15 炎の記憶
「今夜はぐっと寒くなりそうね〜」
サチさんが洗濯物を畳む手を止めて窓の外を見ながら言った。
「そうですね」
私もつられて外を見た。
「そろそろ暖炉に火を入れようかしら……。ランちゃん、ロイ様の部屋をお願いして良い?」
「はい。今から行ってきます」
「マッチはあの棚の引き出しにあるから」
「分かりました」
私はそう言ってマッチ箱を持って洗濯室を出た。
ロイ様の部屋へ行く途中、ガチャッとエントランスの扉が開かれた。ハルさんが扉を開けた直後にアルフレッド様が入ってきた。
「あっ……アルフレッド様。こんにちは」
私は足を止めてアルフレッド様に一礼した。
「おっ、ランちゃん」
アルフレッド様は嬉しそうにそう言うと私に近づいてきた。私は警戒しつつ頭を上げた。
「今日はロイに用事なんだよね〜」
警戒していた私に気づいたのかそう言うと、私に悪戯っぽく笑った。
「あら、アルフレッド様」
奥からエントランスの扉の音を聞きつけたサチさんが出てきた。
「ランちゃん、ご案内お願いね。私はお茶の準備をするから」
その言葉にアルフレッド様は「すぐ済むから良いよ」と言ったが意気揚々と厨房へ向かったサチさんには聞こえていないようだった。私はアルフレッド様と目を合わせ2人で苦笑いをして、ロイ様の部屋へと向かった。
「サチさんのああいう所変わらないなぁ」
アルフレッド様がボソッと言った。私はフフッと笑った。
「そう言えば、ランちゃんマッチ持ってるけど……」
「はい、今夜は寒くなりそうなので暖炉に火を入れようと思いまして」
「ああ、そういう事ね」
アルフレッド様と話しているとロイ様の部屋の前まで来た。
扉をノックすると、「入って」とロイ様の声がしたので、私は扉を開けた。
「ロイ様、アルフレッド様がお越しです」
私がそう言って扉を開けながら部屋に入ると、ソファに座っていたロイ様は振り返るように私の後ろにいるアルフレッド様を見て、何も言わずに読んでいた本に視線を戻した。
「相変わらずだね〜。今日は話があってさ」
アルフレッド様はそれだけ言うと部屋の空いているソファに腰掛けた。
「ロイ様、今夜は寒くなりそうなので暖炉に火を入れようと思うのですが、よろしいですか?」
私が確認すると、ロイ様は本から視線を外さずに「ああ」と言った。
「ランちゃん、暖炉やり終わったら外してくれる?」
アルフレッド様は私にそう言うとロイ様の表情を伺うようにロイ様へ視線を移した。
「あっ、直ぐにっ」
私がそう言うと、アルフレッド様は「ゆっくりで良いよ」と声をかけてくれた。
私は暖炉のそばにしゃがんだ。
薪を焚べてマッチを擦った。紙に火を移し、それを薪に近づける。フーと息を吹きかけると火が薪に少しずつ移っていく。大きく息を吸った時、煙を吸い込んでしまい私は咳き込んだ。
「ランちゃん大丈夫?」
「ゴホッ……だ、大丈夫です、ケホッ」
私はアルフレッド様を見るように顔をあげてそう言うと、視線を直ぐに暖炉に戻した。
その時だった。
心臓がドクンッと一際大きく跳ねた。
「っ!!!」
(っ……この感覚っ……)
私は燃える薪の炎をじっと見つめた。その時頭に鋭い痛みが走る。
(っっ!!!)
私は勢いよく立ち上がった。何故か炎から目が離せない。後ずさりをした時、ガシャンッと大きな音がした。
心臓が波のように打ち、鼓動に合わせて頭に激しい痛みが走る。その時、一瞬燃えている家が頭をよぎった。
「……はっ……っ……」
(……く、苦しい……)
呼吸が苦しい。何かが胸につかえて上手く呼吸が出来ない。
その次の瞬間、私は燃え盛る家の中にいた。
『早く行きなさいっ!早く家から出るのっ!』
女性は私の手を振りほどいて離れるように言う。女性の顔はもうぼやけていない。
(お母さんっ!)
私はイヤイヤと頭を振って頑なにその場から動こうとしなかった。
「お母さんも一緒じゃなきゃ嫌だっ!」
お母さんの体には倒れたチェストが覆い被さっている。
『直ぐに追いかけるから大丈夫よ……』
お母さんはそう言うと私の頬に触れた。
私は感じていた。このままお母さんを置いていったらもう会えない気がする。
「イヤっイヤだよっ!」
その時だった、誰かが私の腕を掴んだ。
『お前はこっちだ!早く来いっ!』
私はその男性の声に体をビクッと震わせた。
(こ、怖いっ!)
