閑話② 異能
時間的には「勉強をしよう」の後日談です。
夕刻、遥の所を退出した静流は自分の部屋へ戻ろうとしたところへ、先代が呼んでいると使用人に伝えられ、沙霧の部屋へ向かった。
「お呼びにより参りました」
「お入り」
部屋の外より声を掛けると、使用人が障子を開け中に招き入れてくれる。中に居たのは沙霧の他、腕や足に包帯を巻き、服の上に毛布を羽織った栄蔵であった。
「栄蔵御爺様、お身体はもう大丈夫なのですか?」
その場にいなかったとしても目撃者の多い栄蔵の痴態は、本家の皆の知るところである。仲の良い使用人から、この顛末を聞いた静流は普通に祖父の身を心配した。それを聞いた側の栄蔵は驚いた様子を見せるが、すぐ思い当たったように大仰に頷いた。
「おお、問題ない。せいぜい掠り傷くらいだ。優しい言葉を掛けてくれるのはお前くらいだよ。よよよ……」
孫に心配されるのを感動したのか、男泣き真似をする自分の旦那に冷たいジト目を送った沙霧。気を取り直して孫に問いかける。事前情報は遥の使用人から入手済みだ。
「静流、なにやら姉さんに勉強を教えていたと聞きましたが?」
「はい、沙霧御婆様。未だ若輩者ながら遥様からお願いされましたもので、数学を。区切りがよかった事もあり、前学期末テストもやっていただきました」
言いながら手元より事前に学園の教師からコピーして貰い、遥にやって貰った答案用紙を差し出す。採点した点数は七十三点。教えていた時の理解力からすれば、不思議と低い数値ではある。
受け取った沙霧は手元にあった何かの用紙と答案用紙を見比べ、苦い表情で夫に渡す。栄蔵の方は見比べた後「カッカッカッ」と笑い出す始末。いったい何がどうなっているのかが理解できず、呼ばれた静流としては大人しく待つしかない。こそこそと囁き合っていた祖父母で、最初に口を開いたのは栄蔵である。
「静流よお、俺らへの呼び方を変えたか?」
「は、はい。ダメ……だったでしょうか?」
「いんや。そう進めたのは遥だろう? 礼儀より親愛だとか言ってなかったか?」
「はい……」
しゅんと消沈してしまった孫の頭にポンと手を置いた栄蔵。申し訳なさそうな表情で伺う静流へデコピンを叩き込んだ。
「あ痛っ!」
「堂々としてろ。遥が言ったのを鵜呑みにせず、自分で考えた末の呼び方だろう? だったら間違っちゃいねえよ」
「は、はい! すみません、御爺様」
「もう、あなた様。婦女子の額へ打ち込むとはなんですか。それにしても相変わらず姉さんは当たり前のように、柚木果狩では思っていても言い辛いことを実行させる……」
静流が言われたのは『祖父母は名前で呼ぶものです。そう呼ぶか呼ばないかは静流ちゃんの自由だけど、自分が大人になって孫から名前じゃないもので呼ばれるところを想像してみなさい。礼儀より親愛が大事!』と、拳を握り締めて力説する遥に圧倒された。先を想像して、なんとなく心に隙間風が吹くような物悲しさを感じた静流は、祖父母の呼び方を『先代様、大旦那様』から『沙霧御婆様、栄蔵御爺様』へ自主的に切り替えたのである。
五十年も離れて、忘れかけていた姉の性格が浮き彫りにされたことで乾いた笑いを漏らす沙霧。自分達の祖母、春江から直々に教育を受けていただけあって、両者の行動は良く似ていると今更ながら実感する。
粛々と続く古い家柄に根付く厳しい習慣を善しとせず、常日頃から砕けた物言いの祖母。四六時中一緒にいたせいで、破天荒な性質を受け継いだ遥は、当時、実の親と一部分家の当主達から『無能』と蔑まれていた。沙霧が両親からの愛情は自分だけにしか向いていないと気付いたのは、ある日遥が実の両親に不当に殴られ、唾を吐きかけられていた光景を見てからだ。慌てて間に入って遥を庇った沙霧は、初めて慈愛に満ちた両親の顔が憎々しげに歪むのを見た。その場は優しく引き剥がされ、言葉巧みに反論を封じられたが、後日仲の良い使用人から遥が全治二カ月の重症で入院していると聞かされ、卒倒しかけた。
