21 近づく真相2
物音で私は目を覚ました。
「おかあ……さん……?」
眠い目を擦りながらベッドから降りると、私は音のする方へ向かった。
暗い廊下の向こうに少しだけ開いた扉から光が漏れている。
その時だった。
『やめてっ!!!』
お母さんの大きな甲高い声が響くと同時に、ガシャンッと大きな音がした。
私は恐る恐る扉の隙間から部屋を覗いた。
そこには、知らない男の人が部屋の引き出しや棚の中をガサガサと漁って部屋中に物が散乱していた。
『どこにあるっ!!!言えっ!!!』
男の人は手を止めず、怒鳴り声を上げた。
私は怖くなってその場に尻餅をついて動けなくなってしまった。
その時、勢いよく扉が開いた。
男の人が仁王立ちで私を見下ろしている。男の人の顔はぼやけて分からない。私は引きずられながら部屋の中へ入れられた。
『やめてっ!!ランを離してっ!!』
お母さんは男の人に掴みかかったが、突き飛ばされてしまった。
『お前が話さないならこうするまでだっ!!』
男の人が私に向かって手を振り上げた瞬間、私はきつく目を瞑った。しかし、予想した衝撃はなく、次の瞬間私を掴む手が離れた。
ポタポタという何がが床に落ちる音がした。私が音のする方を見ると、床に血が滴っていた。男の人は左腕を押さえ、お母さんは血の付いたナイフを握っていた。
男の手から離れた私を、お母さんが思いっきり引っ張り、自分の背に隠した。
『近寄らないでっ!!ランには手出しさせないっ!』
お母さんはそう言って両手で握るナイフを男の人に向けた。
『よ、よくも…!!こんな事をしてただで済むなと思うなよっ!!!』
その次の瞬間、私は壁に思いっきり突き飛ばされた。壁に激突して痛みで顔をしかめながら顔を上げると、お母さんの脇腹にナイフが刺さっているのが分かった。
男の人は抵抗しなくなったお母さんを足で蹴り飛ばした。お母さんはその勢いで思いっきり大きなチェストにぶつかった。その時チェストが傾き、お母さんを押し潰すように倒れた。
ぐはっとお母さんが苦しそうな声を出した。私は慌ててお母さんに駆け寄った。
「お母さんっ!!お母さんっ!!!」
私はお母さんの手を思いっきり引っ張った。チェストを持ち上げようとするが、びくともしない。
その間、男の人はテーブルにあった何本かの瓶の中の液体を家中に撒いていた。
私はその間も必死にお母さんを助けようとしていた。
『言わないなら消すまでだ』
男の人はそう言うとマッチを一本擦って放り投げた。瞬く間に火が燃え広がり、チェストにも燃え移った。
++++++++
「その後は……この間蘇った記憶に重なります」
私の話を3人とも静かに聞いていた。
(言えた……)
話し終えて安堵の息が漏れた。
「ランちゃん。男の顔はハッキリしないんだな……?」
アンバスさんが顎を撫でながら言った。
「はい……。顔だけ分からなくて……表情も…分かりません……」
思い出そうとするとまた頭に鋭い痛みが走った。
(っ!!)
私は痛みのあまり頭を押さえた。
(思い出したいのに……っ)
痛みがそれ以上思い出すなと言っている。
私はテーブルにあるファイルを見た。また写真を見たら思い出せるかもしれない。
(でも……怖い……)
手を伸ばせば触れられる距離にファイルはあるのに、手を伸ばす事が出来ない。私は頭を押さえる手を力一杯握り締めた。
(真実を知りたい、受け止めると決めた筈なのに……)
いつの間にか涙が頬を伝っていた。膝にポタリと涙が落ちる様子が滲んで見えた。
「ランちゃん、今日はこれ位にしておこうか」
アンバスさんはそう言うとテーブルのファイルを手に取った。
「すみません……」
私は涙を手で拭いながら顔を上げた。
するとアンバスさんが、ファイルを鞄に入れながら苦笑いをした。
「ランちゃんが謝る事じゃない。それに、傷があるという特徴が分かったのは、大きな収穫だよ」
そう言うとアンバスさんはにこりと笑った。
するとアルフレッド様がおもむろに立ち上がると、お茶の準備を始めた。
「ラン……」
隣にいるロイ様がまた私の背に触れ、心配そうに私を覗き込んでいる。
「だ、大丈夫ですっ」
私はそう言って服の袖で顔を拭いた。
背中からまたロイ様の体温が伝わる。気持ちが落ち着いていくのが分かった。
「はい、どうぞ」
アルフレッド様が私にお茶を差し出した。私は顔を上げてアルフレッド様を見上げると、アルフレッド様は優しく微笑んだ。
