望郷のパンドラ
『ここはきっと~』から思いついたネタ。
あたしは真っ黒な世界に転がっていた。暗いを通り越して、黒い。
腕と足は――良かった、動かせる。
だん、と片足を叩きつけて宙に飛び上がる。あたしが転がっていた石の床では描かれた六芒星がぼうっとした薄青の淡い輝きを放っていた。六芒星を取り囲む見たこともない文字列と共に徐々に光を失っていく。
飛び上がった後は当然落下するわけで、あたしは二、三度弾んで無事に六芒星の外に転がり出ることが出来た。
半透明の青年と少女が滲み出るように姿を現す。
「あの模様の中だと、俺らは出てこれんようだわ」
「三角と三角が重なってますしね。ここでの私たちは間違いなく理を外れた存在ですから」
「存在と言っていいのかねぇ」
「質量の有無を根拠にするならば、答えは否、でしょうね」
二人を助っ人として連れ出せたことに、あたしは安堵する。何をのんびり分析してるのかと呆れつつ、しかし彼らのおかげで冷静でいられるのもまた確かなのだ。
「さっさと私たちを『定義』してしまいましょう。まず、物質として存在するあなたが私たちを――どうしました?ずっとだんまりですが」
「……口が無いから喋れないんじゃないか?」
あたしはヘッドバンギングばりに激しく頷き、反動でこてんと倒れた。彼らの目には、手のひらサイズのウサギ型マスコットがジタバタしているように見えるだろう。
「あらぁ……この人形、口が無かったんですね」
「マスコットキャラクターにはよくあることだが、このままじゃ意思疎通に支障が出るな」
全くそのとおりだと、同意すべく起き上がったあたしは、再びこてんと倒れた。二.五頭身の体に長いウサギ耳。この体は重心が高すぎるんだ。
苛立ちを込めて床をばしばしと叩く。
「おっけー。まずは別の体を探そう。どのみち現地調達ありきのプランだ」
*****
その日、あたしは異界に攫われた。特別何かをしたわけでもなければ、異能を秘めていたり、特筆すべき境遇にあったわけではない。そこら辺にいる平凡な中学三年生である。少なくともあたしはそう認識している。
修学旅行での自由行動中にやってみたかったこと――スクランブル交差点のど真ん中で、大声で歌うというもの――を実行しようと、マイクに見立てた空のペットボトルを握り締め、すぅと息を吸い込んだ瞬間、あたしは光の渦に巻き込まれてしまったのだ。
気付いたときには荒れ果てた大地に佇んでいた。見渡す限り草木一本無い焼け焦げた大地。太陽は昇っていないものの、昼間と遜色ない明るさだ。空はひたすらに赤い。
周りには沢山の人が居た。
――先着順に、行き先を選べるよ――
響いたのは声だったのか、或いは思念だったのか。その場にいたあたし以外の全員が、一斉に駆け出した。
「待ちなさい、止まりなさい!」
「団体客なんて聞いてねぇぞ!おい、止まれったら!」
いつからそこにいたのか、後方から青年と少女が慌てた様子で呼びかけた。でも誰も応じはしなかった。
先を争って急な下り坂を駆け下りていく。先頭を走っていた学生服の少年が闇に飲まれた時、あたしの身体は本能的な恐怖と怒りで震えた。
「待って!行っちゃダメッ!」
制止の叫びは徒労に終わった。少年に続いて次々と、人が闇に飲み込まれていく。
黄泉比良坂――ふと思い出した言葉が、あたしの歩みを完全に停止させた。これが夢だろうが現実だろうが、呑気に道を往くべきではないと、理性とは別次元の何かが警鐘を鳴らしている。
闇から離れたいのに、縫い止められたように足が動かない。
進まなければならないという圧を感じたあたしは、全力で抗った。どう抗えばいいか判らなかったから、あたしをせっつく強迫観念を、同級生による「カワイイ」への同調圧力に見立てて、言いたくても言えなかった文句を叫ぶ。反駁を許さないあの押し付けがましさに対する憤懣に思考を塗り潰して、感情のままに喚き散らした。
「ぜんっぜん!これっぽっちも可愛くない!ふざけんなぁ!」
