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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者ならざる勇者。

作者: 大岸 みのる

 ――――能力ある者は、弱者を駒のように雑に扱い、世界に混沌をもたらす者、魔王が現れる。

 これは、魔法の存在する世界では極めて当たり前のようであり、そして常識でもある。


 しかし、それを阻止せんとする者も、この世には存在するのだ。

 魔王を討伐する為に立ち上がる、この世界出身の者。または異国の戦士。


 この物語は、魔王を討伐する為に勇者として呼び出された戦士ではなく、勇者が歩む物語の、ほんの一部である。













 勇者ならざる勇者。













 一年中、雪が降る街。アイスシティでは、予報に嘘偽りはなく、今日も遭難するかと思うほどの雪が降り注いでいた。

 深夜に染まったアイスシティの中心街では、人の気配もなく、また中心街らしい華やかさもない。

 街灯が雪が積もった道を照らす。そこには、コートを何枚も羽織り、全身をクマみたいに膨らませた大人達。皆、急いで家路に着いていた。

 そんな人達が歩く中、髪の黒い少年が、かつては水が溢れていたであろう噴水広場で立ち止まっている。

 寒さがわからぬバカなのか、少年はコートを羽織りもせず、長袖のシャツ一枚に半ズボンを履いているだけであった。

 少年は顔を上げ、噴水の文字を目で追う。


「……アイスシティ……」


 虫のような声だったからか、それとも雪が降っているせいか、誰も少年の声には気がつかなかった。

 独り言を呟いた少年は、空を見上げる。その顔には、何かを達成したかのような自信が満ち溢れていた。


 少年の名前は、エルス・バードン。彼は以前、アイスシティではなく、ここから何千、何万里と離れた緑豊かな土地で住んでいたのだ。

 家族は四人。優しい父に、気品のある母、そして、エルスと仲の良かった妹がいた。

 彼ら家族は、数百年前に魔王により破滅寸前であった世界を救った、異国の勇者の末裔なのだ。そのせいか、彼らは世界では珍しい黒髪だったのである。

 勇者の末裔ということもあって、彼らに魔法を扱う力は一人を除いてなかったが、それでも近隣住民からは親切にされ、それに驕らずに生きていた。


 だが、エルスは絶望を目の当たりにすることになる。

 一ヶ月前、彼が家にいつものように帰ると、父と母は何者かに殺されていたのだ。

 血の気が引いたエルスは、父と母を殺害した人物と出くわした。

 その名は、アーデル・フランチェス博士。世界一有名な魔法科学者で、魔法を極めている者で知らぬ者はいない程だ。

 長い金髪に眼鏡をかけた男、アーデルは不敵に微笑みながら言った。


「君たちの血が欲しいんだ」と。


 底知れぬ恐怖を感じたエルスは逃げようとした。しかし、最悪のタイミングで妹のハリルが帰宅してきたのだ。

 硬直したエルスは逃げることをやめざるを得なかった。だが、身体は恐怖で戦うことは愚か、ハリルを逃がせるという思考にすら至っていなかったのだ。

 そんなエルスを知ってか知らずか、この家族で唯一、勇者の血を色濃く受け継ぐハリルは笑顔で言った。


「お兄ちゃん、逃げて」


 その後、エルスは気を失い、どうなったのかを覚えていない。

