7 女登場
7女登場
改札に近付くにつれ、リツコは心の戦闘体制を整えた。
このままじゃ、いけない。
変わらなくては。
ミソノが言っていた。
「このままあいつをのさばらせていたら、そのうちなんかテキトーな口実つけて、たとえばリツコさんの会社の製品に興味があるから説明してほしいとか言い出してー、リツコさんを休日に呼び出しますよー」
「こ……断るものっ」
「何度も断るうちにリツコさんはなんだか申し訳ないことをしているよーな気持ちになっちゃってー、で結局は根負けしてー、これ一回きりだからって自分に言い聞かせて承知しちゃってー、いざ当日行くと製品の説明なんかほとんど聞いちゃあいなくってー、帰りは送っていくからってしつこくってー、またまた断りきれなかったリツコさんがシブシブ車に乗ったらいつのまにか調べられていた実家に連れて行かれてー、起きていることが理解できなくてリツコさんがアタフタしているうちに勝手にご両親に挨拶とかされちゃってー、向こう的にはそれで婚約が整ったつもりになっちゃって次に会ったときには仲人も式場予約も済ませて指輪持って会いに来ますよ。そうしたら、どうしますかリツコさん」
はじめのふざけた口調と最後の真剣な口調のギャップが怖かった。
「もうここまで話が進んじゃってるんだから悪いしとか考えないでお断りできますか?」
「できるに決まってる……じゃない」
という声にはなぜか力がこもらなかった。
「そうかなあ。ここまで自分を望んでくれたんだから、望まれて嫁ぐのは幸せなことなんだからとか自分に言い聞かせて納得したフリをしちゃうんじゃないですか」
いやまさか。そんなまさか。
でも笑い飛ばせないだけの心当たりが自分の中にあったことも確かで。
改札口を抜けたら、有無を言わさず「シーユー」を言い放つのだ。決して家まで着いてこさせてなるものか。
リツコが口を開こうとしたその瞬間だった。
「ユウジさんっ」
尖った声が、背後からした。
振り返ると、そこには女性。
リツコよりは歳上のようだが、どのくらい上なのかはよくわからない。
くるんくるんにその巻いた髪の毛の先から、靴のつま先のリボンまで、どうしてだか「面倒くさそう」な印象が漂っていた。
ある女性誌の名前が浮かんだ。そのくらい、あの雑誌の世界を体現していた。……痛々しいくらい。
もしも彼女が会社の先輩だったなら、もうちょっとお姉さま向けの雑誌をそっとすすめてしまうかもしれない。
でもこの人の場合、もしかしたら老け顔なだけで実は年齢相応の出で立ちなのかもしれないので、難しいところだ。
「サ、サユリさん、どうして……」
ユウジは明らかにうろたえている。
「ひどいわ、今日は英会話スクールだって言ってたのに。なんでこんなところにいるの。その女はなんなの」
甘えた声というか、甘ったるい声というか、甘ったれた声というか。四歳の姪が兄の暴虐を訴えるとき、よくこんな声を出すなあと、リツコは頭のどこかでぼんやり考えた。
甲高い彼女の声が耳に入ったのか、通りすがりの人たちは、おかしそうに三人を眺めて通りすぎていく。
リツコは屈辱のあまり目眩がした。
冗談じゃない。こんな男をめぐって、こんな女と争っているように見られるなんて。
彼女が息継ぎをした瞬間を狙って、リツコは一気にまくし立てた。
「ユウジさんの恋人の方ですか、はじめまして。わたし英会話学級のクラスメイトです。ユウジさん、そこの本屋に寄ってくみたいですよ。じゃ、わたしはここで。お疲れ様でしたっ」
そして彼らの反応にはかまわず、すぐさま背を向け歩きだし、駅の出口でタクシーに駆け込んだ。タクシーを使うには微妙な距離なのだが、万が一にも跡をつけられたくはなかったのと……。
最寄りのコンビニエンスストアの名を言ったとたん、ため息と共に座席からずり下がるリツコを見て、運転手が笑いながら言った。
「お客さん、疲れてるねえ」
走り出した車の中で、虚ろな目をしたリツコは答えた。
「ええ……なんだかとっても疲れたんです……」