七人の裸の王様
「王様、私どもは世にも珍しい服を持参いたしました」
ここは謁見の間。両脇に立ち並ぶ近衛兵たちの威容に負けぬよう、大声を張り上げたのは兄のエディ。
「はい、ガルバリア大陸広しと言えども、おそらくはこの一着しかないでしょう稀有なる逸品」
やや甲高い声で続けたのは、妹のナタリー。その声はやや緊張で震えている。
「服だと?」
低い声が玉座から響いた。行商人の兄妹を値踏みするようなその眼光は鋭く、見られた者は萎縮せずにはおれない。
エディはたまらずに目線を落とした。一瞬、このペテンを仕掛けたことを後悔する。
だが、後には引けない。
「はい、服でございます。この服、大陸のはるか東に広がる怨嗟の砂漠、その最果ての地に住むと言われる賢者マウイが秘術により紡ぎ出した糸を使い……」
「能書きはよい」
一言で遮られる。固まってしまった兄に代わり、ナタリーが慌てて続けた。
「で、では、ご覧に入れます」
やや大げさな所作で、横に置いたスーツケースを開く。一度だけちらりと王のほうを見て、それからケースの中に両手を差し入れた。
兄は慌てた。バカ、先に口上を言っておかないと……。しかし妹は続けてしまう。スーツケースから何かをつまんで取り出す仕草をする。しかしその手には何もつままれていない。
「こちらに取り出しましたる服はですね……」
「何も無いではないか」
エディは顔を覆った。……やっちまった。
今度はナタリーが固まる番だった。しまった。順番を間違えた。先に「バカには見えない」と言っておかなければならないのに。今朝方、あれ程念入りに打ち合わせをしたというのに。
しかしエディにももはや余裕など無く、当初のシナリオどおりにやり直そうとすることしかできなかった。
「王様!」
「なんだ」
「さ、先に言っておかねばなりません。この服は……バカには見ることのできない服なのでございます……!」
言ってから、エディは今更それを言っても何の意味もないことに気がつく。
「さ、さようです……! 賢い者の目にのみ映る糸で織られております」
ナタリーもそう後を続けながら、何度も兄のほうを見てしまう。
「では余はバカだということだな」
「い、い、いえ、その……」
「つまみ出せ」
*
行商人のふりをした兄妹、エディとナタリーは城門からしばらく歩いた森の入り口で立ち尽くしていた。二人がこの計画を思いついたのは昨日の晩。酔った勢いだったが、朝になって冷静な頭で考えたところ「案外いけるんじゃないか」と思う程に二人ともバカだった。
「ああ、だから、暁の王はやめておけばよかったんだよ……」
エディが呟く。暁の王とは、たった今謁見したガルバリア第一王国の国王の俗称である。その武術は大陸において右に並ぶ者なしと言われ、強き王として知られていた。
「だって兄さんが、あの王は力ばっかり強くて頭のほうはからっきしだって言うから……」
ナタリーが言い返す。
「まあいいや。こうなったら、もう一度チャレンジだ」
「えっ。今追い出されたばっかりよ」
「また同じ王に会ってどうするんだよ。隣の国へ行く」
「と、隣の国? 第二王国のこと?」
「そうだ」
このガルバリアという大陸には古くはガルバリア王国という一つの国があるのみだったが、長い歴史の中でその流れを汲む七つの国に別れていた。第一王国から第七王国と呼ばれるのがそれである。
「暁の王はやっぱ怖ええからな。他の王ならまだましだろう。次は深緑の王だ」
深緑の王は第二王国国王の俗称である。
「あの王様は……人がいいって話だから……いけるかもしれないね!」
「そうだろ? じゃあとっとと森を抜けるぜ」
*
「王様、これは世にも珍しい、バカには見えない服でございます」
「なんと。それは真か?」
「はい。愚か者には糸一本とて見えませんが、王のように賢き御仁には必ずやこの美しい色合いをお楽しみいただけましょう」
「それは楽しみだな。ほれ、見せてみよ」
エディはナタリーに目配せする。どうやら今回はうまくいきそうだ。
「はい、ではこれをご覧下さい」
ふわりとした服の質感を感じさせるように、ナタリーは服を取り出す仕草をした。こいつはもともと演技はうまいんだよな、とエディは内心ほくそえむ。
「…………」
「どうです王様、この袖口の美しい刺繍、気品漂うボタン。この……」
「おい大臣。見えるか?」
