3 滞在一日目・夕刻④
「不躾ながらお伺いします。フィオリーナ殿下、彼と知り合いなのですか?」
静かに問うレクテナーンの、凪いだ菫色の瞳が恐ろしい。
わたくしはひとつ、大きな息を落とす。
「何とも言えません。今、断言できるだけの証拠はありませんから」
ロウガの瞳に一瞬、狂気じみた、怒りとも絶望ともつかないものが閃いた。
「ただ。かなりの確率でわたくしの知っている人物だと思われます」
わたくしの答えに、レクテナーンの表情が若干、動いた。
「その人物が誰か、教えていただけますか?」
刹那躊躇したが、わたくしはレクテナーンの瞳を真っ直ぐ見て、答える。
「わたくしの母方の従弟に当たる、デュクラ王国の元王子 ルイ・ドゥ・デュクラータンの可能性があります」
ざわ、と周囲がざわめいた直後、突然ロウガは哄笑した。
聞く者の心を凍らせる、絶望に満ちたその笑声。
「あっはっは! さすがだ、さすが貴女は『フィオリーナ殿下』だ!」
血を吐くような声のデュクラ語で、彼は叫ぶ。
「ぼくを捨て、ぼくを見放した、憎い憎いおねえさま! 貴女は何処までも、それこそ血の一滴までもラクレイドの王女殿下だ! 誇りと立場で凝り固まって、愛も情けもわからない!」
不意にレクテナーンは立ち上がり、ロウガの首筋へ鋭い手刀を落とした。
断ち切られたように黙るロウガ。ゆっくりまぶたを閉じ、彼は意識を手放して床へ倒れこんだ。
「警備隊長」
硬直している壮年の警備隊長へ、レクテナーンは命じる。
「彼を、私の私室の隣の部屋へ。彼の身元がはっきりするまで、一時的に私が彼の身柄を管理しましょう」
「しかし……」
警備隊長は何か言いかけたが、先ほどの失態を思い出したのか、口をつぐんだ。
「心配はわかりますよ、私とてもちろん、彼を自由にさせておくつもりはありません。私の国元から人員をわけてもらい、部屋に詰めて彼を見張ってもらうよう計らいます。あなた方は今まで通り、大神殿全体の警備に当たってください」
「……はい」
頭を下げる警備隊長に、レクテナーンは薄い笑みを浮かべてくぎを刺す。
「言うまでもないことですが。今ここで見聞きしたことは、他言無用です。肝に銘じてくださいね」
「わかっております」
戒められたまま、ロウガは別室へ運ばれてゆく。
彼の閉ざしたまぶたには深い疲労がにじみ、目じりには涙の跡があった。
「フィオリーナ殿下」
さすがに少し疲れた顔で、レクテナーンはわたくしへ声をかけ、深く頭を下げた。
「重ね重ねの失態、お詫びのしようもございません。ロウガのことは確かに、我々の予想をはるかに超えた出来事ではありましたが。緊急事態に対処できなかったのは、我々の不手際・我々の無能さ・私の力不足に他なりません」
「いえ……」
そんなことはありません、と言うべき流れではあるが、それはかえって嘘くさい、あるいは、強烈な嫌味になるかもしれない。
わたくしは曖昧に言葉を切り、今日の夕食の礼を述べ、明日の大祭が恙なく進むことを祈ります、と言って辞することにした。
レクテナーンの客間を出て、わたくしたちはゆっくりと宿泊所へ戻る。
ゼイゴ、と呼ばれていたお世話係の神官ではない、他の若い神官が灯りを手に、我々を先導してくれた。
もうすっかり宵だ。
生暖かい風が、灯火を不穏に揺らす。
『誇りと立場で凝り固まって、愛も情けもわからない!』
血を吐くように叫んでいた彼の言葉が、わたくしの胸に深く刺さっていた。




