12 もう一つの記憶
あったかい……
『ラン』
またこの声だ。私を呼んでる。
その時視界が開けると同時に鮮明な黄色が目に飛び込んできた。
(わぁ〜綺麗……)
目の前には一面に広がる花畑があった。
黄色い花が風に揺れてキラキラしている。
『ラン、出来たわよ』
声がして隣を見ると女の人が花冠を私に被せた。女の人の顔はぼやけてはっきりしない。
「ありがとう!」
私がそう言うと女の人はにっこり笑った。私も満面の笑みで彼女を見た。
私はそれから、その女性といっぱい遊んだ。すごく楽しい時間。顔がぼやけていても気にならない。それだけ私は幸せな気持ちで満たされていた。
「あ……」
私はベッドの上で目を覚ました。上体を起こして胸に手を当てる。
(温かい……)
まだ夢の余韻がある。前の夢とは違う、幸せに満たされる夢だった。
++++++++
「ロイ様、パンケーキをお持ちしました」
ノックをして声をかけると、中から「入って」という声が聞こえた。
「失礼します」
私はそう言いながらパンケーキの乗ったワゴンと一緒にロイ様の書斎に入った。
ロイ様は書斎のテーブルで書類を見ていた。
私はいつものように、ソファのテーブルにパンケーキのセッティングを始めると、ロイ様は立ち上がりソファへ移動すると腰掛けた。
黙々と食べているロイ様の横で私はお茶を入れ、テーブルに置いたその時だった。
ドサッーーー
という音がして、音のした方を見ると本が開かれた状態で床に落ちていた。本棚から落ちたようだ。
「あ、私戻してきます」
そうロイ様に声をかけ、本棚へ近づいた。
落ちた本を閉じながら持ち上げると、本の下に一枚の写真が落ちているのに気付いた。私はそれを拾い上げようと手を伸ばしたが、その写真を見て手を止めた。
(この……写真の場所……)
その写真の景色はまさしく今朝夢に見た花畑だった。1本の木の向こう側に黄色の花が一面に咲いている。
すると、私よりも先にロイ様がその写真を拾い上げた。
「この写真がどうかしたの?」
ロイ様は不思議そうな顔をしながら私に聞いてきた。
「実は……」
私はロイ様の手にある写真を見ながら夢でこの場所を見た事を話した。
「この花畑はここから少し離れた場所にあるよ。今は咲いてないけど、春になればこんな風に満開になる……」
(実際に存在する場所なんだ……)
夢ではなく記憶が夢として蘇ったのかもしれない。
「ラン、大丈夫……?」
考え込んでいた私の顔を覗き込みながら、ロイ様が言った。ロイ様は心配そうな表情をしていた。
「はい、大丈夫です」
私はそう言って胸に手を当てた。
「今朝の夢は嫌な夢じゃなくてすごく楽しい夢だったんです。胸の奥がこう温かくて……。だから大丈夫ですっ」
私はそう言ってロイ様に笑顔で答えた。少しだけロイ様の表情が緩んだのが分かった。
(心配してくれてるのかな……?何だか嬉しいな……)
夢とは違う温かさが胸に広がる気がした。
「この写真、ランにあげる」
ロイ様はそう言って、私に写真を差し出した。
「で、でも……」
「しおり代わりに使ってただけだし……」
私が見上げてロイ様の顔を見ると、「はい」と言って私の顔に写真を近づけた。
私はおもむろにそれを受け取り写真を眺めると、直ぐに視線をロイ様に戻した。
「あ……ありがとうございます」
私がそう言うと、ロイ様は「うん」と言ってソファに向かった。
私はその写真をエプロンのポケットにしまった。
持っていた本を棚に戻すと、ロイ様にお茶のおかわりを入れるため、ワゴンの側に戻った。
何だか少しだけポケットの中が温かくなる感じがした。
