6 優しい温もり
「目を覚ました時は病院のベッドでした。それから火事の事を思い出そうとすると頭痛と息苦しさが出るようになってしまって……」
ロイ様とハルさんは静かに私の話を聞いてくれていた。
私はゆっくりと深呼吸をした。
「だから思い出せないままなんです」
そう言って俯いた時、沈黙が3人を包んだ。
記憶が無いという事実を自分の口から話したのは初めてだった。
(頭痛も無い……胸も苦しく無い……。もう大丈夫……)
何事もなく記憶の話ができた。
警察署で捜査資料を見た時の苦しさはもうやって来ない。その恐怖から逃れられた事に安心したからか、体の前に組んでいる手が少しだけ震えていた。
私は震えを抑えようとエプロンを握りしめた。
「……ハル……」
「はい……」
沈黙を破る突然のロイ様の言葉に私は少しだけ肩が跳ねた。
ロイ様はそれだけしか言っていないのに、ハルさんは「畏まりました」と言ってすぐに部屋を出て行った。
扉の閉まる音がするとロイ様が私に近づいてくるのが分かった。私の前で足が止めると、ロイ様が私の握りしめている手に触れた。
「……震えてる……」
「だ、大丈夫ですっ」
触れられた手を引っ込めようとしたが、逃げようとした私の手は直ぐにロイ様に捕まった。
ロイ様の手は温かく、その温もりが何故か心地良くて私はその手を振りほどく事が出来なかった。
「……人に記憶喪失の事を話すのが初めてだったので……。でも話したら安心しました……」
そう言って顔を上げようとした瞬間、ロイ様に手を引かれて優しく抱き締められた。
「っ!!ロ、ロイ様!?」
慌てて体を離そうと片方の手でロイ様の胸を押したが逆に引き寄せられた。
「辛い事思い出させてごめん……」
頭上でロイ様の声がした。
「私なら……大丈夫です……」
私がそう言うと、ロイ様は私の頭の後ろに手を添えて私の頭を胸に引き寄せた。
「っ!」
「強がらなくていいよ……」
「っ!!……強がってなんか……いません……」
「こんなに震えてるのに……?」
「震えてなんか……いま……せん……」
「フッ……」
ロイ様が鼻で笑った。その息が私の髪の毛を掠めたのが分かった。
ロイ様の言う通り。私は震えていた。それは自分でも分かっていたけれど認めたくなかった。
今までずっと不安だった。過去の記憶がない自分には何もない。思い出も母の記憶も。
だから、独り立ちして誰も頼らないで生きていくのだと決めた。記憶と一緒にぽっかりと穴が空いている心に蓋をして、気付かないふりをして前を向いて必死で今までやってきた。
私はゆっくりと目を閉じた。
ロイ様に触れている場所からロイ様の鼓動が伝わってくる。
温かい……。
そう思った時、目から一筋の涙が頬を伝った。
(嘘……なんで……?)
涙が頬を伝って初めて涙が出ている事に気付いた。
私が身じろぎすると、ロイ様は抱き締める腕に力を込めた。
「我慢しなくていいよ……」
「っ!!!」
「落ち着くまでこうしててあげるから……」
その言葉を合図に次々と涙が溢れた。
『我慢しなくていい』
たったその一言がストンと心に収まった。
張り詰めていた緊張と今まで強がっていた自分が、今目の前にある温もりに優しく包み込まれていた。
穴が空いて蓋をしていた心が、優しさと温もりで満たされていく、そんな気がした。
「っ……うっ……」
私はもう気持ちを抑える事が出来なかった。
「辛かったよね……」
ロイ様はそう言いながら私の頭を優しく撫でてくれた。
(どうしてこんなに温かいの……?)
心地いい温もりが余計に涙を流させる。
私は気付かないうちに、ロイ様の胸に当てた手でロイ様のシャツを握りしめて泣いていた。
そんな私をロイ様は落ち着くまで抱き締めてくれていた。