4 滞在一日目・夜②
やがて三々五々と人が集まる。
皆、普段は別の場でそれぞれの役目を果たしている、この度の訪問を陰で支える実務を担当している老練な大人たちだ。
「失礼いたします、殿下。コーリンでございます。遅くなって申し訳ございませんでした」
まず、大使補佐官として事実上あちらとの折衝を取り仕切っている、エミルナール・コーリン氏が来た。
さすがに疲れが見えるが、いつになく彼の琥珀色の瞳が鋭く尖っている。
「いいえ。言伝の通りの時刻ですよ、コーリン補佐官。この度は夫人ともどもご苦労様です」
「お心遣いに感謝いたします」
一礼後、彼は、居間のテーブルに用意されたお茶を勧められ、ほんのり、嬉しそうに顔をほころばせた。
酒が強くない彼はむしろ甘いものの方を好むと、陛下からも夫人からも聞いている。
レーンの焼き菓子を彼のために取り置くよう指示しておいて、良かった。
彼は一見すると、ひたすら実直で優しそうな雰囲気の男性だが、この上なく優秀である反面気難しいところのあるアイオール陛下の秘書官を、長く続けてきた人でもある。
見かけ通りの単純な能吏である訳がない。
今回わたくしの補佐をするため、陛下は特別に『懐刀』たる彼をわたくしに付けてくださった。
実は彼は、ひそかに『アイオール王の懐刀』というふたつ名を、宮廷の者たちから捧げられている。
武官(主に護衛官)は古くから、突出した実力者にふたつ名が捧げられる慣習がある(たとえば、タイスンの父である陛下の筆頭正護衛官は、若い頃から『荒鷲のタイスン』と呼ばれ、ひそかに恐れられている)が、文官は滅多にふたつ名を捧げられることはない。
文官は基本裏方仕事で目立たないのもあり、余程の能吏・能臣でなければ、多くの者にその仕事ぶりを知られ、ふたつ名を捧げられるような機会はない。
つまりコーリンは『余程の人材』なのだ。
まず彼は、史上最年少の十八歳で王宮官吏の登用試験を首席の成績で通った秀才として、宮廷で知られている。
ラクレイドの法律すべてを細則まで諳んじ、国交のある諸外国の国情や文化、基本の法律も網羅している、と。
今回のように王族の外遊に随行するのも、当然初めてではない。
外交官として特定の国を長く担当している者には敵わないかもしれないが、どの国であってもそつなく仕事をこなせるのは、ラクレイドで現在、彼だけであろう。
今回のような、比較的国情の落ち着いている友好国の式典へ出席するという場合、彼のような人材がいてくれるとありがたい。
式典中、訪問国だけでなく他の国の使者との社交も必要になってくるからだ。
「遅れて申し訳ありません、殿下」
コーリンがテーブルの前でゆっくりお茶を飲み、二つ目の焼き菓子へ手を伸ばした頃、こちらでの生活面の折衝を務めているクリスタン夫人が来た。
髪に白髪が混じる、目尻のしわも優し気な女性だが、体幹のしっかりした姿勢の良い人である。
彼女は、わたくしの祖母であるカタリーナ王太后の護衛侍女を長く務めてきたという経歴を持つ、老練な女官である。
今回の訪問での『王女殿下滞在中の生活面を整える』ため、レーン側のお世話係と折衝する役目を担っている。
我々が来るより二週間前からこちらへ渡り、細かい折衝を行ってくれていた。
(そして……)
一部の者にしか知られていないが、彼女は、若い頃から諜報員としての訓練も受けていて、そちらの部下も数人連れ、こちらでの任務に当たっていた。
王女訪問に際し、念のためにというアイオール陛下の采配だったが、予想以上に彼女たちの活動が必要となりそうだ。
わたくしは笑みを作って言う。
「さて。まずはみんな、お茶を飲んで落ち着いてくださいな。それから、明日のための打ち合わせを念入りに行いましょう」
ピリッと、瞬間的に場の空気が緊張した。
エリアーナが黙って、わたくしとクリスタン夫人、コーリン補佐官の隣に設えた席へ座ったコーリン夫人へ、熱いお茶を供する。
部屋の外、出入口に護衛官たちが立ち、エリアーナ以外の従者は、それぞれ控室へ下がるよう命じる。
カップを取り上げ、新しく淹れたお茶に唇をつける。
馴染みの香りにほんの少し心が落ち着き、なだめられる。
不意に、治まっていた眩暈がぶり返しそうな感触があったが、お茶を何度か飲み込むと少し楽になった。
「……もう情報は行っているでしょうが」
背筋を伸ばし、わたくしは口火を切る。
「今宵タリル・レクテナーンから招待を受けた、夕食会でのことです。レーン側も想定外な、とんでもない闖入者が現れました」
大人たちは表情を変えず、わたくしを注視している。
「その闖入者は、長く行方がわからず生死不明とされていた、わたくしの母方の従弟 ルイ・ドゥ・デュクラータンであろうと、かなりの確率でいえる人物でした」
「……殿下は何故、その闖入者をデュクラのルイ王子だと?」
コーリンの当然の問いに、わたくしは答える。
「彼のデュクラ語が、正確で美しい発音であったことがまずひとつ。そして……わたくしを、『おねえさま』と呼んだことが挙げられます」
一瞬、くらりと視界が揺れたが、お茶を飲んで気持ちを落ち着ける。
「……ルイがわたくしを、名前ではなく『おねえさま』と呼んでいたことを知っている者は限られています。ラクレイド側なら当時の従者たちで、襲撃を免れて生き残った者。デュクラ側はせいぜい十数人、十年前、わたくしがあちらの王家の別荘で軟禁されていた期間、我々のそばにいたあちらの従者たちくらいでしょう。いずれにせよ、わざわざ今、それもレーンで、ルイのふりをしてラクレイドの王女に近付く意味もないでしょうから、本人の可能性が高いと判断しました」
言葉にするならそうとしか言えない。だが。
お久しぶりです、おねえさまと言ったあの若者の真っ直ぐな瞳の色と、あの日ドングリを持って無邪気に笑ってわたくしを見ていた幼い少年の瞳の色が、わたくしの中で閃くように重なり、ああ彼はルイだと直感的に思ったのが正直なところだ。
が、それでは説得力がないだろう。
「よろしいでしょうか?」
今まで、まるで空気のように気配を消し、必要な場合の通訳を務めつつ状況の観察者であることに徹底していたコーリン夫人が、発言の許可を求めた。
わたくしがうなずくと、夫人は言った。
「私はあの場で、彼の発言を聞いていましたが。彼の母語はデュクラ語でほぼ間違いないと判断します。レーン語を話している時の、母音の発音の仕方や抑揚の癖に、デュクラ語の特徴が強くありましたから」
「少なくとも。その若者の母語は、デュクラ語だと?」
夫であるコーリン補佐官に問われ、夫人はうなずいた。
コーリンは思わずのように額を押さえ、深いため息を吐いた。




