27 想いに抗う心
落ち着いた私はロイ様に促されてベッドに入った。
ロイ様の手が私の頭を撫でてくれていた。
時々目を閉じて温もりを確かめる。
(気持ち良い……)
「ラン……」
名前を呼ばれて私は顔をロイ様に向けた。
私の視線を確認すると、ロイ様は真剣な顔になった。
「ランも何となく気付いたかもしれないけど……、キュリオ卿の事でランに言ってない事がある……」
私はロイ様の目を見つめた。
「はい……教えて下さい……」
ロイ様は「うん……」というと口を開いた。
母がキュリオ邸でメイドをしていた事、メイドを辞めた後キュリオ公爵が私達を探していた事、私達を見つけた後に母が死んだ事、孤児院にまで来て私に会いに来た事……。
キュリオ公爵が母を殺した記憶が蘇った今、私は落ち着いてその話を聞いていた。
「黙っててごめん……」
ロイ様は話し終わるとそう言った。
「いいえ、謝らないでください」
私はそう言って首を振った。
私に話さなかったのは私を怖がらせない為だったのだと今なら分かる。
(私はみんなに守られていたんだ……)
そう思うと胸が温かくなった。
私は頭に置かれたロイ様の手に自分の手を重ねた。そして、ロイ様に視線を向けて微笑むと、ロイ様もそれを見て安心したように微笑んだ。
その時扉がノックされ、部屋に人が入ってきた。ロイ様がそちらを振り向くと立ち上がった。私も体を起こして扉の方を見ると、驚いた表情のアルフレッド様とアンバスさんが私を見ていた。
「ランちゃんっ!!」
そう言ったアルフレッド様は勢いよくベッドに近づくと私を抱き締めた。
驚いて目を見開いた私をロイ様も同じように驚いた顔で見ていた。
「ああ!目、覚めたんだねっ!良かった〜っ!」
私の肩口に顔を埋めたアルフレッド様がそう言うと抱き締める腕が強くなった。
「アルフレッド様……」
私がそう言うと腕の力が弱まり、体を離したアルフレッド様と目が合った。
「ご心配とご迷惑をお掛けして……すみません……」
私がそう言うとアルフレッド様が困った表情をした。
「またランちゃんはそんな事言って……」
アルフレッド様の背の向こうにアンバスさんが見えた。アンバスさんも同じように困ったような顔をしていたが、目は優しかった。
「……て言うか……、ランちゃんその格好……っ」
アルフレッド様に言われて私は自分の服を見た。
大きめなシャツは体をしっかりと包んでいたが、布団がはだけて膝が見え、下着が少しだけ透けていた。
「なっ!!!」
私は慌てて布団を体の前に持ってきて握り締めた。
(私今までこんな格好してたの!?)
先ほどのロイ様とのやり取りを思い出し、顔がみるみるうちに赤くなるのが分かった。
私は握りしめた布団に顔を埋めた。
「サチさんに着替えを持ってくるように頼んでくるよ」
ロイ様はそう言うと扉へと歩いて行った。
「ロイっお前っ!」
アルフレッド様はロイ様の背を追いかけるようにベッドから降りるも、ロイ様の姿はすでに扉の向こうに消えていた。
肩を落とすアルフレッド様の肩をポンポンと叩いたアンバスさんがベッドに近づいて来ると、ベッドサイドにあった椅子に腰掛けた。
「無事で本当に良かったよ……」
アンバスさんがにこりと笑ってそう言った。私は照れながら笑顔を向けると、アンバスさんも嬉しそうに笑った。
しばらくするとお医者様が来て私は診察をしてもらった。
「もう大丈夫ですが、1週間は療養して下さい」
との事だった。
まだ体は重たいが1週間も休むだと思うと手持ち無沙汰な気がした。
診察を機に私は着替えも済ませ、お医者様と入れ替わるように3人が部屋に入ってきた。
「1週間もお休み……必要でしょうか……?」
私はベッドに座ったまま目が合ったロイ様にそう言った。すると、横からアルフレッド様が口を開いた。
「ランちゃんが思うより体に負担はかかってるんだよ。ちゃんと休まなきゃダメ」
その言葉にロイ様もアンバスさんも頷いた。
「分かり……ました……」
私は渋々といったようにそう言うと、アンバスさんがはははっと声を出して笑った。
