24 影の正体
そこはまさしく戦場だったーーー
「ランちゃん!この鍋すぐ使いたいからすぐ洗ってっ!」
「ランちゃん!それは良いから先にこっちやって!」
「ランちゃん!芋取ってきて!」
「ランちゃん!そこの蓋取って!」
「ランちゃん!ランちゃんっ!」
私は言われるがままに厨房のあちこちを走り回っていた。
(厨房ってこんなに大変なの!?)
私は戸惑う暇もなくダレンさんの指示に従っていた。
離れの食糧庫まで行くのにその都度羽織りを着ていたが、もうその意味を成さないほどに何往復したか分からない。
時々ハルさんが様子を見に来てくれていたが、いつの間にかそれに目もくれず夢中で仕事をしていた。
気付けば社交界ももう終わりを迎える頃、鍋などの調理器具を一通り洗い終えると、ダレンさんがニコニコしながら私に近づいてきた。
「ねっ?戦場だったでしょ?」
「まだびっくりしてます……」
私は苦笑いをしながらダレンさんを見た。
「本当によくやってくれて助かったよ。ランちゃん、ありがとう」
ダレンさんは私の肩をポンポンと叩きながら満面の笑みでそう言った。
「お役に立てて良かったです」
私が笑顔でそう言うと、ダレンさんは満足そうに笑った。
「ランちゃん、15分だけだけど休憩して良いよ。もう社交界も終わるみたいだし、順番に休憩してるからさ。終わったらまた片付けもあるしね」
「はいっ」
私は笑顔でそう言うと、ダレンさんは他の料理人の人に呼ばれてそちらに歩いて行った。
(どこで休憩しようかな〜……?)
私は食糧庫に繋がる裏口の戸の近くに小さな椅子があったのを思い出した。カップに入れた暖かい紅茶を持ってその場所に行くと、他の人がそこに座っていた。私に気付いた彼は立ち上がると、
「あっ、もう僕休憩終わりなんでよかったらどうぞ」
と言ってその場所を譲ってくれた。
私は「ありがとうございます」とお礼を言ってそこに腰を下ろした。
(あ〜座れるのがこんなに嬉しいなんて思ったことないかも……)
カップに口をつけると暖かい紅茶が体に染み渡る感覚を感じた。
その時だった、戸をコンコンと誰かが叩いた。
「っ!!!」
私はビクリと肩を震わせて音のする戸を見ると、戸の下にメモのような紙が挟まっているのに気がついた。
私は何が起きたのかと周りを見渡すが、狭い裏口には私1人しかいない。
私はカップに残った紅茶を飲み干してそのメモを手に取った。折り畳まれたメモを広げるとそこには見覚えのある文字があった。
(ロイ様……?)
『頼みたいことがある。食糧庫まで来て』
文末にはロイ様のサインも書かれていた。
(ロイ様って……こういう事するんだ……?)
私はそう思ったが、直ぐにその疑問は何かあったのかもしれないという不安に掻き消された。
私は厨房に顔だけ出して時計を見た。まだ休憩時間は半分残っている。
(直ぐに言って話を聞く位だったら出来るかな)
私はカップを椅子の上に置くと、羽織りを肩にかけて裏口を出た。
雪が深々と降っている。今まで行き来した道に薄っすらと雪が積もり始めていた。
食糧庫に着くと私は扉を開けた。中は真っ暗でよく分からない。私は慣れた手つきでランプに火をつけた。
食糧庫の中が見渡せるように光が広がった瞬間、背中を思いっきり押された。
「っ!!!」
私はつまづくように前に倒れた。
いきなりで受け身が取れず、膝や肘を冷たい床で思いっきり擦りむいたが、かろうじて顔だけは打たずに済んだ。
驚いて後ろを振り返ると男がランプを手に取って私の方に歩いてきた。ランプが近づくと同時に、その男の顔が照らされた。
「あ、あなたはーーー!」
そこには不適な笑みを浮かべたキュリオ公爵がいた。
「私の事を覚えていてくれたかね」
満足そうに笑って私に近づくと私の顎を力任せに掴み、上を向かせた。
(な、何??)
驚いて言葉が出ない私を見て声を出して笑った。
「目の色は違えど……母親によく似てるな」
(っ!!!)
私は驚いて目を見開いた。
キュリオ公爵はそんな私の様子を見てニヤリと笑った。
(母を知ってるの!?)
キュリオ公爵の言葉が頭を掻き回し、頭の中が混乱して言葉が出ない。掴まれた顎を引き離そうと、私はキュリオ公爵の腕を掴んだ。すると、それを遮るように私の腕はキュリオ公爵に強引に引っ張られた。
私が掴まれた腕を引き離そうと抵抗した時、キュリオ公爵が私に顔を近づけてきた。
「あの時もお前はこうやって抵抗していたな」
(あの……時……?)
私が驚きで抵抗をやめたのを見て、キュリオ公爵は掴む腕の袖をまくった。私はその腕を見て息を呑んだ。
「ーーーっ!!!」
そこには蘇った記憶に出てきた男と同じ傷があった。
その瞬間、胸がドクンッと音を立てた。
頭に鋭い痛みが走り、私は頭を抱えた。呼吸がうまく出来ない。
(く、苦しい……っ)
体から力が抜けるのが分かる。それと同時に母が死ぬまでの記憶が鮮明に蘇ってきた。
私が顔を上げると、キュリオ公爵は満足そうに目を輝かせ、また私の顎を強引に掴んだ。
「そうだ、思い出せ。全て思い出すんだ。そしてあの事も……!」
不敵に笑うその顔は、まさしく母を殺したあの男そのままだった。
私は恐ろしさのあまり全身が緊張し、痙攣するように体が震えていた。
「い……や……っ」
絞り出した声はキュリオ公爵の笑い声に掻き消された。
頭の中では抉られるような痛みが続く。呼吸が乱れ息が切れ切れになってきた。
力をなくした私を、顎を掴んでいた腕が押し倒した。
キュリオ公爵は立ち上がると満足そうに笑って私に背を向けた。
私は這うようにキュリオ公爵を見上げた。
キュリオ公爵はランプを元あった場所に置くとランプの明かりをフッと消した。
声を出そうとしても乱れた呼吸から声は出てこない。
「また会えるのを楽しみにしているよ」
ガチャリと扉が閉まる音を合図に、私は意識を手放した。