18
「――もしかして、コレ探してんの?」
不意に声をかけられ、シェリルは弾かれたように顔を上げた。慌てて振り向いた視線の先で、イヴリスがひどく退屈そうな――或いは、心底面倒そうな――顔で、左手の人差し指を立てている。女性のように白くなめらかな、その実、節くれだった骨格の、端正な男らしい指。短く切り揃えられた爪は、髪と同じ濡れ羽色に染められ、親指には複雑な彫り込みのされた銀色の指輪が嵌まっている。
その指先で、亜麻色の細い紐が静かに揺れていた。 先端にぶら下がる石はどこまでも透徹として、濁りひとつない。向こう側の景色を歪みなく映し出すほど透明なその石は、窓から差し込む陽光を浴びて、きらきらと澄んだ光の粒を放っている。大輪の花を模した造形、幾層にも重なった刺々しい花弁。
冷徹なまでに美しいその石の中心には、青色をした何かが埋もれている。乱雑に引き裂かれた布のような、やわらかで薄い何かが。まるで時を止められたかのように、静かに眠っている。
それを目の当たりにした瞬間、シェリルの中に渦巻いていた絶望の大波が、鮮烈な衝動へと姿を変え、内側から激しく爆ぜた。その衝動に突き動かされるまま、シェリルは息をするのも忘れ、今にも飛びかからんばかりの勢いで上体を飛び起こす。
「返してっ……返して、くださいっ……!」
やわらかな毛布を、爪が深く喰い込むほど強く握り締めながら、シェリルは喉の奥を焼くような熱を必死に押し殺す。少しでも気を緩めれば、内側に蠢く荒々しい感情が今にも身体を突き破ってしまいそうで、恐ろしい。
きっと顔は、ひどく強張っていることだろう。無様なほど歪み、醜い有り様を晒しているだろう。そう分かっているけれど、しかしそんなことを一々気にしていられる余裕など、今のシェリルには微塵もない。
本当なら、今すぐ彼の身体に縋りつき、その長い指先にぶら下げられた石を奪い返したかった。それだけは絶対に譲れない、と。何が何でも取り返さなければ、と。ただただ一秒でも早く、あの石をこの手で抱き締めたい、と。
けれど、募る焦燥とは裏腹に、身体はただ泥のように重く、小刻みに震えるばかりで、腕を持ち上げることも、指先を伸ばすことさえ叶わない。それがひどくもどかしく、シェリルは毛布を一層強く握り締める。
また守れないのだけは、どうしても嫌だった。あの時と同じように。大切なものを失うのは、もう二度と――。
「返していただけるなら……幾らでも、魔法石を造ります! 貴方が望むだけ、幾らでも! ですから、お願いです……それだけはっ……それだけは、返して下さいっ……!」
淑女としての慎みだとか、守るべき矜持だとか、そんなものはもうどうでも良かった。あの石さえ取り戻せるのなら、自分を形づくる全てを投げ出したって構わないとさえ思う。あんなにも嫌だったフロリスを造ることだって。あの石を失うことに比べれば、なんてことはない。
だから――だからどうか、と。そう強く叫びたいのに。力強く訴えたいのに。喉の奥がひりついて、唇の間から飛び出す声はひどく掠れ、情けないほど弱々しかった。
「どうか……お願い、しますっ……!」
それでも必死に、どうにか声を絞り出そうとするシェリルを、イヴリスはただ黙って見下ろしていた。睨めつけるでもなく、嘲笑うでもなく。感情の全く読み取れない、殆ど“無”に近しい眼をして。
「……そんなにコレが大事か」
やがて彼は、低く冷たい声でそう問いながら、左の人差し指を僅かに動かした。亜麻色の紐に繋がれた透明な石が、青い思い出を静かに抱いたまま、彼女の鼻先でゆらりと弧を描く。
その美しい華を真っ直ぐに見つめながら、まるで餌を釣られているようだ、とシェリルは思う。獲物を得る為に吊るされた罠。そう考えてしまうのは、長年の搾取のせいで身体に沁みついた卑屈のせいだろうか。私腹を肥やす為だけに刻みつけられた、“道具”としての、逃れられない“呪い”。




