1 レーンの大祭へ向かう②
レーンの港に着いた。
船を降りてすぐ、湿度の高い熱い空気にもわっと包まれ、驚く。
ラクレイドはそろそろ木枯らしのたよりが聞かれる頃だというのに、こちらはまだ夏なのかもしれない。
南下するにつれ、船内の温度や湿度は上がっていったが、常に風を受けているからか、あまり気にならなかった。
(……ああ。異国、だわ)
大きく息をつき、わたくしは思う。
国というか場所によって、ここまで季節が違い、肌で感じる空気の重さが違う。正直、想定できなかった。
『想定できない』ものや状況に出会うことが、異国にいるということなのかもしれない。
接待役(おそらくは中堅の神官なのだろう)の者が三名進み出てきて、我々に達者なラクレイド語で短い歓迎の挨拶を述べ、送迎用の馬車まで導いてくれる。
港とは反対側になる島の南東部に、レーンの大神殿があるという話だ。
そこまで馬車で二時間ばかりかかるそう。
もっとも大神殿への道は整備されているので、馬車の移動はさほど苦にならない。
「船の揺れはなかなか馴染めませんでしたが」
苦笑いを口元に含み、エリアーナ・デュランは言う。
今の彼女は侍女の仕着せをきりりと身に着け、スッと背筋を伸ばして下座の席に控えている。
「不思議ですね、馬車の揺れはそれほど苦になりません」
わたくしは笑み、言う。
「体調が回復してなによりだわ、エリナ」
言っているうち、ふと、懐かしいことを思い出した。
「ありがたいことにわたくしは乗り物に強いようだけど……そういえば。エリナが今、言っていたようなことを昔、わたくしの父上もおっしゃっていたわね。お若い頃、公務があって海路でデュクラへ向かわれたそうなんだけど。船酔いがひどくて死ぬ思いをなさったのですって。なのに、船から降りて馬車の旅になった途端、嘘のように眩暈も吐き気も治まったそうよ。船には弱いけど馬車に強いのは、ラクレイド人にありがちな傾向なのかもしれないわ」
「……セイイール陛下と同じ、なのですか、なんだか畏れ多いですね」
恐縮したような顔で言うが、もちろんエリアーナ――最近は短くエリナと呼ぶことが多くなった――、の瞳には、淡い諧謔の色が見える。
一ヶ月ほど前の秋の人事異動で正式にわたくし付きになった彼女は、真面目な人柄だが融通が利かない訳でもなく、女性にありがちな余計な湿っぽさもない。
十歳になる前から武官候補生の少年たちに交じって剣をとり、決して引けを取らなかったという伝説持ちでもある。
仮にコテンパンにやられても、愚痴や言い訳をする暇があるならその暇で研鑽を積むべし、を座右の銘に鍛錬に邁進してきたという。
芯のしっかりした、武人らしい真っ直ぐな気性と魂を持つ女性だ。
そこを見込まれ、王族の女性の、護衛と身の回りの世話をする『護衛侍女』の候補者に抜擢され、長い訓練と教育を経て今年の秋、正式任官した。
彼女のひととなりを判断した後、わたくしが望み、今、友人に近い態度で仕えてもらっている。
お互いにまだ遠慮はあるものの、今後もいい関係を築けそうだ。
(将来的にはポリアーナ殿下に付いてほしいし……)
かの方はアイオール陛下の第一子で、十六歳になられた去年、正式に王太子(王太女)になられた。
アイオール陛下は2~3年前まで、わたくしが立太子するべきだとおっしゃっていたが、固辞した。
わたくしには血筋にまつわる問題が多すぎるのだ。
特に、十年前ラクレイドを裏切ったデュクラ……前デュクラータン王家の直系に近い血筋なのが、問題だ。
デュクラは未だ、国情が安定しているとは言い難い。
そんな状況で前デュクラータン王家に所縁のある者が、ラクレイドの権力の中枢にいるのは余計な懸念や疑惑の種になりかねない。
現在、前デュクラータン王家の者は、辺境に幽閉されている前王のピエール以外、元王妃も元王子も行方不明なのが不気味である。
デュクラ国内の旧派閥というよりも、かの国を陰で操っていたルードラントーの息がかかった組織に、彼らは連れ去られた可能性が高い。
きな臭い外交面の懸念が消えないのだから、わたくしは表舞台へ出ない方がいいだろう。
そもそも国内の貴族でさえ、わたくしと縁を持ちたがっていないのが現状だ。
王女という身分、『正統なる王の血筋』に魅力は感じても、同時に『裏切り者の血筋』であるわたくしに関わるのは、いろいろな意味で危うい。
二十歳になっても婚約者ひとりいないのもそのせいである。
(わたくしとしてはホッとしている面もある。どこかに降嫁して旦那様の後ろでひっそり控えている、普通の貴族の奥方のような生き方が出来るとは我ながら思えない。余程おおらかでこだわりのない殿方でなければ、わたくしのようなはねっかえりの妻など持て余すだろう)
アイオール陛下は渋い顔をなさっていたが、セイイールの弟やフィオリーナの叔父ではなくラクレイド王として、少なくとも今、わたくしを表に出さない方がいいのはわかっていらっしゃる。
それに、そもそもポリアーナ殿下は、年齢以上に聡明で落ち着いた王女でいらっしゃる。
じっとしているのが嫌いな質のわたくしより、余程『王女』らしい、次代の至尊にふさわしい方だ。
エリアーナ・デュランは年齢的にも(わたくしの二つ下、十八歳だ)、将来かの方のそばで仕える護衛侍女として一番ふさわしい候補者だと、わたくしは思っている。
ぜひ彼女には、わたくしのそばで『護衛侍女』としての経験を積み、次代の至尊を守ってほしい。
そんなことをぼんやり考えることもなく考えながら、わたくしはエリアーナと軽いおしゃべりをしつつ、薄く開けた馬車の小窓からそっと外を眺める。
背の高い、青々としたサトウキビの畑がはるか遠くまで広がっていた。




