1 レーンの大祭へ向かう④
レクテナーンは、宿泊所になる大神殿の奥へと進むわたくしに付き添いながら、話す。
社交辞令的な世間話というものであろう。
「ラクレイド王・アイオール陛下はご壮健でいらっしゃいますか?」
わたくしは軽くうなずく。
「おかげ様で。この度も本当は、陛下が直接、こちらへお祝いに参じたいと申しておりました。少し耳にしたのですが、レクテナーンは陛下の遠縁にあたられる……とか」
ああ、と、彼は軽く笑んだ。
「陛下のご生母でいらっしゃる先代レライラは、私の父の従妹になります。私は直接かの方とお会いしたことはありませんが、父から、かの方の幼い頃の話は少し聞いております。かの方の瞳の色が、私の瞳と同じ菫色だとも。この色の瞳は私の一族にちょいちょい、出るのですよ」
実は菫色の瞳の者には神官としての適性があるという、迷信じみた言い伝えもありまして。
神官ではなく、海をゆく勇ましい戦士として生きたいと思っていた子供の頃の私は、その言い伝えに反発ばかりしていましたね。
彼はそんなことを、笑みを交えて言う。
「しかし、夢はあっけなく潰えました。海の民にあるまじきことですが、私はどうしても船酔いが克服できませんでしたので。敵と戦うより吐き気と戦うのに忙しい戦士では、話になりませんからね」
わたくしは少し困ったような、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
レーン人にとって『レクテナーン』の地位は並びのない誉れであろうが。
その誉れが、自分の望む生き方と必ずしも一致しないという、言いようのないもやもやとしたわだかまり。
さり気なく話していらっしゃるし、おそらくもう割り切っていて、今のお務めに励むつもりでいらっしゃるだろうが、そんな過去の残滓が仄見える。
かつての(あるいは今でも)アイオール陛下やわたくしの中にある、決して外へ出せないもやもやと、同種のものをこの方は抱えていらっしゃるのかもしれない。
そんなことを頭の隅で考えながら、私は宿泊所までの道を歩く。
毒にも薬にもならない世間話……あるいは世間話にまぎらせたそれとない牽制を、互いにかわしながら。
部屋に通された。
湿度は高いものの、ゆるやかな風が通る過ごしやすそうな部屋だ。
広い部屋の中央にあるテーブルにガラスの水差しが二つ、グラスと、いくつかのお菓子と共に並んでいる。
水差しにはそれぞれ、赤い色の果実水と冷やしたお茶が入っているようだ。
どうやって冷やしたのか、水差しの表面が曇っている。
直前まで井戸か泉で十分冷やしていたのかもしれない。
部屋で控えていた下働きらしい女性の神官が下がると、早速エリアーナが動く。
彼女は、給仕をしながらさり気なく、お茶や果実水、お菓子に不審なものが含まれていないかを、手元に隠し持っている試薬をしみこませた薄紙で見極める。
護衛侍女に薬学の知識を仕込まれるのは、古い時代からの慣習でもある。
レーンでわたくしに毒を仕込まれる可能性は低いだろうが、眠り薬や媚薬の類いを仕込まれることは注意する必要がある。
もちろん、他国を訪れる使者が男性の場合も、毒や薬に気を付けなければならないが、貞操面の危機からわが身が妊娠するという問題が発生する女性の方が、重い問題になる。
嫌な話であるが、訳アリであれ『ラクレイドの王女』という肩書は、レーンのようなラクレイドから適度に離れた他国であれば、それなりに使い勝手がいい。
訳アリの、それも独身の王女が旅先で熱烈な恋をしたということにでもすれば、相手(おそらくは島長と呼ばれる立場の男性だろうし)とすんなり婚姻まで進む可能性が髙い。
現実的な話、可能性そのものは低いだろうが気を付けるに越したことはない。
「殿下、どうぞ」
エリアーナはほほ笑んで茶菓を差し出す。
どうやら及第であるらしい。
ありがとう、と言い、わたくしはまずお茶を口に含んだ。
かすかな甘みと酸味のある、複雑な味わいのお茶だ。
身体の中がスッと洗われるような心地、思わず息をつく。
ようやくホッとした。
「今日と明日はこちらで休養をとり、明後日から式典の準備。式次の説明や式場の案内などがあるそうね。コチラの首脳陣とお会いするのは、多分その時が主になるでしょうね。式典そのものは三日後で、式典後に行われる晩餐会で公式の日程は終了。次の日は休養日でその次の日に帰国予定だけど、海の状態次第では帰国の日程がずれるかもしれない……流れとしてはそんな感じかしら」
頷くエリアーナへ、わたくしは笑みを含ませ、言う。
「さすがに少し疲れました。夕食まで少し横になります」
御心のままに、と彼女は頭を下げた。




