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さよなら、私を搾取した伯爵家。王太子様が人工魔法石を作ったせいで、私の涙はもう一銭の価値もありません。  作者: 榛乃


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2/22

01

 全ては、母・エレノアが死んだあの日から始まった。


 シェリルが八つの誕生日を迎えたばかりの、穏やかな陽光が燦々と降り注ぐ、あたたかく長閑な春の日に。“幸福”だとばかり思っていた――信じていた――時間は永遠の終わりを迎え、そして、気の遠くなるほどの永い地獄が、無数の嘲笑とともに幕を開けたのだった。


 それまでシェリルは、何も知らなかった。知らされていなかった。父であるエドワードは時折、意味深な言葉と冷ややかな笑みを見せることはあったけれど。それでも直接的なことを言いはしなかったし、母であるエレノアは彼以上に沈黙を貫いていた。


 自分たちの身体に流れる、脈々と受け継がれてきた“一族の血”について。どんな些細なことすら、彼女は頑なに、拒むように口を閉ざし続けていた。


 今思えばそれは、娘だけは“人間”として、平穏な世界に留めておきたかったエレノアなりの、あまりに不器用で必死な“愛”だったのだろうと、今のシェリルには痛いほどに分かる。


 知らないままでいる方が幸せなのだと、彼女は母親としてそう信じていたに違いない。何も知らぬままの方が、この世に存在する数多の“普通の人々”と同じように、ただ平穏な幸福を享受して生きていけるだろう、と。その方が、どれほど救われるだろう、とも。


 けれどもその優しさは結局、エレノアが息を引き取るその瞬間までしか効力を持たない、ひどく脆いものだった。


 護り手という唯一の盾を失った瞬間、彼女が頑なに閉ざしていた扉は、あまりにも呆気なく、容易くこじ開けられた。母の骸がまだ温もりを失い切らぬうちから、シェリルという一人の少女は、欲望に飢えた狼たちの前に投げ出されたのだ。“母の愛”という名の繭に包まれていた彼女には、その牙を拒む術など、無論何一つ教えられてはいなかった。


 ――漸く邪魔者がいなくなったわ。


 エレノアは元々身体が弱く、なにかと床に臥しがちだったのだが、晩年の彼女は幼少のシェリルにもそうと見て取れるほど、異様なほどに衰弱しきっていた。まるで命を少しずつ、何者かに啜り取られているかのような。


 ――これで、全て私たちのものよ。


 心労のせいだろうと、主治医は告げていたけれど。虚弱な体質だったからと、父であるエドワードは言っていたけれど。


 母の死は、本当にそれだけが原因だったのだろうか、と。病などよりももっと悍ましい、どろりと粘りつくような“欲望”が、母の命を蝕み、喰み尽くしたのではないだろうか、と。


 汚泥のような黒い疑念は、拭い去ることのできない毒となって、今もシェリルの心の底に澱み続けている。


 ――“フロリス”も“泪花(るいか)の器”も、俺達の思うままだ。


 亡き母を悼むどころか、まるでその死を待ち侘びていたかのような酷悪な本音を

耳にしてしまっては、主治医の言葉も、父の言葉も、素直に受け入れられるはずがなかった。耳の奥を虚しく通り抜けるだけの雑音、苦し紛れの言い訳。


 そしてその直感が、目を背けようのない凄惨な“正解”であることを思い知らされたのは、母の葬儀を終えたばかりの、凍てつくような静寂が支配する闇夜のことだった。


 腕を掴むエドワードの、皮膚に指先が深く喰い込むほどの、暴力的なまでの力強さ。 骨が軋むようなその感触を、シェリルは今も、忌まわしいほど鮮明に憶えている。


 あの瞬間、エドワードは“父”であることを辞めたのだ、と、シェリルは思う。彼は“父”という保護者の皮を破り捨て、価値ある宝石を産み落とすだけの“道具”を管理する“搾取者”へと成り果てたのだ、と。


 その夜エドワードは、まだ喪服さえ脱ぎ捨てていないシェリルを半ば引き摺るようにして、邸の地下にある小部屋へと彼女を連れ去った。

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