ばきり、と割れる音がして世界が一変した。
瞬きの直後、無人のスクランブル交差点の真ん中にあたしは立っていた。
「これまた変わった風景ですね」
「やっぱ、お客の心象風景に影響されてんだな」
少女と青年があたしの傍らに立っていた。この交差点は偽物だ。誰もいないだけでなく、電車の走行音も、商店のBGMさえも聞こえない。
「やべ、この子、泣いちゃった」
あたしは堪え切れずに涙を零していた。
訳がわからない。嫌だ。
「……帰りたいよぉ……死にたく、ないよ……」
「元の世界に、帰りたいのね。あれ?……んん?」
不思議な色合いの少女は怪訝そうに眉を顰めた。
「お嬢ちゃん、喜べ。死んでないらしい。だが……うん、なんというか……」
青年――こちらはきっと日本人だ。襟章のバッジに桜が刻まれてるから。大人っぽいけど、白い短ランみたいな制服を着用している。
「……じゃあ、死にかけてる?」
「いんや。君さ、生身でここに来てる。もしかしたら、先に行っちゃった人たちも……ああ、そうなんだ」
少女と青年はあたしに聞こえない、あるいは見えない何かを確認しているようだった。
「こりゃあ俺の守備範囲外。少女A、任せた」
あたしたちは知らぬ間に、テラス席のような白いテーブルセットに移動していた。ぽつんとスクランブル交差点の真ん中に、テーブル一つと椅子三つ。三段重ねのケーキスタンドにはスコーン、ケーキ、サンドイッチが載っていて、カップの中には既に湯気を立てる茶が満たされていた。
急に喉の渇きを覚えたあたしは、カップに手を伸ばした。
「飲まないで。帰れなくなるかもしれないから。名乗るのもダメよ」
少女にぴしゃりと咎められて動きが止まる。怖い声だけど、今はそれが嬉しかった。あたしを帰らせてくれるつもりがあるって判ったから。
「俺たちの世界にもあるだろう?黄泉竈食いで帰れなくなったイザナミ、ザクロを四粒食べたペルセポネ。本名のことを諱と呼んだり、秘匿することは世界的にも珍しくない。名には何かしらの禁忌がある」
有名な神話だ。読んだことがある。あたしはしゃくりあげながら頷いた。この二人は味方なのだ。
「いい子ね。私たちが得た情報と見解を述べるわ。まず、あなたがたは巨大な『辻』を使った術式で並行世界に召喚された。目的は判らないけど。今、あなたは魂魄が――魂のことよ。私が見ただけで判るほど、力任せに雁字搦めにされてるの。勢い余って肉体ごと引っ張っちゃうくらいに」
「帰れないって……こと?」
魂が別世界に捕まってしまった。魂と肉体が引き離されたら死ぬことくらい、あたしでも想像できる。胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
「おい、専門家。なんとかならないのか?」
「肉体ごと次元の壁を破る馬鹿げた出力よ?呼び出し元で術式を解析してぶち壊すことが大前提。一番の問題は、終わった後の帰り方で――お嬢さん、貴方、魔術の心得は?」
「……全く無い……です」
「あるわけないだろ、どう見ても日本人なのに。何かこう、いい感じに無いのか。理を力任せに曲げてるなら揺り戻しとか」
「乱暴なやり方だから、必ず反動はありますよ。でも狙ったところに戻るような、綺麗な術式じゃないんです。こういう場合、反動を利用するなら、確固たる取っ掛かり――それこそ肉体が魂を繋ぎ止めるほどの力が必要なんです」
少女の言葉はあたしを絶望させた。呼び出した張本人たちでも、元の世界へあたしを帰せそうにない。
あたしはテーブルにつっぷして啜り泣いた。
「おい、少女A」
「なんですか、青年B」
「もしもだ。あんたがここで、魔法を使う事ができたなら、打つ手はあるか?」
「仮定の話をしたところで、虚しいだけでは?」
「いいから答えろ」
少女は口元に指を当てて考え込む。
「あんたが魔法を使えても、この場で術式?とやらを解除できないのか?」
「本来のわたしの全力でも難しいです。解除中に引っ張られたらそれまでですし、絡んだ蜘蛛の糸みたいにぐちゃぐちゃで」
