俺はエリートだ――
俺は……エリートだ――。
ケンケンで玄関まで戻ると、再び大きな問題に直面した――。
……果たしてケンケンで二階まで階段を上がりきることができるのだろうか……。
よく考えてみろ。普段は両足で全体重を支えているんだぞ。それが片足でとなれば普段の倍の体重を支えなくてはならない。それにジャンプをして着地する時には一瞬とはいえ、体重以上の負担が片足に掛かる。しかも、途中でもう片方の足を地に付く訳にもいかない。
はっ――、だったら手も使って階段を上がればいい。それなら片足だけでも上がれる……。
頭を振ってその案を振り払った。俺はさっき、「ハイハイなんてプライドが邪魔をして出来ない」と言ったばかりじゃないか。階段に手をついて上がるのは……小さなお子様か大きな年寄りかのどちらかだ……。
自分で決めた規則を、自分で簡単に破るような弱い人間になってはならない――!
玄関横の階段をケンケンで上がろうとしたとき、膝がピキッと悲鳴上げ――、
「アウチッ!」
バランスを崩してスネを二段目に強打した――。あまりの激痛にしゃがみ込んでしまう……。
「……これ無理だ! できない!」
とてもじゃないが十数段を一気にケンケンで上がることはできない。毎日体を鍛えているアスリートならともかく、今の俺には無理だ。それに、たとえ二階に上りきれたとしても、ケンケンで階段を下りられるのか不安が脳裏にチラつく。
もう背に腹は代えられない。仕方ない、もう片方も脱ごう――!
玄関で急いでもう片方のブーツを脱ごうとしたとき、ビビっと閃いた――!
……どうせ脱ぐくらいなら、逆転の発想でもう片方も履いたらどうだろうか? 四つん這いなら階段だって上がれる!
これから片方を脱げば、鍵を取りに行くまでの時間は短くて済むだろう。だが、そのあとはどうだ? 両方のブーツをまた履かなくてはいけないのだ。当然だが、裏表が逆になった靴下もだ――。
だが、脱いだ片方のブーツを履けば……鍵さえ手に入ればそのまま玄関からダッシュで出掛けることができる――!
ハイハイするなんてプライドがどうのこうのと言っていたが、もう時間がないのだ――! このままでは電車に遅れて会社に遅刻してしまう――。遅刻はサラリーマンにとってあるまじき行為の一つだ。
今の俺は、さっきまでの俺じゃない――。選択肢を「ケンケン」から「四つん這い」へと変更するんだ――。
臨機応変に対応ができる人間に進化するのだ――!
ブーツから団子状態の靴下を瞬時に抜き取り裏表を直す。ここまでたったの三秒!
靴下を履き、きつめのブーツに足を入れる……中々入らないのだが……なんとか入ってブーツの紐を右に左に引っ張りキュッと結ぶ!
「よし!」
……? なんだろう……この振り出しに戻ったような違和感……。俺のやっていることは本当に正しいのだろうか。
――いや、今は考えている場合じゃない! 早く二階へ上がるんだ! 両手両膝を床に付け、急いで階段を四つん這いで上がった――。
……ああ、片方でも靴脱いでいた方が絶対に楽だった――。
上がるのはいいが、四つん這いで階段を下りることはできるのだろうか――。
なんか、涙が出てきた……。焦り涙なんて初めて流した……。
二階に辿り着くと、おおよそ予想していた次の悲劇が起こった……。定位置にも玄関の鍵が置いてなく、何気に触ったズボンの後ろポケットに……玄関の鍵が入っていたのだ。
今までやってきた苦労は……すべてが無駄だったのだ――!
「チクショーおおお! あ・り・が・ちイイイ――!」
悔しい時は声に出していいんだ……。
悲しい時は泣いてもいいんだ……。
でも、誰もいないところでだけだ……。人前で突然泣いたり叫んだりしたら……ちょっと白い目で見られてしまう。
階段を四つん這いで下りるのは難しく、初めての経験でスリル満点だった……。これだけが今後の人生における糧になるだろう……。
涙を拭って玄関に鍵を掛けた時、腕時計の針は電車の時間をとっくに過ぎていた。
会社のタイムカードを打刻すると、始業時間を三〇分以上過ぎていた。
「――で、遅刻しました」
包み隠さず全てを部長に報告した。……裏返しになった靴下のことも。
「うん。分かった。総務部に行ってもう少しまともな言い訳をしてきなさい」
部長はぜんぜん怒っていなかったが目も合わせてくれなかった。
「……はい」
同じビルの三階。総務部の部長室に初めて入った。
「今回で三回目だから懲戒処分ね。次は始末書提出になるからくれぐれも気を付けるのよ」
「……はい」
ノーパソから手も放さない総務部長。黒縁の眼鏡には無言の威圧感がある。
「それと、次からは土足のままで家に上がりなさい。遅刻するよりましでしょ」
土足と遅刻を天秤に掛けるなんて――。
「……それはできません」
……玄関から土足で上がるなんて……やっぱり俺にはできない。靴を脱ぐのが面倒くさいからって、土足でヅカヅカ家に上がれるような人とは付き合いたくもない……。
はあーとため息をつかれた。
「外国じゃ靴履いたままベッドに寝転ぶのよ?」
「――! ……俺の家は外国じゃありませんから……。四つん這いかケンケンかのどちらかです」
また深いため息をつかれた。
「では逆にお伺いしますが、総務部長は四つん這い派でしょうか。ケンケン派でしょうか」
「ケンケン派」
間髪を入れず、むしろ食い気味に部長が答えてくれた。眼鏡をずらしてチラッとこちらを見て笑った。
「四つん這いなんて……なんか、屈辱的でしょ?」
……。
「はい!」
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この物語はフィクションです。
階段を四つん這いで下りるのは想像以上に危険なので真似しないで下さい。