2 滞在一日目・朝④
第五位の島長の近くにさり気なく、詣で服姿の三十路半ばほどの女性が現れた。
雰囲気から考え、彼女もどこかの島の島長なのだろう。
(……現在の女性の島長は、たしか六位と九位。そのうち九位は今回のレクテナーン交代に合わせて代替わりした若い女性だと聞いているから……六位殿、かしら)
祈祷は終盤になっている様子だ。
祈祷が終わり次第、レクテナーンが挨拶に来る。
彼ら島長との『挨拶及びごく私的な軽い懇談』はその後になる。
五位と六位の間に、心理戦めいたかすかなやり取りの気配があったが、ここは序列に従う形に落ち着いたらしい。
その辺りのことはラクレイドの宮廷でもよくあること、別に不思議でも何でもない。
下位の者が上位の者へ対し、従順でありつつも『舐められない』矜持をさり気なく示すのは、権力に近い者たちにとってある意味、嗜み。
ただ、レーンでこういうあからさまな態度は珍しいのではないかと、わたくしは軽い違和感を持った。
どこの国であれ、人間の集まるところにこういう空気は生まれて当然だが、彼らの信仰する『レクラ』の教えでは、そういう争いを(少なくとも表面上は)表さないことが嗜み。
人の世の序列など『レクラ』から見て実にくだらない、例えば花の色が赤いか白いか程度の差、だとされている筈。
少なくともわたくしは、事前の学びでそう解釈している。
(……レーン内部に、ちょっとした軋みがありそうね)
世代が入れ替わる頃にありがちな軋み。
感情を消した顔の下で、わたくしは、あらかじめ覚悟していた心理的な臨戦態勢に入る。
祈祷が終わった。
独特の緊張を解いた、例の『屈託ない子供のほほ笑み』を浮かべたレクテナーンが、竪琴を抱えたまま大股でこちらへ来る。
わたくしは席を立ち、控えめに笑んで迎える。
「お務め、お疲れさまでございます。もちろん、深いところまでは到底理解が及びませんが、敬虔な気持ちで拝見、拝聴いたしておりました」
型通りの挨拶へ、彼は応える。
「お越しいただき感謝いたします。定刻の祈祷はごく地味ですので、外国からのお客様にはやや退屈かと思いますが、これがレーンの大神殿における日常なのです」
「いいえ、退屈だなど。心が洗われるような調べでした」
その時だ。
あっはっはっは! とでもいう無遠慮な笑声が辺りに響き渡った。
その場にいる者たちすべてが、ぎょっとして声の主へ視線を向ける。
五位の島長の隣にいた、ヴェールを被った少年が笑声の主だった。
あまりに予想外だったのだろう、五位は顔色を変え、何も言えず硬直している。
「ああ失礼しました。申し訳ない」
どことなく外国訛りを感じさせるレーン語で、少年は謝った。
謝ったが、その態度には反省も恐縮も見えない。
「お二人のやり取りがあまりにも中身がなくて、可笑しくてたまらなくなってしまったのです。無作法なのは承知しておりますが、愚かな下々の一人として、本音をまったくしゃべらない外交に意味があるのかと思ってしまいましたので。ああ……」
少年はヴェール越しにもわかる皮肉な光を瞳にたたえ、わたくしとレクテナーンを見た。
「公にされた外交の場に、中身のある話など必要ないのかもしれませんね」
「ロウガ!」
ようやく言葉を思い出したらしい五位が、つかみかからんばかりの勢いで少年の方を向いた。
少年は軽やかに身を躱し、五位から少し離れた。
「ロウガ……呼び名からみて、君はマレビトなのかな」
天気の話をするような軽やかさで、レクテナーンは少年に問う。
『マレビト』……客人を意味する語。
外からの来訪者のことを指し、現実的な意味として、外国人――特に外国人の遭難者で、島に住むと決めた者――を指す。
「申し訳ありません、タリル・レクテナーン! ロウガ! 失礼が過ぎる! 控えろ!」
取り乱し、わめく五位へ、レクテナーンはスッと片腕を出して制する。
「五位殿。私は今、彼に問うたのです。どうか返事をさせてやってください」
柔らかさの中に有無を言わせぬ力をひそめ、レクテナーンは言う。ふっ、と、少年は鼻息で嗤ったが、姿勢を正して答えた。
「おっしゃる通りです、タリル・レクテナーン。私は三年ほど前に五位殿の船に救われた遭難者でした。前後の記憶は曖昧ですが、乗っていた船が火災を起こし、難破した模様で。以来、第五位の島の神殿に寄宿し、下働きの神官として務めさせていただいております。この度、大神殿の下働きとして奉仕させていただくつもりで参りました」
「そんなつもりがあるのなら何故あんな無作法を! 俺にまで恥をかかせおって! 今までの恩をあだで返す大馬鹿者が!」
「ああもう、ギャーギャーうるさいね。ラクレイドの王女殿下の御前だよ」
今まで黙っていた六位らしい女性の鋭くひそめた声に、五位は、怯んだように黙る。チラッとこちらへ視線を投げると、恐縮したようにうつむいた。
レクテナーンは静かな声で言う。
「無作法は無作法だが、君の言わんとすることはわからなくもないよ。それに、そもそも君のレクラが捉えたことは君自身のものだからね、否定はしない。ただ、だからといって場をわきまえない大爆笑は、我々はともかく外国からいらした高貴な方を驚かしてしまう、気遣いするべきだったね……フィオリーナ殿下」
レクテナーンは菫色の瞳を陰らせ、わたくしを見る。そしてラクレイド語でこう言った。
「我々の身内の者が大変な無作法を。彼は、今は見習い神官ですが遭難者で、どうやら心に深い傷を負っているようなのです。ここは私に免じ、許してやっていただきたいのですが」
わたくしは王女としての笑みに少し真実味をにじませ、答えた。
「どうぞお気になさらず。彼の心の傷が癒えるよう、わたくしも祈ります」
瞬間、少年の瞳が暗くとがったような感触があった。が、さすがに彼もこれ以上の反抗は慎むべきだと判断したらしい。
真顔になると彼は、胸の前で両腕を組み、深く静かに頭を垂れた。