「それで『ぶち壊すのが大前提』か」
「はい。壊してしまえば、かなり強い反動を期待できます。次に考えるべきは、どうやって『ここ』に引き戻す道筋を整えるか、ですが。えーと……このお嬢さんの魂を依り代に移し、肉体を『ここ』に仮死状態で保存。並行世界から『ここ』に戻るための目印、錨、命綱にします。こうすれば強い縁があるから、失敗するほうが逆に難しいですね」
「『ここ』からなら、管理者の力で帰してやれるって寸法か。前に何人か返品してたしな……。よっしゃ、お嬢ちゃん。帰れるかもしれないぞ」
あたしは恐る恐る顔を上げた。
「『ここ』では願いが叶うことがある。管理者――と俺たちは勝手に呼んでるが、奴の力で可能な範囲なら。奴が術式を解けず、お嬢ちゃんを帰せずにいるのは、恐らく管轄外からの干渉だからだと、俺たちは推測してる。あいつは世界を曲げることを好まない傾向があるんだ」
「出来ることがあるなら、やります!やりますから!帰してください!」
「おっけー。お嬢ちゃんが願うべき事は三つ。雑念を排して願うんだ。とにかくシンプルに、明確なイメージを持って、強く」
*****
一つ目、『ここ』にいる少女Aと青年Bが、現世で持つ力をどこでも無制限に使えるようにすること。
二つ目、『ここ』にいる少女Aと青年Bをあたしの助っ人として、並行世界に同行させること。
三つ目、『ここ』に戻ってきたら、あたしを同じ時間、同じ場所に、全てを元通りにして帰すこと。
あたしへの追加オプションは一切望まない。
願いは『元に戻す』ことだから、あたし自身を変質させては意味がないんだ。
脳が焼ききれるかと思うほど、あたしは強く強く願った。
帰りたい、帰りたい、帰りたい。両親と祖父母の顔が浮かんでは消える。一緒の高校に行こうと約束した友達。歌の先生。教職課程のある大学に行って、英語教師になりたい。
また皆に会いたい。未来を掴みたい!
「―――ぃ!―きろ!起きて、お嬢ちゃん!」
青年の呼び声であたしは我に返った。いつの間にか意識を失っていたらしい。
半透明だった少女Aと青年Bはちょっとだけ透明度が落ちていた。触れたらどうなるんだろう。
好奇心にかられて手を伸ばす。とっても動きにくい。視界に入ったあたしの手は小さくて丸っこくて柔らかそうで肉球のある白い――?
「お嬢ちゃん、自分の身体見てみ」
言われるまま視線を落とした。っていうか、少女Aと青年Bのサイズがおかしい。お二人とも、なんかすごく大きいですね?
「――!!」
あたしの体は白いウサギのマスコットになっていた。スマホに付けてたヤツ。
よく見たら少女の向こう側に大きな水晶柱が立っていて、キラキラとラメが混ざった液体の中で胎児みたいに丸まった自分が封入されていた。
守られてるって感じが伝わってくる。
少女が水晶に両手をかざすと、僅かに紫を帯びた黄金の光が降り注いだ。
「肉体の保全が完了したわ。どうです、こういうのが美しい術式って言うんですよ」
「いや、判らん」
「……ちっ。あら、お嬢さんが目覚めたんですね。いつ『あっち』に引っ張られるか判らないから、勝手に貴女の持ち物を依り代にさせてもらったわ。作ると時間がかかるし」
ありがとうの気持ちを込めて、あたしはちょこんと頭を下げた。耳が重くて前に転がりそうになるのを踏ん張って耐える。
失神していれば表層意識に雑念が混ざらないから、都合が良かったんだって。確かに、突然心を無にして下さいって言われても、出来る自信は無い。
あたしの奥底が、どこかへ引き込まれる感覚がだんだん強くなっていた。すごくすごく眠い時みたいな感じだ。少女が作業の迅速さを優先してくれていて本当に良かった。間もなく、あたしは連れて行かれる。
「呼ばれてるな。俺にもうっすら感覚が共有できてる」
「『ここ』は時間軸から独立しているはずなのに、タイムリミットが迫ってるなんて」
あたしはしっかりと守られた『あたし』を見つめた。絶対に帰って来る。あたしは『あたし』に戻って、必ず家に帰るんだ。