 気がつけば、完全に崩壊した我が家と両親の遺体のみ。ハリルの遺体とアーデルは、そこにいなかった。

 悲しみに陥ったエルスは、一日泣き腫らすのに消費し、そして行動に出たのだ。


 アーデルに復讐する為に。


 エルスは何でも屋という仕事をしている人間がアイスシティにいると聞き、ここにたどり着いたのだ。

 しかも偶然に、アーデルの研究室もアイスシティに存在している。

 ハリルの死体はなかった。つまりアーデルに誘拐されたと考えているのだ。

 彼は今、アーデルを殺すこととハリルを救うことだけを生きがいに、寝ることも食べることも水を飲むともせずにやってきていた。


「……勇者ってのは、いいご身分だよなぁ」


 道行く大人が酔っ払っているのか、随分とバカにした口調で叫んでいる。

 エルスは瞳を細めて、男を睨む。

 すると、酔っ払いの男はエルスに気が付いたのか、千鳥足で近寄ってきた。


「なんだぁ!? クソガキ! その目で人を見んじゃねーよ!」

「……見てない」


 この町に降り注ぐ雪のような冷たい声音で、エルスは呟く。

 酔っ払いの男は、それが気に食わなかったのか、さらに食いかかってきた。


「あぁ!? 聞こえねーよクソガキ!」

「……」

「すましてんじゃねーぞ!」


 めんどくさいのに絡まれたと思いながらエルスは、腰に忍ばせていた刀を引き抜こうとする。

 だが、動こうとしていた手は、あの日と同じように固まっていた。


「……!?」


 ここに来るまでの途中、魔物と何度も戦ってきたエルス。しかし、手は動かなかった。

 それも当然であり、エルスはこのアイスシティのある超極寒大陸に入ってから数日経過しているのだ。

 魔物と最後に戦ったのは何日も前。この大陸に入ってからは誰とも話さず、ましてや食べ物を口にもしていないのだ。

 当然、体力は擦り減り、遂に限界を迎えている。

 復讐心だけで生きていたエルスは、遂に死亡寸前であった。


「クソガキめっ! 痛い目に遭わせてやるッ!」


 酔っ払い男の拳が顔面に食い込む。頰に叩き込まれた拳は、酒により力のコントロールができないせいか、男の見た目からはあり得ないほどの力を感じた。

 齢わずか十二の子供は、そんなものを受ければ当然身体を吹き飛ばされる。

 エルスの小さい身体は弧を描きながら、雪の積もる地面へと墜落した。

 起き上がろうとしても、手も凍り、力もないエルスは立ち上がれない。

 それを好機と見た男は、エルスの腹に跨り、両手で拳を作った。


「こういう奴は、殴らねーとわかんねーからなぁ」


 ニヤリと笑った男は、拳を走らせる。

 エルスの額、頰にヒットし、血液が飛び散った。

 二度殴っても飽き足らず、ストレス発散と言わんばかりにエルスの顔に何度も拳を叩き込んだ。

 拳は重い石で打たれてるように感じ、エルスの意識は遠のいていく。

 額からは血が流れ、瞳は腫れ、唇は極寒の中殴られ腫れて血が出て、鼻からは小さな噴水のように赤い液体が溢れる。

 それでも男は止めず、終いにはシャツを破り、腹に胸に拳を連続で叩き込む。


「ぐふぅっ!」

「わからねーよーだな!」


 男の拳が股間に炸裂した。エルスは白目になりそうになり、意識をなんとか保つ。


「や、やめろっ……」

「やめねーよ! テメェ勇者の末裔だろ? 俺らアイスシティの人間はなぁ、勇者が大っ嫌いなんだよ! わかるか? それはな、お前らの先祖が災いを呼び寄せたせいで、この街が一生雪に包まれてるからなんだぉっ!」


