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繋がる記憶   作者: ふりこ
30/35

30 救いの手

 



 キュリオ公爵の屋敷に着くと、私は促されるまま部屋に入った。


 部屋に入るなり扉に控えていた男に腕を掴まれ、抵抗するがその腕は纏わりつくように離れなかった。私は男に腕を掴まれたまま、いつの間にかソファに腰掛けているキュリオ公爵の目の前へ連れて行かれた。


「跪け……」


 男のその言葉の後、私は頭と肩を抑え込まれるようにして跪いた。それと同時に髪の毛を後ろへと引っ張られ、私は強引に上を向かされた。


「あと少しだ……」

 そう言ったキュリオ公爵は、満足そうな顔をして私の顎を掴んだ。


「私の記憶の何が欲しいのっ」

 私の言葉でキュリオ公爵は片方の口角を吊り上げた。


「君の母親が私の大事なものを隠してしまったんだよ……。私はそれが何処にあるか知りたい……だから早く思い出しなさい」

 キュリオ公爵はそう言うと、不敵に笑いながら目を細め、私の顎を押すようにして顎から手を離した。


(大事なものって……何……?)


 言われても全く心当たりがなかった。

 私の閉ざされた記憶の中にキュリオ公爵の求める記憶があるのか自体定かではない。

 ただ、少なくともキュリオ公爵の言う『大事なもの』は、この人にとっては余程重要なものなのだろう。

 記憶という曖昧なものを求める程に手にしたいものなのか……それとも、後がなく私の記憶に縋ろうとしているのか……。

 だが今の私にとってはそんな事はどうでもいい。

 思い出しても思い出さなくても私は殺される……。思い出さなかったら死ぬのが少し遅くなるだけ。


(思い出したくない……。ううん、思い出したりしないっ)


 私は両手を強く握り締めると顔を上げた。


(母を殺した男の言いなりになんてなりたくないっ)


 私が噛み付くような目でキュリオ公爵を睨むと、キュリオ公爵は怯む様子はなく、逆に満足そうな顔をした。

 すると、キュリオ公爵は後ろに控えていた男と私を抑える男に顎で合図した。その瞬間、私を拘束していた手が離れ、キュリオ公爵の後ろに控えていた男が、私の目の前の床に写真を並べ始めた。

 私はそれを見て息を呑んだ。


 目の前にあったのは、私の住んでいた家の中の写真や母と私が遊んでいる写真など、どれも日常生活を送る私達を撮った写真だった。それに加え、孤児院を出た後の私の写真までもあった。

 早くなる鼓動が頭に響いていた。


「ど、どうして……?」


 私は恐る恐るキュリオ公爵を見上げた。キュリオ公爵は私の反応を楽しむように薄笑いを浮かべた。


「私が何もせずに待っていたと思うかね?この日をどれだけ待ち望んだことか……。そう、この日を……」

 そう言うとキュリオ公爵の表情がみるみる険しいものに変わっていった。私を睨むと唇を噛んだ。


「お前の母親が余計な事をしたお陰で……っ。それに加えお前まで記憶を無くすなどとくだらん事を……っ。お陰で苦労させられたよ!」

 そう言ったキュリオ公爵に、私は髪の毛を掴まれ、床に顔を押し付けられた。床に置かれた写真の上でぐりぐりと頬を擦られた。

「っ……!」

 抵抗しようとするも私の力ではその力を押し返す事は出来なかった。


「早く思い出せっ」

 その言葉と共に頭から手が離れていった。体を起こすと頬に付いた写真が1枚ひらりと床に落ちた。

 私はその写真を手に取った。


 花畑で満面の笑みを浮かべて楽しそうに遊ぶ母と私が写っている。


(夢に出てきたのと一緒……)


 幸せな思い出の陰にキュリオ公爵の存在があった。私はずっとキュリオ公爵の掌で踊らされていた……その事実に心が虚しさに覆われた。

 私の頬をいつの間にか涙が伝っていた。


 他の写真へ視線を移したその時、1枚の写真に目が留まった。その写真には、スコップを持って庭いじりをする母が写っていた。

 次の瞬間、頭に鋭い痛みが走った。


(っ!!!嫌っ!思い出したくないっ!!)