その時扉がノックされた。「失礼します」という言葉と一緒にハルさんが部屋に入った。ハルさんは私を見ると優しく微笑んでくれた。私も微笑んで軽く会釈をするように頭を下げた。
「ロイ様、お話があるのですが……」
ハルさんがロイ様に視線を移してそう言うと、ロイ様はそれでなんの事か分かったようだった。
「今話して良いよ」
ハルさんは少し驚いた表情をしたがすぐに落ち着いた表情になり、口を開いた。
「お調べしたメモですが、メモもペンもロイ様の書斎の物と同一のものでした。ロイ様の筆跡を真似て描いたようです。しかし、それ以上の事は分かりません」
部屋の空気が緊張で張り詰めるのが分かった。
「……そう……」
ロイ様は小さくそう言うと視線を落とした。
(きっとまた自分を責めてる……)
ロイ様の苦しそうな表情に胸が痛んだ。
「でもよく考えられたもんだな」
アンバスさんがソファに腰掛けながら言った。それに応えるようにアルフレッド様もアンバスさんの向かいのソファに座った。
「そうですね。ロイの筆跡を真似るってかなり計画的ですね」
アルフレッド様がそう言うと、アンバスさんが腕を組み顎を触った。
「この屋敷に内通者がいる可能性も考えた上でどうするかを考えきゃならんな……」
(内通者……?)
背筋が冷たくなった。屋敷の皆を疑わないといけないの?みんな私に良くしてくれているのに……。
誰がそうなのかと疑いたくない。
私は肩を落として窓の外を見た。少し曇った窓から雪が降っているのが分かった。
(これからどうするか……まずはキュリオ公爵に会った時の事を3人に話さないと……)
私はゆっくりと深呼吸をした。何となく3人の視線を感じて私は口を開いた。
「キュリオ公爵に会った時……公爵が私に言いました」
そう言った後、3人の視線が痛いほどに私を捉えているのが分かった。
私は窓の外を見ながら続けた。
「すべて思い出せ、あの事も……って……」
私はソファに座る2人と立ったままのロイ様を見た。
「私の記憶の中の何かを、キュリオ公爵は知りたがっているんです……それに……」
私は視線を3人から外し俯き、膝に乗せた手を握り締めた。
「キュリオ公爵は傷を私に見せつけてきました。母が付けた切り傷がしっかりと左腕に残っていて……。それを見て、記憶の中の男がキュリオ公爵なのを思い出して……意識を失いました……」
その時、握っていた手に誰かの手が重なった。顔を上げるとロイ様がベッドサイドに腰掛け手を握ってくれた。
ロイ様が、そばにいる……そう言ってくれている気がした。
「ロイ様から聞きました。キュリオ公爵が母を追っていたのも、私の事を知っていたのも……。母を殺してまでも、時間が経った今でも私を生かしておくって事は、よっぽどキュリオ公爵は私の記憶を知りたがっているってことですよね」
記憶が戻ればキュリオ公爵が知りたがっている事が分かるかもしれない。
そのためにはーーー
私は深呼吸をした。
「私が……、もう一度キュリオ公爵に会っーーー」
「「「ダメだっ!」」」
私が言い終わる前に3人が口を揃えて言った。私は驚いて顔を上げると、3人とも険しい顔をして私をじっと見つめていた。
「それはダメだっ」
アンバスさんがもう一度言った。
「そうだよ。思い出したらどうするの?その時はランちゃんの身が危ないでしょ」
アルフレッド様も同調して私を見つめた。
「で、でも……」
私はすぐそばにいるロイ様を見た。
「ラン……焦らなくて良い。まずは体を休める事を考えて」
ロイ様は心配そうな表情をしていた。
私は視線を逸らして目を伏せた。
「ただ……、記憶が分からないうちはランちゃんの身は安全だ」
アンバスさんが大きな溜息を吐きながら言った。
皮肉にもその通りだった。
私の記憶がないうちはキュリオ公爵も命までは狙わないだろう。だからこそ、この不安定な状態で過ごすのが嫌だった。
私は唇を噛み締めた。
結局守られる事しか出来ない。
(私には何も出来ないの……?)