+++++++
「マリアさん元気そうで良かったなぁ」
私はお休みをもらって足取り軽く孤児院へ向かい、マリアさんに会ってきた。
事前にマリアさんに会いに行く旨を手紙で伝えていたからか、マリアさんはわざわざレストランの予約をしてくれていた。
2人で食事をしながら、私はメイドをしている事、夢に女性が出てくる事などを話した。マリアさんは「うん、うん」と聞いてくれていた。
レストランから孤児院に戻ると、孤児院ではみんなが焼き芋を焼いていた。私も混ざって子供達と一緒に過ごした。帰り際、マリアさんはお土産と言って焼き芋を持たせてくれた。
(今夜寝る前に食べようかな〜)
そんな事を考えていると、道の端に泣いている男の子を見つけた。
私はその子に駆け寄ると声をかけた。
「どうしたの?」
私はしゃがんで男の子の泣き腫らした目を覗き込んだ。
「おとう…さん…お…かあ…さんが……、いな…く…なっちゃ……」
「お父さん達とはぐれちゃったの?」
「うわぁ〜ん!」
(……迷子なんだ)
私は泣く男の子を落ち着かせようと抱き締めた。
「大丈夫。お姉ちゃんと一緒に探そう」
抱き締めた背中をさすってやると少しずつ男の子が落ち着いていくのが分かった。私は体を離し、涙で濡れた顔をハンカチで拭った。
「お父さん達とはどこで一緒にいたの?」
「……こうっ……えん……」
「そうか、公園か。お姉ちゃんと一緒に行ってみよ。ね?」
男の子はこくりと頷いた。
「名前は何ていうの?」
「アレン……」
「私はランって言うの。よろしくね」
私が笑顔でそう言うと、男の子はうんと少し笑って言った。私は立ち上がると男の子と手を繋いで歩き出した。
公園に着いてアレン君の両親を探すも見つからなかった。だんだんとアレン君の表情が曇っていく。
(警察署に行った方が良いかな……)
その時だった。
「ランちゃん」
突然声をかけられ振り向くとそこにはアルフレッド様がいた。
「馬車からランちゃんの姿が見えてさ」
そう言うとにこりと笑って近づいてきた。
「どうしたの?この子」
「実はーーー」
私は今までの経緯を簡単に説明した。
「今から警察署に行こうと思っていた所なんです」
そう言って隠れるように私の後ろにくっついるアレン君を見た。
(人見知りしてるのかな……?)
少し照れたように上目遣いでアルフレッド様を見る姿に自然と頬が緩んだ。
「なるほどね。それなら送るよ」
私がアルフレッド様に視線を移すと、アルフレッド様は馬車を指差した。
「そんなっーー」
悪いですと言いかけた時、今まで黙っていたアレン君が口を開いた。
「あれ、お兄ちゃんの馬車なの?」
「?……ああ、そうだよ」
「ふぅ〜ん……」
そう言ってジッと馬車を見つめているアレン君の顔を覗き込んでみると、目がキラキラと期待で輝いているように見えた。
そんなアレン君を見たアルフレッド様はアレン君に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「乗る?」
それを聞いたアレン君の表情がパッと明るくなった。
「乗りたいっ!」
アレン君は嬉しそうにそう言った。
「お姉ちゃん早く!」
私は手を引かれるままに馬車の前に来た。
アルフレッド様が馬車の扉を開けて、「どうぞ」と言うと、アレン君は嬉しそうに中に入った。するとアルフレッド様がスッと私の前に手を差し出した。
(え……?)
私はその手からアルフレッド様に視線を移すと、アルフレッド様が優しく微笑んでいた。
(私がこの手を取ってもいいのかな……?)