「飲んで。落ち着くからさ」
「あ……ありがとうございます」
私はカップを受け取ると口をつけた。
一口飲むと、暖かいお茶がゆっくりと喉を通り体の中に入るのが分かった。ハーブティーの優しい香りが全身を包み、体の緊張が解れていく。
「美味しいです。ありがとうございます」
私はアルフレッド様を見上げて笑顔で言った。
「俺が淹れたんだよ。美味しいに決まってる」
アルフレッド様はそう言うと、嬉しそうに笑った。
2人の気遣いがすごく嬉しい。
自然と笑みがこぼれた。
「ランちゃん。何か他に思い出す事があったらまた教えてくれ。今日は無理をさせたね」
アンバスさんが優しい表情でそう言った。
「いえっ、無理だなんてそんなっ」
「精神的にも疲れただろう?今日はゆっくり休んだ方が良いと思うが……、どうかなロイ君」
「はじめからそのつもりです」
「え……」
ロイ様は私を見るとフッと笑った。
「ラン、今日は休んで良いよ。あとの事はサチさんにも頼んであるから」
「わ、私なら大丈夫ですっ」
私はそう言ってスッと立ち上がった。
「ち、ちゃんと立てますし、動けますっ」
ほらっと言うように3人の顔を見た。するとアルフレッド様がふふっと笑って私の肩に触れた。
「ランちゃんは〜。そう言う問題じゃないよ。無理しなくて良いんだよ。もう十分頑張ったんだし」
するとアンバスさんは「ランちゃんらしいな」と言って笑った。
3人が私を心配してくれているのは分かっている。サチさんもハルさんも私を気にかけてくれている。みんなが私を気遣ってくれている事がすごく嬉しい。その優しさが1人じゃないんだと思わせてくれる。
私は俯いて両手で顔を覆った。
「ラン……?」
ロイ様が立ち上がるのが気配で分かった。
「……分かってます……。皆さんが私を心配してくださってる……」
(こんな風に私を思ってくれる人がいる……)
「優しさが嬉しくて……1人じゃないって思えて……」
涙が目から溢れた。
「無理するとかではなくて……皆さんがいるから頑張ろうって思えるんです……」
心配をかけたり気遣われてばかりなのは嫌。
私もみんなに何かをしたい。
「……ランちゃん……」
アルフレッド様がそう言った次の瞬間、私はアルフレッド様に抱き締められた。驚いて顔を上げると、アルフレッド様が私を見下ろしていた。
「キスして良い?」
「っっ!?」
思わぬ一言に私が固まっていると、腕を引かれた。ロイ様がアルフレッド様の腕から私を離した。
「どうしたらそうなるの?」
少し苛立ちを含みながらロイ様がそう言うと、アルフレッド様を冷ややかな目で見た。
その様子を見ていたアンバスさんが肩を震わせて笑いを堪えていた。
「こりゃまた、ランちゃん憎いね〜」
「??」
私は首を傾げた。
(どういう意味……?)
きょとんとした顔をした私を見たアンバスさんはニコニコしている。
「こりゃ、二人共苦労しそうだ」
「そうなんですよね〜」
アルフレッド様はそう言って苦笑いをした。ロイ様は無言でアンバスさんから視線を外した。
私は何の事か分からず2人を交互に見ていると、アンバスさんがはははっと声を出して楽しそうに笑った。
私はお言葉に甘えて休ませてもらう事にした。ロイ様の部屋を出て廊下を歩いていると、サチさんが心配そうな顔をして向かいから小走りで私のところへやってきた。
「ああっランちゃんっ!倒れたりしなくて良かったわ〜」
「心配をかけてしまってすみません……」
「そんな事は良いのよ。今日は休んだら良いからね」
サチさんは笑顔でそう言うと私の背中に触れ、優しく撫でてくれた。
「それで記憶はどうだったの?」
二人で廊下を歩きながら、サチさんは心配そうに私を見ながら言った。
「実は……」
私はそう言って蘇った記憶をサチさんに話した。
「ここまで思い出して顔だけ分からないなんて悔しくて……」
私は唇を噛み締めた。
「そうなの……。ランちゃんは十分頑張ってるわ。焦らずゆっくり思い出していけば良いじゃない。無理しないで」
サチさんはにっこり笑って言った。その優しい笑顔に私の気持ちも落ち着いていく。
気付くと私の部屋の前まで来ていた。
「本当にすみません……」
私がそう言うと、良いの良いのと手をひらひらさせた。
「ちゃんと休むのよ?じゃあね」
サチさんはそう言ってニコッと笑うと、元来た廊下を歩いて行った。私は部屋に入ると、サチさんの後ろ姿を確認して、扉を閉めた。
