14 近づく影と2人の距離
私が買い出しから帰ると見慣れない馬車が屋敷の前に停まっていた。
屋敷に入るとサチさんが私の元に来た。
「只今戻りました。お客様ですか?」
私は上着を脱ぎながら聞いた。
「そうなのよ。ランちゃん、おかえりっ」
「珍しいですね、お客様がこられるなんて……」
「さっき来たばかりなのよ。実はね……」
サチさんが言うには、キュリオ公爵という人物がロイ様に会いに来られているとの事。
キュリオ公爵はハーゲン家と隣り合う土地を所有している人物で、一部の土地を共有して所有出来ないかと相談に来たらしい。
ロイ様のお父様が当主をされていた時も同じように来られていたとか。
(私にはよく分からないかも……)
サチさんの話を聞きながらそんな事を思いながら、ロイ様とキュリオ公爵様が話し合う応接室の部屋の扉を見つめた。
ロイ様のしている仕事は、私には全く接点がない政治という分野。
(私と歳は変わらないのに……ロイ様ってすごいなぁ〜……)
私の知らないロイ様の一面を見た気がする。
まだ知らない一面があるのかもしれないと思った時、ロイ様が少し遠くにいってしまう様な気がした。
(私の知らないロイ様がもっとあるのかな……)
ロイ様の新たな一面を見られる期待よりも、またロイ様を遠くに感じてしまうのではないかという寂しさの方が強かった。
私は固く閉ざされた扉を見ながら溜息をついた。
「じゃあ、これお願いね」
サチさんの声で我に返った私がサチさんを見ると、ティーセットの乗ったワゴンを私に近づけた。
「えっ?」
「私なんかが行くよりも、若いメイドの方が絵になるから」
サチさんは私にそう言うと、私の持っていた買い物カゴとワゴンを交換した。
突然の事に驚いている私を尻目に声をかける間もなくサチさんはそそくさと行ってしまった。
(まぁ……いっか……)
私はワゴンを押して、応接室の扉をノックした。
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「それはお受けできません」
「しかし……!」
「どの様な条件でものむつもりはありません」
「お互いの利益をーーー」
「利益は問題ではない。それをキュリオ卿、あなたが1番ご存知ではないですか?」
俺がそう言うとキュリオ卿は言葉に詰まった。
初めから分かっている。
キュリオ家にとってハーゲン家は目の上のたんこぶだ。ハーゲン家の一部の土地が手に入ればキュリオ卿が動きやすくなるのも分かりきっている。
キュリオ卿は難しい顔をして目を伏せた。
「残念だ……」
一言そう言うと溜息を着いた。
その時ドアをノックする音がし、「失礼します」という言葉と一緒にランが入ってきた。ティーセットの乗ったワゴンを押して俺とキュリオ卿のいるソファへと近づいた。
その時、キュリオ卿の表情が驚きからゆっくりと目を細め、ランの方をじっと見ているのに気がついた。その目はまるで笑うように細められていた。
ランがお茶をキュリオ卿の前に出すと、
「君は……」
と、キュリオ卿がそう言った。その時ランが視線をキュリオ卿に移した。
「うちのメイドです」
俺はキュリオ卿の言葉を遮るように言った。
「ランと申します」
ランはキュリオ卿に向き直ると頭を下げて挨拶をした。
「目が……左右色が違うんだな。これは珍しい」
キュリオ卿はランの顔をまじまじと見た。
「生まれつき色が違うんです」
ランは何度も同じ事を言われているのだろう。社交辞令のように柔らかく笑って答えた。
俺はその様子を出されたお茶に口をつけながら見ていた。
「ラン、下がって良いよ」
お茶を出し終わりワゴンの横に控えたランに声をかけ、ランを部屋から出した。
ランを見たキュリオ卿の反応に、ランをキュリオ卿に近づけてはいけない、そんな気がした。
キュリオ卿はお茶を一口飲むと立ち上がった。
「時間を取らせてしまって申し訳なかった」
そう言うと応接室から出た。
「お見送りを……」
ハルは俺にそう言うと、キュリオ卿に続いて部屋から出た。
応接室に1人になった俺はカップのお茶を口に流し込むと、テーブルに置いた。静かな応接室にカチャリとカップを置く音が響いた。
俺はキュリオ卿の表情を思い返していた。
普段態度をあまり変えないキュリオ卿があんな表情をしたのを初めて見た。
(明らかにランを見て表情が変わった……)
ランはそんなキュリオ卿に何も感じていないようだった。
俺はいなくなったキュリオ卿の姿を追うように、閉じられた扉を見つめた。
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「よしよし、いい子だね」
私は厩舎で馬のブラッシングをしていた。
「馬もだいぶランちゃんに慣れてきたみたいだね。安心してるみたいだ」
御者のバリスさんがもう一頭の馬をブラッシングしながら言った。
「そうですか?嬉しいなぁ」
私は馬の顔を撫でながら言った。
私が馬のブラッシングを手伝い始めたのはメイドとして働き出して少し経ってからだった。
何気なく空き時間に屋敷の周りを歩いていた時、馬の鳴き声が聞こえて厩舎を見つけた。中に入るとバリスさんが馬のブラッシングをしていた。