 私は頭を横に振った。

 自分の意思に反して蘇えろうとする記憶を必死に抑えようとした。しかし、頭の片隅に庭に佇む母が頭に浮かんだ。


(イヤッイヤッ!!これ以上は嫌っ!)


 乱れ始めた呼吸の中、私は頭を両手で抱えた。蘇ろうとする記憶に抵抗しているからか、今まで以上に鋭い痛みが頭を襲った。

 (思い出したらキュリオ公爵の思う壺……そんなのは嫌っ!)

 私は力一杯髪の毛を掴んだ。




 ーーーコンコンッ


(っ!!!)


 その時、扉をノックする音が部屋に響いた。私はその音で弾かれたように思い出しそうだった記憶が頭の中から消えていくのが分かった。


(良かった……)

 私が力なく両手を頭から降ろすと、キュリオ公爵が舌打ちをした。

 記憶が蘇らなかった安心感を全身に感じ、頭には鋭い痛みの余韻が残っていたが気にならなかった。


 私が顔を上げると、扉から1人の女性が入ってきてキュリオ公爵に何やら耳打ちをした。キュリオ公爵の顔が一瞬驚いたような表情をしたが、直ぐに不敵な笑みに変わった。



「通せ……」


 その言葉と同時に、私は側にいた男に腕を掴まれ、引き摺られながら公爵から離された。


 カツカツという靴の音が扉から聞こえた。その足音が止まった時、私は顔を上げてその人物を見た。



 ーーー!!!



(ロイ……さま……?)


 そこには、全く光のない冷たい目をしたロイ様がキュリオ公爵の前にいた。一瞬ロイ様と目が合ったが、私は直ぐに俯いて目を逸らした。

 黙って屋敷を出た今の私に、ロイ様と視線を合わせるなど出来るはずがない。


「ハーゲン卿自らお越しになるとは……、何用ですかな?」

「彼女を連れ戻しに来ました」

 その言葉の後、ロイ様の視線を感じた。


「ラン……帰ろう」


(っ!!!)


 私が弾かれたように顔を上げると、離れたロイ様が私の方に手を差し出していた。

 黙っていなくなった私を責めることのない温かな優しい表情を浮かべたロイ様がそこにいた。その表情に胸がギュッと締め付けられた。


(ダメ……私は行けない……)


 私はロイ様から視線を外した。

 もう私にはその手を取ることは許されない。


 それを見ていたキュリオ公爵がククッと笑いを堪えているのが分かった。

「ハーゲン卿、あなたは勘違いされているようだ。彼女は自ら私の元へ来たのだよ?」


 笑いを堪えるキュリオ公爵にロイ様は鋭く冷たい視線を向けた。


「そうでしょうか……」

「……なに……?」


 ロイ様の一言にキュリオ公爵から笑みが消えた。

「勘違いされているのはキュリオ卿、あなたの方ですよ?」

 変わらず無表情のロイ様がキュリオ公爵を静かに見つめていた。

「どんなに力で押さえつけても無意味だという事にあなたは気付いていない。そんな事にも気付かないあなたは滑稽に見える」

「滑稽……だと……?」

 キュリオ公爵の表情が徐々に険しいものに変わっていく。

「あなたこそ勘違いしている。俺はあなたとは違う。俺が何も考えずにここに来たとお思いですか?」

「っ……何が言いたい……」

 険しかったキュリオ公爵の顔が少しだけ動揺で強張った。

 ロイ様がその表情を見て軽く俯き、フッと鼻で笑った。




「あなたの欲しいものを……俺が持っていたら……?」




「っ!……なん……だと……っ」

 そう言ったキュリオ公爵の声は震えていた。


(……ど、どういう事……?)