行ってきます。またね。
そしてあたしは――次の瞬間には黒い空間で転がっていた。
*****
あたしはばしばしと床を叩いて抗議した。この六芒星を壊せば帰れるんじゃないの?と伝えたい。
「これはただの門ですね。貴女を繋いでるものではありませんよ。ほら、勝手に消えていってるでしょう?それにしても、肉体を置いてきて大正解でした」
少女は嫌悪感を隠しもせず吐き捨てた。
「転移してきた生物をエグい感じに拘束する陣が重ねられています。私と彼には実体が無いし、今の貴方はお人形だから、反応しなかったんですね」
「どうエグいんだ」
「床石と合成。ロックゴーレムの核にされる感じですね」
「やばすぎんだろ。友好的な対応は期待出来そうにないな……ん」
二人は同時にぴくりと反応した。
「誰か、来た。団体様だ」
「門が起動したことは当然察知しているでしょう。呼んだのはあちらなんですから」
「よし、隠れるぞ。……っと、やっぱ、すり抜けちまうか」
青年はあたしを手に乗せようとしてくれたけど、彼の手はあたしを透過してしまう。
「おい、管理者。物を持つ能力は『現世で持つ力』に含まれてないんかーい。相変わらず奴はぽんこつだな」
「青年Bのぼやきは放っといて、ほら、お嬢さんはそこの柱の陰に隠れて」
了解、とあたしは敬礼した。今のあたしは手のひらサイズの人形だから、隠れるのは簡単だ。素早く柱の陰に滑り込んで息を殺す。呼吸してないけど。
少女と青年は現れたときとは逆に、大気に滲んで消えた。多分隠れたのだ。
しばらくすると闇の中に光が差し込んだ。この部屋の扉が開けられて廊下の光が床を照らす。がしゃがしゃと鎧兜を纏った集団が松明片手に侵入してきた。騎士とでも呼んでおくことにする。
騎士たちは口々に戸惑いの声を上げていた。被召喚者――あたしの不在に戸惑ってるんだ。
一人の騎士が躓いて大きく体勢を崩した。そして消えかけていた六芒星の陣に足を踏み入れてしまったのだ。
不気味に残っていた薄青の燐光が爆ぜて、男は石の床に沈んでいく。
「うわあああっ!助けっ、助けてくれ!」
仲間の騎士たちは慌てて剣を抜き、陣に傷をつけようと試みた。石が削れる音がするのに、陣
には傷一つつきやしない。
騎士は必死に這い出ようともがいている。悲鳴を上げながら。
とぷり。最後まで暴れ続けた騎士は、ついに腕も沈んで消えた。
「――をお呼びしろ!」
「儂ならここにおる」
裾の長いローブを纏った老人が、杖をつきつき悠然と姿を現した。
「貴重な術式を無駄にしおって。おい、」
老人の背後から、似たようなローブ姿の五人組が他の人を押しのけて現れた。
もう踏んでも大丈夫なのか、堂々と陣の跡地に立っている。
五人組はぴったり揃った動きで、人一人を呑み込んだばかりの部分に、手にした杖の先を向けた。
床石から球体が迫り上がり、杖の動きに合わせて宙に浮いた。
ボウリングの玉と同じくらいの大きさだ。あの騎士は少女Aが言っていた通り、ゴーレムの核にされちゃったんだ。人形の体でよかった。
「とりあえず陛下に報告だ。謁見の準備をして参れ」
「はっ」
騎士たちが立ち去った後、老人は懐から巻いた羊皮紙を取り出して宙に投げた。ばさりと広がったそれはペンも使っていないのに文字が連ねられていき、やがてぱっと燃えて灰も残さず消えた。
「……反応無しか。門は正常に作動しておるんじゃが……」
老人は首を傾げ、釈然としない様子で部屋から出ていった。扉が開けっ放しなのはありがたい。
「早速探知魔術を使ってきましたね。見た感じ、生体感知系です」
「……妙だな。罠も含めて」
「ええ。でも、考えるのは後」
あたしは用心深く、部屋の外へと脱出した。
気配云々ではなくて、転ばないようにという意味で。周辺警戒は二人に任せている。
こてん。
また転んだ。
少女と青年は幽霊のように空中をふよふよと漂っている。運んでもらえたら楽なのに、触れないから無理だって。不便だなぁ。