 男は拳を振り上げる。

 そのとき、エルスの脳裏にハリルの顔が浮かんだ。

 優しい父と母。それを殺したアーデルの顔。

 憎い、全てが憎い。

 エルスは自分の弱さも、アーデルも、目の前の男も、何もかもが憎かった。

 復讐を誓い、ハリルを迎えに行けない自分。

 悔しいという想いを、何度も何度も噛み締めた。

 やがて、拳が振り下ろされる。

 スローモーションではない。一瞬一瞬を写真に収めているかのような極めて遅い動きだった。

 俺は、いや、僕はここで死ぬ。


 そう思った瞬間だった。


 男の拳は、数ミリのところで完全に停止する。

 まるで、誰かに腕を掴まれたかのように。


「……おい、くだらないことなんかしてんじゃねー」

「あ? 誰だテメェ……。俺に逆らう奴は許さねーぞ!」


 酔っ払いの男の腕は、突然現れた若い男性に握られていた。

 男性の髪の毛は黒。エルスと同じく勇者の末裔のようだ。

 酔っ払いの男が拳をエルスではなく、男性に向けて放つ。


「俺は今、ストレス発散中なんだよッ!」


 拳が今、まさに炸裂しようとした時。

 突然、酔っ払いの男の服が、破裂したかのように吹き飛んだ。

 魂が抜けたかのような顔をした、酔っ払いの男。

 男性は酔っ払いの男から手を離し、放たれた拳を軽々と避けた。

 服が爆発したかのように消失した、丸裸の酔っ払いの男は、バランスを崩して雪の中に身体を自ら埋める。


「……んぐうっ!」

「一生寝てろ」


 男性は冷静に呟き、エルスの元へと近づいてきた。

 そのとき、エルスは助けが来たことにより、何故か安堵して、意識を消してしまった。




 ◆




 炎が木を燃やす音が聞こえる。

 エルスは音で目が覚めた。視界が徐々に回復していく。しばらくすると、ここが雪の積もった広場ではなく、どこかの洞窟なのだと理解した。

 焚き火しているせいか、洞窟内は明るく、また暖かい。


「……目が覚めたか」


 一瞬、身体が固まる。その声は自分のモノではないが、どこかエルスと同じような色を含んだ声音であった。

 身体を起こし、声の主を探す。彼は、先ほどの黒髪の男性で、岩に腰を下ろしてパンを頬張っていた。

 長く、色艶のある黒髪。細い瞳が真っ直ぐエルスを捉える。どこか暗めの雰囲気を纏い、とてもじゃないが、先ほどの酔っ払いを倒したとは思えないほど、細身の男だった。

 男性はパンを飲み込むと、呟く。


「潔だ」

「イサギ……?」

「ああ。俺の名前だ」


 潔と名乗った男性は、名乗ってから袋に入ってたパンをエルスに投げた。

 パンを両手で受け取るエルス。普通のパンだ。


「食え。食わないと、さっきみたいなゴミにも勝てないぞ」

「え、あ……」

「気にするな。金は貰わない」


 エルスはパンを口に放り込もうとした。だが、寸前のところで止め、もう一度潔に視線を移す。

 潔という名前を聞き、エルスは思い出したのだ。それと同時にエルスは両膝を地面に着けて土下座した。


「あ、あの! お願いがあります!」

「……なんだ」


 潔の視線は冷ややかなものだ。これから何かお願いされるのを知ってるからだろう。

 しかし、エルスは構わず、腹の底から声を出すように叫んだ。


「僕の、いや俺に力を貸してくださいッ!」


 額を地面に叩きつけた。ジンジンと血が出てくる痛みが頭を襲う。それだけ誠意のこもった土下座だった。

 エルスを見ていた潔だったが、視線を足元に落として口を開く。


「……なるほどな。俺を探していたのか」

「はい……」


 今にも泣きそうな声で呟いた。

 エルスの探していたアイスシティにいる人間は、何でも屋をしている。その人物の名前は知らなかったが、特徴は当てはまっていた。

 黒髪に冷静な瞳で色白。その細い見た目からは想像もできないほどの能力がある、通称、死神だ。

 潔は溜息を深く吐いて言った。


「なら、話は早いな。報酬十万Gを持ってこい」


 潔は極めて冷静な声だ。

 今のところ、エルスの背格好は誰がどう見ても、潔の報酬を払えるような人間には見えなかった。それでも、条件を提示するのは潔が、報酬さえ払えば仕事をするという信頼性が滲み出ている。

