その八
そして、草原には一人の魔術師と、やっと再生を終えた不死人しかいなくなった
「てめぇ、どういうつもりだ? なぜ何もせずに逃がしやがった」
「貴様には関係なかろう」
「うるせぇ!! 今俺は最高に気が昂ぶってるんだ! 事と次第によっちゃあ、例えテメェでも殺してやる!!」
猛るジャッカルを、魔術師は冷めた眼で一瞥する
まるで路傍の石でも見るような目付きが、ジャッカルの神経を逆撫でした
積もりに積もった憎悪と敵愾心が牙を剥いた瞬間だった
一瞬で抜いたナイフを魔術師の心臓と額へ投擲し、自らも弾丸の如き勢いで飛び出す
常人では何が起こったのかわからないまま死ぬ瞬間だったはずである
しかし、何もわからずに地に這いつくばったのは、襲い掛かった方のジャッカルであった
「グ……ォオッ! て、テメェ、なに、しやが……った!?」
侮蔑に満ちた表情で自分を見下ろす魔術師に怒りを覚えながらも、ジャッカルは自らの身に起きた事体を把握しきれずにいた
あともう少しで投じたナイフが魔術師の体に突き刺さろうという瞬間、ナイフは魔術師の展開した障壁に弾かれた
そこまでは見えていた
だが、その後の自分の突撃が如何にして防がれたのか、全くもって見当がつかない
「愚か者が。誰が貴様を【不死人】にしてやったのか、忘れたのか」
その言葉に秘められた意味こそが、ジャッカルが決して魔術師に及ぶ事の出来ない最大の理由だった
「貴様を【不死人】にする際に、貴様の体を色々と弄らせて貰った。これに見覚えはないか?」
「そ、それは………!?」
絶句したジャッカルの視線の先、差し出された魔術師の掌の上に乗せられていた物は蒼い宝玉だった
特に何の装飾も施されていないが、なぜか見る者を惹きつけて止まないナニカを感じさせる
ただしそれは、狡猾な悪魔の誘いにも似ている
「これを貴様の脳と主要な部位に埋め込んで同化させた」
その蒼い宝玉は、ジャッカルにとって見覚えのあるものだった
魔術使い、とジャッカルは氷雨に自称したが、実はそれも真実ではない
簡潔に言うならば、ジャッカルは魔術の恩恵を受けている、魔術師としての素養を持つ人間なのだ
【天環】の一族は早くから衰退し、もはや一族に魔術師を名乗れるほどの魔力を持つ人間はいなくなった
それも当然か
彼らは魔術による修練、魔術の相続を、全くと言っていい程に行わなかった
【天環】という一族は、集団でありながらも個という自意識に優れた異様な一族であった
自らこそが真実の一たらん、と他を蹴落とし、引き摺り、淘汰するうちに衰退の道を辿ったという情けない実情を持つ
故に、彼らは自ら行き詰まりを感じたとき、初めて後への相続を考えるのだ
しかしその頃には、もはや手遅れになっている事が常であった
その例に洩れず、ジャッカルは【天環】の一族最後の子として生まれたが、期待されていた程の内在魔力は有していなかった
仕方なく【天環】の一族はジャッカルに一族の悲願たる【流転】という技を、彼の霊体に刻み込むことで相続を行う事にした
そのため、ジャッカルの内在魔力はその技の設計図を記録・保存するために大量に用いられ、他に裂く余裕などないに等しかった
ならば、なぜジャッカルが大量の魔力を消費する【流転】を使用できたのか?
