健康診断①
「はいしーちゃん、あーん?」
「あ~」
「そのままあけててね」
「あー」
ぽかっとあけたしーちゃんの小さな口の中、下の前歯に小さなスプレーをシュッとひと吹き。ちいさな歯ブラシを差し込んでしゅこしゅこと歯磨きを開始する。
ひと通り撫でるくらいですぐ終わっちゃうけど。
手のひらに収まるくらいの小さなスプレー。
なんでもこれのひと吹きが、歯磨き粉をつけてガッシュガッシュと歯を磨く行為と同等の効果を得られるとか。そのおかげで歯磨き粉や歯ブラシが絶滅寸前なんだそうな。
かくいうあたしもこの部屋で生活を開始した直後、望さんから朝起きてスプレーを渡され困惑したものですよ。
望さんたちはこれがあるのが当たり前の生活から始めたんだろうけど、一昔前の常識しか持たないあたしには未知の道具。整髪料か何かと思って、頭にスプレーを向けたあたしを渕華さんが慌てて止めてくれたっけ……。
歯ブラシはさーちゃんが三本用意してくれたけど。特注品だったんじゃないかなあ、望さんたちの話からすると。
まあ、最初は一人で歯を磨いていたんだけどね。何故か普段なら最初に真似するしゅーちゃんが無反応で、「やりたい」って言い出したのがしーちゃんだけだったという。
神子が虫歯になるかどうかはさておいて。
「はい、次はしゅーちゃんの番」
「…………ぷっ」
歯磨きを終えたしーちゃんにぬるま湯をストローでちゅーっと吸ってもらって、ぺってさせたあたしは次なる目標に声をかけた。返答は「やー」だけどね。
座布団の上に伏せた黒いドーム状の物体である。
巨大なおはぎのようだけど、れっきとしたしゅーちゃんだ。
いそいそとあたしがスプレーと歯ブラシを取り出した途端、座布団の上で黒い翼で自分を完全に覆い隠しちゃったんだよ。いつものことだけど。
「しゅーちゃん、痛くないよー」
「ぷー」
「しゅっとやって、さーって撫でて終わっちゃうよ?」
「ぷーーっ」
「やー」と「やーー」しか言わないわ。どうしましょうかしら。
さて今日はどうやって言いくるめようか?
あたしがうーんとうなっているとしーちゃんがハイハイでしゅーちゃんに近付いていき、自分の白い翼で掬い上げるように巨大おはぎをひっくり返した。
たちまち丸くなったしゅーちゃんが陽の元にさらされる。でかしたしーちゃん!
「ぷ、ぷーっ!」
「あうー!」
なにすんだよー、へーん。と口喧嘩をかわす二人。
すかさず近づいてってしゅーちゃんを抱きかかえる。
「はーい、しゅーちゃんつーかーまーえーたー」
「うー!」
腕を振り回してじたばたと暴れるしゅーちゃんを優しく胸に抱く。あやすように背中を軽くぽんぽんと叩くと暴れるのをやめておとなしくなる
「はいはい、しゅーちゃん怖くない怖くないよー」
「うーぷー」
ぐずるように胸の内へもぐりこもうとするしゅーちゃん。甘えん坊ねー。
「じゃあしゅーちゃん。スプレーだけでもしようね? 歯ブラシが嫌ならそっちはいいから」
「ぷー」
「んー、いやなの? 口の中キレイキレイしないともうすりりんごも食べられないよ?」
「ぷーっ!」
「食べるんだったらスプレーする。イヤだったらもうなんにも食べられない。どっち?」
赤ん坊を食べ物で説得するあたしもちょっとどうかと思うけど、色々言ってみてこれが一番効果的というか。他に言えることありそうだけど、思いつかないわね。
ようやく口を開けてくれたしゅーちゃんの口にスプレーして、うがいしてもらって昼食後の騒ぎはやっと落ち着いた。朝は素直に口を開けてくれたんだけどなあ。
元々健康体以外のなにものでもない二人だけど、虫歯の危険性にいきついたのはさーちゃんのせいだ。
一度二人に嫌がられてから、おやつの時間になると貰い物のお菓子だとか、取り寄せた珍しいお菓子だとかを持って二人のご機嫌伺いにやってくるようになっちゃったから。
おかげでここ一週間ほどはかなり上物のお菓子ばっかり口にするようになって、すっかり舌が肥えているようなんだけどねー。数馬家の和菓子すら口にしなくなったらどうするんですか。
「遥様、先代さまがお見えです」
腕の中にしゅーちゃんを抱いたままつらつらと考えていると、渕華さんがさーちゃんの来訪を教えてくれた。
「失礼します。姉さん」
「いらっしゃい、さー……ちゃん?」
なにやら余所行きの着物に身を包み、背後にSPさんを従えたさーちゃんが真面目な表情で室内に足を踏み入れた。
「姉さん。すみませんが少々一緒に出かけて貰えませんか?」
「何その改まり方!? 何かの緊急事態?」
「いいえ……」
もったいぶったように首を振って区切ると、力強く行先を告げるさーちゃん。
「病院で診察です」
「…………は?」
最低月一更新ができませんでした。すみません。
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