17 現実
目を開けると見慣れない天井があった。
手を額に当てようとした時、額にタオルが置かれていた。
(……私……)
記憶を辿ろうとした時、頭に痛みが走った。
(っ!………そうだ……私、火事の記憶を思い出したんだ……)
体をゆっくりと起こした時、片方の手に何かが触れている事に気付いた。
「ラン……?」
名前を呼ばれハッと顔を上げた。
そこには心配そうに私の顔を覗き込むロイ様がいた。
「あ……」
ロイ様。それを言おうとしたが、喉が渇きすぎて声が出なかった。ふとサイドテーブルを見るとピッチャーとグラスがあった。私はそれに手を伸ばした。
「ああ、待って」
ロイ様は私の手を制して立ち上がった。グラスに水を入れると私に渡し、ベッドに腰掛けた。
私はグラスに口をつけた。冷たい水が喉を通る感覚を体中に感じた。
「はぁ……」
お礼を言おうと顔を上げた時、ロイ様が私の頬に触れた。
「まだ熱があるね……。解熱剤があるけど、飲めそう?」
私はこくりと頷いて、ロイ様から渡された薬を飲んだ。
「……ありがとうございます……」
私が少し笑ってそう言うと、ロイ様は安心したように微笑んで私の手のグラスを取るとサイドテーブルに置いた。
パチッーーー
暖炉の薪が跳ねる音がした。私が暖炉に目を向けると、燃える炎がゆらゆら揺れている。私は直ぐに暖炉から目を逸らした。
「ラン?」
俯いていた顔を上げてロイ様を見た。ロイ様は心配そうな顔をしている。
(私、ロイ様に心配かけてばっかりだ……)
「すみません……私……ロイ様に心配かけてばっかりですよね……」
そう言って苦笑いした。
「火事の時の記憶を……思い出したんです……。今まで火を見ても何ともなかったのに……」
そう言って私はもう一度暖炉の火を見つめた。すると、手に暖かいものが触れた。膝に乗せていた私の手にロイ様の手が重なっていた。ロイ様の表情は、何も言わなくて良い……そう言っているような表情だった。
(でも……)
「……家の中はもう火が広がってて……煙が充満してました……」
私は目を伏せて話し始めた。
ロイ様が息を呑んだのが分かった。
「母の顔はもうぼやけてなくて……。母の体は家具の下敷きになっていて動けなくて……。助けようとして手を引いてもダメで……」
ロイ様が私の手をゆっくりと握り締めた。
「早く逃げなさいって言われたけどこのまま手を離したらもう会えない気がして、私は嫌だって……。その時、男の人が私の腕を掴んだんです……。顔はぼやけていてよく分からなかったんですが、私はすごく怖くて、勢いよく振り払ったけどまた直ぐ掴まれて……」
私は暖炉の炎に視線を移しながら片方の手で腕に触れた。
「私は嫌だって言ってるのに……どんどん母から離されて……。手を伸ばすのに母には届かなくて……」
私はロイ様の手を握った。すると、ロイ様は握り返してくれた。
「お母さんって叫んだ瞬間に……母に炎に包まれた柱が……。私は助かったのに……母は……」
涙が頬を伝った。
「ラン……」
私はロイ様にゆっくりと抱き締められた。暖炉の炎が涙で滲む。
「母が……最後に……ごめんねって言ったんです……」
「………」
ロイ様は抱き締める腕に力を入れた。
「何で謝ったのかな……。どうして私は生きてるのかな……」
「ラン……」
(ダメ……、もう止められない……)
「もっと力があったら……腕を振り払って……母を……」
「もういい……」
ロイ様の声は優しかった。私はロイ様の腕の中で頭を振った。
母が謝ったのは何故……?
でもその疑問以上に、私だけ生きているという罪悪感が私を支配していた。
もしかしたら助けられたかもしれない。
私があの場に留まれば何かが変わったかもしれない。
今まで母が死んだ事実を受け入れているつもりだった。でももう本当に母はいない。
母が死んだという現実と私だけ助かったという罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。
「私は……母を……置いて……」
そう言いかけた瞬間、私はロイ様の手で両頬を包まれ上を向かされた。ロイ様と目が合った瞬間、ロイ様の唇が近づき私の唇と重なった。
触れるだけのキス。
ロイ様は唇を離すとそのまま額をくっつけた。
「もういいから……」
ロイ様の息が顔にかかった。私は軽く頭を横に振ると目を閉じた。
「……分かったから……」
ロイ様はもう一度私を抱き締めてくれた。ロイ様の鼓動が聞こえる。
私はゆっくりと目を閉じた。
目を閉じているのに、閉じた瞼からどんどん涙が溢れてくる。
私はロイ様の背中に腕を回した。するとロイ様は頭を撫でてくれた。
(暖かい……)
私が腕に力を入れるとギュッと抱き締め返してくれる。
涙が止まらない。次第に声が抑えられなくなってきた。
「我慢しなくていい……」
ロイ様の声が頭の上からした時、私はロイ様の胸に顔を埋め、背中に回した手でロイ様の服を掴んだ。
炎の中で母が最後に言った言葉……
『ごめんね……』
どうして謝ったの?
それを確認するすべはない。
もう母に会う事は出来ない。
「…お…かあ……さ…んっ…。」
もう声を我慢する事が出来なかった。まるで糸が切れたように、子供のように私は声を出して泣いた。
ロイ様はそんな私をずっと抱き締めてくれていた。
+++++++
ランが落ち着いたと思ったら、ランの体からフッと力が抜けたのを感じた。体を離して顔を見ると、呼吸が荒く顔の赤みが強くなっている。頬に触れるとひどく熱かった。
(熱が上がってる……)
辛い記憶を思い出し、身も心も相当堪えているのだろう。俺はぐったりしたランの体をベッドへ寝かせた。涙と汗を拭いたあと、氷水に浸してあったタオルを絞って額に乗せる。
俺はランの話を思い返した。
ランの腕を掴んだ男は誰なのか。いずれは思い出すのかもしれない。その時ランはまたこうして辛い思いをするのか……?
胸が締め付けられる思いがした。
(俺がランに出来ることって何だろう……)
ふと窓を見ると閉められたカーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのが分かった。俺はランの手に触れると立ち上がり、部屋を後にした。