 当然、エルスにそんな金額はない。エルスは顔を上げて続けた。


「ちゃんと全額払いますッ! だから――――――――」


 エルスが叫んでいる途中に、潔は呟く。


「それか、お前の二番目に大事なものを貰う」

「え?」


 さっきまで足元にあった視線が、エルスに移る。

 二番目に大切なもの、それがパッと浮かんでこなかった。それどころか、なぜそんなものを要求するのかが、わからない。

 潔は真剣な顔だ。


「……に、二番目……」

「ああ。二番目に大切なものだ」


 一番は家族。しかし二番目というと、考えても出てこなかった。

 硬直しているエルスを見て、溜息を深く吐いた潔は立ち上がる。


「……まぁいい。報酬の件は依頼を受けている間にでも考えてろ。それより、要件はなんだ」


 必死に二番目の大切なものを考えていたエルスだったが、すぐに思考を元に戻した。


「……俺の、両親を殺し、妹を連れ去った人物の暗殺……です」

「…………」


 黙り込んだ潔は、俯くエルスを見つめる。

 こんな依頼、本当に受けてくれるのかどうかは、正直わからなかった。半分、この噂自体信じていなかったが、それでも潔に会えたのだから、頼んでみる他はない。

 潔は視線を鋭くして、唇を動かす。


「……お前が、エルス・バートンか」

「え?」

「……いや、新聞にお前の家族が殺害されたと載っていた。記事には家族全員の遺体が発見されたとあったが、違うようだな」


 エルスは思わず口をパクパクと魚のように開閉していた。

 なにせ、自分が殺害されたと嘘の記事があったからである。それに両親が殺害され、葬式するときも記者はいなかったし、妹の遺体も発見はされてない。

 デタラメもいいところだった。


「記事には、勇者の末裔一家は、何者かによって家を放火され、全員焼死した。と書かれていた。そして、その犯人も近所の人間が捕まっている」

「そ、それ、どういう……」


 エルスが問いただそうとしたとき、背筋に悪寒が走る。まるで虫が何匹も背中を登るような感じ。

 気がつくと、潔の表情が途轍もなく冷たいものになっていた。


「……なるほどな。つまり、お前は虫唾の走るようなクズ共を殺したいと言ってるんだな。誰だ」


 その顔色は何万里も歩き、魔物と戦ってきたエルスをも脅すのにも充分なものだ。

 自然と声が震える。


「あ、アーデル・フランチェス……」


 その名を呟くと、潔は顔色を元に戻した。


「……アイツが犯人か。少々大がかりだな。だが、できないこともない。わかった」

「え、い、いいんですか!?」


 思わぬ返答にエルスは声を明るくさせてしまう。

 そんなエルスの様子を見ても、潔は笑いもしない。


「俺は悪を滅殺する為に、この世界に来た。だから、お前の依頼は受けよう。朝には研究室へと向かうぞ」

「は、はい!」


 それだけ言うと、潔は洞窟の外へと出て行った。




 ◆





 昼でもアイスシティは暗い。過去の勇者の仕業により、この大陸だけは救えなかったようで年中無休で雪が降り注いでいて、そのせいである。

 潔とエルスは丘の下にある研究施設を見つめていた。


「あれが……」


 何日もかけ、ようやくたどり着いた復讐のとき。エルスは拳に力を込める。吹雪の寒さもエルスは感じなかった。

 隣にいる潔は、復讐に燃えるエルスよりも冷静に研究施設を睨む。


「……これはクライアントに毎回俺は言ってることなんだが、まず、お前の実力を知っておきたい」

「実力?」

「ああ。どんな依頼であれ、俺は手助けはする。だが、最後は自分の手でやらなければ、達成感は出てこない。お前の望む暗殺ならば、尚更だ」


 潔の言葉は最もだ。

 昨日、洞窟に戻ってきた潔に言われた。

 トドメは自分で、ということなのだろう。

 そして、エルスの戦いの腕を見て、どの程度で見切りをつけるか判断するようだ。

 エルスは、ここまで相棒にしていた剣を抜く。


「……まずは警備員からだ。殺す、殺さないはお前の自由だ」

「……わかりました」


 エルスは目を細めて警備員を数える。

 二、三、四人。四人くらいならば、エルスの中では楽だった。

 数え終えると、雪の積もった丘を滑り落ちる。

 警備員の一人が気がつき、叫んできた。


「おい! そこのガキ! 何している!」

「黙れッ!」


 エルスは丘を滑り終えると、そのまま突進するように警備員に突っ込む。その勢いはイノシシ系の魔物よりも速い。

 警備員はもう一度警告する。


「クソ! 言うこと聞け! 時給を減らされた身にもなれ!」


 どうやらこの警備員は最近時給を減らされたようだ。

 だが、そんなことエルスには関係がない。


「お前の時給よりも、俺の復讐の方が大きい」

「んだと!? クソガキがッ!」


 警備員は棒状のものを腰から抜く。

 その警棒から、電流がチラつく。簡易雷系魔法を装填した警棒のようだ。

 地の利は警備員にある。しかし、極寒大陸で歩き続けたエルスは、雪上での走り方を心得ていた。

 剣を振り上げ、警備員の頭部を狙う。

 振り下ろされる刃。しかし、その攻撃は警備員の頭部に命中しなかった。

 頭部を守るように警棒で、エルスの攻撃を防御する警備員。


「お前のようなガキにやられれば、こちらとしてもメンツが立たん! 悪いが、時給の為に捕まってもらうぞッ!」


 警棒が光る。それは太陽のような光ではなく、高電圧が警棒を包むような危険なものだ。

