05
両親――その言葉の無意味さに気付かぬまま、助けを求めて健気に縋り付いていた頃が懐かしい。此処へ閉じ込められてから、否、此処へ閉じ込められる前からずっと、父も継母もシェリルを“人”として扱うことも、“人”として見ることも、一度としてなかったというのに。
幼心でもそれを感じていながら、でも、諦めることがどうしても出来なかった。血は繋がっているんだもの、と。少なくとも、父の実子であることだけは間違いないのだから、と。いつかきっとこんなことは辞めてくれるだろう、と思っていた。いつまでも我が子を傷付け続けたりはしないだろう、と、馬鹿なほど愚直に信じてもいた。
けれどそれももう、遠い昔の話だ。現実味が感じられないほどの、深い霧の向こう側に消えてしまった、愚かな話。
「いずれお前が使い物にならなくなっても、代わりがいれば問題ない」
男――エドワードの同意を得たベアトリスが、勝ち誇ったような甲高い嗤い声を上げながら、伏せたシェリルの顔を覗き込む。無理矢理合わされた視線、心底愉しそうに歪められた赤い唇。長くくっきりとした睫毛に縁取られた琥珀色の瞳の奥には、どろりとした醜い欲望がぎらぎらと蠢いている。
彼らには、肉親としての情など、微塵もないのだ。あるのは、効率良く利益を生み出しさえすればそれで良いという、浅ましい打算だけ。自分たちの飽くなき強欲を潤すことのみを至上とし、その為ならば娘の尊厳さえも躊躇いなく磨り潰す、あまりに薄汚い利己心。
そんな両親から、この泥濘のような日々から、シェリルを救い出してくれる者は誰ひとりとしていなかった。エドワードとベアトリスの間に産まれた義妹も、エレノアが生きていた頃から仕えている執事長や家政婦長も、そして――この国の頂きに君臨する王でさえも。
とはいえ、シェリルの境遇を憐れむ者がいなかったわけでは、決してない。“可哀想な子供”として、密かに気にかけてくれる者は、ごく僅かに存在した。義妹の世話を任されていた乳母、ヘイスティングス邸で下働きをしていた妙齢のメイド、王宮に移ったばかりの頃に食事を運んできてくれていた生真面目な軍人。
けれども彼らは尽く、エドワードとベアトリス、そして国王であるセオドアの手によって、ひとり残らず排除されていった。ある日突然姿を消した者、荒涼とした僻地へ左遷された者。中には見せしめとして、シェリルの眼前で長い髪を切り落とされたり、腕に剣を突き立てられた者までいた。
その噂は、波紋のように使用人たちの間へ広がり、やがて誰も、シェリルに関わろうとはしなくなった。誰も彼もが目を背け、そんな子供はいない、と、ない者扱いに終始する。
そんな使用人たちを、しかし恨んだことは一度もなかった。自分に関われば最後、その者の人生に修復不可能なほどの大きな亀裂が入ってしまうのだから、彼らがそう帰結するのも無理はない。
だから、あの少年もきっと――。ベアトリスが声高に何かを囀っているのを、どこか遠くの物音のように聴くともなく聴きながら、シェリルはそっと熱のない息を吐き出す。
いつものように無造作に頬を打たれ、細い腕を踏みつけられ、背中に鈍い衝撃を蹴り込まれていた、あの日、あの時。錬鉄製の太い柵の隙間に見えたのは、僅かに射し込む光を遮るようにして佇む、ひとつの小さな影だった。驚愕に見開かれ大きな目、烈火のような憤怒を滲ませた赤い瞳。今もその様がありありと思い出せるほど、その赤色は、あまりに鮮烈だった。白と黒に塗り潰された無機質な世界に、ただひとつだけ咲いた、美しい赤い色。