扉を閉める直前、サチさんが眉を寄せ悲しそうな顔で振り返ったのに、私は気が付かなかった。
(ふぅ〜)
部屋に入ってソファに腰掛け、そのままソファにもたれると強い眠気に襲われた。
記憶を思い出す事は、自分が思っている以上に身体的に疲れるのかもしれない。体が一気に重たくなった。ベッドはすぐそこにあるが、もう動きたくなかった。
私は手に持っていた写真を見た。
そこには笑顔の母がいる。私は写真を胸に当てた。
(温かい……)
私はそのまま眠気に逆らわず瞼を閉じた。
++++++++
ランが書斎から出ると、アルが溜息をついてソファに腰掛けた。
「これはまた、不味いね……」
アンバスさんは腕組みをしてうーむと唸りながら眉を寄せた。俺もゆっくりとソファに腰を下ろした。
アルは俺が座るのを確認すると口を開いた。
「ランちゃんの言ってた男って……」
アンバスさんがアルの言葉を手で制した。
「断定するには早いだろう。だが、顔を思い出すのも時間の問題かもしれん」
「社交界で会ったりしたら……、ランちゃんが危ない」
俺は二人のやり取りを聞きながら先日の事を思い出していた。
+++++++
アンバスさんからの手紙には、ランに捜査資料を見せる前に情報の整理がしたいと書いてあった。そこでアルの屋敷に集まり情報交換の場を作ることになった。
アルの屋敷に着くとすぐ書斎に通された。そこにはアルの向かいに座る初見の男性がいた。
俺は二人の座るソファに近づくと、男性は立ち上がって右手を差し出した。
「アンバスだ」
「ロイ=ハーゲンです」
俺は差し出された手を握った。
「まずは、礼を言わせてくれ。ランちゃんが良くしてくれていると言っていたよ。ありがとう」
「いえ、ランこそよく働いてくれています」
俺がそう言うとアンバスさんは嬉しそうに笑った。
「自己紹介はそれ位にして、本題に入りますか」
アルはそう言って、俺達に座るように促した。2人が座るのを確認すると「まずは俺から……」とソファに座り直しながらアルが言った。
「ランちゃんの母親のサラさんがキュリオ邸を辞めてから、キュリオ卿がサラさんを探していた事が分かったんです」
アンバスさんは、うーむと溜息を吐きながら言った。
「理由は分からないですが、かなり逼迫した様子だったらしいです。しかも、ランちゃん親子は一定の場所に長くは留まらず、なかなか見つからなかったらしい」
「逃げる必要があった……という事か」
アンバスさんは顎に手を置きながら言った。
「ランちゃんの目は特別だから、見つからないようにするのはかなり難しかったと思います。でも、居場所を突き止めたすぐ後に火事が起きた」
沈黙の後、アンバスさんが口を開いた。
「俺も分かった事がある。火事があって孤児院に入って直ぐ、ランちゃんを訪ねてきた男がいた事が分かった。ランちゃんの様子を聞きに来たらしい」
「それってもしかして……」
アルが言いかけるとアンバスさんが言った。
「ああ、キュリオだ」
(やっぱり……)
俺は目を伏せた。その時アルが口を開いた。
「ランちゃんが記憶喪失なのを知っているって事ですね……」
「そして、今も監視している可能性がある」
「監視って……記憶が蘇る事を考えて……?」
アンバスさんは眉を顰めた。
「ランちゃんの記憶を何らかの理由で知りたいのかもしれない……と考えたほうが良いだろう……」
アルが腕を組んだ。
「それにしても、証拠を残さないように計算高いキュリオ卿自らランちゃんに会いに来るなんてあるのかな……。いや、アンバスさんの情報を疑うつもりはないんですけど……」
それを聞いたアンバスさんはフッと笑った。
「ああ、俺も同じように思った。でも裏も取れて、本人であることは間違いない」
俺は眉をひそめた。
「自ら会いに行くほどの理由があったってことですね」
俺がそう言うと、二人な顔が強張るのが分かった。
「アンバスさん。先日、キュリオ卿が俺の屋敷に来ました」
俺は視線をアンバスさんに移しながら言った。アンバスさんが目を見開いて驚いた。
「ランちゃんは会ったのか!?」
俺は「はい」と言って続けた。
「今の話から、キュリオ卿はランに会いに来たんだと思います」
今思えば、あの時の違和感に納得がいく。驚いた後の笑ったように見えた表情は、ランの記憶が戻っていないのを確認しにきたのだろう。
