8 とりあえずめでたしってことで
8とりあえずめでたしってことで
「くぅっ。そんなオイシイ展開になるとわかってたら、二人のあとをつけていったものをっ」
ミソノは手にしたコーヒーカップを握りつぶしそうな勢いで身もだえる。
「いやそれはヤメテ」
リツコは苦笑いしながらドーナツを囓る。
ゆうべミソノから『あれからどうなりました?』とメールがきたので、『いやそれが、奴の女が登場』と返信した。
『えええええー(@_@)』
案の定ミソノは驚いた。
『なんてことだ来週までリツコさんと会えないなんて!\(>_<)/』
『あああっこの件を語りあいたいっ』
リツコも全く「アイ、アグリー」だった。
なので、レッスンの日でもないのにスクール近くのコーヒーショップで待ち合わせたのだった。
席につくやいなやゆうべの顛末を詳しく語った。
「ねえ、いったいなんだったんだと思う? あのひと、恋人がいたと理解していいんだよね? それなら、いったいなんだって私にもちょっかい出してたんだろう。私、わけわかんなくて」
「いやいや、いろいろわかってきましたよ」
ミソノは腕組みをして、ひとりフムフムと頷いている。
「その彼女さんって、どんな人でした?」
リツコはあのとき思い浮かんだ女性誌の名をあげ、
「あれの表紙から……」
抜け出たみたいだった、と形容しようとして口ごもった。その表現はなんだかちょっと違う。
「ええと、表紙をコピーしたみたいだった」
「劣化コピーだったんですね」
ミソノはあっさり看破した。
「どうしてわかるの?」
「退屈男が満足していないからです」
「ん?」
ミソノはしかつめらしい顔で解説した。
「そもそも、ずっとなんか変だと思ってたんですよ。私には、退屈男がリツコさんに恋をしているようには見えなかったんです」
そこはリツコも同意だった。そんなものがカケラも察知できなかったからこそ、身を処すのに時間がかかってしまったのだ。
「で、きのう二人が話しているところを見て、やっぱり変だと思いました。退屈男、リツコさんに対して上から目線なんだもの」
「そう! そうなの!」
ひっかかっていた事柄を言い当てられて、リツコはぶんぶんうなずいた。
実はずっとモヤモヤしていた。
彼はリツコを見下ろすように接する。恩着せがましいというか。特権を与えてやるかのように。「君みたいな女が僕みたいな男に近寄られて光栄だろう?」とでも言いたげに。
「だから、変だなあって」
「うん?」
「どう見ても、これまで女性に縁があったようではないのに、いったいなんだって急にそんな女性に対して強気の人になってしまったのか。あの手の男は異様にプライドが高いから、女性に言い寄ったり、しないはずなんです。できない。失敗が怖いから」
「確かにねえ」
「おそらく退屈男はどこかで自信をつけてきたんだろうと思われます」
「自信?」
「俺様はモテるっていう」
「えええ?」
リツコは思わず半笑いになってしまった。
「ところが、あるんです。学歴と年収と会社の名前だけで激モテする、奴のような人間にとって唯一のパラダイスが」
リツコはまるで思いつかなかったが、「結婚相談所」と言われてポンと手を打った。
「お年頃なのに、どうしてすぐに思い浮かばないんですか」
「まだまだ利用する年齢でもないのに妙に詳しいミソノちゃんのほうが変だってば」
ミソノは女系家族で、家では絶えずこの手の話題が駆け巡っているのだそうだ。
「でも、まさか、モテる? アレが?」
「アレが。リツコさん、恋愛市場と結婚市場では評価基準が違うんです。プロフィールモテというのがあるんです」
「たとえ、アレでも?」
たとえ看板がどれほど金ぴかでも、中身はアレ。そんなひとと結婚を考える勇者がいるなんて。
「だから、劣化コピーを選ぶしかなかったんですよ」
「へ?」
