6 心のあぶく
6心のあぶく
夕食どきの電車内は車内は黙りこくった会社帰りの勤め人でいっぱい。どの顔にも「ああ疲れた」とか「お腹すいた」とか書いてある。
そんな中でパワフルに喋りまくる人は、あまり、いない。
したがってユウジは悪目立ちしていた。
しかも内容はいつもの、自分がいかに賢く有能で、周囲の人間がいかに役に立たないかという、自分以外の人間はあまり楽しく聞けない話だ。
さっきから、四方八方より「こんな静かな車内でそんな恥ずかしい話を大声で喋りまくっているあなたはいったいどんなお顔?」的な視線がしきりにびしばし飛んでいる。リツコはいたたまれない。
けれどユウジは平然としたものだった。まるで周囲を見ていないから。さもあろう。リツコが、せめて連れだと思われたくないと相槌をやめてしまったのにさえ気付いていないのだから。
ここまでだと、いっそ感心する。
この人、本当にどうだっていいんだなあ、自分以外は。
ユウジにとって、きっと人生の登場人物は自分ひとり。まわりの人間は背景。
だから存在するのは自分の気持ちだけ。
考えてみようとすらしないのだろう。彼のまわりにいる私たちのひとりひとりに感情があり、都合があり、それは必ずしもユウジの思惑とは一致しない、などとは。
それなら、まわりに気を使うこともない。
リツコの心のいちばん深いところ、自分でも何があるのかよくわかっていない沼のように混沌としたところから、ぷかりと小さなあぶくが浮かび上がり、ぱちんとはじけるみたいに言葉になった。
(……いいなあ)
リツコは自分でぎょっとした。
なんで? 自分に問わずにいられなかった。
だって楽そうだもん。こんなふうに、ひたすら自分のことをだけ考えて生きていられたら、どんなにか気分がいいと思わない? 嫌われるだろうけどさあ。この人の場合、どうせ気にしないから関係ないし。気づかないとも言うけど。
……そうだね。
リツコにはできない。
あっちの人の気持ちも、こっちの人の気持ちも、ぜんぶ気になる。臆病なのか。それとも卑怯なのか。
小学生の頃にはもう、そうだった気がする。八方美人と罵られたり、気が弱い奴だと侮られたり。
短所なのだと思っていた。
しかし就職してからは、そういうところをほめられたのだ。周囲の顔色を伺わずにはいられない短所は、周囲に常に気を配る長所でもあったのだ。
だからこそいっそう、周囲に気配りをするようになった。
だけどそういうのは、ときどき、ものすごく疲れることも確かで。
相手にいい気持ちで過ごしてほしいと願いからだけじゃない。できれば自分のことを嫌わないでほしいという浅ましさと背中合わせだからだろう。
考えなさそうだなあ、この人は。
「あ」
思わず小声で呟いてしまった。ユウジは気づかなかったが。
リツコがはっきりと断れないのは、自分がそんなことをされたら傷ついてしまうから。うじうじと気にして、いつまでも立ち直れないかもしれないから。
ユウジもそうなると考えているからこそ、思うところをはっきりとは言えない。ミソノが言っていた「相手が自分と同じだと思ってる」って、こういうことなんだろうか。
でもたぶん、ユウジの心には引っかからない。限りなく高いプライドを守るため、可及的速やかにリツコを記憶から抹殺して、終わり。そんな気がする。
ならばリツコだって、少しは自分の心を優先したっていいんじゃないだろうか。いま、ごく控えめに表現しても「この上ないほどむちゃくちゃつまんない!」のだから。
言ってもいいんじゃないだろうか。
「あなたにはもう、うんざりです。二度と私にかまわないでください!」
言わなきゃいけないんじゃないだろうか。
ユウジのご機嫌なんかより、自分が自分にうんざりしてしまうことのほうが、よほどリツコにとって重大な事柄に違いないのだから。