王はいきなり横を向き、大臣に声をかけた。大臣は慌て、一瞬迷った様子を見せたのち、縮こまって答えた。
「あ、いえ、その、み、見えますとも、あの美しい図柄……」
「余には見えぬ」
大臣が固まる。
あちゃー。また失敗だ。ナタリーがガックリと肩を落とす。おかしいな、普通は見得をはるだろうに。あの大臣みたいに。エディは顔をしかめそうになったが、なんとか挽回しようとする。
「あの王様、よくご覧くださ」
「よいよい皆まで言わずともよい」
だが王は遮った。エディは黙らざるをえない。
「余は、常々、自分が賢いと思っておった。自惚れておった。しかし違ったのだな。余は愚か者だ。賢者が紡いだという糸が見えぬ」
ナタリーは思った。あれ? この王様……もしかして信じてる? 信じてて、見えてないのを隠そうともしない、バカ正直な王様なんだ。
「しかし余も内心では薄々わかっておったのかもしれん。国を見渡してみれば、一見平和であるように見える。しかしそれは見えておらぬだけではないのか。本当は、街を隅々まで見渡せば貧しい者や学の無い者がいて、盗みも詐欺も後を絶えぬのではないか」
ギクリとする二人。
「……余は愚かなのだ。何も見えておらぬ。民の苦しみが見えておらぬのだ。民が見えぬ愚かな王に、まして賢者の織りし服が見えよう筈もない」
なぜか落ち込む様子の王に、言葉もない二人。
「行商人よ。余にそれをわからせてくれたこと、感謝する。その服は余には見えておらぬ。ゆえに買うことはできぬが……、それを見ることができるような真の賢者に譲って欲しい」
*
「っておい、なんだあれ。できすぎだろあの王様」
「…………私たちが詐欺師だって微塵も思ってなかったね……」
「……あんなまっすぐな人なのか。なんか大臣とか完全に立場なかったじゃん」
「ねえ。あの後、どうしたんだろ……」
今度は、いくらかの路銀まで貰ってしまい、丁寧に送り出された二人。城門の前で再び反省会をしていた。気を取り直した様子で兄は叫ぶ。
「よし! 今のはしょうがない! 次いくぞ、次!」
「え、まだやんの、兄さん」
「当たり前だろ! 大丈夫だ、次は世にも有名なバカ王だからな。黄昏の王だ」
第三王国の王、俗称「黄昏の王」、いやもっと通りがよいのは「バカ王」だ。彼はこの大陸の七国の王の中で最もバカだと言われている。
*
「王様、これはバカには見えない服でござ……ってあんた既に服着てねーじゃねーか!」
「当たり前だ! 余は服など好かぬ! みな裸で暮らすのじゃ!」
「王よ、どうか落ち着いてくだされ、謁見の時くらい服を着てくださいと何度言えば……」
「大臣うるさいし。あ、3時だ。すいーつの時間じゃね? どうよ、お前らも一緒に食う?」
「あ、え、おやつですか? いえ、あの、遠慮しておきます。私たちはこれで……」
*
ペコペコと申し訳なさそうに頭を下げる、大臣や使用人たちに見送られ、城門を後にする二人。
「…………あそこまでバカだったとは……。話が通じなかったな」
「うん、ちょっと前二人の王と違いすぎてビックリした」
「あれでよくあの国、成り立ってるな」
「あそこまでどうしようもないと、かえって周りがまとまるのかもしれないよ」
二人は気を取り直し、次なる第四王国へ向かった。俗称「砂塵の王」の治める国である。
*
「王様、これはバカには見えない服でございます」
「ほう……これはまた美しい。実に美しい刺繍だな」
今度の王は、ナタリーが空中に服を取り出す仕草をした途端、食いついてきた。ニヤリとする二人。かかった! これはいけそうだ。
「そうでございましょう、こちらの袖の部分など……」
「おい、どこを持ってる。そこは裾だぞ」
「え? ……ああ、失礼いたしました。こちらの……」
「あーあー、おいそんな持ち方するな。生地が傷んでしまうぞ。それにさっきから右の袖がスーツケースに挟まってるのに気付いてないのか?」
「え、あ、すみません。ほらナタリー」
慌ててスーツケースを開け閉めするナタリー。
「それからそのスーツケースに入ってる、ほら、それだよそれ、さっきチラッと見えたその服、そっちもいいな……よく見せてくれ」
「え、服は一着しか持ってきてな」
「ば、ばか、ナタリーっ。……王様、これでございますね? お目が高い。こちらも良い生地でございまして……」