城内をこそこそ逃げ回ること、体感時間で数十分。
「人形発見したぞー。動きにくそうだが、目も耳も口もある」
「どれどれ……怖っ……動きにくそうですが、ちゃんと顔がありますね」
青年にこっちこっちと誘導してもらって、あたしが目にしたものは、正統派の日本人形だった。赤い着物にきっちり切り揃えられたお手本みたいな黒いおかっぱ頭。ジャパニーズホラーの象徴として外国人に恐怖を植え付けた、例のアレである。
「なんで日本人形があるんだろうな?」
「……この人形の用途が気になります……魔除け?」
「一応、飾るためのモノだよ」
「正気で言ってます?」
少女の気持ちはよく判る。部屋が薄暗いから、当社比で不気味さ三倍増しだ。日本人のあたしから見ても、ちょっと……いや、だいぶ怖い。
「こ……これに乗り移るということでよろしいですか?」
少女は恐る恐る確認してきた。うさ耳としっぽ以外は全部が丸いフォルムのマスコットより、日本人形の方が人間に近いはず。あたしは頷く。頷いたつもり。もうバランス取りに気疲れしたんだ。あと喋りたい。口が付いてる人形なら何でもいい。
「では、目を閉じて……頭の中でフィボナッチ数列を唱えて下さい」
ナニソレ。
「少女Aの世界にもフィボナッチ数列があるのか」
青年Bさん、そこじゃない。そこじゃないですよ。
「中学生には厳しい指定だと思うぞ」
よくぞ言ってくれた!あたしは内心で喝采した。
「じゃあ素数でいいです」
「うん。それなら習ってるはずだな。頑張れ」
あたしは一生懸命素数を思い浮かべた。1、2、3、5、7……
「念の為言っとくが、1は素数じゃないからな」
「1を素数に含めたら色々と崩れるんです。……はい、もう目を開けていいですよ」
あたしの前に、白いウサギ型マスコットが転がっていた。
「あ、あー。喋れる!」
「声がでかい!」
「ひゃい!」
「静かにして。あなたの声は、空気を震わせてしまう」
あたしは慌てて口を押えた。
「動くとより一層、不気味ですね……」
少女が顔を引きつらせて、あたしから一歩引いた。判るよ、今のあたしはどう見てもホラーだもん。
「そんなことより、壊さなきゃならん憎いあんちくしょうは見つかったのか」
「敵陣の真っ只中で、探知術なんか使えないわ。一発でバレます。私たちはいいけど、この子が逃げられないでしょう?」
「潜水艦のソナーみたいなもんか」
「センスイカン?は知らないけど、コウモリの超音波探査と仕組みは同じです」
「おっけー、把握した。お嬢ちゃん、ちょいとあっちからこっちまで、全力で走ってみてくれ」
「はい?」
あたしは青年の指示に従って、右の壁から左の壁へと駆け抜けた。日本人形の走り方といえば、やっぱこれよね。
「うわ……そうきたか」
ホラー映画の日本人形は、とことこ可愛らしく歩いたりしない。つるつるの廊下を、一センチほど浮いた状態で高速移動するのが正しいやり方なのだ。
日本人形の移動手段なんて他に知らない。
「思ったより速いな。探索の効率が上がりそうだ」
「憑依の際に得られる身体能力は、憑依者の概念が強く反映されます。……それ、そういうイメージなんですか……ドン引きです」
「あたしのせいじゃないです」
苦情は映画の原作者か、監督か、脚本家あたりに訴えて欲しい。
「ここは倉庫というより、趣味のガラクタ部屋みたいです」
「適当に放り込んでる感じだな。ホコリがすごいから、コレクションという雰囲気でもない。つまり?」
「人が来ない?」
「正解。少し落ち着いて作戦会議が出来る」
あたしたちは部屋の奥、入口から見て衝立の陰になってる場所に陣取った。念の為にと、少女は開いたままの扉の前に立ち、ほっそりとした指で空に光る円と複雑な文様を描いた。勝手に扉が閉まって、かしゃんと鍵穴の動く音がした。
そっか、入るときもこうやって開けてくれたんだ。
「いかにも魔法って感じ、いいなぁ」
魔法の存在を実感して、あたしの胸が躍った。ファンタジー映画じゃない、本物の魔法使いがすぐ近くにいる!