その謎の答えが、魔術師の掌の上にある蒼い宝玉だった
名を、【ディープブルー】
大気中に漂う微量の魔力を吸収・貯蔵する性質を持つ、【秘蹟】と呼ばれる貴重な魔術的価値を持つ物体である
内在する魔力量が氷雨よりも多いとはいえ、その殆どが消費しつづけられるジャッカルにとって、【ディープブルー】は【流転】を使用するためには必要不可欠な物であった
これを常時、服用する事によってジャッカルは人間では到底、貯蔵・使用できない魔力を持つに至ったのだ
「これに少し細工をした。私の魔力に対してのみ強制力を発揮する。もはや貴様は私の人形も同然だ」
「クソッタレが。テメェ、初めからそのつもりで……!」
どんなに足掻こうと、ジャッカルの手足は痙攣するように震えるだけで一向に動こうとしない
「しかし、思ったよりも損傷が激しいようだな。貴様の内包する魔力では、おそらく後七度が限界だ」
しかも、と魔術師は続ける
「無理に魂を再生し続けた代償だな。それ以上はどれほど魔力を内在させようが、復元は不可能だ」
「―――な、に!?」
***
「二日も連続でこんな夜更けに何を―――って、その怪我は一体!?」
零時を過ぎた時間帯にまたもや電話で呼び出された飛白は、居間のソファに力なく横たわる氷雨を見た瞬間、絶句した
黒い装束のせいで気づき難いが、かなりの量の出血があるようだ
よく見れば顔色も悪く、典型的な貧血時のそれである
「悪いわね。見ての通りの状況なの」
そんな状態にありながら、常の如く氷雨は振舞って見せたが、それが逆にどれほど危険な状態にあるのか飛白は理解した
巫女服の懐から取り出した小振りの瓶の中身を、躊躇なく患部にかける
「っぁ、ぐぅぅ―――」
「我慢してください。本来なら病院で手術しなければならないのですよ」
「それは、嫌だな……」
患部の洗浄と治癒の同時進行に顔を引き攣らせながら、それでも氷雨は戯言を呟く
瓶の中身―――神的概念によって精錬された特殊な液体が浸透したのを見計らい、飛白は精神を集中させる
「祖たる天の神より産まれし八百萬の霊霊よ」
術式詠唱を奉げ発現させる奇跡の細部を思い描いていく
緻密に、精密に
それは砂漠を構成する砂粒の一つ一つを数えるに等しい行為
より完璧にイメージする事によって、ただの人でありながら神の御技をも再現するに至る
「尊き命司りし火の垣となり我が四周を囲い、その中にて栄光とならん」
天頂より零れ落ちる雫を受け取るように掲げられた飛白の両手に、今、奇跡が宿る
飛白は輝く両手を氷雨の患部に押し当てる
すると、輝きに照らされた部分を中心に、ゆっくりとではあるが徐々に患部の組織が再生を始めた
この速度ならば、おそらく一時間もあれば完全に治癒するだろう
だが――――
「ハァ、ハァ、ハァ―――」
飛白の額には夥しいまでの脂汗が浮かんでいた
先にも述べたとおり、人は肉体において失った部分を再生する手段は、時間と手間はかかるものの、意外と多く存在する
しかし、それにはやはり代償が伴う
詳しい事を要約してさらに簡単に纏めると
この場合、飛白は魔術師風に言うならば魔力と呼ばれる、人が人として在る為の根本的なものを代償としている
だが労力の大きさと傷の治癒の進行速度はまったく違う
魔術やその他の非常識な手段で以って行う治療とは、実のところ大変効率が悪い
それは燃費の悪さに加え、治療される側の新陳代謝の善し悪しに左右されるからだ
希有な治癒に特化した異能力や魔術を扱う者にとってはそれは問題にならないが、そうでない者にとっては重要な問題足りえるのだ
「ありがと、飛白。ここまでで充分だわ」
「でも――――」
「二日も連続じゃ、貴女が倒れるわよ。呼んじゃった私も悪いけど、最低限の傷の治癒さえ出来ればそれで充分よ」
縋り付いて来る飛白の手を優しく振り解くと、氷雨はろくに力が入る筈のない身体をソファから起き上がらせた
「あ……―――」
途端にバランスを崩して倒れかけた氷雨を、飛白は咄嗟に支える
そしてその体温の低さに驚く
「これは……! まさか先輩、アレを使ったんですか!?」
それはもはや悲鳴に近い声だった
彼女にはそれだけで氷雨がどのような闘いをしてきたのかが理解できたのだ
だからこそ、彼女はある程度の確信を持って問うた
「それで、結果はどうでしたか?」
「……残念ながら」
だがその確信は、悔しげに首を振る氷雨によって脆くも崩れ去った
「そんな……!」
およそ世界に伝わるどの格闘技よりも殺人・破壊に特化した技能
