしめひたすらに信号を目指す。
「(頼む! 間に合ってくれ! )」
今にも色が変わりそうな信号に心臓の鼓動が早くなる。自身を取り囲む世界がスローに見えた。そんな緊迫した数秒間、男にとっては数分にも及ぶ瞬間。
はたして結果は⋯⋯間に合った。なんとか信号が明滅する前に滑りこむことに成功したのであった。
「これは、勝った! 」
あとは校門をくぐればゴールである。過去のタイムと比較してまだ幾分か余裕があった。
最後の角を曲がり、直線の並木道を枯葉を巻き込みながら突き進む。そして校門をくぐろうとしたところで、男は思わず足を止める。
「し、閉まっている⋯⋯⁉︎ 」
校門が閉まっていたのである。
「なぜだ?! この時間ならすでに開門しているはず」
そこで男はあることに気づく。
「あ、今日はサザエさんの放送日だ⋯⋯」
今日は日曜日、学校は休みである。
校門の前で立ち尽くす男とは対照的にタイマーは止まることなく動き続けていた。
この男、名を斎藤航と言う。彼はRTAガチ勢であり、
正真正銘のバカであるーー。
本作を読んで頂きありがとうございました。
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