 その電流が刃を伝い、エルスを襲う。


「ぐぁぁぁ!?」

「ふん、クソガキが調子に乗りおって」


 倒れそうになるエルス。

 獲物を見つけた魔物のように集まる警備員三人。

 一気に四人の警備員を相手にすることになってしまった。


「不審者か!?」

「こいつ捕まえたら、時給上がるんじゃね?」

「テメェだけズルいぞ!」


 他の三人も金欲しさに走り寄ってくる。

 エルスの身体は、ズルリと魂が抜けたように倒れた。

 警備員四人がエルスを見下ろす。


「さて、俺が連れて行く」


 エルスを倒した警備員が、嬉しそうに他の三人に告げる。釣った魚が大きかったかのような喜びが、表情に滲む。

 完全に油断した警備員は、エルスの軽い身体を抱きかかえる。

 談笑しながら、奴らはエルスが気を失っていると思っていた。

 その油断をエルスは見逃さない。

 抱えられていた身体を横回転させ、剣を警備員の顔に走らせる。

 顔面に綺麗な斜線が入った。鮮血が雪を赤く染める。


「がぁぁぁッ!?」


 エルスは気を失っていなかった。剣は青銅製のものであり、電流は通りにくいものだからだ。

 すぐに一人の警備員は意識を失い、他の三人が警戒しだす。


「生きてやがったのか!」

「油断させやがって!」

「だが、すぐに俺が捕まえてやる!」


 着地したエルスは、三人の警備員を睨みつける。

 襲いかかってくる三人に、剣を走らせた。


「ソニック・スパイラル」


 ボソリとエルスは呟く。

 まるで風が流れるに剣を動かす。

 一瞬にして三人の警備員の後方に移動していた。


「……油断し過ぎだ」


 そして、三人の警備員の血液が雪空に舞う。

 四人の警備員を倒したのを確認すると、潔が降りてきた。


「なるほどな。お前のスタイルは今までに見たことがなかったな」


 エルスの戦闘は、初回の攻撃を受けたフリをして意識を失ったフリをし、油断させてから一蹴するというものだ。

 この戦闘スタイルが一番確実で、一瞬で相手を倒せる。それがエルスの戦闘においての答えだった。

 さらに言うなれば、剣技は勇者の奥義として代々伝えられたモノ。これを駆使すれば殆ど敵はいない。


「だが、危険だな。アーデル相手には通用しない」

「でも……」

「自己犠牲するなとは言わないが、俺は自分を守るのは自分しかいないと考えている。それはお前にも言っておく。万が一、初撃で大ダメージを受けたら、それこそ終わりだ。油断しなくても、お前の負けだ。自分のことは自分でしか守れないんだ。それを気をつけろ」


 それだけ告げると、潔は真っ直ぐ研究施設へと入った。

 潔の言葉は、どこかエルスの胸に深く突き刺さる。今のエルスと同じような雰囲気が彼にはあった。エルスどころではなく、もっと深い。

 しかし、彼に聞いても答えてくれなさそうなので、エルスは何も聞かないことにした。


 研究施設に入ると、外から見た印象とは異なる。中に多くの機材があるのかと思ったら、室内は多目的ホールのように何もなく、照明もない暗くて広い、ただの部屋だった。

 外の吹雪の音も聞こえない、静かな場所。

 そこに革靴の踵が床を踏む音が響いた。

 コツコツと響き、やがて正体を表す。


「待ってたよ。エルス・バートン!」


 革靴の正体は、白衣を纏い、あの日のまま長めの金髪を揺らした眼鏡の男――――アーデル・フランチェスだった。

 一瞬にして瞳が開き、エルスは今すぐにアーデルを殺したい欲求にかられる。


「アーデル・フランチェスッ!」


 だが、肩に潔の手が触れることによって、理性が少し戻った。

 そして、静かに潔は呟く。


「待て。もう一人いる」

「え?」


 そのとき、エルスはすぐに殺意を感じた。

 エルスと潔は、同時に後方に飛び退く。

 今さっきまで立っていた場所に、途轍もなく鋭い氷柱が突き刺さった。


「こ、これは……」


 魔法という概念において、この世界では初級、中級、上級は以下に分かれている。

 初級は、道具に装填できるもの。つまり、先ほどの警備員の魔法。

 中級は、自然現象を生活に必要な範囲にのみ、使えるもの。

 そして、上級は人を殺めることのできる、極めて巨大かつ、広範囲の魔法。

 今のは、上級魔法にあたるものだ。

 アーデルは何もしていなかった。もう一人は、上級魔法を扱える強者ということだ。


「ふふっ、エルス。待っていたよ!」


 アーデルは上機嫌に話しかける。


「私の研究がようやく市販化できるんだよ!」

「……どういうことだ」


 エルスは平静を装い、問う。


「私達の研究は、君たち勇者の末裔の血に、研究の成果である上級魔法が扱える遺伝子を組み込み、それを市販化することなのさ! そうすれば、勇者様方も私達に感謝するしかないだろう? ははははっ!」


 アーデルの計画は、勇者の末裔を殺し、その血に上級魔法が使えるようになる遺伝子を混ぜ、人に飲ませることによって、強い人間を生み出そうとしていたのだ。

 エルスは奥歯を噛み締め、アーデルを睨みつけた。


「勇者様は強い人間を求めていられるッ! ならば、私達が強い人間を生み出せば、強い見返りがある! 勇者が魔王を倒すというのはね、魔法科学者にとって一世一代の大イベントなのだよ! その為なら、過去の遺産などどうでも良い! 君も、世の為を思うのなら喜んで血を捧げたまえぇぇぇ!」