私が戸惑っていると、「これくらいはやらせてよ」とアルフレッド様が微笑んで、差し出した手を私に近づけた。
(……このまま拒否するのも失礼かな……)
私はそう思い、そっとアルフレッド様の手を取ると馬車の中に入った。
「うわぁ〜!すご〜い!」
アレン君は窓にかぶりつくようにして嬉しそうに言った。時々足をバタつかせ興奮しているのがよく分かる。
「アルフレッド様。ありがとうございます」
私は向かいに座るアルフレッド様に頭を下げた。
「良いよ、気にしなくて。それに、俺はランちゃんに会えただけですごく嬉しいから」
アルフレッド様はそう言うと顔を上げた私を見てニコッと笑った。
「あっ、……は、はい……」
私は恥ずかしくてアルフレッド様から視線を外した。
(アルフレッド様って恥ずかしい事をいとも簡単に言っちゃう人なのかも……)
会えて嬉しいと言われるのは嬉しい。
しかし、先日の壁まで追い込まれた出来事が思い出され、私は余計に恥ずかしくなり俯いた。
すると、スッとアルフレッド様の顔が近づいてきた。
「この前はロイに邪魔されちゃったしね……」
(っ!!!)
アルフレッド様が私の耳元で囁いたその吐息が髪を掠め、私は思わず片方の手で耳を押さえた。
アルフレッド様を見ると悪戯っぽく口元を綻ばせていた。
どんどん頬が熱くなっていくのが分かった。
「お姉ちゃんどうしたの?顔真っ赤だよ?」
突然横からアレン君の声がしたので驚いてアレン君を見ると、不思議そうな顔で私を見ていた。
「そ、そんな事ないよっ」
そう言った私がチラリとアルフレッド様を見ると、アルフレッド様が肩を揺らして笑いを堪えているのが分かった。
「赤いよ〜」
アレン君がニコニコしながら私の顔を覗き込んできた。
(子供って正直だから怖い……)
「そ、そうだっ、焼き芋あるけど食べる?」
話題を変える為に咄嗟に思い出した焼き芋を鞄の中から取り出すと、アレン君が目を輝かせた。
「わぁっ食べるっ!」
「はい、どうぞ」
アレン君に焼き芋も渡すと嬉しそうに半分に割った。
「焼き芋なんて持ってたの?」
アルフレッド様が可笑しいと言うように肩を揺らしながら言ったので、私は焼き芋を孤児院でもらった経緯を簡単に説明した。
隣を見るとアレン君が嬉しそうに焼き芋を頬張っていた。
「美味しい?」
「うん!」
(咄嗟に思いついた事だけど……こんなに嬉しそうな顔が見られて良かったかも……)
満面の笑みで食べる姿が可愛くて、私もつられて笑顔になる。
アルフレッド様もそんなアレン君を優しい表情で見ていた。
警察署に着くとアルフレッド様も一緒に警察署の中に入った。
受け付けの女性に声をかけると、女性は目をパチパチさせながら私を見た。
「あら、あなたは確か……」
私の色の違う目を見ているのだろう。二つの目が少しだけ左右に動いていた。
「あの……ランです」
「あ、そうそうランさんっ。お久しぶりです。あ、ちょっと待っててくださいね」
そう言って女性は立ち上がると私に背を向けた。
「あっ、待って下さい」
私は慌てて彼女を引き止めた。
「あの、今日はその用件じゃないんです」
私がそう言うと、女性は肩をすくめた。
「あなたが来た時はアンバス刑事を通すように言われてるんです」
そう言って奥へ行ってしまった。
アンバスさんとはずっと手紙でやり取りをしている。
私が警察署で倒れた日からアンバスさんは何かと私の事を気にかけてくれていた。
カフェで働いていた時はカフェに来てくれたりもしたし、メイドとして働き始めた事も手紙で伝えてあった。
(今日来たのは違うんだけど……)
別件なのにアンバスさんをわざわざ呼ぶのは何だか申し訳ない気がした。
「ランちゃん、警察署よく来るの?」