「たぶんたくさんの申し込みがあって、たくさんの女の人と会ったんだと思われます。だけど、他のもっときれいでマトモな人たちは、本人に会って、いくらプロフィールが金ぴかでも、コレと結婚するのはちょっと無理~って撤退したんだと思われます」
そうだろう。リツコはうなずいた。大企業だからといって安穏としていられる時代ではなくなったんだし。いくら経済的に安定してても、アレと暮らすのはちょっとつらい。
「で、残った中でいちばんマシだったのが劣化コピーだったんじゃないでしょうか。そこで自己評価がインフレを起こしている退屈男は考えたわけですよ。よそで探せばもっとマシなのが見つかるんじゃないだろうか」
「たくさん断られたのに自信持っちゃったの?」
「たくさん申し込みされたってとこだけに着目したんじゃないですか。あの男のことだから、お断りの常套句『ご立派すぎて……』をまともに受け取ってそうだし」
で、英会話スクールという新たなる出会いの場で、目をつけたのがリツコ。
「なるほど。なんかわかってきた」
それほど美人でもなく、一流大学を出たわけでもなく、たいした大きな会社に勤めているわけでもなく、出世を見込めるわけでもない私程度の事務員の女なら、自分のような男に言い寄られたなら、ホイホイなびくに違いない、と……
容姿はそれほど悪くない。にこにこと相手をしてくれるから好かれているのだろう。特別美人ではないから、モテないだろう。この俺様が近寄れば、喜んでなびくだろう、と。
「まったく、退屈男は世間を知らないぜっ。リツコさんみたいなタイプは合コン一番人気だというのに」
実は、そうなのだった。社会人になってからわかったのだが、男の人というのは、大輪の花のような美女には寄っていかないのだ。楚々とした慎ましい花のほうが人気がある。
だからリツコにとっては、一流大学を卒業していようと一流企業にお勤めだろうと、ボアマンなどお呼びではないのだ。
「……なんか腹立ってきた」
「その怒りは大切にしてください」
ミソノはにやっと笑った。
「で、どうしますか? 次回から。ユウジさんが一緒に帰ろうとしたら」
「あなたの恋人に誤解されるのは嫌なので遠慮しますって言う」
「あの人は恋人なんかじゃありませんって逃げられたら?」
「あなたとは一緒に歩きたくありませんって言う」
「おおっ。素晴らしい。強くなりましたね」
たぶんできるとリツコは考えた。心の底から浮かび上がった、あのあぶくの存在に気付いたから。……たぶん。
だがしかし、その勇気を実行する機会は訪れなかった。
次回のクラスにユウジの姿はなく、それから以降も見かけることはなかった。
マネージャーに尋ねると、「ユウジさん退会なさったんですよ」という答えが返ってきた。
リツコは肩すかしをくらったような気分で、でもやっぱり、ほっとした。
ほどなくして新顔が入会してきた。
年齢はリツコと同じくらいだろうか。英単語と英文法はキレイさっぱり忘れたッス、学生時代は要領の良さで乗り切ったッス、業務上必要ができたんで習いに来たけど英語あんま好きじゃねえッス……みたいな男だが、不思議と会話が成り立つ。英会話能力とはコミュニケーション能力とほぼイコールなのだと、あらためてわかる。
いろいろ話してみて、なんと、彼はユウジと同じ会社なのだと判明した。
「あの人、海外に転勤になったんスよ。だから大急ぎで結婚相談所と英会話スクールに通ったって」
やはりそうだったのか、とリツコとミソノは視線を交わして納得しあった。
「んで、結婚が決まったのに浮気したもんだから婚約者が怒って結婚を早めたらしいッス。いやー、正直、あのヒトが浮気とか恋愛とかすげえなって。で、その相手ってのが英会話スクールで知り合ったらしいんスよ。誰だか知りません?」
リツコとミソノは再びちらりと目をあわせ、そして同時に言った。
「アイ、ドン、ノウ」
その次の季節に、再びTOEICを受験した。
思わずにんまりしてしまうようなスコアだった。
「だから、ま、いっか」
とリツコはひとり呟いて、ミソノに報告するため電話を手に取った。