 狂った笑顔を放つアーデル。結局のところ、勇者からの見返りが欲しいが為に、エルスの家族達は殺されたのだ。

 そう思うと、エルスの中の憎しみが込み上げてくる。

 そのとき、ゆっくりと人影が浮かんできた。


「……だが、君も私の成果を見ないことには協力できないと思ってね。特別にサンプルを見せてあげるよ!」

「……なっ!?」


 ゆっくりと降下してきたのは、あの日最後に見た筈のハリル。

 しかし、いつも笑顔が絶えなかったハリルの顔から、表情がなかった。


「は、ハリル!」

「ハリルぅ? バカか! こいつは上級魔法遺伝子組み込み型サンプル一号だ! やれ!」

「……」


 アーデルに命令され、宙に浮いたハリルは片手をエルスに掲げる。ボソリと呟くと、小さな掌から、先ほど地面に突き刺さった氷柱が現れた。


「は、ハリル……? 僕だよ! エルスだよ! お前のお兄ちゃんだよ!」

「………」


 何も言わず、ハリルは氷柱をエルスに向かって放つ。

 凄まじい勢いで落下する氷柱。

 エルスはわけがわからず、硬直している。


「馬鹿野郎ッ!」


 そのとき、潔がエルスの前に出て氷柱を片手で抑えた。

 ミシミシっという音が響き渡る。

 エルスは自分の妹が、まさか攻撃してくるとは思わなくて、混乱していたのだ。

 氷柱を片手で抑えている潔が叫ぶ。


「あの子は、もうお前の知ってる妹じゃない!」

「だ、だけど……ッ!」

「目を覚ませ! あいつは、アーデルに弄られてんだぞ!」


 氷柱は見事に割れた。まるでガラスが飛び散ったかのように。

 エルスも混乱がようやく解けた。


「ふむ。そこのお前も勇者の末裔か。なるほど、髪が黒い。カモがカモ背負ってきたって感じですねぇ」

「……黙ってろ」


 潔はアーデルに言葉を投げ捨て、そのままエルスに向き合う。


「エルス、こんなこと言いたくはないが、あれはお前の妹じゃない。そして、状況もわかってるな?」

「…………」


 エルスは気持ちの整理をした。それによってアーデルへの怒りは満ち溢れている。今はハリルのことよりも、アーデルを殺したい一心。しかし、状況は最悪に等しい。

 相手は魔法科学者第一人者のアーデル。そして、上級魔法が使える自分の妹のハリル。

 この二人と潔とエルスでは、部が悪い。エルスは魔法の腕はないに等しく、また潔の力は全くわからないのだ。

 今、氷柱を割ったが、それは筋力によるものだろう。とエルスは考えていた。

 それでも、エルスはアーデルから逃げるという選択肢はない。


「それでも、僕は戦う」

「……わかった。なら、相手はわかってるな?」

「はい」


 エルスの相手はハリルではなく、アーデルだ。復讐する相手は自分の手で殺さなければ意味がない。

 剣を両手で構え、エルスはアーデルを睨みつける。


「ふむ。少しは同意してくれると思ったんですがねぇ。まぁいい。さぁ一号! お前の血の繋がった兄を、その手で安らかに逝かせてあげなさい!」


 ハリルが近づいてきた。

 エルスは目を背けたくなったが、それでもアーデルめがけて走り出す。

 ハリルとの距離が狭まる。

 幼い手がエルスに向けられた。

 だが、寸前のところでハリルの手を潔が塞いだ。


「悪いな。お前の兄ちゃんはお取込み中だ」