当主が俺になってから、父の時に断ったはずの領地の共有を持ちかてきたのは、屋敷を訪れるには良い口実だ。
「ランの目を珍しいと言ってました。ランは特に動揺することもなく普通でしたが……」
俺の言葉でアンバスさんはまた顎に触れた。
「そうか。キュリオは確認に来たのかもしれないな……」
「ただ……その後でランは火事の記憶を取り戻してる。今まで火を見ても何もなかったとランは言っていました。キュリオ卿に会ったことがきっかけで記憶を取り戻したのかもしれない」
アンバスさんは顎を撫でながら険しい表情をしていた。
すると、カップをテーブルに置きながらアルが口を開いた。
「アンバスさん、それからもう一つ大事な事が……」
アルが俺へ視線を向けた。
「今度ハーゲン家で社交界があるんです。国の要人も招く大規模なもので……その出席者にはキュリオ卿も入っています」
アンバスさんは大きな溜息を一つ吐いた。
「ランちゃんが捜査資料を見てどこまで思い出すかにもよるが……、キュリオに会わせるのは危険だな」
アルも「そうですね」と言って相槌をうった。
「主催の俺達がずっとランちゃんの側に居てあげる事は難しいですからね。キュリオ卿に会って意識でも失ったら何があるか分からない」
アルも険しい顔をしている。しばし沈黙が3人を包んだ。
「それから、俺からももう一つ」
アンバスさんが沈黙を破るように頭をガシガシと掻きながら言った。
「捜査資料を持ち出してランちゃんに見せる理由は、警察署の奴がキュリオに買収されている事が分かったからだ。今の所確実なのは1人だけだがな。ランちゃんは警察署には近づかせないように頼む」
アンバスさんは気まずそうに視線を逸らした。
(内通者は警察署だけではないだろう。もしかしたら、身内にもいるかもしれない……)
俺は眉を寄せた。
「社交界の件はランちゃんが捜査資料を見てから決めよう」
アンバスさんがそう言うとそこでの話し合いは終わった。
++++++++
「ロイ?」
俺はアルに名前を呼ばれて顔を上げた。
「ああ……。キュリオ卿に会えばすべてを思い出す可能性が高いけど……ランの身を守るのを優先しないと」
アルもアンバスさんも大きく頷いた。
「守るなら俺の屋敷に連れてくのが手っ取り早いけどね……」
アルはそう言うと溜息を吐いた。
確かにそれが手っ取り早い。
だが、それはランに今までの事を話さなければならない。キュリオ卿の事を言えば、真実を知りたがっているランはキュリオ卿に会いたいと言うかもしれない。
だが、ランは素直で正直だから変に意識すればキュリオ卿にも勘付かれ余計にランの身を危険に晒す可能性がある。
「ランちゃんはすぐ顔に出るからな〜……」
アルはソファに体を預け、天井を仰ぎながらそう言った。
「方法はあります」
俺がそう言うと、考えるように視線を外していたアンバスさんが俺を見た。
「ハルに協力してもらいます」
「ハル?」
アンバスさんはそう言うと、眉を寄せた。
「ハルは外に控えているロイの執事ですよ。敏腕の執事」
アルは扉を指差しながらそう言った。
「身内に内通者がいる俺が言うのも何だが……信用できるのか?」
アンバスさんは真剣な目で俺を見た。俺はその目を逸らさずに口を開いた。
「アンバスさん。ハルは父の代からここに仕えている執事です」
「そうそう、信頼できますよ。いろいろと」
アルが合いの手を入れるように口を挟んだが、俺は気にせずに続けた。
「少なくとも、俺はアルよりもハルを信頼してます」
「そうそう、俺よりも……って何それ?」
アルが驚いた顔をして俺を見るのが分かった。その様子を見たアンバスさんが目を丸くした後、はははと笑った。
「そうか、それなら心配ないな」
アンバスさんの言葉に、「それはないでしょ」とアルが肩を落とした。
アンバスさんはそんなアルを見て声を出して笑った。
「社交界は二人に任せるよ。何かあれば教えてくれ」
アンバスさんはそう言うと立ち上がった。俺もアルも立ち上がると、アンバスさんが俺の前に手を差し出した。
「はい。分かりました」
俺は差し出された手を握った。
アルはアンバスさんを見送るといってアンバスさんと共に部屋を出た。
俺はおもむろにアンバスさんと握手した手を見た。
ランを守る為に俺が出来る事……。
俺はその手を握りしめた。
「ハル、入って……」
ハルを呼ぶと、「はい」と言いながらハルが部屋に入るのが分かった。
俺は握り締めた手からハルに視線を移した。