深夜の街
武はすっからかんになった駐車場のど真ん中を走って突っ切った。冷たい空気が肺をいじめる。武は走る時の呼吸法などを全く知らないため尚更肺に担がかかる。
信号なんかないも同然だ。注意するような人も出会う車も、日中に比べればいないに等しい数だ。まあ日中に信号を守ってたかと聞かれれば、胸を張っていいえと答えられるが。
武にとっては、誰にも知らせず、保護者もなくの、初めてのひとりの深夜の街だった。
「ハッ、ハア、ハア......ッハア」
走るのが苦手な武は40秒か50秒そこら全力で走っただけですぐに息があがってしまった。それでも普段より走れたのはこの異常事態のお陰だろう。
呼吸を整えた武は今度は歩き出した。流石に残り1.5kmを走るなんて無理だと判断したのだ。深夜で本当に良かったと武は思った。もし日中だったらたくさんの通行人に「短距離走っただけで疲れて歩き出す」という醜態をさらしていた、と。
2分ほど歩くと明かりのついた建物を見つけた。少し前に大通りを外れて住宅街に入ってから辺りがいっそう暗くなり、いよいよ心細くなってきていた矢先の出会いである。
武は少し元気がでて、その明かりのついた建物を小走りで目指した。
が、近づいて気付いてしまった。その建物が交番だと。小学生がこんな深夜にほっつき歩いてるのを、お巡りさんが放っておくはずがない。
武はヤベッという顔を浮かべて立ち止まった。とりあえずゆっくり静かに交番の隣の建物の塀の隅まで移動する。
ジャリッ
足下でたててしまった音に自分でドキッっとする。深夜の住宅街では足音ひとつがかなりの存在感をもつ。
心臓バクバクの武は肩を塀の終わりギリギリに寄せ、顔だけを少し覗かせて、交番の中の様子を恐る恐るうかがった。
中では中年のお巡りさんが書類のような物にひたすら何か書き込んでいる。
武はそっと顔を引っ込めた。お巡りさんがふと書類から目線をあげないうちに素早く。しかし動きに存在感を持たせ過ぎず。気のせいかもしれないが、あまり意識して動きすぎるとその動きに命が生まれる気がするのだ。そうするとたとえ相手の視界にその動きが入らなくとも、相手はなんとなくそこで何か動いたことに気付いてしまう。なんの根拠もないが武はそれも警戒して顔を引っ込めた。
武の父、孝平は違和感を感じていた。
「おい、今日武ちょっと変じゃなかったか?」
狭いリビングでテレビを見ながら、となりの部屋で布団を敷いてる妻に問いかける。
「私の名前は『おい』じゃありません」
「ホント面倒くせえ女だな」
「あーはい、そうですか!ならもう今後いっさい私に話しかけないでください!」
妻の幸は怒って部屋の襖をぴしゃりと閉めてしまった。
幸は布団に横になって、日記にイライラをぶつけるように夫の悪口を書きなぐった。日記の中では孝平が幸を『おい』とよんだあとに幸の肩を少し強めにどついたことになっている。マスコミもビックリの盛りっぷりである。
幸はカンカンなまま、頭から布団をかぶって強引に寝た。
孝平は前屈みの姿勢から背中をソファにあずけてふんぞりかるような姿勢をとる。軽くため息をついて数秒の後、思いきったように立ち上がると洗面所へ歯を磨きにいった。
この男、先程の妻の行動を『むこうの一方的なヒステリー』として片付けている。唯我独尊とはこの男のためにあるような言葉である。
孝平は歯を磨きながら1人、今日の武への違和感の正体を考えた。
武は今日昼の11時半に帰宅すると、昼食を食べた。この時点で既に違和感がある。あれは本当に武だったか?いや、あれは武に似せた別のなにか......。
そこまで考えると思考にモヤがかかったようになる。これ以上推理できない。
いい線までいった孝平であったが、結局、今日帰宅して今も息子の部屋で眠っているのが武ではない別のなにかである、という事実までたどり着くことはできなかった。
武の部屋のなにかはもうじきだなと、ひとり気味の悪い笑みをこぼした。