アルフレッド様の言葉で私はハッとして後ろにいるアルフレッド様を振り返った。アルフレッド様が不思議そうな顔をして私を見ていた。
「あ……えっと……」
(説明するにも長くなっちゃうし……何から話したらいいんだろう……)
私が言葉に詰まっていると「ランちゃん」と言う聞き覚えのある声がした。
声のする方を見るとアンバスさんが手をひらひらさせながら近づいてきた。
「あ、アンバスさんっ。今日は違う用件で来たんですっ」
私は慌ててアンバスさんに言った。
アルフレッド様からの視線が痛い。
「迷子の子を見つけたんです。ご両親を一緒に探したんですけど見つからなくて……」
アンバスさんは私と手を繋いでいるアレン君に視線を移した。
「おお、そうか、そうか」
アンバスさんはそう言ってアレン君に視線を合わせるようにしゃがむとニコッと笑った。
「もう大丈夫だからな」
そう言って立ち上がると受け付けの人に何やら話をした。
「俺と管轄が違うから対応は別でしてもらうよ」
アンバスさんは私達を見て言った。
直ぐに奥から女性警察官が出てきてアレン君に声をかけた。彼女は手を引いてアレン君を連れて行こうとしたが、アレン君は私の服の裾を握ったまま離そうとしなかった。
「お姉ちゃんと一緒が良い……」
小さな声でアレン君が言った。知らない大人に囲まれて戸惑っているのだろう。女性は苦笑いをして困った顔をしていた。
「あ、あのーーー」
私が「一緒に行きましょうか?」と言いかけた時、
「ランちゃん一緒に居てあげたら?」
そうアルフレッド様が言った。
アレン君はそれを聞いて私の顔を見上げて嬉しそうに笑った。私が視線をアルフレッド様に移すと、アルフレッド様は口元を綻ばせていた。
「はい、分かりました」
私はアレン君の手を握るとアレン君に微笑んだ。顔を上げてアルフレッド様を見ると、こくりと頷いてくれた。
私は2人に一礼してその場から離れた。
+++++++
警察署に入ると、ランちゃんは窓口の女性に声をかけた。そのあと、彼女は慌てて女性を引き止めた。
「あなたが来た時はアンバス刑事を通すように言われてるんです」
窓口の女性はそう言って奥へ行ってしまった。
「ランちゃん、警察署よく来るの?」
俺はふと疑問に思いそう聞くと、彼女は口籠って視線を彷徨わせた。
警察署でしかも刑事と面識があるとなるとよほど特別な何かがあるんだろう。俺は何となく興味が湧いた。
奥から男性が手をひらひらさせながら近づいてきた。彼女は彼が口を開く前に慌てた様子で話を切り出した。
「あ、アンバスさんっ。今日は違う用件で来たんですっ。」
(違う用件?)
俺は2人のやり取りをじっと見ていた。
俺の視線に気づいているのか、少し落ち着かない彼女を見て、ますます興味が湧いた。
アレンはランちゃんと奥へ行きたがり、彼女の服の裾を掴んでいた。それを見て、彼女に一緒に居てあげるように声を掛けた。
彼女は女性警官と一緒にアレンに付いて奥へ行った。その後ろ姿を見送った後、近くにいた刑事さんが口を開いた。
「君は、ランちゃんの知り合いなのかな?」
「はい。アルフレッド=ハーゲンと言います」
俺は自己紹介をして、手を差し出した。
「俺はアンバスだ。刑事をしてる」
そう言ってニコッと笑うと握手を返してくれた。
「ハーゲンという事は……、君がランちゃんの雇い主なのかな?」
アンバスさんはランちゃんがメイドをしている事を知っている。彼女の近況を把握しているという事は、親しく連絡を取り合っている事を表していた。その事実がますます俺の興味を煽った。
気づくと俺は、「はい、そうです」と答えていた。
「そうか、そうか。ランちゃんから聞いてるよ。記憶喪失の事を知った上で雇ってくれているってね。俺からもお礼を言うよ、ありがとう」
(記憶……喪失……?)