「…………!?」


 潔はハリルをぶん投げる。

 壁に激突し、ハリルは砂埃に消えた。

 エルスはアーデルに向かって突っ走る。


「うぉぉぉぉッ! アーデル・フランチェスゥゥゥゥゥゥッ!」

「おやおや、そんなに戯れたいのですか? それなら、戯れてあげましょうッ!」


 トランプのようなカードを自分の前で広げるアーデル。カードを二枚めくり、それをエルスに向けて投げ放つ。


「炎魔法! フレイムカードッ!」


 炎に包まれたカードがエルスに襲いかかる。

 突進しながら、剣を振り回し炎のカードを薙ぎ払った。

 そのまま、剣技に入る。


「ソニック・スパイラルッ!」


 緩やかに流れる刃。しかし、刃は速い。

 アーデルはカードを縦に繋げ、剣を作った。

 トランプを並べた剣で、エルスの剣を受け止める。

 鍔迫り合いとなったエルスは、アーデルを今すぐにでも噛み殺しそうな勢いで叫ぶ。


「今、すぐに、殺してやるッ!」

「怖い怖い。子供がそんなこと言うもんじゃ、ないよッ!」

「ぐあっ!?」


 剣で押されたエルス。

 アーデルはカードを二枚、投げた。

 そのカードは雷を帯び、手裏剣のように回転する。

 よろけていたエルスの身体を掠った。


「痛くもない! お前に父さん達を殺された痛みに比べたらな!」

「ふふ、そうですかぁ」


 ニヤリと笑みを見せたアーデル。

 再び走り出そうとしたエルスだったが、急に身体に力が入らなくなった。

 膝が壊れたかのように崩れ、前のめりになって倒れる。


「えっ!?」

「わかってないな。私の目的は君の血だ。今から採血するから大人しくするんだよ? 大丈夫、終わる頃には死んでるから」


 瞬間、背筋が強張った。

 身体が動かなくなったのは、しばらく行動が制限される雷魔法のかかったものだ。

 顔から血の気が引いていく。


「さぁて、どこから抜こうかなぁ。とりあえず、心臓にブスリと行こうか」


 白衣の内ポケットから取り出したのは、巨大な注射器だった。

 エルスの心臓めがけて針をつき刺そうと狙いを定める。


「や、やめろ!」

「んーすぐ終わるからねぇ」

「やめろぉぉぉォッ!」


 そのとき、アーデルが視界から消えた。


「おい、勝手にうちのクライアント泣かせんじゃねーぞ」


 ゆっくりと現れたのは、潔だ。

 コートを脱ぎ、傷だらけの姿。

 潔はハリルの身体をアーデルに向けて投げたようだ。

 砂埃から、ハリルとアーデルが起き上がる。


「クククッ、君の仲間が泣き叫ぶ姿は耐えられないか? これも同族だからかね? 興味深いねぇ」


 潔は鼻で笑った。


「同族? こんなヘタレ勇者の血筋と一緒にするんじゃねーよ」

「違うのかい?」

「こいつとは違う」

「そうかぁ」


 アーデルは薄く微笑み、視線を鋭くする。


「一号ォォォォォッ! 今すぐ、こいつの首をはねろぉぉぉぉぉぉぉっ! この私に汚れをつけた罰だぁァァァァッ!」


 ハリルはすぐに両手を掲げた。

 潔はエルスに向かって微笑んだ。


「お前は俺のクライアントだ。だがな、これは同じ人間として言っておいてやる。誰かに助けを求めてばかりじゃ、この世界は生きにくい。こいつなんかよりも、よっぽど悪い奴は溢れている。だから、お前の手で――――――」


