1 レーンの大祭へ向かう①
わたくしは今回、レーン――南洋にある、大小の島々が緩く連帯している国で、アイオール陛下の母君の出身国――での、大神官の交代に伴う大祭へ、国王名代として出席する予定である。
かの国は少し特殊で、いわゆる『王』にあたる存在がいない。
そのかわりといっていいのか、『レーン』という神への深い信仰が島々を緩くつなぎ、ひとまとまりの『国』になっている。
彼らの信仰する神……『レーン』を祭る神官たちには一定以上の権威があるが、世俗的な権力はあまりない。
実際の政治は通常、『島長』と呼ばれている各島々の代表者が取り仕切っていて、国としての方針などは『島長会議』と呼ばれる基本半年に一度の会合で決められる。
その会合には、首座の神官である大神官も出席する。
出席するが、大神官は『出席して話を聞いているだけ』。
決して発言権がない訳ではないので、稀に意見を述べることもあるそうだが、大抵は『そこに存在しているだけ』。
会議の最初と最後に、始まりと終わりの挨拶をして神への祈りをささげるのが主な役目なのだと聞いている。
つまり、大神官――レーン語で『レクテナーン』――の役目というのは、このように多分に儀礼的な、だけどレーンという国のある種の象徴というか旗頭を担っている、というところだろう。
先代のレクテナーンは、私の祖父である故スタニエール陛下が王子の頃に就任したという話で、かなりの年配だった。
去年老衰で身罷り、慣習に従って新しいレクテナーンが選出された。
今回のレクテナーンは、三十歳ほどの男性らしい。
ここ何代か女性のレクテナーンが続いていたので、久しぶりの男性のレクテナーンは果たして吉兆か凶兆かと、かの国では囁かれているらしい。
(……馬鹿馬鹿しいわね)
船室で安楽椅子にもたれ、わたくしは、大きな声では言えない本音を胸でつぶやく。
かの国のことは通り一遍にしか知らない、また、レクテナーンの選出がどういう慣習によって行われるのかも詳しく知らない他国人だ、さすがに口に出して言うのは憚られるが。
今までとは異なる結果という事実を、ことごとしく吉か凶かと騒ぐのは本当に馬鹿馬鹿しい。
アイオール陛下が即位なさるまでのごたごたが思い出され、思わず鼻の頭にしわが寄る。
あの頃――持病の悪化で父が若くして亡くなった頃――のことを思い出す。
かの方が純血のラクレイド人ではないこと、母君譲りの髪と瞳の色(陛下の髪は漆黒で、瞳は菫色。純血のラクレイド人にここまで暗い色合いの髪や瞳の者はいない)だったことが主な原因で、アイオール陛下――当時はレライアーノ公爵――が、法的には即位が優先されるお立場であったのにも関わらず、宮廷の保守派の反対により、必要以上に即位が忌避された。
愚かしい話だ。
あの方は誰よりも優秀で広い視野を持つ、王たる器量を持つお方。
公平に見て、あの方以外に王になるべき方などいない。
確かにわたくしにも王位継承権はあるが、年齢や経験を割り引いても、わたくしがあの方以上の王になれるとはとても思えない。
仮に、わたくしがあの方より王にふさわしいとするならば、ラクレイド王家に典型的な容姿……黄金色の髪にはしばみ色の瞳を持っている、という部分だけといっても過言ではない。
しかし当然の話だが、王は見た目で務まるものではない。
子供がお人形遊びに使う、きれいなお人形ではないのだから。
レクテナーンが女性か男性かで、何が変わるだろう?
レクテナーンの性別がどちらであっても、大抵の職務に支障はなかろうにとしか、他国人のわたくしには思えない。
だが、こういう不合理な、その場にいる人々の気分だけでもやもやと形成される空気感――特に悪意――の恐ろしさを、わたくしはよく知っている。
わたくしはふと、それでなくとも気苦労が多いであろう新しいレクテナーンが、少しお気の毒になる。
口には出せないものの、さぞ鬱陶しい思いをなさっているだろう。
食堂になっている隣の部屋で、夕食の準備をしている気配がする。
この船の客室乗務員は当然ながら選りすぐりの人材で、仕事は手早いが優雅さを失っていない。
こうして居間でくつろいでいても、隣室の気配や物音は微かで、こちらはほとんど気にならない。
長く、従者というか雇い主に奉仕するのを生業にしている者はそれが普通、あるいは矜持なのであろうと思ってきたが。
どうやらそうとも言い切れない、場合があるのも知っている。
(……ふふふっ)
実は即位後のごたごたが落ち着いた頃、わたくしは時折、陛下に誘われて(当然お忍びで)王都の下町を巡ったことがある。
時には旅の商人の親子、時には地方から出てきた下級貴族の親子などに扮し、王都のあちこちを見て回った。
その際に何度か、上等とはいえない食べ物屋や宿屋の世話になった。
目覚ましい経験で、もちろんわくわくや楽しさの方が大きかったが。
わたくしはこの時、生まれて初めて、猥雑だの品が悪い、もしくは、小狡いだのこすっからい、だのの言葉の意味を心の底から実感した。
しかし、
「なに、この程度ならまだまだお上品な部類ですよ」
と、陛下はすましておっしゃった。
その時、陛下の古くからの腹心ともいえる筆頭正護衛官のタイスンが、頭痛をこらえるような顔でそっとため息をついていたのが、奇妙に印象に残っている。