慌てて二着目をとりだす仕草をするエディ。
「だろう? どれどれよく見せて……あれ、なんだ、穴開いてるじゃないか。おい、あ、よく見たら袖もほころんでるぞ」
「えぇ? そ、そ、そんなバカな」
「それにそっちの帽子も、なんかへこんでるじゃないか」
「ぼ、帽子? 帽子……は、これはその」
「あとお前が羽織ってるガウンは売り物なのか?」
「ガウン? え? 羽織って……? いやそのこれはその売り物ではなくて……」
「それから最初に言うべきだったが、ウサギの耳をつけて謁見の間に入ってくるのはどうかと思うぞ」
「う、ウサギってそれはいくら何でも」
そのとき、横で黙っていた大臣が口を開いた。
「王様。からかうのもいい加減になさいませ」
*
城門を出て、門番達から見えなくなったところで、エディは思い切りスーツケースを地面にたたきつけた。
「なんっっっっだよ、あれは! バカにしやがって!」
「……完全に遊ばれてたよね……」
お土産までもらっていた。「楽しませてくれたお礼」だそうである。近衛兵たちにも「お前ら最高だったよ」とか言われてしまい、詐欺を仕掛けた手前、愛想笑いをすることしかできなかった。
「次はまともな王様だといいね……」
二人が悄然として向うは、第五王国。「翡翠の王」。
*
「というわけで王様、これからお目にかけます服は、バカには見えない服なのでございます……」
するとしばしの間考えていた王は、口を開いた。
「もしや、今お前らが着ている服、それもバカには見えない服なのか?」
「……は?」
……一瞬の後、エディはピンと来た。これは……チャンスかもしれない。
「さすが王様! 実はさようでございます。王様は賢きお方ゆえ見えておられますが、私どもの着ている服も愚者には見ることのできぬ服にございます」
ナタリーもハッとして、調子を合わせる。いいぞ、この流れでおだててしまえ。
「そうなんです! 王はこの服をお召しになられるに相応しいお方!」
だが、王の様子がおかしい。眉間にしわを寄せ、ブルブルと震えている。
「なんてことだ…………余は……バカではないのか……?」
「バカなどとはとんでもない! 王ほど賢いお方はおられません!」
「そのとおりです!」
「余は……余は……バカでありたかった…………!」
「…………は?」
がっくりと床にひざをつく王。
「だってそうであろう!? 余がバカなら……余がバカなら……そ、そなたの一糸まとわぬ姿がこの目に……」
そう言って悔しそうにナタリーを見る王。
「…………え?」
その言葉の意味に気付き、真っ赤になって体を手で覆うナタリー。横から「いや、見えてないって」と突っ込みつつ、呆れた様子で王を見るエディ。
「余はバカでよかったのだ! バカでいいのだ! それで、その服を大量に買って、そう例えばあのツンと済ましたドリー伯爵家のユリシア嬢に贈ろう! あ、家庭教師のカトリーヌもいいな! 待てよメイドのヘンリエッタも案外…………くふふぅ……まさか余には全て見られているとも知らずに……あられもない…………ぐへへ……おっとよだれが」
王、もとい妄想男は口からこぼれたよだれを拭うと、きりっとした顔で言った。
「よし決めた! 余は今からでもバカになってみせる! だから売ってくれ! その、だ、男子にとっては夢のアイテムを! 金ならいくらでも」
「いい加減にせんか!」
横からつかつかと歩み寄った大臣にハリセンで眉間を直撃され、沈黙する王。そのまま首根っこをつかまれ、引きずられて退場する王を見ながら、エディは呟いた。
「……いや、もうあんた十分バカだよ」
*
「兄さん、思うんだけど」
「なんだ」
「きっとあの王様、童貞だね」
「……かもしれない」
エディとナタリーは城門からトボトボと歩きながら、この国の国民じゃなくて本当に良かったと胸をなでおろしていた。
「……まあでも、今回は惜しかったといえば惜しかったな」
「でも私、あの王様に売るのは絶対に嫌」
「まあ周りのご婦人方にしてみればとんだ迷惑だな」
「あーあ、翡翠の王なんて格好いい称号、返上すればいいのに……」
「ま、いいや、次いってみよう、次」
*
第六王国の王城城門から出てくる二人。
「ねえ、兄さん、なぜやめたの?」
「いやだってお前、流石にあの王に売るのはまずいだろ?」
「なんで? 若かったから?」