 そのとき、ハリルの氷魔法が放たれた。

 まるで雪崩のような極寒の風。

 全てが一瞬にして、凍りついた。

 だが、エルスだけは無事だ。

 エルスは凍ってしまった潔の言葉を噛み締めた。最後に潔は言ったのだ。


 お前の手で、終わらせろ。と。


 エルスは剣を両手で握り、構えた。

 それはまるで、真剣勝負をする選手のように真面目な構え。

 雄叫びをあげながら、エルスは突っ走った。


「ウォォォォォッ!」


 終わらせる。

 それはアーデルの命を奪うことはもちろん、アーデルによって作り変えられてしまったハリルをも殺すことだ。

 たかが、依頼をした人物の言いなりになるのではない。エルスは最早耐えられなくなっていた。

 自分の最愛の妹が、アーデルの人形となっていることに。

 それならば、いっそ自分の手で終わらせることが幸せなのではないだろうか。

 全ての感情を捨て、エルスはハリルに向かって走る。


「俺の手で、終わらせるッ!」


 ハリルは両手を広げた。

 魔法の発動である。

 アーデルは、ハリルに指示を下す。


「お前の魔法で凍らせろ!」


 エルスは目を閉じた。

 アーデルの位置も、ハリルの位置も、目を閉じてもわかる。

 最愛の妹に剣を刺すことは辛い。何よりも辛い。

 だが、刺さなければ、ハリルはアーデルの人形として、使わされる。

 自分の記憶にあるハリルを打ち消し、エルスは目の前にいるアーデルの人形を殺すんだと言い聞かせた。

 そして、遂に剣は何かを深く突き刺す。

 暖かい液体が剣を伝い、エルスの手に流れ込んでくる。


「な、なぜ、言うことを聞かないんだッ!」


 ゆっくりと目を開けた。


「……ッ!?」


 そこには、魔法を発動するわけでもなく、両手で兄の身体を抱きしめるハリルの姿。

 小さな手はエルスの背中を支えていた。


「は、ハリル……?」


 ハリルは笑顔を見せる。頰には大量の血飛沫が飛び散っていた。

 心臓部には、エルスの突き刺した剣。

 赤く染まるハリルとエルス。

 ハリルの血液に混じっていた、上級魔法が使える遺伝子が流れたのか、ハリルの意識が戻っていた。


「お、にぃちゃ……ん」

「は、ハリルっ!」


 エルスは目を開けてから、すぐに後悔が溢れてくる。

 自分が刺したのは、最愛の妹なのだから。

 瞳から、枯れた筈の涙が溢れる。

 人形だったハリルを救う為とはいえ、殺して良かったのか。

 だが、そんなこと気にもせずハリルは言った。


「殺して……く、れ、て……あ、り、が……と…………」


 ハリルは笑顔のまま、倒れ、死んだ。

 エルスは自分の手を見て、膝を着いた。


「う、う、うぁっ……。う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 泣け叫んだエルス。

 アーデルも唖然としていたが、すぐにエルスへと近づく。


「このクソガキがッ! お前は何をしたのか、わかってるのか!」


 そのとき、潔がアーデルとエルスの間に立った。


「……よくやった。エルス」

「い、潔……さんっ!」


 エルスは泣き暮れる。

 アーデルは潔を睨みつけた。


「貴様! 私の一号をよくも殺してくれたなぁッ!」

「……彼女の血に細工をしたんだろ? なら、殺すしか元に戻す方法はない」

「当たり前だろ! 元に戻す必要なんてない! 奴は、私の言うことだけを聞いていればいいのだからなッ!」

「……なるほどな」


 鼻で潔は笑うと、拳でアーデルの頰を殴り飛ばす。


「ぐへっ!?」

「……この辺のクズさ加減が、誰かに似てるな。青か? それとも緑か」

「な、殴ったな! 親父にも殴られたことが――――ぐへっ!? 二度もぶった!?」


 アーデルの胸倉を掴み、潔は片手で顔面を鷲掴みにする。


「なるほど、まぁ検討はつく。悪いが、ここで死んでくれ。俺の手でお前に三秒触れれば死ねるぞ」

「ま、まさかッ! お前は……ッ!」

「悪いな。俺は赤、青、緑、黄の四勇者のもう一人、黒の勇者だ」

「き、貴様! 青の勇者様に報告してや――――――――」


 潔は口元で笑みを浮かべた。


「三秒だ」


 そのとき、アーデルの身体が爆発したかのように吹き飛んだ。

 だが、肉片が飛び散ったのではなく、結晶が割れたかのようだった。

 潔は、召喚される筈のなかった五人目の勇者であり、三秒間触れた物を爆発させる力を持っている。

 それを目の当たりにし、エルスは固まった。


「……騙しているつもりはなかった」


 五人目の勇者、及び黒の勇者は、世界から嫌われている。

 この世界を統べる、グランド・パルス王国、国王の暗殺疑惑。王女殺害疑惑。果ては魔王との結託疑惑。この黒の勇者は、勇者として召喚されたが、勇者ではなく、魔王に果てしなく近い存在として、世界の人間から恐れられているのだ。

 知らぬ者はいない、それこそ全国指名手配中の人間。

 潔は背を向けて、研究施設を後にしようとした。


「潔さん。ありがとうございました」

「え?」


 潔は思わず振り返る。

 例を言われる筋合いはないと思っていた。それどころか怒鳴られるとすら考えていたのだ。

 なぜなら、潔がハリルを殺せと促したようなものだし、潔がいなければハリルは死なずに生きる道があったかもしれない。

 なのに、エルスは例を言った。


「……まだ整理はつかないですけど、今は潔さんのおかげで、ハリルが最後に、ちゃんと自分の意志を持って死ねたと思うんです。だから、今はお礼を言わせてください」

「俺は……」


 潔は背中を再び向ける。


「……エルス……」

「ありがとございます、えーと……」

「黒木 潔だ」

「黒木 潔さん、変わった名前ですね」

「……一応勇者、だからな」

「そうですね」


 エルスは涙の跡を残した笑顔で言った。


「妹を僕を、救ってくれて、ありがとうございました。黒木 潔さん!」


 相変わらずエルスは綺麗な土下座をして、頭を下げる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 外伝みたいなお話でしたね。 他の四勇者の能力が気になります。
[良い点] 悲しい話でした。特に妹の最後の言葉が印象的でした。 潔はどんな過去があるのか考えてしまいますね。 面白かったです。ご執筆ありがとうございました。
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