4 滞在一日目・夜①
宿泊所に戻った。
エリアーナは、わたくしの着替えを手伝いながら他の従者たちに手早く指示をし、お茶の準備をさせた。
着替えの後、沸かしたてのお湯で淹れたお茶が供される。
ラクレイドから持ってきた、馴染んだ茶葉で淹れた舌を焼きそうなほど熱いお茶が、たまらなく美味しい。
こちらの宵は蒸し暑さが残っているが、それでもあえての熱いお茶はいい。
額にうっすらにじむ汗を、わたくしはそっと、手巾で押さえた。
「殿下」
エリアーナが軽い笑みを浮かべ、声をかけてきた。
「大使補佐官のコーリン様から、あと一時間ほどでこちらへ参るとの伝言をいただいているそうです。クリスタン夫人も、そのくらいの時刻になりそうとのことです」
「わかりました」
答えた直後、何故か一瞬、軽い眩暈を覚えたが、わたくしは背筋を伸ばして笑みを作る。
「では、打ち合わせは今から一時間半後。今日は、エリナもタイスンもコーリン夫人も疲れたでしょう。それまでの間、少し休んでいてください。あちらが心尽くしの手土産に用意してくださったお菓子で、ゆっくりお茶でも飲んでくださいな。わたくしも少し……休みます」
寝室にある安楽椅子で休むと告げると、エリアーナは、なにかお手伝いすることはありませんかと言ってくれた。
大丈夫だと言ってそれを断り、彼らのお茶と軽食を用意するように他の者へ命じた後、寝室へ向かった。
寝台のそばの安楽椅子に深く腰かけ、軽く身を預ける。
暗い窓の外へぼんやり目をやる。
月も星も、今日はよく見えない。
居間でかすかな物音がしている。
従者たちはお茶と軽い食事を楽しんでくれているだろうか。
彼らは任務中だったので、当然あちらで食事や飲み物をとっていない。
軽食くらいは口にしてから任に就いていただろうが、この夕食会は思いがけないことの連続だった。
疲れているだろうし、思った以上に時間をとられたから空腹のはず。
彼らも、甘いものでも食べて少しは休憩してもらわねば、気の毒だ。
手土産は、上等の砂糖とココナツからとれる油、小麦粉を練って作るレーンの焼き菓子だった。こちらの名物のひとつでもある。
ほのかに甘い香りがしていて美味しそうだったが、さすがにわたくしはもう、何かを食べる気にはなれない。
単純に供された食事の量が多かったし……。
(……ルイ)
まさか、こんなところであの子と会うなんて。
重いため息を吐き、目を閉じる。
なんだかくらくら眩暈がした。
安楽椅子にぐったりと身を預け、眩暈が治まるのを待つ。
『おねえさま!』
幼い日の彼が、大きなドングリを手に走り寄ってくるのが見える。
十年前の秋のことだ。
父王が亡くなり、ごたごたしていた頃だった。
弔問を兼ねた私的な訪問、という形でルイはラクレイドへ来た。
その滞在中、幼いなりに『デュクラの王子』としてラクレイドでの社交を頑張ってきたルイの、たったひとつのわがままが
『数時間でいいから、王都のはずれの森で遊びたい』
だった。
その森は、ラクレイドの象徴ともいえる神山ラクレイのふもとの森で、王家の所領でもある。
豊かな森で、秋になると貴族の子弟たちの鴨猟を許可していたし、近隣の者が常識の範囲内で、焚きつけに使う小枝を採ったり、クルミやクリ、キノコなどの森の恵みを得ることも黙認されていた。
その森で半日、遊ぶことをルイは望んだのだ。
ルイの滞在最終日の午後、森への人の出入りを数時間規制し、ルイとその従者たち、わたくしと母、そしてわたくしたちを守る十数人の護衛と必要最低限の従者たちを連れ、我々は森へ出かけた。
そして……わたくしと母は、デュクラへかどわかされた。
ルイは無邪気に笑いながら、大きなドングリの陰に隠した痺れ薬を仕込んだ毒針で、わたくしのてのひらを刺した。
薬のせいで前後不覚になってしまい、その後の詳しいことは記憶にない。
ないが、当時のわたくしの正護衛官だったデュラン……エリアーナの父であるデュラン護衛官が、血を吐くような声で『姫殿下!』とわたくしを呼んだのだけは、うっすら覚えている。
わたくしたちに従っていた護衛官や従者たちは皆、ルイの従者である者たちが使った卑怯な毒矢や毒針に倒れ、全滅した。
そう、全滅したのだ。
ルイとその従者たちが、殺した。
彼らは、古くからの友好国であり、自分たちの王の実妹が王妃である国の信頼を、あっさり裏切った。
そして『ラクレイドとデュクラ、両方の王家の濃い血を引く王女』であるわたくしを、今後の駒として利用するため、かどわかした……。
『ぼくを捨て、ぼくを見放した、憎い憎いおねえさま!』
『貴女は何処までも、それこそ血の一滴までもラクレイドの王女殿下だ! 誇りと立場で凝り固まって、愛も情けもわからない!』
狂った目で叫ぶ彼は、今までどれほどの孤独と絶望の中にいたのか、計り知れない。
こちらの身がすくむほどの叫び声には、彼の真実があった。
でも。
(……先に我々を裏切り、我々を苦しめたのは。ルイ、あなた方よ)
彼は周りの大人たちに、わたくしと婚姻して国主になるのだと言い聞かされていた。
それこそが両国にとって最も素晴らしい、誰もが幸せになる道だと。
物心がつく前からそう教えられ、それ以外の道を考えたことすらなかった彼。
彼も被害者だったのはわかる。
当時、彼は七歳。
自分で物事の判断が出来るような年齢ではなかったのだから。
眩暈がようやく治まった。
窓の外の闇を見据え、わたくしは思う。
その後、わたくしと母はラクレイドの特殊部隊の手によって救われた。
わたくしたちが彼らの手から逃れ、いなくなったことを、彼は……どうやら、深く恨んでいたらしい。
理屈を超えて。