男性の顔はぼやけてよく分からない。
「イヤっっ!!」
私は思いっきり掴まれた腕を振り解いた。しかし、振り解いた手は直ぐに私の腕をまた捕らえた。力一杯抵抗してももうその腕は振り解く事は出来なかった。
「お母さんっ!!」
私は男性に引っ張られていく。離れていくお母さんに手を伸ばしてももう届かない。
『……ラン……ごめんね……』
お母さんがそう言った直後、お母さんに火だるまになった柱が倒れた。
「ーーーンっ!ランっっ!!!」
「っ!!!」
目の前にロイ様の顔が飛び込んできた。
名前を呼ばれて我に返った私はロイ様に肩を鷲掴みにされていた。ロイ様の目は戸惑いで揺れている。
「わ……わた……し……」
絞り出すように声を出す。
私はお母さんを置いていった……。
私だけ助かった……。
溢れた涙がどんどん頬を伝う。頭の鋭い痛みが意識を奪おうとする。
「お……かあ……さーーー」
私は意識を保てずそのまま意識を失った。
++++++++
ランが煙を吸い込み咳き込んだ次の瞬間、ランが勢いよく立ち上がるのが目に入った。
「ランちゃん……?」
アルがランに声をかけた時、ランが勢いよく後ずさりをしてサイドテーブルの時計が床に落ちた。時計が落ちて大きな音を立てた直後、ハルが慌てて部屋に入ってきた。
(ランの様子がおかしい……)
そう思って立ち上がった時、アルがランの腕を掴んだ。その瞬間、ランが体をビクッと震わせ、勢いよくアルの手を振り払った。それを見て俺とアルは一瞬だけ顔を見合わせた。
「お……かあさ……んっ」
ランは変わらず暖炉から目を逸らさない。
(まさか……記憶を……?)
ランが髪の毛を掴むように頭を抱えた。呼吸がますます乱れていくのが分かった。
俺は勢いよくランの肩を掴んだ。ランはそれを振りほどこうとする。振りほどかれないようにランの両肩を掴むと、名前を呼んだ。
「ランっ!」
ランの目は俺を見ているが、その目は焦点が合っていない。色の違う目が激しく揺れている。
(記憶を思い出してる……?)
俺は掴んだ肩を激しく揺すりながら大きな声で名前を呼んだ。
「ランっ!!!!」
その瞬間ランと目が合った。
「わ……わた……し……」
か細い声は静かになった部屋には十分な大きさだった。俺は掴んでいた手の力を少しだけ抜いた。
瞬きをしていないランの目から涙がどんどん溢れてきた。
「お……かあ……さ……」
ランは俺にしか聞こえないような小さな声でそう言った瞬間、ランの強張っていた体はフッと力を無くし、俺は慌ててその体を抱き締めた。
体を離してランの顔を見ると、その瞼は固く閉じられランは意識を失っていた。
「ランっ」
名前を呼んでも反応はない。呼吸は荒く、頬が紅潮している。首筋を汗が伝っていた。額に手を当てるとひどく熱かった。
「ハルさん、医者を呼んで……」
アルがハルに指示を出すと、ハルは「畏まりました」と言って直ぐに部屋を出た。
俺はランを横抱きにすると、息を飲んで固まっているサチさんに気付いた。
「サチさん……」
サチさんは俺の腕でぐったりしているランを凝視したまま固まっていた。俺がもう一度声をかけようと口を開いた瞬間、アルがサチさんの肩に手を置いた。
「サチさん……」
肩をビクッとさせて我に返ったサチさんがアルを見た。
「ランちゃん、ひどく汗をかいてるから着替えと、氷水を持ってきてくれる?」
「あ……はいっ、か、畏まりましたっ」
サチさんはそう言って慌てて部屋を出て行った。
俺はゆっくり部屋のベッドにランを下ろすと、ベッド脇に腰を下ろした。持っていたハンカチで汗と涙を拭ってやる。時々苦しそうに眉を寄せながら、ランは目を閉じている。
(まだ記憶を思い出してる……?)
アルがベッドに近づいたのが分かった。
「話には聞いたけど……ここまで体に負担がかかるなんて……」
アルが呟くように言った。
俺は優しく頬に触れた。紅潮した頬はひどく熱い。
その時、沈黙を破るようにアルが口を開いた。
「ロイ、こんな時に悪いけど……話があるんだ」
「話……?」
いつになく真剣な表情のアルに胸騒ぎがした。
アルは決して空気を読めない奴ではない。
ランがこんな時にでも敢えて俺に話す必要があるという事に、話の内容はランに関わる事であると容易に想像がついた。
その時ガチャリと部屋の扉が開いた。
サチさんがワゴンに氷水の入ったボウルとタオル、ランの着替えを乗せて、部屋に入ってきた。ノックもない事にサチさんの動揺がよく分かる。
俺はベッドから立ち上がると扉に向かった。
「サチさん、ちょっと外すよ。ランを頼むね」
「……はい」
俺はそう言って部屋を出た。
アルもサチさんに声をかけて俺の後に続いた。