「いや、そんなお礼なんて……」
俺は出来るだけ表情を変えずにそう言った。握手していた手が離れると、彼は続けた。
「ランちゃんがどこまで話しているかは分からんが……。記憶が戻った時は直ぐに俺に言うように言ってあるんだよ。記憶が戻る時には体に負担がかかるようだからね」
「そうなんですね」
「記憶が記憶だ、放火犯逮捕の手がかりに少しでもなると良いんだが……」
アンバスさんはぼそりと言ったが、俺が聞き取るには十分だった。
すると、奥から彼を呼ぶ声がして、アンバスさんは、「おお、今行く!」と手を挙げた。
「ランちゃんには無理をしないように伝えます」
「ああ、頼むよ」
彼はそう言うと俺に背を向けて離れていった。それを見届け俺は近くにあったソファに腰掛けた。
(放火犯逮捕の記憶……彼女は失った記憶の中に犯人を見ているのか?)
俺はさっきの会話を思い返していた。
人の過去を調べたりするのは、俺たち貴族は当たり前だ。だが、興味本位で知った内容は、俺が受け止めるには重たい内容だった。
(ランちゃんには辛い過去がありそう……)
そう思った時、彼女への後ろめたさが生まれるのが分かった。
(今までこんな風に感じた事なかったのにな……)
「アルフレッド様?」
考え事をしてて反応が遅れた。声をする方を見るとしゃがんだランちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「ああ、大丈夫。もう、良いの?」
近くにアレンは居ない。彼女だけが戻ってきたようだ。
「はい。アレン君も落ち着いたので……」
「そう。アンバスさんに声かけてくる?」
俺はそう言いながら立ち上がると、一呼吸遅れて立ち上がった彼女を見た。
「アンバスさんにはさっき帰る事を伝えてきました……」
彼女は少し視線を落としながら言った。
(アンバスさんと話をしてきたのか……。俺が雇い主だと嘘をついたのを聞いたかな)
「ロイの屋敷まで送るよ」
俺は何事も無かったように言って向きを変えたが、彼女は動く気配がない。
俺が振り返ると彼女は口を開いた。
「あの……変な事聞かせてしまってすみません……」
「えっ?」
突然の謝罪に俺は驚いた。
「アンバスさん、アルフレッド様が雇い主だと勘違いしているみたいでした。アルフレッド様に私の記憶の事とか……聞かせてしまったと思って……」
彼女は伏し目がちに気まずそうな顔をしていた。
この子はどこまで人が良いのだろう。
俺が興味本位でアンバスさんに嘘ついた事など考えてない。ただ彼女は聞きたくもない事を聞かされたのではないかという、俺の事を心配している。
ロイの陰口を聞いた時もそうだった。自分がどうなるかではなく、ロイの為に行動しようとしていた。
「ランちゃん」
俺が声をかけると俯いた顔を上げた。
「ロイの屋敷まで送るよ」
俺はそう言うと、彼女の手を取って警察署を出た。
馬車に乗ると俺は口を開いた。
「アンバスさんは勘違いしてないよ」
ランちゃんの伏せていた目が俺を見た。
「俺が悪いんだ。同じハーゲンだからアンバスさんが雇い主かって聞いてきた時に、俺ははいって答えたから……」
彼女の目が一瞬見開かれた。
「興味本位だったよ、本当にごめん」
俺は正直に話した。自分の中の後ろめたい気持ちがスッと軽くなったのが分かった。
「いえ、そんな……。それに隠すつもりもないですから……」
彼女はそう言うと俺の目を見て少し笑った。その顔は俺を責めるものではなく、包み込むような優しい顔だった。そして直ぐに窓の外へ視線を移した。
彼女は深呼吸をひとつすると、過去の話をしてくれた。
火事で母親を失ったが、焼け跡から見つかった遺体の身元ははっきりしない事、孤児院に入る前の記憶がない事、記憶を思い出そうとすると調子が悪くなる事、記憶の中に放火犯がいるかもしれない事……。
