19 影の存在
火事の記憶を取り戻した日から数日が経ち、私の体調もすっかり良くなった。
ロイ様とキスをした事を意識し過ぎないようにロイ様と接していたが、ロイ様が普段と変わらない様子なのに私も次第と普段通りに接することが出来ていた。
私はパンケーキの乗ったワゴンを押しながら廊下を歩いていた。
(今日はロイ様に暇をいただけるか聞いてみよう)
火事の記憶を取り戻した事は、アンバスさんには手紙で簡単に報告した。捜査資料も見たいとも。
だが、捜査資料は警察署まで行かないと見る事が出来ない。暇をもらうのは警察署に行くためだ。
私はいつものように、ロイ様にパンケーキを出し、隣でお茶の準備をしていた。お茶をテーブルに置いた後、私はロイ様の様子を伺いながら口を開いた。
「ロイ様、実はご相談があるんです……」
私がそう言うと、口をつけていたカップを置いて私の方を見た。
「相談……?」
「はい……、実は暇をいただきたいと思っていまして……」
「どうして……?」
私は警察署に行って捜査資料を見に行きたい事を伝えた。
「アンバスさんにお手紙は書いたんですが、捜査資料は警察署に行かないと見られないので……」
ロイ様はふと考えるように私から視線を外した。
「また前みたいになるかもしれないけど……見に行くの?」
ロイ様はそう言うと、心配そうに私を見た。私はその視線を受け止めるようにロイ様の目を見た。
「……記憶にいた男性が気になるんです。それに……母が死んだ理由、私が生きてる理由が知りたくて……」
捜査資料を見れば何か思い出すような気がする。
「怖くないの……?」
「えっ?」
ロイ様は私から視線を外して言った。
私は俯いて小さく息を吐いた。
本当は怖い。
怖くてたまらない。
「怖いです……でも……」
私はそう言って顔を上げた。
「もう逃げずに受け止めるって決めたので」
私はロイ様の目を真っ直ぐに見た。ロイ様は一瞬目を見開いた後、ふっと笑いながら目を細めた。
「ランは……強いね」
「そ、そんなことは……」
「良いよ」
「え?」
「警察署に行って」
「あ、ありがとうございますっ」
私はそう言って頭を下げた。
「その代わり……俺も一緒に行く」
(えっ……?)
私は頭を上げるとロイ様が優しい顔で私を見ていた。思いがけない言葉に私は目を丸くした。
「で、でも……」
ただでさえ忙しいロイ様に、私の為に時間を割いてもらうのは気が引けた。
「付いていく時間くらいどうってことないから大丈夫……」
私の気持ちを察してか、言い淀む私にロイ様が言った。ロイ様の優しさが嬉しい。
「……はい……」
私がそう言うと、ロイ様は満足そうに微笑んだ。
その時、扉がノックされた。
「会いに来たよ〜」
という言葉と同時にアルフレッド様が扉から顔を出した。
「ランちゃん調子戻った?もう大丈夫なの?」
アルフレッド様はそう言いながら私に近づいてきた。
「あ、はい。もうすっかり調子も良くなりました。ご心配をおかけして、すみませんでした……」
「なら良かった……」
アルフレッド様は私の前で立ち止まると優しく微笑んだ、が、すぐに表情が変わった。
「……ん?この甘い匂い……何……?」
匂いを確認するように顔を動かし、ロイ様に視線を移した。
「パンケーキの匂いかもしれないです」
その私の言葉は、「うわぁ〜!美味そう!」というアルフレッド様の声に掻き消された。
ロイ様はアルフレッド様を見る事なく黙々とパンケーキを食べていた。
「すごく美味そうっ、ロイちょうだいよ」
アルフレッド様はそう言ってロイ様に近づくも、静かに「嫌…」と言われ、アルフレッド様が肩を落とした。私はロイ様の空いたカップにお茶を注ぎながらその様子を見ていた。
(アルフレッド様って可愛い所があるんだなぁ)
「アルフレッド様もお召し上がりになりますか?」
私がそう言うと、アルフレッド様は期待を込めた目で私の方を見た。
「食べる」
「では、作って参ります。少しお待ち頂けますか?」
笑顔でそう言ってティーポットをワゴンに置いた時、アルフレッド様が驚いた表情をした。
「作るってランちゃんが作るの?」
「えっ?あ、はい、そうですけど……」
私が答えると、アルフレッド様がロイ様へ視線を移した。
「ってか、ロイ……、毎日ランちゃんの手作りパンケーキ食べてるの?」
「毎日ではない……」
アルフレッド様とは対照的にロイ様は落ち着いた口調で答えた。
「はぁ〜、ランちゃんの手作りパンケーキが食べられるなら、毎日でもランちゃんに会いに来たいよ〜」
「来なくていい……」
私は2人のやり取りに思わず笑ってしまった。
「では、作って参ります」
そう言って背を向けた瞬間、ロイ様に引き止められた。
「ラン……、おかわりが欲しい……」
(えっ?いつもおかわりされる事はないのに……)
私が驚いていると、私以上にアルフレッド様が目を見開いて驚いていた。すると、表情が戻ったアルフレッド様は振り向いて私を見た。
「ロイがおかわりするなら……」
そう言うと足早に私に近づくと、ぐっと腰を引き寄せられた。
(えっ?えっ?)