 私はロイ様の言葉の意味が分からず目を瞬かせた。


「そ、そんな筈はっ」

 そう言って強張ったキュリオ公爵の顔が、次の瞬間鬼の様な形相になった。


(っ!!!)

 私はその顔を見て、全身から血の気が引いた。


「図ったな……っ!」


 キュリオ公爵は射抜くような鋭い視線を私に向けた。私は金縛りにあったかのように体を硬直させ、母を殺した時と同じ顔のキュリオ公爵から目を離せずにいた。

(いや……っ怖い……)

 その時、その視線の間にロイ様の体が割って入った。

「あなたの奢りが招いた結果ですよ……、滑稽なあなたがね……」

「わ、若造がっっ!!」


 キュリオ公爵が声を荒げたその時、部屋の外でバタバタと人の走る音が聞こえ、部屋の外が慌ただしくなった。

 慌てた様子の女性がノックも無く部屋に入ってくると、キュリオ公爵に近づいた。その直後、キュリオ公爵がソファから立ち上がった。


「き、貴様ぁ……っ!」


 キュリオ公爵の怒りに満ちた声が聞こえた。その声に私は体をビクリと震わせた。


(一体……何が起こっているの……?)


「あなたは終わりです……」


 ロイ様の冷たく落ち着いた言葉の後、キュリオ公爵がククッと笑った。


 一瞬の沈黙が部屋を包んだ。


 しかし、キュリオ公爵の言葉でその場が一変した。







「殺れーー」




 その言葉で、そばに控えていた男達がロイ様に飛び掛かるのが見えた。


(ロイ様っ!!!)


 無意識にロイ様へ手を伸ばした瞬間、私は髪を勢いよく引っ張られ、体を床に叩きつけられた。


「っ!!!」


 叩きつけられた衝撃で全身に痛みが走った。私の側にいた男が私の体に馬乗りになると、私の首に手を掛けた。


「はなっ……しっ……てっ」


 男の手から逃げようとを足をバタつかせ爪を立てたが腕はビクともしない。

 男の手がギリギリと私の首を絞めた。


「かはっ…っ……つ……」

(息がっ出来ないっ!)


 どんどん絞まっていく腕に抵抗しようとするが、体に力が入らなくなってきた。

 視界がぼやけそうになった時、首を絞めていた手が緩むのが分かった。

「かはっゴホッゴホッ……っ」

 私はむせながら後ずさるように体を動かすと、男が白目を剥いて床に倒れた。


「ランっ」


 息を整えようと呼吸に集中していた私は、名前を呼ばれて肩が飛び上がった。私のすぐ側にロイ様がしゃがんで私の顔を覗いていた。


 周りを見ると、キュリオ公爵のそばに控えていた男達は倒れて、キュリオ公爵だけが怯えた表情で私達を見ていた。


 ロイ様へ視線を移すと、そこにはいつものように優しい顔をしたロイ様がいた。


(ロイ様……)


 目の前にロイ様がいる……そう思った時、体から力が抜けた。

 ロイ様が私の頬に触れようと手を伸ばした瞬間、その腕に影が差した。顔を上げてそちらを見ると、キュリオ公爵が私に向けてナイフを振り上げていた。


 ーーーっ!!!


 その瞬間、私はきつく目を閉じた。








 ーーーー?


(……あれ……?)