「それもあるけど」
「女性だったから?」
「それもあるけど」
「兄さんの好みだったから?」
「…………」
「ふうん」
「い、いや、違うぞ! 別に俺は、あの子の裸を皆が見ることになるなんて嫌だとかそういうことじゃなくてだな……」
「あの子って。一応、王様なんだけど」
「お前な、なんか誤解してないか……」
「してませんしてません。兄さんが第六王国の「白銀の王」ことマリーちゃんに一目惚れしただけのことで」
「それが誤解だって言うんだが」
「いいじゃないの、身分違いの恋だけどね」
「き、き、気を取り直していくぞ次」
「ま、いいか。えーと、次は……」
「「雷雲の王」だな。こいつは一筋縄ではいかないぞ……。もう60手前の筈だが、聡明にして勇壮、稀代の賢君と名高い」
「…………えっ。一番うまくいきそうにないんじゃ……」
「まあここまで来たら、だめもとで行ってみるしかないだろう」
「うーん、不安だなぁ……」
自分達のやっていることが王を相手にした詐欺というとんでもない悪事だということはすっかり忘れ、二人はガルバリア大陸最後の王国、第七王国へと向かった。
*
「王様、これがその、愚か者には見えぬ服でございます」
「よし、買おう」
「早っ」
雷雲の王は、即断即決の人であった。
「よい。早速だが、それをワシに着せてみてくれぬか」
「はっ。それでは失礼いたしまして……」
王に命じられるままに、着替えさせる二人。といっても王の服を脱がせ、下着一丁にするだけのことで、服を着せるほうは仕草だけだ。
「どうだ。似合うか」
「え、ええ、よくお似合いでございます」
「はい、サイズもピッタリですわ」
エディもナタリーも、こんなにとんとん拍子に話が進むとは思っておらず、むしろうまく行き過ぎていることに不安すら覚えていた。
「どうだ大臣、似合うかな」
「ええ、よくお似合いでございますよ」
大臣の様子には、取立てて慌てる様子も無い。落ち着きすぎている。
「近衛兵どもよ、どうだ、感想を述べてみよ」
壁際に居並ぶ三人の近衛兵が順に口を開いた。
「よく合っています」
「王に相応しいかと」
「王に着るものに間違いはございません」
誰の目にも何の戸惑いも疑いも浮かんでいない。エディは気味が悪くなった。なんだこいつら。これは……こびへつらっているわけではない。忠誠心なのだ。異常なまでの忠誠心。エディはこの第七王国の王が、今まで会ったどの王ともまるで別格の存在であることを感じていた。
ナタリーが横で囁く。彼女もまた、異質な雰囲気に少し恐怖を感じていた。
「ねえ兄さん、早く帰ろう」
うなずいて、エディは王に言った。
「では王様、お支払いの話をさせていただきたいのでございますが……」
「ああ、そうだったな。だがまあそう焦るな。これから、この素晴らしい衣装を民に披露する。せっかくだから君たちもそれに同行して見て行くがいい」
エディは思わず王の顔をまじまじと見つめた。バカな。国民の前に出るだって? その格好で? 正気か?
服が偽物だと見抜けていないのか、見抜いてこんなことを言っているのか……。前者なら、賢君というのは嘘だ。後者なら、勇壮というのは嘘だ……無謀なだけだ。エディはそう思ったが、こちらが先に音を上げるわけにはいかない。調子を合わせる。
「それはよろしゅうございますね。是非私どももご一緒させていただきます」
「え? ……え、ええ、ご一緒させていただきます」
ナタリーも慌てて付け加えた。王は不気味に微笑むと、大臣に支度をするように言った。
*
「おい、ナタリー」
「何? 兄さん」
「なんか、とんでもないことになったな」
「ええ。まさかこんな大事になるなんて……」
王は、近衛兵20人以上を連れ、二階ほどの高さの演台のついた馬車で城下の街に繰り出したのだった。まさにパレードの騒ぎで、続々と国民が集まってくる。
「見ろ、俺達も注目されちゃってるぞ」
「どうしよう……」
二人は、演台の上に席を設けられ、王の後ろで座っていた。だが二人が心配するほどの注目ではない。まず王が、その演台の上の玉座に、裸で座っているのだ。そちらに目線が集まらぬ筈もない。
街の中ほどまで来た時、王が馬車を止め、立ち上がった。その巨木を思わせる風貌。裸であるが、その肉体は見事に鍛え上げられていて、とても60歳を間近に迎える年齢とは思えなかった。