私は悔しさでいっぱいだった。
3人は内通者をどうするかやこれからの事を話し合っていた。
でも私は上の空だった。私の為に話し合ってくれていたのに半分も頭に入ってない気がする。
(私が記憶を取り戻しさえすれば、キュリオ公爵の目的が分かるはずなのに……)
直ぐそこに答えがあるのに自分には何も出来ないのが悔しかった。
そんな事ばかり考えていて、ロイ様に名前を呼ばれるまで、アルフレッド様とアンバスさんが部屋を出て行った事にも気がつかなかった。
「すみません……私の為に話し合ってくださったのに……」
私はそう言って俯いた。すると、ロイ様はベッドに腰掛けた。
「俺達こそ疲れてるランを付き合わせた……、ごめん」
ロイ様が申し訳なさそうに肩を竦めた。私は俯いて無言で頭を振るしかできなかった。
「ラン……」
名前を呼ばれて顔を上げると、ロイ様の手が伸びて優しく私の頬に触れた。
「キュリオ卿に会う事を考えてる?」
(うっ……ロイ様にはお見通しだ……)
私は誤魔化すほどの余裕もなく、目を伏せて素直に「はい……」と言った。
ロイ様は少し困った顔をして溜息をつくと、頬の手が私の手に滑り降りてきた。
「確かに、またキュリオ卿に会えば全てを思い出すかもしれない……。キュリオ卿が何を企んでるのか分かるかも……。でも……」
ロイ様は一呼吸置いて続けた。
「キュリオ卿もそれを望んでる。きっと会いたいと思わせる為にランに会いに来たんだと思うから」
「そうかもしれません……っでもっーーー」
「ラン……」
顔を上げてロイ様を見た。
語尾を強めた私を落ち着かせるように優しく名前を呼ばれたが、私はそれを遮るように話を続けた。
「嫌なんですっ。何も出来ずに記憶を取り戻す事にただ怯えて……待つだけなんて……。こんなに皆さんに心配も迷惑もかけて……守られてばかりで何も出来ないのが悔しい……」
私が役に立つには……
記憶を取り戻す事以外にない。
(その為にはキュリオ公爵に会って話をするしか……)
「ラン……」
俯いた私にロイ様が優しく名前を呼んだ次の瞬間、私はフワリと抱き締められた。
「待ってるだけでも守られてるだけでもない……。ランは恐怖と戦ってる。記憶を受け止めようと必死に頑張ってる……」
ロイ様は抱き締める腕に力を入れた。
「だから、待ってるだけじゃない。何が出来るか俺達も一緒に考えるから……」
ロイ様はそう言うと抱き締める腕をさらに強めた。
「迷惑なんて思った事はない。アルもアンバスさんもランの為に何かしたいって思ってくれてる。俺も……ランの力になりたい」
私はロイ様を見ようと顔を上げた。
「ランも言ってたよね?自分は1人じゃないって」
ロイ様は優しく微笑んでくれた。
「だから……もっと頼っていい。俺達が……俺がランのそばにいるから……」
「ロイ様……」
私の声は震えていた。
(こんなに考えて、思ってくれていたなんて……)
今まで考えていた事が嘘のように、頭の中がロイ様の優しい言葉で埋め尽くされた。
ロイ様の言葉が瞳が全てが愛しくて、無意識のうちに自分の手がロイ様の頬に触れようとしていた。
ハッと気づいて手を引っ込めようとした時、ロイ様にその手を握られた。
「良いよ……触って……」
そう言うと、ロイ様が私の手を引き寄せ頬に当てた。ロイ様が心地よさそうに目を閉じ、私の手に頬を摺り寄せた。
私の手を慈しむように包むロイ様の手とロイ様の頬に挟まれた私の手はまるで自分のものではないような感覚がした。
心臓の音が激しさを増した。
鼓動が手を伝わってロイ様に分かってしまう気がして、火がついたように勢いよく顔が火照るのが分かった。
するとロイ様の目が薄く開いた。