もう片方の手が私の頬に当てられた。私が驚いていると、アルフレッド様が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「俺は、ランちゃんも食べちゃおうかな〜」
(えっ?えぇ〜!)
抵抗する間もなくアルフレッド様の顔が近づいて来る。
(キ、キスされーーー!?)
私は思わずギュッと目を瞑った瞬間、ロイ様が落ち着いた声でアルフレッド様の名を呼んだ。
「アル。うちのメイドで遊ぶのやめてくれる」
ロイ様の声に私は目を開けると、アルフレッド様の顔が離れていくのが分かった。
「はぁ〜……仰せのままに、ご主人様」
アルフレッド様はそう言うと私から手を離した。
(び、びっくりしたぁ……)
心臓がドキドキしている。
私は俯いた顔を上げる事が出来ないでいた。
その時顔の近くに気配を感じた。そちらを見るとアルフレッド様が私の顔を覗き込んでいた。
「またロイに邪魔されちゃったね」
私にしか聞こえないような小さな声でそう言うと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なっ!」
顔が一気に熱くなるのが分かる。
「パ、パンケーキ作ってきますっ!」
私は慌ててワゴンを押しながら逃げるように部屋を出た。
(また、からかわれたっ)
私はワゴンを押しながら足早に廊下を歩いていた。アルフレッド様を少しでも可愛いと思ったのを後悔した。ロイ様に止められなければキスをされていたかもしれない。ロイ様の助け舟にホッと安堵した。
でも……
(私はロイ様にとって、いちメイドでしかないんだなぁ〜)
そう思うと何だか寂しい気がした。
(っていうか、そんな事よりパンケーキ作りに行かなきゃ!)
私はパンケーキを作る為厨房へ急いだ。
++++++++
「やっぱりランちゃん可愛いな〜」
アルはそう言うと、ニコニコしながら向かいのソファに体を預けるように腰掛けた。そんなアルを俺は冷ややかな目で見た。
「ランをからかうのも大概にして」
「何で?」
「ランが困ってた」
アルは俺を見ると口角を上げてニヤリと笑った。
「ロイが困る、の間違いじゃないの?」
「…………」
アルが気に入らない理由はここにある。何でも知っているような口ぶり。余裕のある態度。他の女なら兎も角、ランを相手にからかうのは気に入らない。
俺は眉を寄せてアルを睨みつけた。相変わらずアルは口角を上げて俺を見ていた。
俺はカップに口をつけた。
「……それで用件は?」
俺がそう言うと、アルは体をソファに預けるように天井を見上げながら言った。
「あ〜、ランちゃんを警察署には連れて行かないで」
「……理由は?」
俺が聞くとアルはソファから体を起こした。
「警官でキュリオ卿の内通者がいるらしい」
アルに言われても俺は驚かなかった。
キュリオ卿は計算高い人物だ。警官の1人や2人買収されていてもおかしくない。
「ランちゃん、刑事さんに手紙を書いたらしいね。捜査資料も見たいとか……」
「…………」
「盗み聞きしたと思ってるんでしょ?まぁ……、否定はしないけど。まぁ手紙の事はここに来る前に刑事さんから聞いてたから許してよ」
アルの言う通り、アルが部屋に入ってきた時点でランとの会話は聞かれていたとは思っていた。さほど驚く事はない。
「刑事さんが近いうちに、お前宛てとランちゃん宛に手紙を書くって言ってた」
アルはそう言うと、また体をソファに預けて天井を仰いだ。
「まぁ、刑事さんの事だから捜査資料持ち出してランちゃんに見せるんだろうけどね。ランちゃんも見る事を望んでるし。それに社交界も近いしね」
俺はアルから視線を窓に移した。
そう、社交界が近い。
今回の社交界は、国の要人、貴族も招いて盛大に行う。今年はハーゲン家一同が協力し合って開催する事になっている。
これからアルも打ち合わせなどでここに来る機会も増え、情報交換はしやすくなる。
ただ、その社交界にはキュリオ卿も出席者に名前が挙がっている。
俺はランの事が心配だった。
捜査資料を見て記憶を取り戻したら……。火事の記憶を取り戻した時のランの様子を思い出すと胸が苦しくなる。
ランはどれだけ辛い思いをしないといけないのか。
(俺が出来る事って何だ……?)
何度も自分に問いかけても答えは見つからない。
「あ〜ランちゃんのパンケーキ早く食べたいなぁ〜」
アルは天井を見上げながら言った。俺の小さな溜息はそのアルの言葉と重なり消えていった。