「我が親愛なる民よ!」
何事かと見守っていた国民達からしばらく間を置いて、おーっという歓声が上がる。
「今日は諸君に、私の服を披露しに来た!」
どよめく民衆。
「私は今、その新しい服をこの身に纏い、諸君らの目の前に立っている!」
民衆のざわめきから、その目に映るものが自分と同じであることを知り、エディとナタリーは少し安心する。あまりに大臣や近衛兵が王の言葉を疑わない為、王の服が見えていないのは自分達だけなのでは、との疑いすら抱いてしまっていた。
「私が纏っている服は、賢い者にしか見えぬそうだ! この特別な服はここにいる行商人が今日譲ってくれたものだ!」
そう言って王が後ろにいるエディとナタリーを振り返る。いっせいに市民の敵意を含む目線が突き刺さるのを感じ、二人は生きた心地がしなかった。すみません、国民の皆さん、あなたがたの慕っている王にペテンを仕掛けたのは僕たちです。いくらでも謝ります。ですからどうか許してください。
「私が纏っている服が見えぬ者がいるか! さぁどうだ、皆のもの、この服がちゃんと見えているか!」
王は民衆に問いかける。民衆はまだざわめいていたが、王に向って答える者はいない。王は黙って、見渡している。するとその中から、一際高い声が聞こえた。
「おうさまは、はだかだよ!」
子供の声だった。そちらを見れば、男の子が王を指差している。彼は言ったのだ。皆が言えずにいることを。その母親らしき女性が、慌ててその口を抑える。母親が泣きそうな顔をしているのとは違い、自分が何かまずいことを言ったのかといぶかしがっている子供。周りの大人たちは少し距離を置いて事の成り行きを見守っている。
しかし、それを聞いた王は、笑みを浮かべた。少年のほうを見る。
「よくぞ答えた。幼き勇者よ。見えぬことは罪ではない。判らぬことは罪ではない。それを認められぬことこそ罪。認めることこそが正義だ」
王が、その身体をひらりと大地に躍らせた。驚いて固まっている少年の前まで歩き、その頭を撫でる。
「そなたの心には正義が宿っている」
民衆は、一斉に歓声を上げた。母親が少年を抱きしめる。
「王よ!」
別の方向からも声が上がった。
「王よ! 私にも見えません! 私にもあなたが裸であるように見えます!」
また別の方向から声が上がる。
「王! 私もです! 私にも見えません」
「私にも、貴方の纏う服が見えません!」
次々に王に答える民衆。その声は次第に全体へ広がっていく。王は、それを満足そうに眺めると、手をかざして静めた。
エディは、はめられた、と思った。王は、皆の前で、この詐欺師の兄妹を糾弾するつもりなのだ。王は民衆の心を掴んでいる。国民は、王を愚弄した我々二人を絶対に許さないだろう。
だがエディの予想は裏切られた。次に王が語った言葉は、エディにとっても信じられないものだった。
「よくわかった。皆の者、それでは今から諸君に私の服が見えるようにしてやろう!」
王は高らかに宣言して、民衆を見渡した。
うおおおっと民衆が再びどよめく。エディは完全に事態についてゆけず、混乱状態だった。何を言っているんだ? あの王は。見えるようにするだって? まさか本当に、王は服を着ている…………? 自分の頭に浮かんだことを振りほどくように頭を振る。ナタリーが駆け寄り、「しっかり、兄さん」と言って肩を抱いた。
王の演説は続いている。
「諸君、服とは何か!」
王が問う。
「服とは何だ?」
再度、問う。今度は答えが口々に返ってきた。
「寒さから身を守るものだ!」
「太陽の日差しからもだ!」
「虫や枝葉によって肌が傷つくのも防いでくれるぞ!」
王は、うんうんとうなずく。
「そうだな。服とは、守ってくれるものだ。だが、それだけではない!」
今度は逆側から派手に着飾った女が叫ぶ。
「服は、飾るものよ! 女を引き立てる!」
「俺の服は俺がコックだということを示すものだ!」
「自分らしさを表現するのが服だ!」
王は再びうなずいた。
「そうだ。それも正しい。服は守るものであると同時に、着ている人間が何者であるかを示すものだ。……だが、まだある筈だ」
王のふたたびの問いに、民衆は沈黙する。しばらくして、人ごみの中から甲高い声が聞こえた。
「おようふくは、一緒に動くものよ!」