バリスさんと話をするうちにブラッシングのやり方を教えてもらった。
「好きな時間に来ていいからね」
バリスさんはそう言ってくれて、私はその言葉に甘えて空いた時間に厩舎へ来るようになった。
動物と触れ合うと心が落ち着いて癒される。
撫でていると馬が顔をすり寄せてきた。
「顔をすり寄せるのは甘えている仕草だよ。ランちゃんを気に入っているんだね」
「ふふ、可愛いですね」
私が撫でると馬は気持ちよさそうに目を閉じた。
その時だった、バリスさんが厩舎の入り口を見ると声を出した。
「ロイ様。今日はどちらへ?」
バリスさんは慣れた手つきで馬を引くとロイ様の元へ馬を連れて行く。
私は何気なくその様子を見ていた。
「きゃっ!」
その時、馬の濡れた鼻が顔に当たり冷たさに驚いて声を上げた。
馬がその声に驚いて足をバタつかせた。
バリスさんが駆け寄って馬を落ち着かせてくれた。
「すみませんっ」
私が言うとバリスさんは微笑みながら「大丈夫だよ」と言ってくれた。
「ラン?」
声のする方を見ると、ロイ様が馬の手綱を持ちながら不思議そうに私の方を見ていた。
「ロイ様、ランちゃんは時々ブラッシングを手伝ってくれているんですよ」
ロイ様の顔を見たバリスさんが私より先に話してくれた。
「そうなの……」
ロイ様が手綱を引きながら落ち着きを取り戻した馬に近づいた。
「馬には乗ったの?」
ロイ様はそう言いながら馬の顔を撫でた。
「あ、いえ。乗ったことはないです……」
私は持っていたブラシを体の前で握りしめた。
「乗ってみる?」
ロイ様が馬から視線を外して私を見ると優しく笑って言った。
「そ、そんな私には無理ですからっ」
突然の提案に、私は体の前でブンブンと手を振ってそう言うと、ロイ様が私の手を握った。
「おいで」
そう言ったロイ様に手を引かれた。
「え?っえっ……」
歩き出したロイ様に手を引かれるまま私も歩き出した。後ろを振り返るとバリスさんがいってらっしゃいと手を振っていた。
「バ、バリスさんっ!」
バリスさんに助けを求めるように呼んだが、虚しくも厩舎の扉は閉まった。
ロイ様は私の手を離すと慣れた動作で馬に跨り、私の前に手を差し出した。
「はい」
「えっと……」
差し出された手に戸惑っているとロイ様が口を開いた。
「大丈夫だから……おいで」
ロイ様が穏やかな表情で私を見下ろしていた。
『大丈夫』
その言葉がすとんと胸に入った瞬間、私はロイ様の手を取っていた。ロイ様は私の手を引くと、体がフワリと浮き、私はロイ様の前に横座りで馬に乗った。
「行くよ」
ロイ様の声がして、ハッと顔を上げた瞬間、馬が勢いよく走り出した。
「きゃあっ!」
私は悲鳴に似た声をあげるとロイ様にしがみついた。
馬はどんどんスピードを上げていく。
(お、お、落ちちゃうっっ!)
そう思った時、ロイ様が私の腰を引き寄せた。
「もっとちゃんと俺に腕回して。落ちちゃうから」
私は言われた通りにロイ様の腰に手をまわすと全身でしがみついた。私は怖くて目をぎゅっと閉じた。
「ラン、着いたよ」
私はその言葉で目を開けた。
「ほら、見てみて」
体を離してロイ様の顔を見ると、ロイ様は遠くに視線を向けていた。ロイ様の視線の先を見ると、見晴らしの良い広い草原があった。
風が草原の草を揺らしている。
「うわぁ……綺麗……」
ロイ様はするりと馬から降りるとまた私に手を差し出した。私はゆっくりとその手を取って馬から降りた。
「時々ここに来てるんだ……」
ロイ様は穏やかな優しい表情で草原を見ながら言った。
そういえば、ロイ様はお休みなのに屋敷にいない事があった。
(馬でこの場所に来てたんだ……)
ロイ様は草原に腰を下ろすと私を見上げた。
「座って」
私もロイ様の隣に腰を下ろした。
ふと目の前に小さなピンク色の花が咲いていた。
おもむろにその花に手を伸ばした。
「どうかした?」
「最近……母の事を思い出すんです……」
そう言ってロイ様を見ると心配そうな顔をしていた。
「あっ、母の事と言っても火事の記憶とかではなくて……母は花が好きだったなぁとか、母の作ったシチューが好きだったなぁとかそういうちょっとした記憶を思い出すんです。相変わらず顔は思い出せないんですけどね」
私は苦笑いしながらロイ様を見た。
「そっか……」
そう言うとロイ様の表情が少し和らいだ。
母の話をするとどうしてもしんみりしてしまう。話題を変えようと私は口を開いた。
「ロイ様、最近お忙しいですね……、体調は大丈夫ですか?」
最近、ロイ様は夜遅くまで書斎にいる日が続いていたので気になっていた。
ロイ様は私から視線を外すと「大丈夫」と言った。でも、その横顔は何だか寂しそうだった。
「ロイ様のお仕事は大変なお仕事ですよね。政治とか経済とか……私にはよく分からないですけど……すごいなぁって思います」
「すごい?」
「難しすぎて私には絶対無理だなって思うので……」
「そうかな?難しい事なんてない。教育を受ければ誰にでも出来るよ」
そう言ったロイ様は表情を曇らせた。
教育を受ける。
ロイ様はお父様の事を言っているのかな。
時々見せる寂しそうな表情は、昔の事を思い出してるから?
