1 レーンの大祭へ向かう⑤
竪琴の弦をはじく音がゆるやかに流れてくる。
夢と現の境界で、甘やかに音色は響く。
「……誰そ誰そ 吾を呼ぶは」
夢と現の境界で、目元を赤い仮面で隠した楽士が歌う。
仮面の下の顔が端正であることを、わたくしは知っている。
「星の煌めき 銀の月影 山の彼方の遠雷や?
否や否 それは汝なり
高き峰より降り来る 黄金の毛並みは
孤高の神狼」
楽士は歌と演奏を止め、ふとこちらを見る。
美しい笑みを浮かべ、彼は仮面を外す。
だが、顔ははっきりわからない。
「おねえさま」
幼い声で楽士は言う。
「僕はおねえさまを、お嫁さんにお迎えしようと思っています」
「……ルイ!」
そう叫んだ瞬間、わたくしははっきりと目が覚めた。
「……殿下?」
少し離れたところから、気の置ける声でエリアーナが呼び掛けてきた。
「殿下、どうなさいました? もしや、どこか痛むとかお苦しいとか……」
「ああいえ、そうではないの」
あわてて言う。
「ちょっと……変な夢を見て。びっくりして声が出ただけなの、心配かけました」
のろのろと身を起こす。全身にじわりと汗がにじんでいて、正直不快だ。
エリアーナがさっきの冷たいお茶を入れたグラスを乗せた小さな盆を手に、寝台のそばへ来てくれた。
「やはりラクレイドに比べてかなり蒸し暑いですから、寝苦しいですよね。水分は積極的にお取りになった方がいいですよ。冷やしたお茶、念のためにお持ちしました」
勧められるままにグラスの半分ほどを干し、もう大丈夫だと言って下がってもらう。
もう一度横になり、蚊よけを兼ねているらしい天蓋をぼんやり見上げた。
どこからともなく楽の音が響いてくる。
こちらの神殿での『お務め』は、歌や踊りで行われると聞く。
おそらく夕方のお務めが行われているのだろう。
夢に、竪琴を奏でる楽士が出てきたのは、この音色を夢うつつに捉えていたからだろうと思った。
(……ルイ)
十年前に出会い、以後会うことのない母方の従弟の名だ。
わたくしより三歳下の、生真面目な男の子だった。
彼は、見ているこちらが気の毒になるくらい、自分の務めを果たそうと常に気を張っているようなところがあった。
彼の真面目で真っ直ぐな気性を、周りの大人たちは利用して……わずか七歳の、それもただ一人のデュクラの王子であったのにもかかわらず。
ひそかに、彼自身すら気付かぬうちに、ルードラントーの手駒として使えるよう、暗殺者としての技術を仕込まれていた、可哀相な子。
(ルイ……ルイ)
デュクラでは諸々の事情から政権がひっくり返り、今の王は彼の大叔父の系統出身者である。
彼の父親である元王のピエールは辺境の地に幽閉され、母親である元王妃と元王子の彼は、未だに行方不明のまま。
今あの子がどうなっているのか、そもそも生きているのか死んでいるのかもわからない。
(わたくしに、出来ることは何もないけど……)
それでも、折に触れ彼の身を案じることはある。
あの子との思い出は、いいことばかりではない。
思い返すと、今でも腹が立つ嫌な思い出もたくさんあるし、ルードラントー風の教育をがっちり受けていた彼とは、そもそも価値観や宗教観が相容れなかった。
だけど身内だ。
数少ない、いとこの一人だ。
もし生きて、元気でいるのなら。
彼なりに幸せだったらいい、とは思う。
『彼なりの幸せ』がどういう形なのか、わたくしにははっきり思い浮かばなかったけれど。
(おねえさまをお嫁さんに……か)
そういえば、過去に何度かそんなことを言われた。
デュクラを降し、ひそかに属国化していたルードラントー側の思惑にそそのかされ、ルイは、ラクレイドの王女であるわたくしと結婚して国主となり、共にルードラントーに従うことが神の御心に沿う素晴らしいことだと信じ切っていた。
わたくしという個人に対しての思いではなく、デュクラ王子としてラクレイドの王女と政略結婚をしなくてはならないと教えられ、盲目的にそれが正しいと思っていたのだろう。
(でも考えてみれば、わたくしへの求婚者は今までのところ、ルイ以外に現れなかったのよね)
苦い笑みが浮かぶ。
ルイと結婚することは絶対ない。
そもそも彼は、すでに生きていない可能性が髙い。
仮に生きていたとしてもあまりにも立場が隔たってしまったし……彼との婚姻など、デュクラの新しい支配者に余計な懸念を抱かせるだけだ。
楽の音が低く響いてくる。
わたくしはもう一度大きく息をつき、まぶたを閉じた。