 予想した衝撃がない。

 目を開けると、私はロイ様に引き寄せられていた。ロイ様の胸が目の前にあり視線を上げると、左腕を私の頭上に持ち上げたロイ様が眉を寄せ鋭い視線を上へ向けていた。私がその視線の先を見ると、そこには血走った目を見開いてロイ様を見つめているキュリオ公爵がいた。

 ロイ様は私の体を離すとゆっくりと立ち上がった。その時、目の前にロイ様の腕が垂れ下がり、私は視界にあるその左腕を見て息を呑んだ。


(あ……あぁ………っ)


 ロイ様の腕にはキュリオ公爵の振り下ろしたナイフが突き刺さっていた。

 ロイ様のシャツにじわじわと血が滲んでいくのが見える。

 立ち上がったロイ様にキュリオ公爵が後ずさった。ロイ様は一歩進みその距離を詰める。それと同時に勢いよく腕に刺さったナイフを抜き取った。

 抜いた勢いでナイフに付いた血が床に飛び散った。


(そ……そんなっ……)


 ロイ様の右手にはしっかりとナイフが握られていた。


 恐怖から私は足が竦んで動けなかった。

 母が死ぬ前に刺されていた記憶が蘇り、私の体はガクガクと震えた。


(い……嫌……っ)


 ロイ様の手を取りたくても体は言うことを聞かなかった。


 ロイ様が後ずさるキュリオ公爵との距離を詰めていく。背が壁について追い込まれたキュリオ公爵にロイ様がゆっくり近づいていった。

 ロイ様の垂れた腕から指を伝ってポタリポタリと垂れた血が床に跡をつけていた。


「や、やめて……くれ……」


 キュリオ公爵の怯えた声が聞こえた。


「ロ……イ……さ……ま……」


 ロイ様の表情が見えないのが怖い。

 手を伸ばすが届かない。

(怖い……嫌……やめて……)


 次の瞬間、ロイ様がナイフを振り上げた。




 ーーーーー!!!








 ダンッ!!!




 鈍い大きな音がした後、キュリオ公爵が足から力らなく床に崩れるのが見えた。


「あなたなんか殺す価値もない……」


 ロイ様の押し殺すような声がした。

 キュリオ公爵に背を向けたロイ様の後ろには深々と壁に刺さったナイフが見えた。


(……良かっ……た……)


 壁のナイフを凝視していた私は、ロイ様が私の側でしゃがんだ事に気付かなかった。


「ラン……」


 すぐ近くで聞こえた声に肩が跳ねた。そちらを見るとロイ様が心配そうな顔で私を見ていた。


「もう大丈夫だよ……」


 そう言うと私の頬に触れた。


「ロイ……さま……」


 私が名前を呼ぶとロイ様は目を細め口元を綻ばせた。

 私は無意識にロイ様の腕に手を伸ばしていた。その時、ヌルッとした生温かい感触に視線を腕へと移すと、私の手はロイ様の刺された腕に触れていた。

「ロっロイ様っ!怪我を……っ!」

 シャツの袖が血に染まっていた。

 私は自分のエプロンを外すと、ロイ様の腕に手を伸ばした。


(私のせいだ……私のせいでロイ様が……)


 血に染まる腕にエプロンを巻き付けようとするが、手が震えて上手く出来ない。次々と溢れる涙で視界が悪くなる。


「血がっ……血を止めなきゃっ……」


 焦れば焦るほど震えが強くなり思うように出来なかった。

(早く血を……っ)


 その時ロイ様の手が私の手に触れた。

(っ!!)

 その手はとても温かい、私の大好きな手。


「ラン……」


 名前を呼ばれて顔を上げるとロイ様は変わらず優しい表情のままだった。


「俺は大丈夫……」

「で……でも、血が……血を止め……」

 震えて舌の回らない口でそう言った時、ロイ様が右手で私の頬を包むように触れた。ゆっくりとロイ様の顔が近づき額がぶつかった。


「ランの傷に比べたら大したことないから……」

「私……怪我なんか……」

 私がそう言うとロイ様がフッと笑い、その息が顔にかかった。

「ううん、ランは心が傷ついてる……」

「っ!!!」


 どこまでも優しいロイ様の言葉に私は言葉に詰まった。頬から額から伝わるロイ様の温もりが震える体を落ち着かせてくれるのが分かる。

 私は頬にあるロイ様の手に自分の手を重ねた。


(もうこの温もりを感じる事はないと思っていたのに……)


 私は温もりを確かめるように目を閉じた。





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