習得すればまず間違いなく白兵戦においては無敵を自負できるほどの技能を習得した者が、文字通り己の命と引き替えに放つ奥義を以ってしても、打倒できなかったと言っているのだ
それを聞かされた飛白の心情は察するに余りない
半ば呆然としたまま、飛白はぐったりとして拙い動きしかできない氷雨を二階の寝室へと支えて行く
寝室に入るなりベッドに横になろうとする氷雨を止めた飛白は、素早く氷雨が着ていたロングコートとその下の物騒な武装類を外す
篭手、投げナイフ、短刀、etc……
一体どこにどうやって隠してあったのかと訊きたくなるほど溢れ出てくる武装類の数々
流石に飛白も呆れ顔になってくる
「こんなに準備万端だったのに、どうして失敗したのですか?」
下着姿のまま力なくベッドに沈み込もうとしている氷雨を今度は止めようとせずに問う
横になって落ち着いたのか氷雨はその言葉に苦笑しながら答える
「いや、使う暇がなかったのよ。それと、予想外の敵と戦闘になってね」
「結局【瞳】も使用せずに、純粋に肉弾戦を挑んだ挙句の結果ですか……」
疲れたように溜息を吐く飛白を横目に見ながら、氷雨は思う
彼女は、知らないのだ
退魔士という職業を生業とする一族の者だけに、一般人よりは事情に詳しいだろが、それだけでは不十分なのだ
魔術というモノを、外道の業を理解するには、それだけでは充分とは言えない
魔術師と退魔士
互いに相容れぬ者同士であり、決して交わる事のない者
その両端に身を置く氷雨だからこそ理解できる
魔術師と退魔士では、見えている視点が違うのだと
「悪いけど、私はこのまま寝る事にするわ。よかったら、貴女も客室を使って泊まって行ってもいいわよ」
「……そうした方がよさそうですね。先輩の怪我も心配ですから」
最後まで心配そうな顔をしながら飛白は部屋を出て行った
彼女は、退魔士としては優しすぎる
決してそれが弱さ、甘さに繋がる訳ではないが、それでも彼女は優しすぎた
あの若さで一流と言っても過言ではないほどの技量と経験を積み重ねているのは、流石に次期当主と言われるだけある
しかし、彼女は近しい者が傷つくのを酷く恐れている
彼女の強さの理由、強くあろうとする欲求の根源
それは黒金氷雨が遠い昔に捨て去った『慈愛』という名の殺害意志
「正義か愛という名の下に殺戮を是とする権限、か。下らないわ」
「けれど、それが魔に対する人がせめて持つ優位性。一概に否定するのは良くないと思うよ」
呟いた独り言によもや答えが返ってくるとは思わなかったのか、氷雨はやや驚きながら枕元の照灯台を見上げる
そこには一匹の黒猫が座っていた
「久遠、あんた動いて大丈夫なの? 頭の中の妖精さんは何も言ってこない? 自分が誰だか理解できてる?」
「うん。もう動いても平気だよ。妖精さんは何も言ってこないなぁ。僕が誰かって? 僕以外の何者でもないよ。……て、あれ?」
ふと会話に違和感を覚えたのか、訝しげに久遠は氷雨と自分の言葉を反芻する
「……ねぇ、さっきさり気無く関係ないものが混じってなかった?」
「気のせいよ。あんたも起き抜けで頭が働いてないんじゃないの」
「そうかな?」
「そうよ」
なんだか納得がいかない、と呟く久遠の呟きに完全無視を決め込んで、氷雨は自らが体験した事を簡単に説明した
「魂の再生、か。正直な話、君の言葉じゃなければ一笑に伏す所だね」
シニカルな笑みを口の端に浮かべ、久遠は話し疲れて眠たげな己の主人を見る
真っ当な魔術師であるならば、それこそ久遠の言葉通り一笑に伏すだろう
それが当然だ
だが、でなければどうして己の主人がここまで消耗してなお仕留めきれていないのか?
魔術師としての氷雨は、使い魔である自分が目を覆いたくなるほどの無能者だが、退魔士としてならそれこそ世界でも有数の実力者だ
例え【瞳】や武器がなくとも、こと素手による肉弾戦において氷雨を上回れる者など、久遠が知る限りたった一人だけ
「確かに、私も油断していたわ。まさか近接戦闘で後れをとるなんてね」
「その自覚があれば充分だね。それで、次はいつ仕掛けるの?」
「明後日よ。それまでには体調を万全にするから、あんたも覚悟しときなさい」
「了解。やっぱりリベンジは早い方がいいよね」
すんません。PCの調子が悪くて長らく投稿できませんでした。
よもやそんなに多くはないかもしれませんが、待っていてくださった方々、本当にすいませんでした。
次回は・・・・・・いつになるんだろう