王は目を見開いた。その笑顔には素直な喜びが表れている。声を上げた少女のほうを振り返り、かと思うと近衛兵が止める間もなく傍へと歩み寄り、しゃがんで少女と目線を合わせた。
「よくぞ答えた。幼き賢者よ。服とは、己の一挙手一投足に合わせてともに動くものだ」
おおそうだ、と誰かが言った。「そうだぜ、だから動きやすい服ってのは大事なんだ」口々に同意する民衆。
そこで王は立ち上がり、周りを取り囲む民衆を見た。エディとナタリーも、演台を降りて王のまわりに群がる民衆に紛れていた。いつの間にか演台はどかされている。王の周りを民衆が、大人の足で三歩ほどの距離を保って取り囲んでいる。王のすぐそばにいる近衛兵は二人のみ。残りは民衆の中で身動きも取れないでいる。
この距離で民衆に取り囲まれて平気でいられることそのものが、この王の異常さだとエディは思った。王の命を狙うものがいれば、あの近衛兵二人がどんなに優秀でも、防ぎきれないだろう。王はそんな可能性など全く考えていないのか、返り討つ自信があるのか、それとも……やはり無謀なだけなのか。
「諸君、では王にとって民とは何であるか!」
王は自ら問い、自ら語り始めた。
「まず王とは、民に守られているのだ! 国を狙う敵が現れた時、まず矢面に立つのは諸君ら民であり、その一員である我が親愛なる兵士達だ! そして守られているのは平時においても同じだ! 諸君らが日々の営みに精を出し、その実りを私に納めてくれるからこそ私は生きているのだ! 王は民に守られている!」
そうだ、という声と、それは当然です、という声があちこちから上がった。
「では王の価値とは何だ? 一体何をもって王の価値を計ることができる? 王の価値はどうすればわかる? 何を見ればわかる? 民に守られている王は、民の為に何を成したかでその価値が決まるのではないか? ならば、王の価値を計るには、民を見ればよい! 諸君ら民が幸せに生きているかどうかだ! 王が愚かであれば民が苦しむ。王が悪を成せば民が苦しむ。王の成したことの価値は、王を見てもわからぬ、城を見てもわからぬ、それは民を見て初めてわかるものだ!」
民衆からふたたび、そうだと声が上がる。王は続ける。
「では王として考えねばならぬことは何だ? それは、ただ一つ、諸君ら民とともに歩むことだ! 王は民と同じものを見、民と同じものを聞き、民と同じところへ行かねばならぬ。王は民とその運命をともにせねばならぬ!」
おーっという歓声が上がる。民衆が一つになるとはこういうことなのか、とエディは思った。その一体感に頭がくらくらとし、自分を保てなくなる。他国では見ることのない風景だ。
王が一度、言葉を切った。
「賢き者にのみ見えるという、王が着る服……私はこの日、初めてわかったのだ」
厳かに言う。民衆は、次第に静まり返っていく。王の次の言葉を待っているのだ。
……王が、宣言した。
「私の纏う服とは、そなたら民のことである」
その言葉は、染み入るように民衆に入り込み、民衆の心を一つに縫い上げていく。さながらそれが、幾重にも張られた横糸の間を貫く、縦糸であるかのように。今、その巨大な布地が織り上げられていく。エディは自分が涙を流していることに愕然とした。
王はなお、糸を通してゆく。
「人が服に守られるように、王は民によって守られている」
王の一声ごとに、民衆の興奮が増していくのがわかる。
「服を見れば人が判るように、民を見れば王が何者であるかが判る」
王の一声ごとに、町が揺れているのがわかる。
「人と服がその動きを同じくするように、王も民とその運命を共にする」
王の一声ごとに、空が熱気で満たされていくのがわかる。
「見える! 俺には見えるぞ!」
誰かが叫んだ。それが、合図だった。
「私にもみえるわ!」
「王よ、私にも見えます!」
「私たちがあなたの服です!」
「王様、どこまでもついていきます!」
その声の渦は次第に広がり、国を覆い尽くす巨大な布地は、王へと収束してゆく。
「我が親愛なる民よ! 諸君ら一人一人がこの衣の輝ける糸である! 私はこれより、この偉大なる金色の服を常に纏うことを誓おう!」
大地が震え、おおおおっと声の渦が王を襲った。
熱狂の中、エディはナタリーに言う。
「なあ、ナタリー」
「なあに、兄さん」
「……俺には見えるんだよ、王の着ている服が」
ナタリーはうなずいた。
「うん、私もよ」