4 失われた記憶2
ロイは自室でハルが調べたランに関する書類に目を通していた。
ハルは静かにそれを見守っている。
ロイは眉を寄せて口を開いた。
「……?……これは……?」
そう言うとハルへ視線を移した。
「どう調べても孤児院の前の記録が全くありません」
10歳の時にランは孤児院に入るが、それ以前の出生や両親の事などの記録が全く見つからなかったのだ。
「……」
ロイはまた書類を見た。
「本人に聞く他ありません」
ハルがそう言うとロイは考えるように窓の外に目を向けた。
「……ランは?」
「確か応接室の掃除をしていたと思います」
少しの沈黙の後、ロイは視線を窓に向けたまま口を開いた。
「……呼んできて」
「かしこまりました」
ハルはロイに一礼して部屋を出た。
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「ランちゃん。今日で2週間だね」
サチさんがニコニコしながら言った。
面接日から数日後、私はハーゲン家のメイドとして働き始めた。
食事以外の部屋や庭の掃除、洗濯に加え、ロイ様のご希望時にお茶を運んだりなどやる事は多い。
「何だかあっという間です」
私はテーブルを拭きながら答えた。
覚えるのに必死でいつの間にか明日で2週間が経とうとしている。
「でもまだ2週間しか経ってないですし……まだまだ力不足です」
私がそう言うと、モップで床を掃いているサチさんが手を止めた。
「ランちゃんは物覚えが早いし手際も良いから助かってるわよ。それに……ロイ様が穏やかだし」
私は手を止めてサチさんを見た。
「穏やか……ですか?」
サチさんは「実はね……」と言いながら、ロイ様を怖いと言ってこれまでにメイドが何人も直ぐに辞めていた事を教えてくれた。
「最初はランちゃんもそうなのかなって思ってたけど……、ロイ様があなたを受け入れてる感じがするから」
「受け入れてる……?」
言われてあまりピンとこなかった。
私が首を傾げているのを見たサチさんはふふっと笑った。
「ランちゃんはロイ様が怖い?」
サチさんはそう言うと少し心配そうな顔に変わった。
「そんな怖いなんてとんでもないです!仕事に就けなくて困ってる私を雇って頂いて感謝しています」
(確かに……表情はあまり変わらないから戸惑わないと言えば嘘になるけど……)
「ロイ様はお優しい方だと思います。言葉は少ないですが……目がとても優しい時がありますし……」
私はサチさんに笑って見せた。
「早く仕事を覚えて、ロイ様のお役にたてるように頑張りたいです」
それを聞いたサチさんはふふっと笑った。
「やっぱりランちゃんは今までの子達とは違うわね。ロイ様の事をちゃんと見てくれてる」
「ちゃんと見てるですか……?」
きょとんとしている私を見て、サチさんは楽しそうに笑った。
その時、応接室の扉がノックされハルさんが入ってきた。
私の顔を確認すると、「ランさん、ロイ様がお呼びです」そう言ってついてくるように促された。
私はサチさんに断りを入れて、ハルさんに付いてロイ様の部屋へ向かった。
「お呼びでしょうか」
私は窓際に立っているロイ様を見た。
ハルさんは扉の前に立っていて、後ろから視線を感じる。
(一体なんだろう……)
改まって呼びつけられるのは初めてで、緊張で心臓の鼓動が早くなっていく。
「ランの事、ちょっと調べさせてもらった」
ロイ様はそう言うと私を見た。
「調べる……?」
予想もしない言葉に目を丸くしていると、後ろからハルさんが口を開いた。
「ハーゲン家は貴族の中でも非常に力のある家柄です。ただ、それ故、敵視する貴族も少なくありません。住み込みで働くという事はハーゲン家の現状を把握する事になります」
ハルさんを振り返ると私の目を真っ直ぐに見ていた。
(そ、それって……スパイって事!?)
背筋がゾクッとした。
(よく分かんないけど……私、疑われてるの……!?)
「ちょっちょっと待って下さいっ!私はそんなっーー」
慌てる私を見て、ロイ様は表情を緩ませた。
「疑ってはないから安心して」
私はその表情を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「勝手に君の事を調べた事は謝るよ。ただ、気になる事があったから」
「……気になる事ですか?」
(もしかして……)
次の瞬間、私は口を開いていた。
「もしかして……孤児院に入る前の事でしょうか……?」
私の言葉を聞いた2人が驚いている様子から、核心をついた質問をしたのだと分かった。
(やっぱりそうなんだ……)
私は肩を落とし俯いた。
部屋が沈黙に包まれる。
その時だった。
「話したくないなら話さなくていい」
ロイ様の言葉に驚き、私は顔を上げた。
その顔は前に抱きとめられた後に見た、あの寂しそうな表情を浮かべていた。
(また、あの顔……)
胸が締め付けられるような感じがした。
「いえ……。何も話さないのは信頼を裏切る事になってしまいますから……」
私は俯いて深呼吸をした。
「でも……無理なんです……」
「無理……?」
顔を上げると、ロイ様がさっきとは違う困った表情を浮かべている。
私はロイ様の目を真っ直ぐに見た。
「孤児院に入る前の……記憶がないんです……」
ロイ様の目が驚いて見開いた。
「記憶が……ない?」
「それはどういう……」
ハルさんも驚いて目を丸くしていた。
「実は……ーー」
私はゆっくりと口を開いた。