俺は静かに聞いていた。
「でも最近楽しい思い出を夢に見るようになったんです。」
そう言ってニコッと笑うと、カバンの中から1枚の写真を取り出した。差し出された写真は黄色の花が一面に咲いたものだった。
(この場所は……)
俺も知っている場所。ロイと昔よく遊んだ場所だ。
「その写真はロイ様に頂いたんです。この場所が夢に出てきて、すごく楽しくて幸せな夢で……」
夢を思い出しているのか、彼女は微笑みながらそう言った。
「実際に存在する場所なら、見た夢は失った記憶なんだと思っています」
「いい思い出だね。」
俺がそう言うと笑顔で「はい」と答えた。
「楽しい思い出なら大歓迎なんですけどね」
彼女はそう言うと苦笑いした。
「そうだよね」
俺はそう言って視線を写真に移した。
(ランちゃんが10歳の時の火事か……)
ロイが俺と遊ばなくなったのも同じ時期だ。突然遊ばないとロイから宣言されて、俺はひどく落ち込んだ記憶が蘇ってきた。それに確か当時は俺は……。
「……レッド様?アルフレッド様?」
名前を呼ばれハッとして彼女を見た。
「どうかされましたか?」
彼女が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめんね。この場所、ロイと良く遊んだなぁって思ってさ。懐かしいよ」
「ロイ様と?」
「うん、俺達昔はよく一緒に遊んでたんだ。ロイのお母さんが亡くなるまではね」
「そうなんですね……」
「ロイの別邸が近くにあるはずだよ。それに、俺の屋敷もこの花畑からそう遠くない場所にあるしね」
そう言って写真を彼女に返した。彼女は写真を大事そうに鞄に入れた。
「今度遊びに来たら?」
「あ……でも今の時期は花が咲いてないってロイ様が……」
「違うよ」
俺は笑いを堪えながら続けた。
「俺の屋敷に来ないかってこと」
そう言って彼女の顔の様子を伺った。
「なっ、ど、どうしてそうなるんですかっ」
彼女は慌ててそう言うと、顔が赤くなっていくのが分かった。その素直な反応が面白かった。
「冗談だよ」
俺が笑って答えると、「からかってますよね」と言って眉を寄せた。
俺の事を睨んでいるのだろうが、その目は優しかった。
「そうかもね」
俺がそう言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
そうしている間にロイの屋敷に着いた。馬車から降りると、彼女は「ありがとうございました」と言って頭を下げた。
「ランちゃん、忘れ物」
俺はそう言って彼女との距離を詰めた。彼女が頭を上げた瞬間、手首を掴んで引き寄せた。警戒していないからか簡単に捉えることが出来た。俺はもう片方の手のひらを彼女の頭の後ろへ回した。
「っ!?」
彼女は目を見開いて驚いた後、ギュッと目を瞑った。
(そういうことするから意地悪したくなるの気づかないのかな……)
すぐ素直に反応が返ってくるのが新鮮だった。
自分の事よりも他人の事ばかり心配して、俺みたいな男にそのうち騙されるんじゃないかとも思う。
(って俺が心配してどうする……)
彼女がゆっくりと目を開けたのを見て、額にキスをした。唇じゃなかったのが意外だったと顔に書いてあるように目を丸くしていた。
「唇の方が良かった?」
そう言うと、彼女は驚いた顔をして、顔を真っ赤にしながら眉を寄せた。
「し、失礼しますっ!」
そう言って小走りで屋敷へと入っていった。俺はそれを見送ると、向きを変え御者に言った。
「警察署に戻って」
「もう一度警察署ですか?」
御者が驚いている。
「そう、警察署。確かめたい事があるから」
俺はそう言って馬車に乗ると、馬車は来た道を引き返した。