「ドキドキしてる……?」
「っ!!!」
私は勢いよく顔を伏せた。
ドキドキが伝わっていたのが恥ずかしくて顔を上げることが出来なかった。
するとロイ様がゆっくり私を抱き寄せ、私の頭に手を添えると自分の胸に私の耳を当てた。
ドクンッドクンッーーー
ロイ様の力強くて早くなった鼓動が伝わってきた。
「俺も……ドキドキしてる……」
(ロイ様も……)
「ラン……」
ロイ様が私の体を離すと名前を呼んだ。
私は顔をゆっくりと上げた。ロイ様は照れたように微笑むと私の頬を両手で包んだ。
私はゆっくりとその手に自分の手を重ねた。頬にロイ様の体温が伝わってくる。
そしてゆっくりとロイ様の顔が近づいてきた。私はそれを受け入れるように目を閉じた。
唇に優しいキスが落とされる。
唇が離れた時、私は薄っすらと目を開けた。潤んだロイ様の瞳が見えた。
(綺麗……)
そう思った瞬間、ついばむようなキスが何度も繰り返された。
「ん……っ……」
求められるキスは激しくなり、ロイ様の腕が私の腰を引き寄せた。
息が苦しくなって体の力が抜けそうになり、私はロイ様の首に腕を回すとそのままベッドに倒れ込んだ。
押し倒されるように倒れた時に唇が離れ、息の上がった私をロイ様が潤んだ瞳で見つめていた。
「ごめん……我慢、できなかった……」
ロイ様が余裕のない表情で照れながら言った。
(か、可愛い……)
照れたロイ様が愛しくて仕方がなかった。
ロイ様が私の肩口に顔を埋めて私を抱き締めると、ゆっくりと息を吐いた。
ロイ様の体温、息遣い、全てが心地よく私はすごく満たされた気持ちでいっぱいになった。ロイ様に回した腕に力を入れるとロイ様がそれを返してくれる。
「ラン……」
「………はい」
「……ラン……」
「……はい……」
ロイ様が何度も私の名前を呼んだ。
ロイ様の鼓動が私の体に伝わってくる。
(なんて幸せなんだろう……)
そう思った時、自分の中に疑問が生まれた。
(こんなに幸せで……いいのかな……?)
ロイ様の側にいたいし、いてほしい。
でも私は記憶が蘇る度にロイ様に心配ばかり掛けている。ロイ様だけじゃない、アルフレッド様にもアンバスさんにもハルさん、サチさんみんなに心配ばかり掛けている。そう思った時、みんなが私を気にかけてくれるのを1人じゃないと思えたのが、ただの独りよがりなのかもしれないと、そう感じ始めた。
記憶を失わなければ……
記憶が蘇らなければ……
なにより、私がここに居なければ……
少なくともこのお屋敷にいるみんなを巻き込む事はなかったのかもしれない……
(そんな私が幸せを感じて良いの……?)
皆への罪悪感がどんどん大きくなってきた。
でもーーー
ロイ様はそばにいていいと言ってくれた。
こうして私を求めてくれた。
だから今だけ……今だけでいいから……
(今は……ロイ様の温もりだけを感じさせてください……)
私はさっきまでの思いを振り払うように頭を振って、ロイ様に回した腕に力を入れた。
しばらくすると、瞼が重くなり、ロイ様に回した腕に力が入らなくなってきた。ロイ様が体を起こして私の顔を見ると、クスリと優しく微笑んだ。
私の頬に手を当てると額にキスが落とされた。
(まだ寝たくないのに……)
この満たされた気持ちをもっと感じていたい。瞼を擦ってみるも重たい瞼は上がってくれない。ロイ様はふっと笑うとまた私を抱き締めてくれた。
「大丈夫……そばにいる……」
私はロイ様の胸に頬を摺り寄せた。
ロイ様の鼓動が聞こえる。
(このまま時間が止まれば良いのに……)
大きくなろうとする罪悪感を胸の奥底に必死に抑え込み、ロイ様の心地良い鼓動のリズムを聞きながら私は眠気に誘われるまま瞼を閉じた。