閑話⑤ 遥か彼方の時流
丸い空間。いや、丸い空間の室内というべきか。
普通に人が生活するのであれば、事足りるものが室内にはそろっている。
クローゼットはどちらが上下か判明しない空間内にふよふよと浮いている。座布団やテーブル、食器や炊飯器に至るまでその丸い空間内には様々なものが漂っていた。無重力体験ができる実験室と言った方が当てはまるかもしれぬ。
部屋と呼んでいいのか悩むその中央に、重厚な光沢をもつ執務机が浮いていた。座り心地のよさそうな黒革の椅子には頭から足の先まで黒い人物が座っている。
夜の闇のような黒い髪は右目を隠し、首の後ろで黒いリボンで留められた他は座る椅子より下に届くまで長い。整った顔立ちは垣間見た女性全てを虜にしそうだが、切れ長の左目がかもし出す雰囲気は極寒の雪山のよう。首から下は黒いローブに覆われているが、肩は硬質な形に見えるショルダーガードが備わっている。ローブの隙間から見える上半身には、これまた黒い光沢をもつ鱗状のブレストプレートが装備されている。下半身には攻撃的な雰囲気はなく、身なりのいいスーツで固められていた。
やや憮然とした表情の黒い彼からは感情などは読み切れない。執務机の脇に浮いている小箱から幾つかの粒を掴み上げた。
ひとつひとつが光源を持つ金平糖のような小粒を数個手の上で転がす。思案するように動きを止めた彼の掌の上でひとつの光る金平糖が砕け散った。砕けずに残ったものは机を挟んで逆側にあった小箱へ放り込み。未だ机の腕を漂っていた砕けた欠片を指ではじく。
弾かれた欠片はきらめきを残したまま一陣の風となり、丁度開いた部屋の扉から外へ飛んでいった。
次の金平糖を掴み出そうとしていた彼は、きらめく風と入れ替わるように入室してきた人物に気づき、顔を上げる。
「やあ」
「ああ……」
入ってきた人物は闇に沈む夜な彼と正反対の、陽より輝く印象を受ける男性だった。
緩くカールの掛かったふわっふわのブロンドはそれ自体が光を帯びる奇跡のよう。温和な笑みを備える柔和なマスクは10人中11人が振り返るような美形である。
その身を包むのには無骨な鎧などは必要なく、白銀と白金の刺繍で縁取りをされた白ランである。マントは左肩から、赤いビロードの裏地を持つ腰に届くくらいまでの白生地。
正反対の二人だが、あえて共通点を上げるとすれば背中から大きく広がるそれだろう。それぞれのカラーを自己主張するような一対の翼である。
金色の彼は無遠慮にもじろじろと室内を見渡し、目的のものがないと分かると踵を返す。
「母さんならば地上に降りたぞ」
しようとして黒い彼から掛けられた声に足を止めてしまった。
「シュウ。そういうことはもっと早く言ってくれ」
「そりゃ済まなかったな、シィ」
金色のシィと呼ばれた彼は苦虫を噛み潰した表情で。黒色のシュウと呼ばれた彼は面白がっているような笑みを口元に浮かべて。それに気付いた金のシィは深呼吸を一つ、面白そうな瞳を真っ向から睨み返す。
「おおこわいこわい」と聞こえるように呟いた黒のシュウはパチリと指を鳴らす。
部屋の隅を漂っていた電気ポットが、空中を滑るように黒のシュウの手に収まる。次に黒いクマのぬいぐるみが食器棚から湯呑と急須をとってきた。2人の間の支える台もない空中に湯呑を2つ置き、ポットからお湯を器用に急須へ注ぐ。そして2人分のお茶を淹れてからポットを引きずって部屋の隅へ移動していった。
「お前まだあれ使っているのか?」
「なんか動かしていないと気が済まなくてな。お前は?」
「時ごと止めてケースにしまってあるな」
湯呑片手になつかしそうにぬいぐるみを見る金のシィ。黒のシュウは首を振って呆れたような顔だ。
「1回あれぐっしょり濡らしたな」
「観賞用だとは知らなかったしな。お前は毛布でぐるぐる巻きにして母上に怒られていたろう」
顔を見合わせた二人は同時に噴き出し、しばし思い出話に花を咲かせた。
「母上は昨日から見かけていなかったが、何処に行っていたのか把握しているか?」
「コーデルディアの島だろう、たぶん。母さんはあそこの花畑がいたくお気に入りだからな」
「そうか……。命日とやらが近かったな。護衛は足りているんだろうな?」
窓の外に見える緑色の空を見上げつつ、感慨深く呟く金のシィ。その問いにクックックッと笑いながら母親に付き従うものを思い出しつつ返す黒のシュウ。
「スフインクスとシュネメスティラントロゥにコーデルディア。創樹も揃っていて俺はあの集団が何かの影響を受けるとかという場面が想像できんがね。あれに手ぇ出すとか絶対そいつは頭おかしいだろう!」
心底楽しそうに笑う黒のシュウ。
金のシィは気掛かりに首をひねりながら。
「まあ母上は誰かを傷付けるとか嫌うからな。酷いことにはならんと思うが」
「結果的に酷いことにするのは地球人か。ははははっ」
第三者からみれば楽しそうな会話だが、その場には微妙な空気が漂っている。ふと気付いたように部屋の扉に視線を向ける二人。
「帰ってきたみたいだな」
「ああ。ではいつも通りに、な」
その空気を払拭するように、新たに入室してくる黒髪の女性と、青い子猫。瞬時に切り替わり、黒のシュウと金のシィの表情からは感情が抜け落ちる。
「ただいま~。ってまた二人とも仏頂面でお茶なんかして……」
「いいだろ。これが俺たちなりのスタイルだ。母さんが気にすることじゃないさ」
再びポットを引きずって来てお茶を淹れるクマのぬいぐるみに微笑む黒髪の女性こと柚木果狩遥。その容姿は二人が初めて会った時となんら変化がない。
「まったくもう背が伸びてきたら可愛げがなくなっちゃって……。あたしの癒しはもふもふスフちゃんだけよ~」
「いや、ええと、ハルカ様? このままァだとウチの寿命がマッハで危険領域に……」
青い子猫は見た!
遥に抱かれる肩越しに、始族終族を支える二人からの威圧のたっぷりこもった視線が突き刺さるのを。
部屋に入る前に真っ先に用事があるからと言って逃げた遥の友人2人に向けて、いつか〆てやろうと心に誓った瞬間である。
これで終わりのような展開ですが、まだ続きます。
月曜から仕事始めーの、親が入院しーのでさらに忙しくなってしまうことに。大丈夫かなあこれ……。
『10人中11人~』の下りは間違いではなく、比喩です。
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