「これは魔術ですよ。魔法は世界に干渉するものです」
少女はあたしの隣にちょこんと座った。
「今のそれは、感知されたりしないのか?」
「ご心配なく。円で囲むことで漏れ出る魔力を抑えています」
「つまり、今ので俺たちの位置が露見することはないと。便利だな」
二人の会話をあたしは神妙に聞いた。少女の行動は何処までも論理的で合理的だ。
「さっき言ってたな。『定義』しようとかなんとか」
「ええ。互いに仮の名をつけ合う事で、私たちの存在を安定化させるんです。この並行世界に縛られず、お互いを繋ぐ線を強化する感じ……上手く伝わるといいのですが」
「なんとなく」
不安定な存在だというのは判る。ほいほい体を乗り換えられるくらい、あたしはふわっとした状態だから。
そして『並行世界』の誰かに勝手に名付けられたりしたら、あたしは支配されてしまうのではないだろうか。食べてはいけない、名乗ってはいけないと、あの場所で忠告された時に抱いた恐怖。あたしはそれを鮮明に思い出していた。
「じゃあ、あたしのことは――」
「自己申告は却下です。潜在意識から湧き上がった名では仮りのモノ――即ち借り物になりません」
「そりゃそうだ。よし、お嬢ちゃんのコードネームは俺が考えよう」
「あたしは少女Aさんの名前を考えればいいのね」
「私が青年Bの名を付けることで、霊的な三角形が成立し、安定化するはずです」
「三角形には力があるの?」
意外にも、あたしの問いに応えたのは少女Aさんじゃなくて、青年Bさんだ。
「聖なる三要素、三位一体。三宝に三界。音楽の三要素に力の三要素。光の三原色が合わされば白になり、色の三原色なら黒になる。サバイバルにおける三の法則。三という数字はとかく汎用性が高い。まあ、古来から普遍的に神聖視されてるのは確かだよ。三つの点は面を作り出す最小単位だし」
あたしは青年Bさんをまじまじと眺めた。
「日本人ですよね?どうして魔法の知識があって、しかも詳しいんですか?」
「全部、雑学と理数知識の範疇だぞ。俺としちゃ魔法が予想外に理詰めで、びびってんだけど。心理学はまだいいが、自然科学に数理論、量子論にまで通じるもんがある。ファンタジー要素はどこに家出したんだ」
「世界の理に干渉するんですから、当然ではありませんか?」
「すうりろんにりょーしろん……」
ごめんなさい、あたしにはちんぷんかんぷんです。あたしはあたしの出来ることを頑張ろう。
「少女Aさんの名前、考えました」
頭が良くて、たぶんすごく強い魔法使い。見た目はあたしとどっこいどっこいだけど、絶対に年上だと思う。ファンタジー定番の長命種、エルフみたいな感じ。だから強そうで、不思議な響きの名前が良いんじゃないかな?って思った。
「ラプラス、ってどうですか?意味は良く知らないんだけれど、ゲームで出てきた名前です」
「ふむ、決定論における、全能の観測者ですか。あなたの世界ではそう呼ばれているんですね」
「そんな意味だったんだ……」
「確かに受け取りました。ありがとうございます」
「どういたしまして……?」
何か変な納得の仕方をされた気がする。
「固有名詞はそのまま翻訳されてんだな」
「みたいですね」
「ドユコト?」
そういえば少女Aさん――ラプラスさんは別の並行世界の人なんだっけ。自動翻訳の魔法が働いてるってことかな?