「お父様のですか?」
考えていた事が不意に自分の口から出た事にハッとして私は手で口を抑えた。
ロイ様は驚いた表情をしている。
「あっ、私、余計な事をっ。す、すみませんっ!」
慌てて謝るとロイ様はフッと笑った。
「サチさんから聞いたの?」
ロイ様は私を見る事なく言った。
「えっと………はい……」
「そっか……」
私は余計な事を言ってしまった後悔の念に苛まれ、顔を上げる事が出来ないでいた。
「母が死んでから……父も俺も変わった」
ロイ様の言葉で私は顔を上げると、ロイ様は遠くを見つめたまま続けた。
「ランも知ってるでしょ?俺が何て言われてるか」
『人形だもの、その辺に置いて飾るのが1番かもしれないわ』
女性達の言葉が頭をよぎった。
「それに……俺は父の残した物を受け継いだだけ。だから、すごくも何ともないよ。」
ロイ様は自嘲するように言った。でもその顔はとても悲しげだった。
「……そうでしょうか……」
「っ……?」
ロイ様が目を丸くして私を見た。その反応に私はまた口を押さえた。
(わ、私何言ってっ。もう私のバカっ!)
謝ろうと口から手を離した瞬間、ロイ様がそれを遮るように言った。
「ランの意見聞きたい。話して」
ロイ様は穏やかな表情に変わっていた。私は深呼吸をひとつすると口を開いた。
「少なくとも……ロイ様は人形なんかじゃないです。というか、ロイ様を人形なんて呼ばれたくないです」
ロイ様の目が一瞬見開いた。
「笑ったり、悲しい顔をしたり……、ちゃんと心が通ってる……。私は優しいロイ様を知ってるから……人形なんて呼ばれるの、私は嫌です……」
私が辛い時抱き締めてくれたり、側にいてくれた。
人形なんかじゃない。人形だなんて言われたくない。
「それに……ロイ様は頑張ってると思います」
「頑張ってる……?」
「はい。こんな私が言うのも図々しいんですけど……」
私は草原に視線を移した。
「ロイ様はお父様の残したものを受け継いだだけだって仰いましたけど……私はそうは思わないです。受け継いだものを守っていくのって新しい事をするよりもきっとすごく難しいし……それを残すって、誰にでも出来る事じゃないと思います」
「………」
「頑張るって、我慢して努力するっていう意味なんです。今まで、たくさん我慢して、たくさん努力してるから今のロイ様があって……。だから、受け継いだものも守れるんだと思います。だから……ロイ様は頑張ってますっ」
私はそう言ってロイ様を見た。
ロイ様は驚いた表情をしていた。が、直ぐに視線を私から外すと立ち上がり、馬の側まで歩いて行った。
(あぁ……私……余計な事を言い過ぎちゃったかな……?ロイ様怒ってる……?)
私は謝ろうと勢いよく立ち上がった。
「……ありがとう」
(えっ……?)
「そんな風に言われたの初めて……」
ロイ様は遠くに視線を向けたまま言った。
「ランの言葉は力があるね」
ロイ様はそう言って私を見た。その表情は今まで見た中で1番穏やかで優しい表情だった。
(私の言葉で少しでも楽になれたのなら良かった。これからもロイ様が寂しくないように支えていきたいな……)
私が辛い時側にいてくれたように、私もロイ様の為に何かできたらいいな。
その時風が吹いた。
草原の草がゆらゆらと揺れる中、ロイ様のブラウンの髪もゆらゆらと揺れた。
(……綺麗……)
揺れる髪にどこか懐かしささえ感じる。
それと同時に胸がトクンと鳴ったのが分かった。私はロイ様から視線を外せずにいた。
「帰ろうか」
「っはいっ」
ロイ様は馬に跨ると私に手を差し出した。私は躊躇わずその手を取り、馬に乗った。
「帰ったらパンケーキ作って」
ロイ様が微笑みながらそう言った。
「はいっ」
私は満面の笑みでそう答えると、馬は走り出した。
私がロイ様の腰に腕を回すと、ロイ様はそれを確認するように私の腰を引き寄せた。
ロイ様の温もりが心地いい。私は頬が温かくなるのを感じながらゆっくりと目を閉じた。
揺られても行きに感じた怖さはなく、ロイ様の温もりがとても心地よく感じた。