その後から時間があれば遥と行動を共にするようになったが、不当な暴力を振るわれている側の姉が、両親を毛ほども嫌っていなかったのは、当時信じられなかったものだ。今にして思えば、遥は諦めていたのではなく、暴力も込みでそれが両親なのだと受け入れていたのだろう。
まあ、姉は兎も角、それが面白くないと捉える者もいた。祖母である。両親を非適格者として分家に落とし、遥が冷凍睡眠についた後も祖母が奮然として当主を務めた。次期当主を沙霧に譲ると宣言された時の両親は落胆し、しばらく酒浸りになっていたくらいである。
その辺りの回想をホドホドで打ち切った沙霧は、静流の前に受け取った答案用紙と前もって用意していた紙を置いた。困惑する孫娘に告げる。
「貴女の学年の学期末テスト、その全教科平均点です。先程取り寄せました」
「は、はあ……」
意味が分からず沈黙する孫娘。苦笑いを漏らした栄蔵が噛み砕いて説明する。
「数学の平均点、遥ちゃんの点数と同じだろう。面白い事にもし、全教科を教えなくとも遥ちゃんにやらせてみりゃあ分かることだがよぉ、取る点数は皆同じ平均点だ」
「…………は? ええと、計算して平均点を取っているんですか?」
「いいえ、違います。それが姉さんの異能なのです」
唐突な暴露にポカンとして口を開ける静流。これは後日全教科を遥にやらせてみた当人が結果を見て実感している。
続けて細かい説明を入れる沙霧。遥の異能とはつまり『扱ったものを平均にしてしまう』と言う能力だ。その影響はテストの点だけに留まらず、自身の成長にまで及んでいる。現在遥自身が『不老不死の一般人、神子寄り』と自分を受け止めているため、その身体能力は始族や終族の一般民を遥かに凌駕するであろう。それでいてしーちゃんやしゅーちゃんの平均を取っているのである。但し、その身については全国十七歳女子(実年齢ではなく)の平均を体現していた。これは始族や終族に当て嵌まる者が居ないせいである。
付け加えるならば、栄蔵がまだ少女だった頃の遥に面白がって株取引をやらせたが、十分と経たずに東アジア地域の証券取引所がパニックに陥った。これも彼女の異能のせいで全株価が平均値を叩き出したからだ。当時はそれが社会に大混乱を与え、経済大国がこぞって目を回したほどである。それ以来、遥にはそういったものを近づけないように前当主から厳命が出されている。それは代替わりした今でも有効だ。
流石にそういった話を聞かされては静流も結果に納得せざるを得ない。沙霧も時間があるときには、遥に勉強を教えて欲しいと孫に頼んでおく。一応復学させることも念頭に置いていたのだが、この分では編入試験に学期末テスト問題を出された場合、結果がありありと浮かんでくる。姉に高得点を取らせようと画策するならば、『今後誰も使用しない、新しい問題用紙』を用意してもらわねばならないからだ。しばらくは孫に家庭教師をしてもらうようであろう。
妻の葛藤する内心を知らず、心の垣根を取っ払われた孫との会話に話を弾ませていた栄蔵は、八つ当たりの湯飲み投擲を受けて倒れた。『では姉さんの家庭教師頼みましたよ?』と沙霧からニッコリ笑顔で声を掛けられた静流は、戦々恐々としながら祖父母の部屋を後にした。
「やれやれ、相変わらず姉さんはマイペースですね」
「……………」
栄蔵の返事がない、ただのしかばねのようだ。
遥の異能を東方風に言うの禁止。
最初書いたときはもっと暗い話だったのですが、あんまりかわっていないですね……。