「俺と少女Aは」
「ラプラス」
「……俺とラプラスは、互いの語彙が辞書になって、言葉が勝手に置き換わるシステムみたいでな。英和辞典と和英辞典を相互参照してるって言えば判りやすいか」
「なるほど?」
知らない言葉や知識が飛び出てくるのは、この二人が広範囲の教養と解説出来る知性を持ち合わせてるおかげなんだ。
「さっきのパターンだと、最初にラプラスという言葉が俺の語彙から検索されて、『ラプラスの魔』の意味の方が少女Aに伝わった感じだな。だから言葉を知らないのに、意味は通じてる、みたいに妙ちきりんな反応だったわけ。厳密に言えば、『ラプラス』単品だと、決定論者の学者の苗字だよ」
「重要なのはイメージですので……さて。あなたの名前、思いつきましたよ。青年B」
「どんと来い」
ラプラスさんは青年Bさんに向き直って宣言した。
「カクル=エル」
「……ほーん。そっちの世界で魔法体系を整理した偉大な学者で……なんじゃ、この変な人」
「どんな?どんな?」
すごく気になる。どういう人物なんだろう。
「いかなる攻撃魔法も、気合の拳で無効化した伝説の男、だってさ」
「えぇ……?」
まさかの物理タイプ。これも物理学者って言えるんだろうか。
『魔法を拳で消す』ってフレーズのインパクトが凄すぎて、笑いが込み上げてくる。
あたしは声を抑えて肩を震わせた。
「笑顔も怖いですね、その姿」
ラプラスさんはあたしからそっと目を背けた。
「言ってやるなって。先に断っとくが、俺に物理攻撃能力はないぞ。なんでもかんでもすり抜けるのに」
青年Bさんはさっきまでの依り代、ウサギのマスコットに手を伸ばした。案の定、手はマスコットを通過する。
「ほらな」
「それなんですが、青年Bが現世から持ち越す能力なんて、物理方面に限られますよね」
「まぁな。知識、経験と解釈も出来るが。ラプラスと比べると俺は何一つ、追加されてない」
「でしょ?『管理者』が願いを却下したとしても、局所的すぎます。奴が繊細な調整を出来ると思えません」
「ふむ……特定条件下に限定されてる可能性はあるな。実体化なんざ、無から有――質量保存則に反する現象とも言える。ったく、ファンタジーの癖に細かいことを気にしやがって」
「現実ですもん」
あたしはちょっと悲しくなった。あたしが拉致された事実そのものが、幻想なただの悪夢だったらどれほど良かったか。
「すまん。俺の言い方が悪かったな。カクル=エル、名を確かに受け取った」
青年Bことカクルさんは、あたしの頭を撫で――すり抜けてしまったけど、少しだけ温かい気がした。
「カクルさん……うん、カクさんって、呼びますね」
「ははっ、ラプラスがスケさんだったら面白かったのにな。さて、お嬢ちゃんの仮名だが」
「『けみょう』って?」
「真名の反対さ」
名乗っちゃいけない、本当の名前。
「つーわけで、『パンドラ』なんて、どうかな」
流石にあたしでも知っている。箱を開けちゃいけないって言われて、でも開けてしまった女性の名前だ。
「縁起が悪いからやだ」
「むしろ験を担いだつもりだぜ?まず、パンドラは元々、神が泥から作った人形でね。様々な能力を与えられて、人間の女性になった存在だ。そして、箱を開けた後、手元に残ったのが『希望』。お嬢ちゃんは、今でこそ人形状態だが、術式をぶっ壊して、人間に戻って、希望を持って帰るんだ」
「お嬢さんの因果を符合させる発想ですね。わたしは良い名だと思いますよ」
カクさんなりにあたしのことを考えて付けてくれたんだ。
「それ採用!今日から、あたしはパンドラ。改めてよろしくお願いします」
「おう」
「宜しくお願い致します」
あたしたちはラプラスさんに教えられた言葉を、声を揃えて宣言した。
「――これにて我らの『定義』が成就し、道は拓かれた」
呼び出された理由もラストシーンも脳内にあるけど、ここまで。
問題:『妙だな』と青年Bが感じたのはなぜ?
巫山戯てるわけでもないのにシリアスから逸れていくのはなんでかな。




